第三話
「さて……」
俺とヴァイツは、人の生存領域と黒い霧の境界に立つと、霧に立ち入るために用意していた、白く淡く輝く鉱石が入ったランプを取り出す。
これは妖精鉱と呼ばれ、亜種族である妖精が断末魔の叫びと共に、その身を鉱石へと変えたものだ。
この妖精鉱には黒い霧を遠ざける力があり、人類が長き時をかけて見つけ出した人が霧に対抗するための数少ない手段と言ってもいい。
もっともそのせいで人による妖精族の乱獲が行われ、そのため妖精達はその数を多く減らしてしまっており、今は国によって捕獲は制限されてしまっているが。
「緊張するね。入念に準備はしてきていても、霧の中は霧が生み出した魔物が徘徊している僕らの住む世界とは違う異世界だ。一旦、足を踏み入れれば危険と隣り合わせだよ」
ヴァイツが目を竦ませ、霧を睨む。
「確かに霧には、まだ俺達が解明出来ていない謎もある。不測の事態が起きることは避けられないが、カルギデはその霧の中に長期間、入ったまま戻ってきていないんだぞ。死んではいないだろうが、いくらあの男でも消耗は大きいはずだ。滞在期間が長い分、条件はあちらが不利だと考えろ」
「まあ、物は考えようだね。危険な要因はカルギデ以外にもあると思うんだけど。うーん、よし。僕も心の準備は終えたよ。さあ、入ろうか、アラケア!」
「ああ、いくぞ」
俺とヴァイツは横に並んでランプを手に、ほぼ同時に霧の中へ足を踏み入れた。
視界が光から闇へと、反転する。
辺りは一面の漆黒。手元に持つランプの周囲だけが、白く照らし出される。
環境音の一切ない静寂の中から、獣達のような唸り声だけが耳に届く。
「いるぞ。魔物どもだ。あちこちから気配を感じる。離れるなよ、ヴァイツ。ここで逸れたら再び合流するのは至難だぞ」
「うん」
俺達は周囲の魔物達の気配を感じ取りながら、ランプを前方に突き出した。
魔物達は霧と同様に、妖精鉱の光を嫌う性質がある。
このことによって多少の安全は保障されるが、もし集まった魔物の数が増えてくれば、携帯できるサイズの妖精鉱では大きな効果は望めないだろう。
俺達は地面を踏みしめながら、カルギデ達が残した痕跡はないか確認しつつ慎重に、前へ前へと進んでいく。
五分、十分、三十分は経過しただろうか。
俺達は、無言で一向に先の見えないカルギデの探索を行い、次第に緊張の糸を張り詰めさせていった。
辺りから殺気をひしひしと感じとりながら。そこでようやくヴァイツは口を開いた。
「見つからないね。さっきからいるのは距離をとって僕らを値踏みしている無数の魔物達だけ。カルギデは本当にこんな最悪な場所に数日以上もいるっていうなら大した精神力だよ。訓練されてる僕でもそんな長期間はさすがに精神が持たない」
「そうだな。人間相手の戦功なら俺よりあいつの方が上だ。戦場で嬉々として人間を殺しまわり、場数を踏んできてる男だ。こういう異常な環境に適応するのには、長けているのかもしれん」
こうして会話しながらも俺達は緊張を途切れさせることなく、周囲に意識を集中させていたが、ヴァイツが言う様に視界の悪いこんな場所では、ただ歩いているだけでも、精神力を非常にすり減らしてしまうのは確かだった。
「はあ~、あいつってもう戦いこそが人生って感じなんだね。僕らは早く仕事を終わらせて、一杯やりたいもんだよ。王都じゃノルンも心配して待ってるだろうし、愛する我が妹を悲しませないように、僕ら二人とも生きて帰らなきゃ。ね?」
突然、実の妹の名前を出したヴァイツが俺の顔をまじまじと見て言う。
その顔はまるで俺に何かを言いたげであった。
「なぜ俺を見る?」
「いや、妹が心配してるのは僕よりアラケアの方だってこといい加減、気付いてくれたらいいんだけどなって思っただけさ」
「ん……そうなのか? だが、それより後少し探索しても見つからなければ一旦、霧を出る。顔に疲労の色が滲んでるぞ、ヴァイツ。これ以上、精神を疲労すれば、あの男との戦いに差し支えるだろうからな。いいな?」
「……お心遣いどうも、アラケア。分かった、従うよ。君の言うことは悔しいけど事実みたいだ。僕自身、それはよく分かってる。でも、あと少しだけ頑張るよ」
「ああ。だが、無理はするなよ、ヴァイツ」
それから再び、時間の経過も分かりづらい闇の中を、歩み続けていたその時……。
――ぎしゃぁあ!!
大きな咆哮と共に大地が揺れ、とうとう災厄の霧の住人「それ」は姿を現した。
物凄く巨大な、目視で確認しても……有に五メートルはあるだろうか?
巨大な化け物がそこにはいた。
携帯サイズの妖精鉱の光に怯まない、魔物の中でも体躯の大きい大型だ。
「ちっ、とうとうしびれを切らして俺達の前に現われたか、災厄の霧の魔物め。ヴァイツ、他の魔物が集まってくる前に、時間をかけずこいつを沈黙させる。やるぞ!」
「承知したよ!」
俺とヴァイツは、それぞれ得物である戦斧と棍を構えると、間髪入れずに魔物に向かって、飛び掛かっていった。
魔物は俺達を薙ぎ払おうと肥大化した腕を振るうが、紙一重でそれを躱すと俺は懐から二本の短剣を取り出し、魔物の足元へと投げつける。
「まずはとくと味わってもらおうか。ライゼルア家に伝わる技の一つ。我が祖が編み出した『死天呪縛』を!!」
短剣に込めた気が放出し、魔物の動きを封じる。そして物質的にも精神的にも封じこまれた対象は短剣から生じる負荷によって、体力を大きく消耗させるのだ。
魔物はたまらず、大きく唸った。
「ふっ、苦しそうだな。では更にもう一つ別の技を見せてやろう。存分に味わうといい! くらえっ! 『鬼翔断』!!」
俺が地面から戦斧を斬り上げると、放たれた衝撃波が目前の魔物に直撃し、たちまち右肩から先が消し飛び、肉塊が宙を舞った。
更に間髪入れずに悶え苦しむ魔物の眼前へとヴァイツが掛け声と共に迫る。
「だりゃああああっ!!」
ヴァイツは手にした六方棍を、渾身の力で魔物の顔面へと叩き付けると、頭蓋骨が砕けたような鈍い音がして、頭部は木っ端微塵になって吹き飛んだ。
それでもしばらくは昆虫のような生命力で体だけがよろよろと動いていたが、やがて糸が切れたように地面に仰向けに崩れ落ち、完全に沈黙した。
「ふう……やったね。アラケア」
「ああ、仲間を呼ばれる前に仕留められて良かった。霧の中にごまんといる、こんな魔物をいちいち相手にしていてはキリがないからな」
俺は息をつくと、腰に下げたランプを手に取ろうとした。
その時だった。
ぱち、ぱち、ぱち……。
静寂の中、霧の奥より手を叩く音が響く。
「いや~、中々どうして。お見事お見事。さすがのお手前ではないですか、ライゼルア家現当主アラケア殿」
霧の中からした声の主が、地面を踏みしめ近づく音がする。
「お、お前は!!」
その者の姿を確認したヴァイツが叫ぶ。俺達の前に姿を現したその男は……。
閉じた右目の瞼に三つの傷がある長身の男。
そして数えきれない武勇から鬼神などと呼ばれている。
「カルギデ!」




