第四十九話
――あれから更に日にちは過ぎ……
災厄の周期の最大の脅威、皆既日食の一か月間も、残すは三日となった。
だが、魔神の魔物の侵攻を止めてからというもの、やはり他の魔物達が王都に襲撃を仕掛けてくる気配はまったくない。
一般騎士団の騎士でない兵士の中には、緊張が緩みだした者も現われだしたが、俺は魔神の魔物との戦いで負傷し、王都内で治療を受けているオセ騎士団長に代わり、叱責して気を引き締めさせた。
時刻も太陽が隠されていなければ夕刻が訪れる頃、俺は休息も取らず、南の地平をずっと監視していた。
残る三日間は睡眠を一切、取らず乗り切る覚悟だった。
そうして見張りを続けていた俺だったが、ついにそれが無駄骨でなかった事態が訪れた。
地の向こうから魔物の群れが、こちらへと向かってきていたのだ。
数は数百体と言った所だろう。これまでのものと比べれば子規模なものだが、俺は侮ることなく迎え撃つよう部下達に向かって迎撃の指示を出した。
――が、そこで俺は違和感に気づく。
それは魔物達が向かってきている原因だ。
奴らは理由もなく、この場に現れたのではない。
別の何かにおびき寄せられてきているのだということに。
「空だ!」
俺の声に反応した全員が空を仰ぎ見た。俺達の視線の先で飛翔していたのは、一匹の巨大な竜。
そして手から大きな網のようなものを、ぶら下げている。
竜はそのまま俺達の上空を通過したかと思うと、手にしていた網を放り落とした。
グシァッ!! 大地に勢いよく叩きつけられた網だったが……その中に入っていたのは……たった今、落下の衝撃によって血塗れの肉塊となったのであろう、大量の人間の死体であった。
魔物はその習性として、生きた人間に反応して襲撃をしかけてくる。
その習性を利用した形であいつらは魔物達を俺達にけしかけたのだ。
「……酷いやり口ね。吐き気がしてくるわ、あいつら……」
ノルンが口元を押さえて、嫌悪感を露わにしている。
「……やはりまた現われたか、マクシムス傭兵団。やってくれたようだが、この借りは高くつくと知れ」
俺はルーンアックスを強く握りしめると、王都内の民家の屋根に降り立った黒竜とその背に乗ったマクシムス傭兵団の面々を睨みつけた。
黒竜が吠えると、それに呼応するかのようにマクシムス本人を始めとした十数人の傭兵団員が、次々とその背から跳躍すると、地面に着地した。
「いやあ、またお会いしましたねえ、アラケアさん。今回は趣向を凝らしてみたのですが、その怒り心頭のお顔を見るとお気に召しては……頂けなかったようですねえ。残念です」
マクシムスは悠々と俺に向かって歩き始めると、右手を前方へと突き出した。
そして物怖じせずに言葉を紡ぐ。
「しかしこれも仕事ですので。それに私も丁度、新鮮な死体を新しく調達したかった所でしてねえ。魔物に殺されるか私達に殺されるか、……お好きな方を選んで頂きましょうか」
ボンッ!!
あの時と同様に、奴の右手から強度を高められた奴自身の骨が放たれる。
が、手の内が知れた今、撃ち出される速度は脅威ではあるが、俺に見切れない技ではなかった。
俺は首の皮一枚の所で身を翻して回避すると、地面を強く蹴って、今度は奴に向かって駆け出した!
「その首、叩き落してやろう! 貴様のような外道には似合いの死に方だ!」
瞬く間に距離を詰めると、俺はルーンアックスを奴の首目掛けて振り下ろした!
しかしにも関わらずマクシムスは不敵な笑みを崩すことはなかった。
「さすがにお速いですねえ。しかし私が接近戦を苦手としているとでも?」
奴はすっと腕に装着した肉厚の作りが特殊な形状をしている手甲で俺の渾身の一撃を受けると、刃を捌いて攻撃を受け流してしまった。
「な、に!?」
予想外の結果に驚きつつも、間髪入れずにもう一振りルーンアックスを奴目掛けて振り下ろした!
……だが、再び俺の攻撃は奴の手甲によって刃を逸らされて受け流されてしまう。
必殺の一撃を一度ならず二度も逸らされた俺は、咄嗟に後方に飛んで間合いをとって奴を睨みつけるが、驚く俺を余所に奴は面白そうに微笑んでいた。
「貴様、ずいぶん良い装備を身に着けているようだな」
「ええ、それは当然。これは私が開発した特殊手甲でしてねえ。あらゆる太刀筋を捌けるよう作られているのです。そして私にとって接近戦は得意中の得意。これまでの貴方達との戦闘の方がむしろ小手調べのようなものだったとしたら?」
そう言い放つと奴の全身を黒い炎のような気が纏い始め、特殊手甲を装着した両腕から鋭い刃が飛び出すが、フードの下に隠された土気色をした奴の顔は尚も愉快そうに笑みを崩すことはなかった。
「私が『黒太陽の悪魔』と呼ばれる所以です。気を操れるのは貴方だけではない。私達の世界ではこれを妖仙力と呼びますがねえ。さて、始めませんか? お互いに全力でいきましょう」
「そうか、ならば……」
俺は足を一歩踏み出し、炎のごとき気を体内で爆発させると、全身から蒸気を噴出させた。
それは絶え間ない、激しい勢いで噴き出し続ける。
「受けて立ってやる、全力でな!」
一方、俺と奴が対峙している間にも、背後では数百体の魔物の群れと五人の聖騎士が率いる白騎士達や俺の黒騎士隊が戦闘を繰り広げており、そしてヴァイツ、ノルン、ギスタの三人もマクシムス配下の傭兵達との激戦の真っ最中であった。
「くっ、こいつら……相変わらず一撃一撃が鋭い! 瞬き程の一瞬でも気を抜いたら、あっさりと僕らの首を掻っ切られそうだ」
黒衣の者の短剣を陽輪の棍で弾きつつ、連射式のボウガンで黒衣の者達を狙い打ちながらヴァイツがぼやくが、その顔には冷や汗が滲み出ている。
「……ええ、しかも後ろにはせっかく味方の騎士団や聖騎士隊、黒騎士隊がいるのに魔物の群れと戦うのに精一杯で多勢の利を生かせないわ。こいつら、数的不利を補うためにこの状況を作り出した……考えてるじゃない」
ノルンも槍の穂先を向けながら、自分達の劣勢を感じ取り苦々しさを感じていた。
更に足元の影を大きく広げて攻撃に転じようと試みているが、するりと身を躱されてしまい、己の奥義が有効打にならないことも大きな心理的プレッシャーになっているようだった。
その一方で……ギスタだけは黒衣の者との戦いで優勢に渡り合っていた。
黒衣の者達が振り翳してきた短剣を避けると、そのままアサシンナイフに妖仙力を込めて右手ごと、ふっと空間跳躍させて黒衣の者の背後から襲い掛かった。
「『飛刀跳突』!!」
ブシュアァ!!!
間合いを飛び越えて現れたアサシンナイフは黒衣の者の首筋を貫き、鮮血を飛び散らせると相手は地に倒れて動かなくなった。
そしてギスタの頭上に掲げた左手も、ふっと姿を消すと、それが別の場所に現れたかと思った時には黒衣の者の心臓を正確に射止めて、周囲を鮮血に染めた。
「はあっ、はあっ……やっぱ燃費は悪いがよ。出し惜しみはしねぇ。こいつはあらゆる間合いからの攻撃を可能にする俺の奥義。自然の外気と己の内気の融合……俺の一族の神髄を見せてやる。死にたい野郎からかかってきな!」
ギスタが鬼神のごとき形相で黒衣の者達を一人また一人と仕留めていった。
それを見ていたヴァイツが感嘆の声を漏らす。
「凄いよね、あいつ。けど……高速で動いたというより完全に消えていたし、間合いも大きく無視して攻撃距離を伸ばしてたよね、一体?」
「さあね、理屈は分からないけど、彼は私達の更に上をいく強さを得た上で、ここに戻って来たってことでしょ。ちょっと悔しいけれど……やるじゃない」
膠着状態だったヴァイツとノルンの戦いもギスタの獅子奮迅ぶりに次第に優勢の流れに変わり始めていた。
それを目の当たりにしていた俺とマクシムスにもその影響は現われだした。
「これはいけませんねえ。ギスタの若造がここまで腕を上げていたとは予想外でした。このままでは手塩にかけて育て上げた部下達が全滅してしまう。決着を急がねばなりませんか」
「やってみろ。この状況から逆転が出来ると思っているのならな!」
俺は地面を蹴り、足早に間合いを詰めていった。
体から蒸気を噴出させながら、蹴り上げられた地面が埃を舞わせていく。
そして振り下ろした俺のルーンアックスと奴の手甲の刃がぶつかり合い、激しい火花を散らせた。
力では俺が大きく上回っているが、奴は奴で装備の性能と技量の高さにより、それを補う形で互角にせめぎ合っていた。
「恐ろしいお方だ。人間の身でここまで極めれるものだとは……」
マクシムスは右手を前に突き出す。そして「ボンッ!!」という音がして、俺がいた場所を奴の骨が通り抜けたのは、その瞬間だった。
しかしすでに技の威力と間合いを体で覚えていた俺は、その投射された一撃を横っ飛びに躱して見せた。
「残念だったな、その技はすでに俺の体が対応している! 短期間に同じ技を何度も俺に使ってみせたのは愚策だったようだな。終わりだ、マクシムス!」
――奥義『光速分断波・無頼閃』!!
俺が最大奥義の名を叫ぶと、青白く発光し、破壊の力を秘めた刃が技を外した結果、動きを止めていたマクシムスに襲いかかる!
「む、むうっ!! こ、これは……まずいかもしれませんねえ!!」
閃熱を纏ったルーンアックスを振り抜くと、ついにマクシムスを捉えた。
ずどあぁぁぁぁっ!!!!
視界を奪うほど眩い閃光が迸ると同時に、耳を劈く程の破壊音が鳴り響いた。
……勝敗は決したと思われた。
手応えも充分にあり、奴は腹の底から響くような絶叫を上げていた。
それでもなお俺が戦闘態勢を解いていないのは、まだ戦いが終わりでない事を本能的に感じ取っていたからだ。
俺は目を凝らし、耳を澄まし、周囲の様子を探った。
いつでも飛び掛かれるように。そしてしばらくして……。
「ここまで私が追い詰められたのは久しぶりですねえ。この私が素顔と体を人前に晒すのは、ギア王国のあいつと戦った時以来ですよ」
俺の耳にこの世のものとは思えぬ、幽鬼のような声が響く。
「ですが、私はまだ死ぬ訳にはいきません。あの男に復讐を果たし、この忌まわしい体に新たな生命を吹き込むまではねえ」
次第に眩かった光が晴れていく。
「如何ですかねぇ、アラケアさん。人の血を啜らなければ、一日と経たずに崩れ落ちてしまう、深き業を背負ったこの醜き体を見たご感想は?」
奴の姿が露わとなった。
だが、その姿を見た俺はあまりのおぞましさに言葉を失ってしまった。
本来なら人の頭部がある場所に袋のようなものに幾つもの顔がついており、それらが全てこちらを凝視していたからである。
そして全身の土気色の体は所々、腐敗していた……まるで死人のように。
「貴様は……一体、何なのだ、マクシムス」
その問いに奴は答えず、無数の顔から、けたけたと笑う声がしたが、それは地獄の亡者を思わせる嫌悪感を感じさせるものであった。




