第四十五話
「ヴァイツ、ノルン。こっちは終わったぞ。どうだ、体の方は?」
俺は周囲を取り囲ませていた影のドーム上の檻を解除すると、足元から石化が始まっていた二人の元に駆け寄った。しかしすぐに俺の表情は険しいものとなる。
辺りに立ち込める紫の煙は、先ほどよりも薄くなってはいたが、二人の石化の症状は治ってはいなかったのである。
「ごめん、アラケア。せっかく助けに来たのにまた足を引っ張っちゃって。足がまったく動かないんだ。ごめん、本当に……」
「……申し訳ありません。私達のせいで勝利の余韻が台無しですね……」
「何を言う。お前達の助力がなければ俺はあの猿の魔物には勝てなかったぞ。その症状も俺が何とかしてみせる。心配するな、ちょっと足を見せてみろ」
俺はノルンの石化が始まっている足首を掴んでみた。
こうしている今も、徐々に石化が進行していっている。まったく未知の病気……いや、呪いのようなものなのかもしれない。しかしその時だった。
俺の手が淡い金色の光を放ち始めたのだ。意識してやったのではない。
だが、この光が何なのか分からなかったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「えっ、あれ? 足が……動く?」
ノルンはそう漏らしたが、見ると俺の掴んだ辺りから、今の今まで石化し始めていた症状が治まり、それどころか、みるみる内に元の足へと戻っていっていたのだ。
ノルンの足首も俺と同様に金色の光に包まれていた。
「……な、治った? す、凄い……どうやったのか分かりませんけどさすがはアラケア様です。私の方はもう大丈夫ですから、今度はどうかヴァイツ兄の方も見てあげてください」
「ああ、俺にこんな力があったとは自分でも知らなかったが、あの猿との戦いで開眼したものなのかもしれないな。ヴァイツ、次はお前だ。その足を見せてみろ」
俺はヴァイツの足を掴むと、先ほどのように金色の光が包み込んでいく。
するとノルンと同様に、その石化の進行は止まり、徐々に回復していった。
そしてヴァイツはふうっと息を漏らすと、そのまま地面に座り込んだ。
「ありがとう、アラケア。一時はどうなることかと。……けど本当に凄いや。実はこの光、前にも見たことがあるんだ。君が瀕死の状態で見つかった時も今みたいな強い光が君の体から放たれていたんだ。もしかしたらあの時、君が助かったのも治癒の能力が働いていたのかもね」
「ああ、そうかもしれないな。ともかくお前達が助かったようで何よりだ。しかし猿を倒し、足元にいるこの魔神の魔物の動きも停止したようだが、真下では今も皆が、魔物どもを相手に戦っているはずだ。俺達も急ぎ、皆の元に駆けつけるぞ」
俺の言葉にヴァイツとノルンはこくんと頷くと、ノルンは再び自身の影を翼を生やした鳥へと変化させると、ヴァイツを乗せて王都に向かって飛行し始めた。
俺はと言うと、体力を消耗した体だったが、また魔神の魔物の体を伝いながら自力で降りていくしかなかった。
やれやれと思いながらも、俺はルーンアックスを背負うと、真下を目指して地道に降りていった。
そうしてようやく魔神の魔物の足元まで降りたった俺は辺りを見回したが、予想していた事態と反して、人と魔物の戦いは小康状態になっていた。
魔物の攻撃の手は緩んでおり、それどころかその軍勢は王都から地の向こう側へと引き返していっていたのだ。
こちらへと向かって来ている魔物も俺にはまったく目もくれず走り去っていく。
「どういうことだ。魔物達が退却し始めている? 魔神の魔物の動きが停止し、本能のようなもので自分たちの敗北を悟ったとでもいうのか」
俺は退却していく魔物の軍勢を横目に、王都に向かって歩を進めていった。
塀は破壊されたままだったが、バリケードが築かれており、そこで聖騎士隊や黒騎士隊に俺は歓声と共に出迎えられた。皆のその表情は満身創痍な体とは反対に喜びに満ちており、絶望的な戦いに勝利したことを歓喜しているのだろう。
「アラケア様、見てください。皆が戦いを勝利に導いた立役者である貴方を称えています。皆が貴方の言葉を待っているんです。さあ、どうか皆の前で勝利の勝どきを上げてください」
先に到着していたノルンが俺の手を引っ張り、皆の前に連れていく。
そしてバリケートの上に立たされた俺は皆の顔を見回すと、一呼吸置いて言った。
「皆、よくやってくれた。だが、勝てたのは俺だけの働きによるものじゃない。この場にいる皆の力があってこそ、未曽有の危機を乗り切ること出来たんだ。あの状況で王都内に大きな被害を出させなかったのは大健闘と言えるだろう。だから一人一人が自信を持ってていい。本当によく戦ってくれた。しかしまだ気を緩めるのは早い。皆既日食の期間を最後まで乗り切ってこそ、初めて俺達人類は災厄の周期に勝利したことになるんだ。このまま引き続き最後まで戦ってくれ。そして人類に勝利を! それが俺が、そして陛下が望むこの国の未来だ!」
周囲から一斉に大きな歓声があがった。
まだ戦いは終わった訳ではないが、この時ばかりは喜んでもいいかもしれない。
塀が破壊されるという最悪の事態から犠牲は払ったものの、ここまで持ち直して勝利を勝ち取ることが出来たのだから。
凄まじく激しい戦いだったが、ここにきてようやく俺にも勝てたという実感が湧いてきていたのだった。
――そして時が一週間、二週間と過ぎていった。
しかし不思議とあれから魔物が王都を攻めてくることはなかった。
皆既日食の期間が終わるまで残る日にちも少なくなってきており、このまま何も起こらず、過ぎ去ってくれるならそれに越したことないが、最後の最後まで警戒を怠ることは出来ない。
いつものように王都の南側で地平の向こうを監視していた俺だったが、その日の昼、俺はガイラン陛下に呼ばれ、陛下がいる北側の塀へと向かっていた。
理由は知らされてはいないが、何か事が起きたと思っていいだろう。
俺は辿り着いた北側の塀を昇降機で上がると、陛下が出迎えてくれた。
「よく来てくれたな、アラケア。今日、来てもらったのは他でもない。王都内に『蟲』が現われたようなのだ。どうやら何者かも痺れを切らしてこの機に仕掛けてきたのだろうな」
「侵入者があったと? 確かに皆既日食の期間は我々の意識は魔物に向けられますから、どうしても他は手が回らなくなる。特に王都の東側は……。その隙を狙われたと言うことですか」
しかし陛下はこのような事態も想定していたかのように動じている様子はない。
「それで侵入先はどこです?」
「ガルナス城だ。そこに『蟲』はいる。私の言いたいことは分かるな。勿論、生死は問わん。頼めるか?」
そこまで聞くと、俺はその意味を理解した。
「はっ、ご命令とあらば従いましょう」
俺はそう言うと一礼して踵を返した。賊がいるという王城に向かうために。
目的も気にはなったが、ギア王国で俺達の意識が魔物に向けられていたとはいえ王都に侵入出来るほどの手練れとなると限られる。
カルギデかエリクシアか……いずれにしても簡単な戦いにはなるまいと予感を抱きつつ、万全を期すため部下の黒騎士隊を引き連れて、俺は馬を走らせた。




