第三十二話
「……始まったな、皆既日食が。まもなくやってくるぞ。黒い霧より地を埋め尽くすほどの魔物の軍勢が。どんなサイズの妖精鉱の光もこの時ばかりは効果を持たん。皆が武器を取り実力で奴らを駆除するしかない。さあ、来たぞ!」
外はまるで夜中のように暗く、その静寂を破るかのように遠く向こうから、地響きのような音が聞こえ始めた。
陛下は王都の周囲を取り囲む五十メートルの塀の上から、その様子を眺めている。
私達、黒騎士隊の一部もそこから平原の向こうから押し寄せて来ている無数の魔物達の威容を息を飲んで見つめていたが、この時を想定し訓練を積んできているどの黒騎士隊員達も、青ざめた顔をしている。
――悪いムードだと私は思った。
だが、それほど押し寄せて来る奴らの数があまりにも多い。
ここに辿り着かれれば、この五十メートルの塀でも果たしてどれだけ持ち堪えられるか……だからこそ陛下自らが現場に足を運んでいるのだろう。
なぜなら、陛下の実力はアラケア様と比べてすら圧倒的だ。
この方は生まれながらにして超人の資質を持つお方なのだから。
「ビッグボウガンを構えよ。訓練通りやれば問題はない。この高さからなら一方的に眼下に迫った奴らを攻撃できる。だが、ギリギリまで近づけるのだ。ボウガンの矢を無駄にしないためにな」
黒騎士隊や一般の兵士達は陛下の命令に従い、ビッグボウガンの弦をピンと軽く引っ張った。
準備は整った。来るなら来いと私は覚悟する。
そして……とうとう奴らはやって来た。
王都の付近、ビッグボウガンの射程距離まで。
「よし、放て!!!」
岩をも割り、鉄をも貫通する、対魔物用に開発されたビッグボウガンから一斉に矢が放たれ、いくつもの矢が魔物達を射ち貫く。
だが、それにも関わらず、奴らは怯む様子はなかった。
前を走る者が、隣を走る者が、眉間を射ち抜かれて脳髄を撒き散らそうとも、突き進む速度はまったく衰えることはない。
塀まで辿り着いた魔物達はよじ登ろうと、次々と塀に山のように張り付き一斉に這い上がってくる。ここまで来るのも時間の問題だ。
私は陛下を思わず見た。
しかし動揺した様子は微塵もなく、合図のように手を上げると……。
「そのまま射ち続けよ。何が起きてもそのままだ。良いな?」
あっという間だった。陛下は剣を抜き、塀から飛び降りたかと思うと、塀を力強く蹴り、そのまま「ズジャァアアアアアッ!」という音と共に、真下に向かって駆け下りた!
その直線状にいた、上へ向かおうと這い上がっていた何十体という魔物達はただの肉片となり、辺りに血飛沫と共に飛び散った。
それを見た兵士達に動揺が広がったが、私は叫んでいた。
「射ち続けるのよ! 陛下がそう言ったでしょう! 陛下は易々と倒される方じゃないわ。ここは陛下の命に従いましょう!」
私の言葉にはっとして、平常心に戻った黒騎士達や兵士達が意を決して塀の下で迫りくる魔物の軍勢に向かって、ビッグボウガンの矢を射るのを再開した。
私は塀の下を見たが、陛下はたったお一人で何千体、何万体もの魔物に立ち向かっておられた。
「……凄すぎる。ここまでの強さを持った人間がこの世にいるなんて……。これが陛下の本気……陛下が敵じゃなくて心底、安心するわね」
陛下がおられる限り、ここ北側が落とされることはないと私は安堵した。
魔物の軍勢が押し寄せてやって来るのは、主に王都の北と南だ。
王都の西側は海に面しており、魔物がこれまで海を越えてきたことはない。
そして東側の向こうには、不倶戴天の軍事国家ギア王国がある。
ギア王国が魔物に滅ぼされでもしない限り、東からは攻めて来ないという訳だ。
だから王都の守りは、北と南を重点的に固めてあった。
本来なら南側はアラケア様が、黒騎士隊の大部分を指揮して、聖騎士隊とオセ騎士団長の一般騎士団と共同し、魔物の軍勢を迎え撃つはずであったが、アラケア様の意識はまだ戻っていなかった。
医師達の尽力もあり峠は越え、体の負傷も常人では考えられない早さで治癒していたのだが、意識はどうしてか戻られてないのだ。
「……ヴァイツ兄、そっちは大丈夫なんでしょうね。陛下もアラケア様もおられない状況で、こんな圧倒的な魔物の軍勢を食い止められるのか……私は心配で仕方がないわ。死なないでよね、ヴァイツ兄……」
私は南側で戦っているであろうヴァイツ兄に思いを馳せると、すぐにまた意識を戦いに戻した。
這い上がってきた何体かの魔物に槍の技を繰り出すと塀の下へと突き落とす。
こんな激しい戦いが、今日を含めて三十日も続くのかと気が遠くなりそうな思いに駆られながらも今、目の前で繰り広げられている戦いに集中しようと、とにかく体を動かした。
「あー、もう! 数が多くて嫌になるわね。いい加減にしなさい!」
その時、私の足元で影がもぞもぞと動き出した。私の戦闘意識に反応し、敵を破壊するべく私の攻撃命令を待っているのだ。
「いいわ、貴方も戦いたいのよね」
ならば望み通りにしてやろうと、私は自分の影を解き放った。
――『巨獣影・円乱舞』!!
私は大きな獣の形をした自らの影を、細かい無数の小獣に変化させるとそれらは上空に向かって飛び散っていき、そして天から一気に降り注いだ。
鋭い貫通力を持つ小獣達は、真下から這い上がって来ようとする魔物達を数十体まとめて蜂の巣にしてしまうと、地面へと落下させていった。
「よし、効果は抜群みたいね。私だって今日まで遊んでいた訳じゃない。数で勝る相手に対抗するべくその発想から考え出した奥義、それがこれなのよ」
しかし手放しで喜んでもいられない。私も、そして他の皆も気付いている。
今、襲って来ているのはどれもが三下の魔物でしかないということを。
指揮官クラスの魔物は様子を伺っている段階なのか今は姿を見せてはいないが、もし奴らが何十体、何百体と現れれば、戦況が一気にひっくり返されることは十分に考えられる。
いくら陛下ご自身が負けることはないにしても、たったお一人で王都全体を守り切るのは、限界があるのだから。
だからこそ陛下はアラケア様や優秀な部下達を必要とされていたのだ。
「まだ今日は初日……。戦いは始まったばかりということね」
私は暗闇の中のように、どうなるかまったく見えない先行きを案じていた。
……それでも生き残ってやるという強い思いを、同時に抱きながら。




