第二十八話
その魔物は黒き塊……いや、黒い鋼鉄の鎧のような物を纏い、肥大化した筋肉を備えた鋼鉄の巨人とも形容すべき姿をしていたが、こいつが現われたのが、市街地から離れた共同墓地だったことが、せめてもの幸いだった。
墓地には私達以外に人はいない。ここで食い止めれば死傷者は出ないだろう。
ただ……激闘になる。私はそう覚悟して、光臨の槍を構えて柄を握りしめた。
「勝てる、かな。指揮官クラスの魔物は黒騎士が小隊を組んでようやく倒せる相手。勿論、アラケアなら単身で難なく倒せるけど僕らにはちょっと厳しい戦闘相手になるね……」
「けど、倒せなければ大勢の犠牲者が出ることになってしまうわ。それは避けなくてはならないわよね。……こんな時、アラケア様だったらたとえ分が悪かったとしても阻止しようと迷わず戦いを挑まれるはず。だったら部下である私達もそれに倣うべきよ」
そう言うと、私は槍を握る手に力を込めたが、緑色のオーラが溢れ出していた。
これはアラケア様が得意とするライゼルア家に伝わる気を操る技術だが、修練の末、私も僅かながらそれを習得していたのだ。
そしてまずは敵と自分の力量を測るべく、私は全開で技を繰り出した。
「まずはっ……これよ! 鬼の槍技、『鬼哭血覇』!!!」
鋼鉄の魔物が反応すら出来ない衝撃波のスピードは、魔物を弾き飛ばし、いくつかの墓を壊しながら、地面を背をつけてようやく止まった。
鋼鉄の肉体には若干ながらヒビが入っている。効果はあったのだ。
「よし、やれる。追撃するわ、ヴァイツ兄! 一斉に仕掛けるわよ!」
「あ、ああ。本当に腕を上げたね、ノルン。こりゃ……僕も負けてられないかな!」
私は空中へと跳躍すると、上空から仰向けで横たわる鋼鉄の魔物の胴体部を目掛けて先ほどヴァイツ兄に対し見せた、クラッシュダイブを繰り出した。
続けてヴァイツ兄も陽輪の棍を振りかざし、脳天に目掛けて棒術の技を叩き込む。
「クラッシュダイブ!!」
「グランドスラム!!」
妖精鉱で作られた両者の武器は命中と同時に、鋼鉄の魔物の肉体を焼いて、白い炎が燃え上がった。
そして鎧のような肉体は溶け始めていた。
攻撃が通じている。このまま押し切れば……何とか。
そう思い一旦、距離をとって次の攻撃の機を伺おうとしていた時だった。
ズゥウウウウウン!!!!
突如、自分の体に大きな負荷がかかったのを感じた。
大きな力に押さえつけられているかのように、体が思うように動いてくれない。
そして地に伏していた鋼鉄の魔物がゆっくりと腰を上げた。
見ると奴の両手の周囲の空間が、歪んで見えている。
何か不思議な力を用いて、この現象を引き起こしているということなのだろう。
隣ではヴァイツ兄も同様に、動きが封じられてしまっている。
「……アラケア様の使う『死天呪縛』に近いわね。魔物の癖に生意気じゃない。ぐっ、ううううううううっ!!!」
私は体内を循環する気を集中させ、この状態から脱出しようとした。
だが……ズシン! ズシン! とその間も敵は足音を響かせながら、こちらへと近づいて来る。
そして目前までやって来ると、鋼鉄の魔物は両手で私を掴むと、ギリギリと力を入れて、握り締め始めた。
あまりの力に黒騎士隊の黒甲冑がみしみしと悲鳴を上げる。
「う、うああああああっ!!」
「ノ、ノルン!! ……んっ!? 術が、解けた!?」
だが、その時……どうやら鋼鉄の魔物が発生させていた大きな負荷は解除されてしまったようだった。恐らく今は私を握り潰そうとしているため、両手が塞がってしまったからだろう。
ヴァイツ兄は負荷から解放され、狙いを私一人に絞る決断をした鋼鉄の魔物に陽輪の棍を幾度も叩き込む。
「このっ! このっ! ノルンを放せぇ!!」
しかしその度にこいつは肉体を白い炎で燃え上がらせながらも、意に介さず、両手に力を込め続けている。
意識が朦朧とする中、私の脳裏を過ったのはアラケア様だった。
――こんな時……アラケア様なら……どうするだろう。
そう、どんな土壇場でも決して諦めず、立ち向かう姿を私は何度も目にしてきた。
アラケア様の魔物相手にも怯まない苛烈な戦いぶりは、この目に焼き付いて離れない。
私はトレーニングを行う時、常にアラケア様を思い浮かべていた。
私の目指す強さの目標であり、到達点だったからだ。
ドシン! ドシン! ドシン!
鋼鉄の魔物が私を握りしめたまま、どこかへ向かおうとしている。
……このまま行かせてはならない。
しかし……私の体は身動き1つ出来ずに、私の願いも空しくこいつは市街地の方向へと、足を運ぼうとしている。
――嫌だ! アラケア様に失望されたくはない!
――私はアラケア様に立派に戦闘要員の1人として見てもらいたいのだ!
「あ、あ、あ、あああああああっ!!!!」
私は思わず叫んでいたが、その時、ヴァイツ兄は何かを感じ取ったのか、攻撃の手を一瞬、緩めて驚愕の表情を浮かべた。
「お、おい……ノルン。それって……」
苦痛に身をよじる中、地面から何かが立ち昇って来る気配を感じる。
いや、それは私の足元、私の影だった。影が大きく膨らむと、まるで「荒ぶる獣」のような形へと変化していく。
そして膨れ上がった巨大な獣の手が、鋼鉄の魔物の左半身を飲み込むと、あっという間に抉り取ってしまった。
「ぎゃあああああぶがあああ……!!!」
悲鳴にも似た唸り声と共に、鋼鉄の魔物は苦悶の表情を浮かべながら、私を握る両手を手放した。
そして私は解放され、地面へと放り出された。
「はあっ、はあっ……た、助かった、ようね……。けどこの技は……私が?」
ヴァイツ兄が私に駆け寄って、助け起こしてくれた。
「……凄いじゃないか、ノルン。今の技、前に見たことがあるよ。確か国境砦で魔物を相手にアラケアが使っていた奥義によく似ている。まさかあれをお前が習得してしまうなんてね、ノルン。凄いよ、お前は本当に……ずいぶん差をつけられちゃったな」
「……私がやったというの、あれを?」
私は左半身を失い、蹲っている鋼鉄の魔物を眺めながらも自分がやった戦果に実感を持てずにいた。
だが、次に確認するために、意識して自身の影を動かそうと試みてみた。
するとどうだろう、私の意思に従って巨大な獣の手は自分の体の一部であるかのように動いたのである。
(……やれる。この巨獣のような影は私の力なんだ)
ここで私はようやくこれが有用な武器になると確信した。
ならばと私は荒ぶる獣の影を動かし、蹲りまだ息がある鋼鉄の魔物に追い打ちをかけた。
しかし鋼鉄の魔物もこの時、立ち上がり反撃の姿勢を見せた。
勢いよくこちらへと突進をしてきたのだ。
「巨獣の影よ……動いてあれを防ぐのよ!」
私は防御のため巨獣の影を前方に大きく広げると、それを真正面から受け止めた。
だが、強い衝撃を覚悟していたのだが、あれほどの巨体の体当たりをまともに受けたにも関わらず、私の影はびくともしない所か、逆にその全身を飲み込むと握り締め始め、力を込めていったのだ。
バギバギ……グチャグチャ……
鉄が軋み砕ける音と、肉がひしゃげる音がして、その体を巨大な獣の影の手が、握り締めて破壊していく。
魔物は堪らず苦し気な唸り声をあげたが、成す術なくその巨体はどんどん潰されていき、小さくなっていった。
最後に巨獣の影は鉄の残骸と成り果てた魔物の躯を吐き出すと、とぷんと水のように地面に吸い込まれて、消えてなくなった。
「凄い……指揮官クラスの魔物をいとも簡単に倒せてしまうなんて。『巨獣影』……とでも名付けようかしらね、この技」
私は新たな力に開眼した喜びの気持ちと、自分にここまでのことが出来た驚きと戸惑いの気持ちで胸が一杯だった。
これならアラケア様の隣で、誰よりもあの方を支えて戦うことが出来る。
そう確信していた。しかし……その時。
「……待って! いないぞ、あいつ! シャリムはどこへ行ったんだ?」
ヴァイツ兄のその言葉で、私は現実に引き戻された。
勝利に酔うあまり肝心なことを忘れていたことを思い出した。
そう、魔物を呼び出したシャリムの姿がどこにもなかったのだ。
辺りを見回したが、奴の残した左腕を残して、墓地には私達以外の姿はなかった。
「シャリム、すでに去ったというの? こんなことを仕出かしておいて。ともかくこのことはアラケア様や陛下には報告しなくてはならないわね……」
目的は何だったのか? 突如として王都内に現れ、忽然と消えた得体の知れない敵国の人間に薄気味悪さを感じながらも、私達はアラケア様の屋敷へと帰途についたのだった。




