第十八話
時間の経過が分かりにくい黒い霧の闇の中を、俺達は馬車で走り進めていた。
体感ではすでに数時間、揺られている感覚だ。
馬車に設置された妖精鉱が指し示す光は、真っ直ぐにデルドラン王国を指し示しており、周囲からは絶えず無数の唸り声は聞こえてくるももの、これまでの所、魔物とは接触することなく、進んでこれている。
幸先が良いと言った所か。いや……。
だが、先ほどから妙な違和感を俺の五感が感じとっていて仕方がなかった。
さっきから何者かにつけられているような、しかし振り返っても誰もいない。
それでも俺は注意深く、辺りの気配を探ろうと警戒していたが……。
びゅん。
前方の空間より、突如ナイフが投げ飛ばされ、俺はそれを避けた。
はずだったが、ぎりぎりの所で避けきれず、頬にピッと血筋が出来た。
「っ!?」
突然の敵襲に、俺は馬車を急停止させると、停止の勢いで馬車が大きく揺れる。
かなり急な停止だったので、ヴァイツとノルンが勢いよく前へ倒れかかった。
「ア、アラケア! ど、どうしたってのさ? 急に?」
「待って、ヴァイツ兄。アラケア様の頬に傷が……。敵襲……ということですね、アラケア様」
ヴァイツとノルンが異常を察知し、武器を手にすると迅速な動きで馬車から降り立つ。
俺もルーンアックスを握りしめると、御者席から地面に飛び降りた。
「誰だ!? 魔物ではないのは分かっている! 出て来たらどうだ!?」
俺はナイフが飛来してきた先の、何も見えない空間を睨みつけて叫んだ。
ややあって、闇の中から「くくくっ」と含み笑いが聞こえてきた。
「俺は顔面を正確に射貫くつもりだったのに、今のをぎりぎり避けるなんてな。さすが話に聞く通り、ライゼルア家の当主とは只者じゃないってことか。警戒するよ、お前の戦闘の技量にはな。おい、セッツ!」
依然、姿を確認出来ない何者かが、別の誰かの名前を叫んだ途端、別の方向から再び何かが空を切る音を察知し、俺は思わず回避しようとする。
だが……突如、その何かは軌道を変え、俺の左腕に絡みついた。
肌触りから認識したそれは、どうやら縄らしかった。
「敵は二人ということか。少なくとも」
俺は縄が続く先の空間を睨みつけたが、こちらも闇の中の相手の姿は見えない。
「やりましたよ、兄貴ぃ! 左腕を封じてやりました。さあ、今ですよ! とどめを刺しちまいましょう!」
「馬鹿野郎が。任務を完了させるまで勝ち誇るなって言ってるだろうが、セッツ。だが、よくやった。そのままライゼルア家当主の片腕を封じておけ」
闇の中から今度は確かに、その声の主の姿が露わとなり、ターバンを被った黒装束の男が曲刀のような得物を携えて、俺に斬りかかってきた。
「恨みはないが、悪く思うなよ!」
ギィン! ガァン! ガィイン!
俺は男の曲刀の攻撃を自由に動かせる右手のルーンアックスで何度もいなすと、今度は縄で捕らえられた左腕に力を込めて、遠投のようなフォームから振りかぶると思い切り投げた。
「う、わっ!! ひ、引っ張られる! わ、わぁああああ!! あ、兄貴ぃ!!」
すると縄を放った方の男は、手にした縄がピンと張った状態で引きずられ、全身丸ごと大きく投げ飛ばされると、地面に叩きつけられた音がした。
「ちっ、何て馬鹿げた力だ。左腕の腕力だけで、セッツを投げやがった。やっぱこいつには、真正面からじゃ分が悪いか」
「お前達は何者だ? 名は明かせないのか!?」
俺は叫ぶ。今の撃ち合いだけで、俺は目の前の黒装束の腕前が、かなりのものであることを感じ取った。並みの使い手ではやられていただろう。
「こいつら……暗殺者ね。足の音がまったくしない。かなり熟練の暗殺者だわ。誰の命令でやって来たのか知らないけど、襲う相手を間違えたわね」
「大丈夫かい、アラケア。だけどこの黒い霧の中で人間の襲撃を受けるとはちょっと予想外だったね」
やって来たヴァイツとノルンが俺の左右に並び、黒装束の男を睨みつける。
だが、黒装束の男はまったく動揺する素振りすら見せない。
むしろ余裕すら持っているように見受けられた。
「おいおい、お前らこれで勝ったと思っているのか? そうそう、俺達の名前だったな? 俺の名はギスタ、そして相棒は弟分のセッツ。確かに俺達は暗殺の依頼を受けて、お前を追って来た暗殺者だ。恨みはないが、これも依頼なんでな。死んでもらうぞ、アラケア」
ギスタの姿は掻き消えるかのように、消えた。
俺は耳を澄まして周囲の気配を探ったが、まるで感じられない。
「完全に気配が消えた。足音もまったくない。無音歩行術というやつか」
しばらく互いの出方を伺う、膠着状態が続いていたが……びゅっと音がしたかと思うと、刃が俺の胸元を斬り裂いた。
そして再びギスタの姿と気配は闇の中へと消えて、見失ってしまう。
「くくくく……闇に紛れるのは俺の真骨頂。今まで人間はおろか魔物をも数多く葬ってきた。いや、むしろ俺は魔物専門の暗殺者と言えるだろう。奴らにさえ、俺の姿を捉えることなど出来ない。だからこそ、人の域を超えた強さを持つお前の暗殺依頼を頼まれたという訳だ」
「ほう、それは惜しいな。魔物を倒せる人材なら、我が国の陛下は喉から手が出る程、欲しがっておられる。どうだ? ギスタと言ったか。お前、アールダン王国に仕えてみる気はないか? ガイラン陛下は報酬なら、お前の依頼者の倍は出してくださるぞ」
そう言い俺は手を差し出した。無論、本気ではない。
あわよくば奴が、隙を僅かでも見せてくれるのを期待してのことだ。
「これは驚いた。お前らの王は役に立つ人材なら、敵でも誘うってか? ずいぶん懐が大きいもんだ。まあ、悪くない話だと思うが、そいつはこの依頼を遂行した後に、考えといてやるよ。任務放棄は俺のポリシーが許さないんでな。分かったら死んでもらうぞ、アラケア」
その後も幾度もギスタの消えては攻撃に転じ、消えては攻撃に転ずるヒット&アウェー戦法が繰り返される。
確かにこの男はその道では一流の使い手なのだろう。
攻撃の瞬間を狙って反撃を試みようとしたが、あっという間に姿は掻き消えてしまうため、攻撃が間に合わない。
このまま相手の土俵に乗っていたのでは、勝ち目はない。
だから俺は策を張っていた。それは……。
何度目の攻撃を受けただろうか。
今度は奴は俺の斜め前方から攻撃に移るため、姿を現し、曲刀で斬りかかった。
そして俺の肉を斬り裂き、血が噴出した瞬間、張り巡らせていた俺の策は発動した。
俺の周りには合計で九本の短剣が地面に突き刺さっていた。
それは反撃を試みたと装って、予め周囲に投げておいたものだった。
奴はまだ気づいていない。俺はふっと笑みを漏らすと、技を発動させた。
「お前、何を笑っている!?」
「今、理由を教えてやる。ライゼルア家に伝わる秘儀『死天呪縛』!!」
そこでようやくギスタははっとしたようだが、すでに遅く、九本の短剣から気が放出し、中にいた俺とギスタは生じた負荷により、全身の動きを封じられた。
「う、うおおおっ!! じ、自分ごと巻き込んで技を発動させたってか? か、体が……動かねぇ」
負荷により、体の動きが抑えられているのは俺も同じだが、筋力で勝る俺の方がこの男よりも抗いながら動くことは、ある程度は出来る。
俺は短剣をギスタの喉元に突き付け、決着を告げた。
「終わりだな、ギスタ。お前もプロだ。依頼主の名前を吐くことは死んでもしないだろうが、さっきも言ったが、お前ほどの使い手を殺すのはやはり惜しいと思う。お前をこのまま逃がす訳にはいかないが、命を奪うのはやめておこう。お前の相棒の方もな。俺達とこのまま馬車でデルドラン王国まで同行してもらうぞ」
ギスタは唇を噛みしめ、苛立たしげに俺を見ていたが、やがて手にした曲刀を捨て、戦闘の構えを解いた。
「……ちっ。好きにしろ。俺がしくじったのなんて初めてだ。ショックだぜ」
と、同時に俺も死天呪縛を解くと、力を失った地面に刺さった短剣はばたりと横に倒れたのだった。




