第百五十五話
俺は乱れる呼吸とスタミナがとっくに限界を越えていることを実感しながら、静かな足取りで向かって来るネロを見据えた。
もう手には力が入らず、これではルーンアックスを満足に振れるかも怪しい。
だが、後もう一踏ん張りなのだ。残りもう一戦を勝てば世界は救われると言う、その思いだけが俺を突き動かし、俺は足を一歩前へと踏み出した。
「……カルギデ、ノルン。どうだ、まだいけそうか?」
「いえ、先ほどの究極奥義のサポートで私も相当、消耗しています。今の私では、奥義をまともに放つことも難しいでしょうな。ですが、それはネロとて同じ。どちらも一撃貰っただけで、死に直結する重症なのであれば、先に相手に攻撃を叩き込んだ者こそが、勝利者となる。まだ……勝ち目はありますよ、当主殿」
カルギデは身に纏う青い甲冑の上半身部分は砕け割れ、肩で息をついている。
だが、決して勝利を諦めない、不屈の闘志を宿す目は健在のままだった。
一方でノルンもこれが正真正銘、最後の攻防になることに腹に決めたのか、槍を構えながら飛びかかるタイミングを計っている。
「ああ、まだチャンスはある。なら、そろそろ始めるか、カルギデ、ノルン」
俺の言葉に二人は無言で頷くと、俺達は痛む体を引きずるように歩き出した。
そして俺達とネロとの距離が徐々に縮まっていくと、ついに俺達は至近距離の間合いで向かい合う。
そんな……まさに一触即発な状況の中、先に口を開いたのはネロだった。
「最後に言うけど、ここまで僕に焦りさえ感じさせたのは、お前達だけだったよ。かつてのハラティプティオ帝国も、あのグロウスでもここまでは出来なかった。認めるよ、お前達は紛れもなく強敵だってね」
そして更にネロは身を震わせながら、一呼吸置いて言い放った。
「だからさ……念入りに確実にっ。二度と僕の前に現れることのないようにっ! お前達をバラバラにして殺してあげるよ、アラケア、カルギデっ!」
ネロから命を削り、振り絞るかのような赤黒いオーラが放たれ、膨れ上がった。
やはりネロも限界に達しているのだ。命を絞らなくてはならない程に。
そしてネロは右手を天に翳すと、巨大な火球を完成させていた。
ネロの歪んだ精神構造をそのまま反映させたかのような、禍々しい火球を。
「いくぞっ! カルギデ、ノルンっ!!」
俺とカルギデとノルンは技の発動前にネロを叩くべく、走っていた。
だが、俺がルーンアックスを右斜めから振り下ろすのと、ネロが右腕を振り抜き火球を撃ち放つのはまったくの同時だった。
それを見た俺とネロは、攻撃を仕掛けるのと同時に回避行動に移ろうとする。
「う、ぐっ!? ……まさか、こんな肝心な時に体にガタが来る、とはなっ」
だが、回避の途中で突如、膝が笑い出した俺は床に片膝をついて崩折れた。
回避は……もうどうやっても間に合わない。
そう判断した俺はせめて防御に入ろうとしたが、たとえ防御をしたとしても、ネロの執念から絞り出した、その火球を浴びることは死を意味すると悟っていた。
(ここまで、かっ! こんな、ここまで来てっ……ガイラン陛下、皆……!)
だが、そんな死を待つだけの俺の肩に、誰かの手が添えられた気がした。
そしてついに火球が炸裂し、視界が炎で覆われていく中、俺はその人物を見た。
俺の目前で盾となり、身を挺し火球を受け止めていたのは、カルギデだった。
「カ、カルギデっ!! 俺を庇ったのか!?」
「後は……任せました、よ……当主殿。……勝つのは、私達……です」
仁王立ちのまま火球の直撃を受けながら俺の方を振り返ったカルギデは、やがて前のめりに倒れていったが、しかしその瞬間、僅かに微笑んだような気がした。
そう、それはまるで勝利を確信しているかのように。
「……そうか。お前の意思、無駄にはせん。勝つぞ、俺達がなっ!!」
俺はルーンアックスを振り抜くと、ネロの胸元に速度を調整し叩き付けた。
ネロから耳を劈く程の悲鳴が上がり、血飛沫が勢いよく舞った。
それでも目を憎悪で濁らせながら、熱炎を纏い俺へと繰り出してきた右拳を俺はルーンアックスにて打ち払って、追撃を仕掛けて斬り落とした。
「あ、あ、ああああっ!! う、腕っ……僕の腕がぁっ!! ア、アラケアァ! よくも、よくもぉっ!!」
だが、ネロも負けじと残った左手の指先から赤黒い光を放ち、俺の左胸を貫く。
ごぼっと俺の口から血が溢れ出し、それでも俺は意識が消えゆく直前に、最後の力を振り絞ってルーンアックスを振り下ろし、ネロの脳天を叩き割った。
「ア……ァ……アァっ! か、母さん、母さァん……た、助けて……お願……」
「言ったでしょ、私は貴方の母親じゃないって。今までの罪を清算するためにも、さっさと逝きなさい。本物の母親に会えるかもしれないわよ、地獄でね!」
ノルンが突き放った槍の一撃はネロの心臓を貫き、床に串刺しにしていた。
ネロの小さく整った唇から血が零れ溢れると、最後にそれを見た俺はようやく任務をやり遂げたことを安心し、意識はやがて微睡みの中に落ちていった。




