第百五十四話
「ノルン、体に支障はないか? あの魔女から手酷く攻撃を受けたようだが」
魔女を撃破したノルンが俺とカルギデがいる側へと駆け寄ってきたが、額からは血が流れており、致命傷ではなさそうだったものの、俺は心配心からそう訊ねた。
「はい、私なら大丈夫です。……ですが、私からも一言、言ってもいいですか? 私にはどう見ても、アラケア様達の方こそが心配です。鏡があるなら、ぜひ今の自分のお姿をご覧になった方がいいです。だって……その……そんなに全身が、血だらけなんですよ?」
反対に俺達を心配した様子で、か細い声でそう言ったノルンだったが、確かに俺達はこの戦いの中で、かなりの多量の血を流していた。
痛みを通り越して、すでに感覚も一部なくなってきており、底を尽きかけている体力を、気力で補って奮い立たせていると言ってもいい有様だ。
「ああ、自分の体のことは自分が一番よく分かっているつもりだが……構えろ、ノルン。どうやら無駄話をしている余裕もなさそうだ。向こうを見ろ、ネロがもう次の行動へと移ろうとしている」
「ですが、これで三対一。ノルン殿も戦力に数えられるならの話ですがね」
カルギデがそう言い放ちながら大剣を構え直すと、俺とノルンもそれに続いた。
俺達の視線の先では魔女の頭を踏み潰したネロが、何の感慨もなさそうに彼女の遺体へと一瞥を投げると、両腕を大きく左右に広げて笑い出していた。
「母さん。やっぱり僕らと同じ血を引いているだけあって、その身に宿している潜在能力は猿共なんかとは桁違いみたいだね。これがヒタリトの民の力なんだ。いずれ猿達の世界は滅び去り、この世には僕らだけになる。そうなった暁には、僕と母さんで子孫を増やしていって、世界を再興していくんだ」
「悪いけど、私は貴方と違って世界の滅亡なんて望んでないのよ。むしろ、貴方の歪んだ野望なんて聞いてて反吐が出る程に胸糞悪いわ。と言う訳で、私は貴方の敵に回らせてもらうつもりよ、このマザコンショタ爺っ!」
ノルンの罵倒にも笑みを絶やさずネロは両掌を天に向けると、そこからさながら小型太陽のような黒ずんだ大火球を生み出して手を合わせることで、圧縮した。
すると、そこから途轍もない熱量のエネルギーが生じたことが感じ取れた。
「これまでで最大級の大火球二つの融合技かっ。まさか残してた余力にここまで差があったとはな……。さて、あれに対してどう手を打つ、カルギデ?」
「……知れたこと、真っ向から受けて立つのみ。先ほど言ったはずです、当主殿。この闘刃マスカダは、究極の対魔の力を備えた神剣だと。シャリムが私のために わざわざ鍛えさせたのです。ならば、私はあの男のその判断を信じますよ」
カルギデはそう言うと、ずいっと一歩前に進み出て迎え撃つ用意を整えた。
まるでそれが可能であるかのように、この男は本気で言っているようだった。
だが、それを見た俺は笑みを溢すと、俺もまたその隣に居並んだ。
「俺も付き合おう、カルギデ。どの道、有効な作戦を考えている時間もないんだ。
だったら、俺もその力技に賭けてみるとしよう」
「それなら、私もっ! 三人でだったら、少しは可能性は上がるはずですから!」
更にノルンまでもが俺達に続き、ネロからの攻撃を受けて立とうとする。
もはや言葉を交わすまでもなく俺達はネロを見据えると、誰ともなく俺達は奴に向かって駆けていた。
それに対し、ネロもまた攻撃動作に入った。
左右の掌の間に溜めたスパークを起こす程のエネルギーを体の前で手を合わせ、一気に巨大な熱エネルギー波として射ち放ったのだ。
「いくぞっ、俺に続け!」
「……言われるまでもなくっ!」
「……参りますっ!」
目前に迫る巨大なる熱エネルギーの壁に、俺達は斬り込んでいった。
その壁の奥ではネロが勝利を確信しているのか、追撃を仕掛ける様子もなく、余裕の表情でこの光景を眺めている。いや、奴とて限界は近いのは確かなのだ。
この一撃で勝負を決めるつもりで、余力を振り絞って繰り出したのだろう。
「ならばっ! この攻撃を凌ぎ切れば、勝利の天秤は俺達に傾くことになるな!」
「当然ですなぁ! この戦いを制するのは私達なのですから!」
俺達がルーンアックスと闘刃マスカダを大上段から振り抜くと、それに沿って熱エネルギーの壁に切れ目が入って裂けていった。
更にノルンが続けて槍を振るって鬼哭血覇を繰り出すと、壁はより一層、周囲へ四散していったが……しかしそれも束の間のことだった。
切れ目はすぐ塞がり、俺達の攻撃を押して俺達の全身を飲み込んでいったのだ。
「くっ! だ、駄目だと言うのか……っ!? ここまでやって来てっ!!」
「ア、アラケア様……私が盾になります。私にあると言うヒタリトの加護なら、何とか耐え切れるはずです。生き残るには、それしか手はありませんっ!」
ノルンが言葉通りに俺達の前に進み出ると、俺達を覆い尽くさんとする壁は、彼女に触れるか触れないかの所で弾かれて、周囲に散っていっていた。
だが、それでも完全に無効化出来ている訳ではなく、ノルンが身に纏う黒騎士の甲冑が徐々にひび割れ、熱により溶け始めてきている。
「下がれ、ノルン! ここから先は俺が引き受ける。ここからは俺の……っ!」
俺はルーンアックスを床に放り捨てると、全身を脱力させて言い放った。
己が持つ、切り札である技の名をっ。
「……究極奥義っ、『光速分断波・無限螺旋衝』でなっ!!」
俺は全身を使って熱エネルギーを受けると、体内を経由して受け流さんとする。
だが、暴れまわるその力の奔流は、先ほどグロウスの最高奥義をギリギリの所で受け流した時の比ではなく、技の成功が今度こそ限りなく厳しいことを悟った。
しかしそんな意識が消えゆく中、誰かが俺の肩に手を置くと、俺に向かって何かを言ったのが、辛うじて聞こえていた。
「ダメージは私も幾らか受け持ちましょう。ですから、私を倒し、シャリムをも倒した、その究極奥義……必ず成功させるのです。頼みましたよ、当主殿」
意識が消える直前、その声に支えられるように俺はギリギリ踏み止まった。
両足で体を立ち上がらせると、かっと目を見開きながら視線の先にネロを捉え、俺は受け流した力に自身の黄金色のオーラを上乗せする。
そして……床に捨てたルーンアックスを拾うと、すべての力を解放するように俺は叫びを上げながら、それを一気に振り抜いていた。
「喰らえ、ネロ! 俺達の、反撃の一撃をっっ!」
黄金色と赤黒い光が混ざり合って、速度をあえて落とした波動が緩やかな動きでネロに向かって放たれていった。
この光景に顔から笑みが消えたのは、今度はネロの方だった。
「世迷い言を言うなよ、アラケア! これくらいじゃ僕を倒すには不十分だよ!」
ネロは両腕を体の前でクロスさせて、赤黒いオーラを全身に大きく纏うことで、すべての力を防御のみに注いでいるようだった。
この究極奥義で以っても倒せなければ、もう俺達は万策尽きることになる。
「……行け」
「……行きなさい」
「……お願い、行ってっ!」
俺達が固唾を飲んで成り行きを見守る中、ついに渾身の一撃がネロへと届き、一瞬の静寂の後、鳴動する程の激しい爆音と爆圧が空間内一杯に広がっていった。
だが、濛々とした煙と激しい炎に包まれた爆心地が、時間と共に見通せる程度に晴れ渡っていくと、そこから現れたのは……俺達に絶望を与えるものだった。
「あは……あはは、はぁ……」
爆心地から現れたネロから笑い声が漏れ、俺達全員に戦慄が走る。
だが、その声はどこか弱々しく、それでも激しい気の力が俺達まで届いた。
「最後だよ……アラケア、カルギデ、母さん。ここからは命の凌ぎ合いになる。僕が死ぬか、お前らが死ぬか……覚悟はいいかい? うふっ、ふふふふっ」
それを見た俺は突然、がくんと力が抜け両膝と片手を床につけて、跪いた。
今の究極奥義を放ったことで、俺の中で本当に最後の何かが切れたようだった。
そして後ろにいるカルギデとノルンとて、残された力はもう幾ばくか。
――だが、それでも。
「……諦める訳にはいかないのが、辛い所だな。何しろ、俺達の肩には全人類の命運が託されているんだからな……」
それでも尚、俺は最後の命を燃やして立ち上がった。
ネロが言う通り、残された命を削る戦いになることを理解しながら。




