第百四十九話
そう、俺の前にまたも現れたネロは今度は漆黒の竜の姿をしていた。
だが、その姿形はカルティケア王やラグウェルよりも遥かに異形だった。
頭から背にかけて船の帆のような大きな突起が続き、どこか醜悪で巨大な頭部の裂けるような顎には上下に鋭い歯が多数並び、枝分かれした舌が伸びている。
「全長はおよそ三十メートルと言った所か。どうやら喰らったカルティケア王からその外見を模倣したようだが……」
だが、俺が言い終わらない内に、ネロは先に動いていた。
ネロの右腕がゆっくりと持ち上がっていくと、それがどういう訳か瞬時にして俺の背後から襲い掛かったのだ。
「何っ!? ……前方から振り下ろされた攻撃が!?」
俺が咄嗟にその攻撃を見切って回避出来たのは、幾千もの戦いを経たことで得た経験と直感によるものだった。
だが、不可解な攻撃手段に理解が追いつかない間にも、ネロの背中の各所から複数本の触手が作り出されて、一斉に持ち上がる。
「今度は、避けられるかなぁ? ひひひひっ……アラケアァ」
間髪入れず、またもや振り下ろされた場所とは異なる方向から出現した触手の先端が俺がいた辺りを叩き付け、薙ぎ払った。
回避行動を取ったものの、避けきれなかった攻撃の一部が俺の体を弾き飛ばし、俺の体に軽くはない衝撃を与えて、骨や筋肉に軋みをあげさせた。
「なるほどな、見えてきたぞ。どうやらギスタの奥義と同様に体の一部が空間を飛び越えていると言う訳かっ!」
だが、技の特性を見抜いても、防御に回っていたのではジリ貧になる。
核を破壊しない限りは、実体のないこいつにいくら攻撃しても無意味となると、攻撃を喰らうリスクを負っても、攻撃に回るしか俺に手はなかった。
「いくぞっ、奥義『光速分断波・螺旋衝覇』ッ!!」
感知能力で核の位置を補足した俺は、そこを狙って奥義を放ったが、どうやら恐ろしく速い動きで核はあちこちを高速移動しているようだった。
先ほどの全員がかりの一斉攻撃で以ってもネロを倒せなかったのは、攻撃の手を掻い潜って回避していたからに他ならない。
だが、それでも俺は攻撃の手を緩めなかった。ネロの触手や両腕の攻撃を回避、あるいは防御しながら、俺はひたすらに奥義を放っていった。
「位置を掴めても、当てることは至難か。本当に厄介だな、だが、それでも俺には少しずつだが、見え始めてきたぞ、光明がな」
俺は劣勢を強いられながらもネロから目を離さなかったが、対峙しながら隙を伺っていたそんな最中、突然に聞き覚えのある女性の声が周囲に響いた。
「アラケア様、聞こえていますか!? 目に見える物に騙されないでください! 災厄の王ネロの本体は、この黒竜でもその核でもありません! 離れた場所からこの化け物を操作している少年こそが、その本体なんです! そして彼がいる場所は……っ!!」
それはノルンの声だった。しかも声が聞こえてきた場所は黒竜からだった。
ここではないどこかから、ノルンは俺のために助言を飛ばしてきたのだろう。
だからその行動に対し、俺は黒竜を見据えながら答えた。
「ああ、そうではないかと勘付いていた所だ。待っていろ、ノルン。今すぐお前を助けにそっちに向かう!」
そう言い放った俺は全身に黄金色のオーラを広く大きく纏わせながら、ネロへと飛び込んでいった。
すると瞬く間に俺はネロの体内に取り込まれていき、体中を鋭い痛みに襲われたが、無視して自らの意思でより奥深くへと入っていった。
「ノルンの声を聞いて確信したっ……。こいつの体内からはさっきから攫われたヴァイツやギスタらの気配が、か細いながらも感じていたからな。では、それはなぜなのか? ……その答えは、一つしかあるまいっ!」
次の瞬間、俺は水面から顔を上げるように、どこか開けた空間……いや、室内の壁から頭から飛び出して、床の上に転げ落ちた。
「この空間……。やはり俺が考えていた通りだったか」
俺は立ち上がって辺りを確認してみたが、そこはそれなりの広さがある石造りの室内のようだった。しかしその時、またもや俺の耳に声が響く。
「ア、アラケア様!」
声がしたその方向に目を向けると俺が予想した通りに、そこにはノルンがいた。
そして彼女のすぐ側には、銀髪赤目の少年の姿もある。
更には周囲に置かれた黒い檻に、ヴァイツやギスタ達が閉じ込められていた。
「アラケア、とうとう僕の世界にまで土足で入り込んできたんだね。お前のことは僕が起こした、今回の皆既日食の最中からずっと動向を窺っていたよ」
「なるほど、お前が災厄の王ネロと言う訳か。予想していたより幼い。いや……外見年齢などどうとでも偽れる者達を見てきたから、さほど驚きはないが」
俺は言葉を紡ぎながら、ゆっくりとネロへと近づいていった。
相手が仕掛けてこようとも、すぐに反撃出来るよう戦闘態勢を取った状態で。
だが、ネロは攻撃してくる様子はなく、尚も穏やかに俺に言葉を掛けてきた。
「もう1人のあの男も、もうすぐここへやって来るよ。直に彼女を倒してね。僕が予感していた通りに、やっぱりこうなった。君達が魔神の魔物と呼んでたあれを送り込んだり、手は尽くしたにも関わらずね」
「そうか、それはご苦労だったな。だが、お前のお陰で数百年に渡り、大勢の者が犠牲になった。お前を倒す前になぜこんなことを仕出かしたのか、出来るならその理由を聞いておきたい」
ネロは少し数巡していたが、やがて笑顔で俺の質問に答え始めた。
先ほどまでの凄まじい殺意や殺気は抑えているのか、鳴りを潜めている。
「僕は古代に生きたヒタリト民族の元人間だった。だけど僕らは少数民族だった上に、この大陸で覇権を握っていたハラティプティオ帝国が信仰する太陽神とは異なる神を信じていた理由でね……。改宗を拒んだ僕らは弾圧されていたんだ」
「この大陸に残された高度な文明跡、あれがその帝国の名残りと言う訳か」
ネロはその赤い瞳に虚ろな光を宿しながら、己の過去の出来事を続けて語った。
しかしその顔は俯き加減で、表情は窺い知れない。
「あれは民族浄化と言っても良かった。彼らハラティプティオ帝国は僕ら民族を根絶やしにしようとしたんだよ。僕の身内も知っている人達も、僕の目の前で次々と殺されていった。母さんも姉さんもね……。でもね、当時の幼かった僕にだって彼らの言い分は理解は出来たんだよ。なぜなら……ねえ、アラケア。……僕らは本当に悪魔だったからさ!」
そこでネロは大きく顔を上げた。狂気すら感じる歓喜の表情を浮かべながら。
「うふふふ、ははははっ! 楽しかったなぁ、奴ら下等な人間達を虫けらのように踏み潰して殺していくのがさあ! だって僕らは優良種であるヒタリトの民だ! なのに、猿にも血袋にも等しいお前らが、僕の母さんや姉さんを殺しやがって。だから、僕は禁じ手を使ったんだよ。猿共に殺されていった、ヒタリトの民の魂を集めて世界中に呪いをかける、大呪法をさあ!」
ネロは思いの丈を一息で吐き出しながら、尚も狂ったように笑い続ける。
その顔は笑っているようで、どこか怒っているようでもあった。
先人達が探し求めていた真実がこのような身勝手な理由だったとは思わず、俺は内から込み上がる怒りを抑えながら、ルーンアックスを静かにネロに向けた。
「それがお前が世界を滅ぼす理由か、ネロ。だとしたら、もう……俺にはお前にかける言葉はない。その死で以って、己の罪を償え、災厄の王!!」
「うふふふっ、お前に出来るかなぁ、アラケア。今までここまでやって来れた者はお前を含めて二人しかいないんだ。お前とグロウスだけ。だけど、結果は同じ。お前にもグロウス同様に見せてあげるよ、この僕の恐ろしさを!」
ネロの背中からエネルギー状の翼が生成されていくと、俺は瞬時に感じ取る。
これから始まる戦いの激しさ、敵がその身に神にも等しい力を宿していること。
そのことへの震慄、そしてこれまで磨き上げてきた己の実力への自負心。
様々な感情が今、俺の中で駆け巡りながらも、俺はその一歩を踏み出した。
「いくぞっ、ネロ! 人間の力を侮るなよっ!!」
「うふふふふっ! あまり吠えるなよ、下等な猿がさあっ、アラケアァ!」
そしてネロもまた俺の一歩に反応するように動いた。
それは紛れもなく俺にとって、生涯最大の死闘が始まった瞬間であった。




