第百四十七話
あれからしばらくの間、代り映えしない石造りの町並みを進んでいくと、ついに町の景観に変化が訪れた。
まるで庭や道に張り出した、台のようになった幾本かの通路が、遠くに見える巨大な黒光りする宮殿のような古い建造物まで延びて繋がっていたのだ。
そして通路の下には底の見えない、ただ深い闇だけが顔を覗かせていた。
「あれが俺達が向かう終着点だと言うのか。あの黒い外壁と言い、断崖絶壁の上に聳え立っている様と言い、まるで魔城と言った出で立ちのようだが……」
俺が遠くにある宮殿に目を凝らすと、その上空だけに雷鳴が鳴り響いていた。
そして今度は向こうまで伸びる通路を手で確認してみたが、信じられないことに自動で動いており、歩く必要もなく通行者を向こう側へと運ばんとしていたのだ。
「驚いたね。町並みはずいぶん古びてるのに、こんな技術はまるでオーパーツだ。一体、どんな高度な文明がこの大陸では過去に栄えてたんだろうね」
忌憚のない感嘆の言葉を述べたヴァイツが、その好奇心からか移動する通路に手で触れて確認していたが、その最中のことだった。
突然、すぐ近くで耳に響く嫌な金属音が響いたため、咄嗟にその場にいた全員が何事かと音の発生源を見やったが、どうやらギスタが通路を覆う透明なパイプに短剣で斬りつけていたようだった。
「どうした、ギスタ?」
「ああ、驚かせたか? この通路が痛んでて崩れ落ちねぇか確認してみたのさ。けど、どうやら心配はなさそうだ。それどころか、通路を包み込むこの透明なパイプみたいな物は刃物で斬りつけたって、傷一つつきゃしねぇ。だが……」
そう言ったギスタだったが、一呼吸置いてから更に続けた。
「あの最奥からは、これまでとは比べ物にならねぇ程の邪気が立ち込めてやがる。生半可な人間が足を踏み入れれば、それこそ発狂でもしかねないくらいな」
確かに……ここからでも肌で感じるくらい異常なまでに濃厚な邪気を感じる。
場所が場所だけに、何が待ち受けているか予想もつかない魔の根城だ。
だが、それでも俺達は使命のため、怖気づいて進まない訳にはいかなかった。
俺は皆を促すと、さっそく自ら先陣を切って通路に足を踏み入れるが、するとその自走通路は、俺達を一定の速度で向こう側へと自動で運んでいってくれた。
――強まる邪気が発する、その最奥へと。
そして……ついに俺達はその場所へと辿り着き、辺りを見回した。
切り立った崖の上に出っ張った地面は、それなりに広かったものの草木がぼうぼうと生い茂っており、手入れがされている様子はまったくなかった。
更にその中心部に立てられた漆黒の宮殿は間近で見ると、地上にあった廃都市の建造物よりも一際大きく、材質は分からないが黒い素材にて形作られている。
その上、壁を見回してみても傷一つなく、それは所々に並ぶ窓も同様だった。
「入口らしきものは……どうやらあそこに見える門がそうのようだが、中には何がいるのか分からん。くれぐれも用心を怠るなよ」
俺がその門……いや、高さ十メートルは優に越し、横幅も五メートルはある、大門とでも形容すべきそれは、左右対象に巨大な竜の絵が彫られていた。
俺は覚悟を決めてその大門を押してみると、鍵などはかかっておらず重い音を立てながら、ゆっくりと開いていった。
するとそこに広がっていたのは、外側と同様に一面黒塗りの天井や床や内壁。
しかし宮殿と言うよりも、むしろ神殿と呼んだ方が正しいと思えた。
まるで祭っているかのように、少年の神像が等間隔に置かれていたからだ。
「まるでパンデモニウムだね……。悪魔でも崇めてたのか、これを建てた連中は」
ヴァイツがそう漏らすが、俺はそれには答えず周囲の様子を感知能力で探った。
しかしグロウスやエリクシアのように体内の気を消す技術の持ち主や、実体を持たないあの黒い虫達相手には、あまり意味がないことは重々承知していた。
あくまで敵の接近を捉える確率を上げるため、念のためである。
「行くぞ、扇状展開して警戒に当たれ」
俺が指示を飛ばすと皆は散って周囲への警戒に当たるが、入ってから絶えず、どこかからあの時と同様に、虫達が建物内を這い回るような音が聞こえていた。
やはり敵はいる。カルティケア王を食い殺した奴らがこの神殿内部にも。
だが、次なる展開は俺達が先へ進もうとした、その時に待ち受けていた。
「いよいよ……ここまでやって来たようね、アラケア・ライゼルア」
ふいに女の声が聞こえた。それも神殿内全体に均等に響き渡るかのように。
俺達は全員が反射的に身構えて、辺りを見回したがどこにも姿が見当たらない。
だが、姿は見えなかったが、その声は紛れもなく俺達がよく知る相手だった。
「魔女、ベルセリアだなっ?」
「さっさと出てきやがれ! 俺達にぶっ殺されるためになっ!」
俺達は見回しながら叫んだが、声の発生源はやはり掴めず神殿内に満ちていた。
そしてそんな俺達を嘲笑うかのように、魔女は更に言葉を続ける。
「喜びなさい。私達の王、ネロ様が直々に貴方達の相手をしてくださるそうよ。あのグロウスを倒し、人類最強の存在となった貴方達を侮るつもりはないわ。一人一人、順番にネロ様の手にかかり殺されるのね」
その言葉を最後に、神殿内に満ちた魔女の声が消えてなくなった。
と、同時に神殿内の隙間などから、黒い虫達がかさかさと音を立てて湧くように現れて、一か所に集まり出したのだ。
「気を付けろ! こいつらはまた再結合するぞっ!」
俺は感知能力で奴らの核を今度こそ探ると、そこに向けて短剣を投げ放ったが、無数の黒い虫達に阻まれて命中には至らなかった。
「やはり攻撃の瞬間だけ、こいつらは核以外も実体を持つことが出来るらしいな。ならば……こんな小技ではあの防御壁は貫けない、と言うことか!」
俺はルーンアックスを構えたが、結合していった奴らは一つの姿を形成した。
今度は馬ではなく、不気味な風貌の全長十八メートル程の黒い狼へと。
六対ある目は相変わらずでそれらの目は俺だけを睨み、瞬時にして姿を消した。
「むっ……!? そこかっ!」
俺の真横に現れた黒狼の前足の叩き付けを、ルーンアックスにて防ぎ切ると、今度は反撃に転じて、光速分断波・螺旋衝覇を奴の顔面目掛けて繰り出した。
だが、やはり命中直前に黒い虫達へと分離し攻撃を受け流されてしまう。
「ひひひひっ、ひひゃははははっ!! 痒い、痒いなぁ、アラケア!」
「ネロとか呼ばれていたな。お前は何者なのだ!? なぜ、何のために世界中に黒い霧を広げて、この世を混沌に陥れようとする!?」
俺の言葉に反応することなく、黒狼は次々と前両足を轟音と共に振り下ろすと、その度に俺はルーンアックスにて受け止めて、防いでいく。
すでに奴の動きに俺の体が対応し始めており、一度見た攻撃手段なら完全とは言えないまでも、何とか防御することは可能だった。
「では、質問を変えよう。俺達の仲間のノルンはどこへやった? 勿論、生きているのだろうな? もしそうでないのならば……俺はお前を許さん!」
「……母さん? ひひひ、ひはははは……お前には母さんは返さないよ。だって、やっと再会出来たんだ。僕らはこれからも2人で生きていくんだからさぁ!」
俺だけを目の敵にしているような黒狼は執拗に俺だけを狙って攻撃してきたが、ノルンがまだ生きていることを示唆するその返答に、一先ずは胸を撫で下ろした。
だが、その時、黒狼の背後からレイリアがぱちんと指を鳴らすと、漆黒の床から突き出した床と同じ材質の幾つもの腕が、奴の腹部や手足を掴んで拘束した。
「まあ、これしき程度の拘束じゃ、すぐに破られるのは分かってますけどねぇ。ですから、バーン! 後はお願いしますよ!」
「任せときなっ! いくぜ、奥義『炎槍荒縄』だ!!」
バーンが投げ放った鮮やかな深紅の長柄の槍は、黒狼の頭上で円を描くように旋回し始めると、縄状の炎が生じてその体を強力に拘束していった。
「よし、一斉攻撃のチャンス到来だ! 少しの間ならこいつも動けないはずだぜ! 核の位置が分からなくたって、体全体を派手にぶっ飛ばせば関係ないだろ! アラケア、皆! 全員がかりでいくぜっ!!」
バーンの叫びに全員がその意を理解して、攻撃態勢を取るのとほぼ同時。
四方から黒狼を取り囲んでいる俺達の全身から、強烈な闘気が湧き上がった。
「いくぞ、皆! 息を合わせて同時に放つ! 俺達の最高の技を!!」
「ひひひっ、いひひひっ!! 殺せるかなぁ、お前らなんかに」
そんな俺達を見て、黒狼は拘束されたまま裂けた口を歪ませて笑っていた。
奴には俺達の総攻撃を受けて尚、自分が死ぬことはないと言う余裕があるのだ。
だが、それでも俺達は今更、攻撃の手を止める訳にはいかなかった。
「奴の言動に惑わされるなっ! この機を逃す手はない、今だっ! 放てぇっ!」
俺が水平に構えたルーンアックスを振り抜くと、それを皮切りにして俺達八人がそれぞれ自身の最大火力の奥義を解き放った。
途轍もなく大きなエネルギーの波が、中心にいる黒狼にまともに炸裂すると、轟く轟音、視界を閉ざす程の強烈な光が周囲を支配していき、数瞬遅れて業火と熱波が神殿内を縦横無尽に伸びていった。
少年の神像や柱などはその威力の前に融解、粉々に砕かれて溶け散っていく。
――そして、静寂の時は訪れた。
俺が立ち上がったのは視界がある程度は回復した後だったが、しかしそれでも辺りはまだまだ猛烈な熱気が包み込んでいた。
そしてあれほどの爆発だったと言うのに、建物そのものは倒壊する様子もない。
だが、まず俺は何よりも爆発の中心部分、今も濛々と煙が包んでいるその場所にいたはずの黒狼の姿を確認しようと目を凝らした。
「奴は……どこだ。殺せてはいないだろうが、この結果次第で俺達と奴の力の差が如何ほどなのか、これではっきりするはずだ」
煙が晴れ始め、いよいよそれが露わとなった、その瞬間。
突如、爆心部から外側へと、無数の黒い触手のような物が一斉に伸びたのだ。
俺は間一髪で回避したものの、それらは同様に固唾を飲んで見守っていた他の仲間達の体を掴んで捕獲していき、あちこちから悲鳴が聞こえた。
「ヴァイツ、ギスタっ! ハオラン、アルフレドっ! ラグウェル、レイリア、バーンっ!!」
見る間に触手が俺以外の全員を捕獲してしまうと、今度は黒い虫達に分離したそれらが彼らの全身を覆い隠していった。
口までもが塞がれたのか、次第に叫びも聞こえなくなり、凄まじい速さで神殿の更に奥深くへと彼らを運び去っていった。
「くそっ、彼らをどうするつもりだ、災厄の王ネロ!!」
俺はすぐに追おうとしたが、またもや神殿内に響いてきた声がそれを遮った。
いや、今度は声だけではなく、彼女本体の気配も俺が向かおうとした進行方向の先で生身の肉体と共に現れ、俺の行く手を阻んでいたのだ。
「彼らの身は役立てさせてもらうわ。全員が大深穴をここまで辿り着いた強者。この大陸を守護する番人として、災厄の殲滅者の一柱として、貴方達みたいな腕の立つ人間は色々と使い道があるのよ」
「そこをどけ、魔女ベルセリア。でなければ……」
俺は言葉を言い終える前に、ルーンアックスを正眼に構えていた。
そして黄金色のオーラを溢れさせ、全身とルーンアックスに浸透させていく。
「容赦はせん!」
「ええ、決闘を受諾するわ。始めましょうか、アラケア・ライゼルア。今度こそ貴方の体を頂きたいものね。貴方達のような襲撃者から、ネロ様の身をより確実にお守りするためには、貪欲に強くならなくてはいけないのよ」
戦いの受諾を告げた魔女の囀るような声は、どこか楽し気だった。
そして俺と魔女はしばらく見つめ合ったまま対峙していたが、先ほどの爆発で崩れ落ちかけた柱の破片が床へと落下する。
――緊迫感が漂う場の静寂が僅かに崩れた、瞬間だった。
「うぉおおおっっ!!!!」
「ふふふふっ、貴方との戦いもこれが最後になりそうねぇ!」
それを合図としたかのように、俺達二人は弾かれたように動き出した。
まさにそれが戦闘開始の引き金となったのである。




