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滅びゆく世界のキャタズノアール  作者: 北条トキタ
上陸、厄災の地
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第百十二話

 船から錨を降ろして船を係留させると、俺とラグウェルとマクシムス一派はついにその大陸へと足を踏み入れた。

 今はすでに名も忘れられた北の大地にして、世界の大部分を覆い尽くす、黒い霧の発生地点であるとグロウスが言っていた、厄災の地へと。


「ここが……北の大陸、か。ずいぶんと……」


 自然が豊かな地だと思った。霧に飲まれ、人が住めなくなって数百年以上は経過し、独自の生態系が作られてきたのだろう。

 寒冷期で育つ木々に雪が積もり、妖精鉱が放つ光を美しく照り返している。

 だが、それに感慨を思える暇もなく、俺の感覚はそれら大自然だけではない、災厄の黒い霧の中から生まれし、住人達の気配をも感じ取っていた。


「……何と言うことだ。あんな奴らが大陸のこんな入口付近に……。おい、すぐに移動するぞ。あんなのをまともに相手はしていられん」


「なるほど、感じ取ったのですね、敵の気配を」


 マクシムスは二つ返事で頷くと、部下達に指示を出し、物陰へと移動させた。

 しかしラグウェルの方は敵がいるのならと、黒竜に変身しようとしたため、俺は肩を掴んで止めさせ、マクシムスらが身を隠す場所へと一緒に移動させた。


「……アラケア、どうして止めるのさ。らしくないよ。敵がいるなら、倒していけばいいじゃないか」


「静かにしろ。そしてあれをよく見ておけ。俺の知識が正しければ、あの怪物はベヒーモス。過去、皆既日食の終盤に姿を見せたこともあると言う、魔物ゴルグだ」


 俺達が物陰から覗くと、視線の先にいたのは……。

 四本足で移動し、暗紫の肌に赤いたてがみ、二本の角を持つ巨大生物。

 全長は優に五十メートルはあるだろう。

 それほどの怪物が、妖精鉱が照らし出している所にいるだけでも二体。

 だが、俺が感じ取れている限りでは、何十体と大地を闊歩しているのである。


「あ、あ、あれって……!」


 奥からは奴らが歩く度に、一定の間隔で地響きが起きていた。

 それほどの巨体の足音の群れだった。

 その様子を見たラグウェルは表情が固まって、何も言えなくなってしまった。


「隠れて正解だった、と言う訳ですねぇ。さすが災厄の本場。生息する魔物ゴルグの強さも、私達が暮らす大陸とは桁違いと言うことですか」


「ああ、しかもこれまでと同様に、妖精鉱の効果も期待は出来まい。奴らと接触を避けつつ、進むしかないだろうな」


 カルギデが言っていた通りだった。

 生半可な強さの者では、この大陸を生き残れない。

 だが、どうやら単純な腕っぷしだけでも、通用しそうにないようだった。

 このような劣悪な環境で、俺達はこれから魔女やグロウス達と戦っていかねばならないことに、俺は思わず嘆息を漏らした。


「ここに来る前に感知能力を会得していて運が良かったな。行くぞ、陛下達に追いつくためにも、あまりモタモタはしていられん」


「う、うん。先導は任せたよ、アラケア」


 俺達はあくまで身を隠しながら、海岸線の物陰から一歩を踏み出した。

 ベヒーモスは俺達に気付いていないのか、あるいは関心がないのか、こちらを振り向くこともなく、そのまま霧の最奥へと去っていった。


「肝が冷えますねぇ。一歩間違えば全滅の危機です。大陸に上陸し、まだ序盤だと言うのに、いきなりこの難易度とは」


 マクシムスとその配下の黒衣の者達も息を殺しつつ、俺のすぐ後ろをついてきている。

 プロの傭兵兼暗殺者なだけあって気配を消す腕は一流だった。

 だが、北の地の脅威は、すでに確実に俺達を蝕んでいた。

 それは上陸前から降りしきっている、雪であり、その勢いは先ほどから、より一層激しさを増している。


「うう、寒いよ。しかも何だか力が抜けていってるみたいだし」


「甘く考えていた訳ではないが、極寒な気候がここまで厄介だとはな。これでは先に上陸した陛下達が、心配だ。この雪では騎士団は行軍することも、ままならないだろう。凍傷に苦しむ者が現れていても、おかしくはない」


 大軍を率いてきたことが、必ずしもメリットばかりとは限らないようだった。

 凍傷で苦しむ者、体力が低下して、眠りに落ちてしまう者がいれば、どこかで休ませなくてはならない。

 だが、そうした者達を治療するための物資は限られている上に、その間も雪は止むことなく、吹雪き続けるのだ。


「ラグウェル、俺の側によれ。ほら、火だ。体を温めて決して眠るなよ」


「う、うん。ありがとう、アラケア」


 俺は右掌から気を炎のように燃やすと火の球を発生させ、暖を取った。

 勿論、体外に気を放出するのだから、消耗はそれなりにする。

 しかし温暖な気候のデルドラン王国で育ったラグウェルは、この極寒な気候にかなり堪えているようで、そうも言っていられなかった。


「……あったかい。父上達も無事だといいね、アラケア。ガイラン国王も父上もお強いから、魔物ゴルグに負けたりなんてしないはずだよね?」


「ああ、当たり前だろう。俺達がまだ生きているのに、俺より強い陛下達がこの大陸の脅威に屈する道理はない。今も先を目指して進んでいるはずだ。それはいらない心配というものだろう」


「うん……うん。そうだよね」


 このやり取りを最後に、俺達の中でしばらく会話はなかった。

 誰もが生き延びることに精一杯で、言葉を交わす余裕がなかったのだ。

 そしてこの行軍にようやく次なる進展が見られたのは、豪雪の中をおして進み始めて、数時間が経過した頃だった。


「これは……死体、か。この兵装を見るにアールダン王国の兵士のようだ。この腕からの出血を見ると何者かと交戦して、息絶えたようだが……」


「刃物で斬られたのではなく、何者かに噛みつかれたようですね。敵は……恐らく魔物ゴルグでしょうか。しかも雪に埋もれてからそう間がない。それに見れば死体は他にもそこかしこに倒れて、雪に埋まっている様子です。どうやら私達は本隊に、かなり近づきつつあるようですねぇ」


「そのようだな。では、もうひと頑張りと言うことか。急ごう。陛下達に合流して、現在の大陸の踏破状況をお聞きしなくては……」


 だが、俺がそう言って再び先へと進み始めようとした、その時だった。

 突如、背後で絶叫が聞こえた。

 何事かと振り返ると、それはマクシムスの部下の黒衣の者の一人だった。


「ぎぐぁあ……ああひゃぁあはははっ……!!」


 その常軌を逸して叫び続ける黒衣の者に、しばらくその場の全員が事態を飲み込めず、その様子を見守っていたが、そこへ誰よりも早く駆け寄ろうとしたラグウェルをマクシムスが手で制止した。


「ど、どうして止めるのさ!? お前の部下なんでしょ!?」


 ラグウェルはそれでも食い下がったが、マクシムスは静かに言い放った。


「……近づいてはいけません、ラグウェルさん。彼に何が起こったのか分かりませんが、あの殺気は紛れもなく、本物。迂闊に寄れば攻撃を仕掛けられていたでしょう。ですから、ここは私が……」


 マクシムスは今も尚、叫び続ける様子のおかしい黒衣の者に掌を向けると、「ボン!」と言う音と共にその頭蓋を砕いて、脳髄を巻き散らかした。


「こ、殺しっ……た?」


 ラグウェルが呟いたが、その場の全員が彼から目を離せなかった。

 なぜなら、それでも黒衣の者は動きを止めることなく、砕かれた頭蓋から、鋭い刃の黒い触手が這い出してきたからである。


「あ、あれは……何だ!? 虫のようなものが彼の体内に!」


「本当に……恐ろしい場所のようですねぇ。敵は目に見える魔物ゴルグだけではない。仲間まで敵に……誰も信用する訳にはいかないと言うのですか」


 マクシムスは手甲から刃を突き出すと、それに続いて俺もルーンアックスを握り締めて、俺達はかつて黒衣の者だった、成れの果ての化け物と相対した。

 この事態が意味することの本当の恐怖を、誰もが理解しながら。

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