第百五話
「何とか凌ぎ切ったか……どうやら、ようやく嵐の峠は過ぎたらしい」
携帯式時計の時刻が昼を過ぎる頃には、嵐は過ぎ去る気配を見せ始めていた。
あれから俺達の船は帆を再び畳み、略奪者達の幽霊船から受けた砲撃の損傷も応急処置を済ませたことで、危機はどうにか脱したと言えるだろう。
「しかし私達は、奴らに勝った訳ではありませんからねぇ。逃がした連中を含めて、本拠地にはあれ以上の……いえ、その数は実に数千体はひしめいていると思っていいでしょう。なぜなら私には聞こえるのですから、さざめく奴らの声が」
「ああ、それだけに逃がしたのは痛かったな……。それにお前が言っていた、奴ら略奪者を作り出していると言う、術者。そのネクロマンサーを倒さなくては、根本的な解決にはならない。何が目的なのか知らんが、この航海を安全に行うためにも、その正体は突き止めておかねばなるまい」
俺達は帆を張り直すと、再び進路を略奪者達の本拠地があると言う北西へと船を向かわせていた。
道中、幾度も魔物の襲撃はあったものの、すべて退け、航海は順調に進んでいた……と思っていたが。
「アラケア! やっと見つけた、アラケア!」
突然の叫びに、その声の出所を探ろうと俺は弾かれたように上空を見上げた。
するとそこにいたのは……。
――漆黒の鱗を身に纏い、両翼で羽ばたく一体の黒竜であった。
そして黒竜は俺達の船の甲板に降り立つと、その姿を人へと変えていく。
その容貌は以前、マクシムスと共に王都を襲撃したラグウェルのものだった。
「おや、貴方は……お久しぶりですねぇ。私達を追ってきたのでしょうか、ラグウェルさん」
マクシムスの問いにラグウェルは微笑むと、俺達の側までやって来て言った。
その様子は初対面の時とは違い、どこか険がとれた感じであった。
「うん、行方知れずになったアラケアを探すために、飛び出してきたんだ。妖精鉱が示す導きに従って追ってたんだけど、ずいぶん時間かかっちゃったね。けど……無事で良かった、アラケア」
うっすらと顔に安堵の色を浮かべるラグウェルに、この少年も変わったなと、俺は感慨を覚えた。
「ああ、心配をかけたようだな。陛下やカルティケア王達の方は無事なのか? まあ、陛下達がおいそれと魔物にだろうと、負ける訳はないだろうが」
ラグウェルは俺の問いに、続けて口を開いた。
「ガイラン国王と父上は今も軍艦を率いて、北の大陸を目指しているよ。ガイラン国王はアラケアなら、いずれ自力でこちらに合流してくるだろうから、心配は無用、我々は先を急ごうって……。僕は反対したけど、よほどアラケアを信頼してるのか、首を縦に振ってくれなくってね……。だから僕は……」
そこで俺は溜息を一つ、ついた。
なぜここにラグウェルがたった一人で現れたのか、察しがついたからだ。
「まさか……それで飛び出してきたということか? お前1人で? ずいぶんと危険を冒したものだな、ラグウェル」
「……うん、途中までバーンとレイリアも一緒にいたんだけど、逸れちゃって。だけど僕だけでも、こうしてアラケアと合流出来て、安心したよ。それより、この船はどこに向かっているの? 何だか方向が違うんじゃない?」
その問いに、マクシムスが代わりに説明した。
俺達が外海を活動場所としている、略奪者達の根城を討伐に向かっていること。
そして奴らを生み出している術者が、どこかに存在していることを。
すると、それを聞いたラグウェルの目は、みるみる明るく輝き始めた。
「凄いや、アラケア。僕らを襲ったあいつらの正体をもう突き止めたなんて。よし、そういうことだったら、僕もそいつらの討伐、手伝うよ! これでも僕は竜人族だし、きっと役に立てると思うから!」
俺は竜人族としては、まだ少年に過ぎないラグウェルに危険を冒させることを迷ったが、顔は真剣そのものであり、遊びや興味半分で言っていることではないことは、その目を見れば明らかだった。
「……分かった。まさか今から陛下達の元に戻れと、言う訳にもいかんしな。ならば、お前の力を借り受けよう。高等竜人族、それも黒竜族であるお前なら、決して足手まといにはなるまい。戦力として数えさせてもらうぞ、ラグウェル」
表情を明るくしたラグウェルは甲板を飛び跳ねて喜び、その様子に以前は恨みから俺を付け狙っていたものの、やはり本来はまだ年齢相応の少年なのだと言うことを、思わせた。
「略奪者共の本拠地まで後僅かですが、奴らが動いた気配はありません。このままいけば、本拠地で奴らと全面対決となるでしょう。その前に強力な味方が増えたのは、頼もしいではありませんか。では……引き続き目的地を目指して、航海を急ぎましょう」
◆◆
そして俺達は船を駆り、日が暮れ、再び太陽が昇り始める時刻となった時。
いよいよ俺達は……その場所へと到達した。
遠目からも分かるギザギザと刻み目のある海岸線に、大きく切り立った崖。
どこか陰鬱としたその雰囲気は、まるで要塞さながらの雰囲気を纏っていた。
「海岸線に奴らが使っていたガレオン船が数隻、停泊しているな。そこ以外は崖によって船での侵入は難しいだろう。さながら天然の要塞だ、これでは正面から行くしかないか」
「ええ、敵もこちらに気付いていますから、奇策は通用しません。かと言って馬鹿正直に正面から攻めれば、こちらの船が保たないでしょう。ですが……お忘れですか? 今、こちらには彼がいるではありませんか」
そう言ってマクシムスは、ラグウェルの方を見た。
そこで俺も、その意を理解する。
つまり黒竜となった彼に乗って、空から攻めようと言うことだろう。
「なるほどな、その手があったか。すまないが、頼めるか、ラグウェル?」
「大丈夫、いけるよ、アラケア。それじゃあ行こうか、今すぐにでも」
そう言い、ラグウェルは甲板で俺達から少し距離を取ると、みるみると彼の本来の姿である、漆黒の鱗を持つ巨大な黒竜に、変化させていった。
そしてマクシムスは黒衣の者達にここで船を待機させておくよう指示すると、俺とマクシムスはラグウェルに跨って、空へと飛翔した。
「ここからなら十数秒もあれば、あいつらの頭上を通過出来るよ! 振り落とされないように、掴まってて!」
ラグウェルの両翼が羽ばたいたかと思うと、瞬く間に要塞島との距離が縮まっていった。
そして上空からラグウェルが青白い灼熱のブレスを吐くと、海岸線に停泊していたガレオン船に命中し、激しく火の手を上げた。
「どうやら、堪らず現れたようだな、略奪者共が。予想外の攻撃に戸惑ったのか、蜘蛛の子を散らしたかのようだ。では……俺達も行くとするか、乗り込めさえすればこちらのものだ」
そう言い残すと、俺はラグウェルの背から飛び降りた。
マクシムスもそれに続く。
そして地に着地した俺達は、互いの背を合わせて、ワラワラと集まってきた略奪者達と対峙した。
「さて、この要塞には数千体はいるとのことだが、俺にとってそれくらいは常だ。始めるぞ。いけるか、マクシムス?」
「ええ、望む所です。黒太陽の悪魔と呼ばれる、私の底力を奴らに見せてやるとしましょう」
角笛が吹き鳴らされ、略奪者達が次々と集まってくる中、俺はルーンアックス、マクシムスは手甲から突き出した刃を向け、奴らへと飛びかかっていった。
それは作戦とは言いがたい、傍から見れば、無謀とも見える劣勢での戦いだったが、それでも尚、俺達は笑っていたのである。




