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おそろい  作者: 加代
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恋は哀情

 外から見えないところばかりを執拗に攻撃してくる。

 靴に画鋲。背中にコンパス。体に硬式ボール。

 怪我をしても、何も言わなければわからないほど、傷や痣は目立たない。そもそも見えない。

 そんな私にとって、梨緒の存在は、傷の舐め合いでしかないかもしれないけれど、本当に救われている。


******************


 言いたいことがあるから、と言って呼び出したけれど、好きだと言えるだけの度胸がないことは重々承知していたので、肉じゃがをもらったときのタッパーを急いで洗って拭いて返せる体勢を整え、外に出た。

 外に出るとユウは既に待っていて、肩にはわずかに雪の粒が乗っていた。


 鈍色の空からはらはらと雪が降るこの景色は幼い頃から見慣れた景色のはずなのに、今はとてもロマンチックに見える。雪面やユウの輪郭が青みを帯びていて、私は思わず息を飲んだ。気の持ちよう一つで、こんなにも世界は美しく色を変えるものなのか。好きな人と見る月が美しいというのも頷ける。


 ユウは私が出てきたのにすぐ気付いて、おう、と小さく手をあげた。

 私はそろそろと近づきながらも、しかしこれからのことを思うと恥ずかしくて目を合わせることができず、「ありがと、肉じゃが、美味しかった」と言うのが精一杯で、腕の震えをどうにか抑えながら、紙袋を差し出した。

 ユウは戸惑いながら紙袋を受け取った。まさかタッパーを返されるだけだとは思わなかったのだろう。

 戸惑っているうちに、左手で持っていた包みを両手で持ち直す。持ち直したときに小さな音がなったけれど、紙袋のがさがさという音にかき消された。

 鼻の奥でゆっくりと薄く延ばしたような深呼吸をして、ユウに改めて話しかけようとすると、「鈴さあ」と、ユウが先に口を開いた。そして紙袋の中身を確認し、「ほんと好きだよね」と私を茶化した。

 心を見透かされたようで頭が混乱、一気にパニック状態になる。何が、とも言えず私は答えに窮してしまい、何を言うでもなく口が勝手にもごもごと動いた。

「肉じゃが、こんなでかいタッパー二つ分もつくったのにもう食いきったのか」

 何のことはない。肉じゃがの話だった。

 食いしん坊、と言われたように思えて、顔がかっと熱くなる。

「うるさいな、お皿に移してんの」

 いつも軽口を叩くのと同じに映るように、私は平静を装って口を尖らせた。


 気持ちが落ち着いて改めてユウを見ると、首には私があげたグレーのマフラーが巻かれていた。昨日教えたピッティ巻きだ。

 今の今まで尖らせていた口がきゅっと歪んでにやけそうになったのを感じ、ふわふわのマフラーにもっふりと顔を埋めて口元を隠した。

「あ、マフラーありがと。これめっちゃ手触りいいな」

「え、あ、うん」

「鈴に教わった巻き方したらなんかいつもよりあったかいし」

 目が合わせられなくて、ついユウの手元を見てしまう。マフラーの端のフリンジをつまむようにころころといじっている指を眺めながら、本題をここからどう切り出そうか、考える。


 あのね、ずっと前からユウのこと好きだったの。


 だめだ、こんなの私のキャラじゃない。


 しかしいつもの私を崩さずに思いを伝える方法なんてどうしても思いつかなくて、意を決してユウに話しかけようとした。

 その瞬間。

「で、言いたいことって何?」

 ユウの方から話を切り出された。そして、「あ、まさか告白?」と、完全に図星をつかれた。

「は? そんなわけないでしょ!?」

 私はつい反射的に強く否定してしまい、その拍子に手の中の包みがかさりと音を立てた。

 そんなわけなくない。

 そんなわけ、ある。

「まあ鈴に限ってそりゃないか。そんな感じじゃないし」

 違う違う、今のは間違い。そう否定しようとした。

 しかしユウはそのまま笑って言葉を継いだ。

「っていうか俺彼女いるし」


 事も無げに発せられた言葉に、耳を疑った。

 時が止まったような気がした。

 しん、と静まり返った世界の中、鼓動だけはうるさく鳴り響く。

 あまりにもさらりと言われてしまったので、実感がないというか、信じることができない。視界がかすみ、ぼやけ、景色が輝きを失っていく。

 私は、「何、いたの、彼女」と声を絞り出すのが関の山だった。

 声を絞り出した瞬間、止まっていた時がどっと流れ出す感覚があって、胸にずしりと重いものがのしかかったような、潰れてしまいそうな苦しさを感じた。

「言ってなかったっけ。まあまだ一ヶ月しか経ってないし」

 その言葉に私は、そっか、と返すことくらいしかできず、その返事すら届いたかどうかも分からないほど、か細い声しか出なかった。


 嗚咽が漏れそうになるのを必死で抑えているので、その些細な相槌を言い直すこともできない。後ろ手に持っていたプレゼントがくしゃりと音を立てた。ラッピング越しにフィナンシェのぎっしりとした感触が伝わる。

 見えないように隠したまま、潰れかけのフィナンシェをコートのポケットに捻じ込んだ。

「で、何だっけ、話」

 話はあなたが好きですという話だったのだけれど、ふられることが確定しているこの状況でそんなことは言えるはずがなかった。

 私は、何も言い出せず、繋ぎの言葉も出なかった。えーと、とか、忘れた、とかなんとか適当に言って切り抜ければいいのに、そんな言葉も上手く出てこない。

 ユウは何を思いながら私の言葉を待っているのだろう。こんなに長い間、黙りこくっているのに。

 さすがにこんなに黙っていてはいけないと顔を上げると、ふと、さっき渡した紙袋が目に入った。

「えっと、肉じゃが、いつもより美味しかった」

 とっさに口をついて出た言葉に、ユウは拍子抜けしたのか、間抜けなトーンで「おう」とだけ返して、二人で沈黙した。

「え、それだけ?」

「いいでしょ別に! 美味しかったって言ってんの!」

 半ば自棄になって、どうもありがとうございました、ごちそうさまでした、と言うと、「そっかそっか気づいたか、出汁変えたんだよね」と私の自棄には気づかずユウは上機嫌になった。

「今回の、断然、いい感じだった」

「そっか、じゃあ次もやってみよっかな」

 いつもならいくらでも聞いていられるやわらかいユウの声が、私を締め付けて、これが真綿で首を絞められるということか、と頭の一部はひどく冷静で、しかしあと一雫の悲しみで決壊してしまいそうなほど、ぎりぎりだった。

 涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。どんなにいじめられてもユウの前では泣かずに振る舞えたというのに、どうして今は泣けてくるのか、自分のことがまるで理解できない。


 でこぼこと踏み固められた雪は次第に闇を反射する。青みを感じた色々なものの輪郭が黒を混ぜたような色になっていき、はっとするような美しさは、もう感じることができない。

 時間は大して経っていないはずなのに、世界は暗い色を湛え始めている。

 冬の陽の短さのせいか、私の気持ちの持ちようのせいか。

 どちらにせよ、私は完全に闇に中てられていた。

「鈴? どうした?」

「なんでもない」

 嘘だ。本当は呼吸すらもままならないほどに苦しい。

「全然そう見えないけど」

 そう言ってユウは一歩私の方に踏み出した。頭に手を伸ばされた気がして、「ごめん、お母さん帰る前にご飯作らなきゃ」と言って、背を向けた。

 今触れられたら、確実に泣いてしまう。

「そっか。何かあったら言えよ」

 ユウの優しい声を背に私は玄関のドアを閉じた。瞬きをするのも忘れるほど呆然としながら、体に降りかかった雪を払い落とし、脚に運ばれるままに紗友里が待つ自室に向かう。


 私が部屋に戻ると、窓から見ていたのか、紗友里は静かに「お帰り」とだけ言って、あとは何も言わなかった。

 紗友里の何も言わない優しさが最後の一雫だった。

 堪えていた悲しみが一気に涙となって流れ落ちて、手の甲や親指の付け根でいくら拭っても収まらなかった。

 失恋は初めてではなかった。

 しかし、本人から面と向かってはっきりと彼女の存在を聞いたのは初めてで、思いのほかショックだった。

 紗友里が心配そうにタオルを差し出してくれて私は更に泣いてしまい、紗友里に縋りついて、涙が枯れるまで泣き続けた。

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