初夏、感じます。
「あ…あの、校長?よりにもよってこんな平日にこんなことをするのは…」
「どうしたんだね、親鸞君?今さら怖じ気づいたのかい?」
「んな事ありませんよ!…っていうか、何で氷室先生が答えるんですか!俺は校長に言ってるんですよ校長に!!」
「ぅるっせーな、そこのロクに24年間彼女いないカス!男ならピーピー喚かないでどっしり構えとけ、クズが!」
「あんた、どんな格好しても口悪いな!」
「まぁまぁ、こんな時はカルシウムでもとって落ち着くといいよ、ほら」
「蓮…、お前何で落ち着いていられるんだよ…」
「何故って…仕事、だからさ。」
「はい!橘先生もふざけない!あぁ、もう!この学校の教員、アホばっかりだ!」
「え、名取くん。君、そうじゃないつもりだったの…?」
「…え!?」
「と、ゆーわけで!今日は浴衣dayです!」
「「はいぃ!?」」
声高らかにステージ上で楽しそうに言われた校長のお言葉に、集まった全校生徒は心を1つにして疑問符を口にした。場所は青嵐高校・体育館。朝イチで全生徒と教員が集められた全校集会での事であった。生徒は毎度の事ながら、変わった校長だとは思っていたが、こんなに突拍子もない企画は初めてだ。ほのかに生徒がザワつく中、校長は続けた。
「ほらほらぁ、メイド喫茶とかでよくあるでしょう?猫耳dayとか制服dayとか、そういうサービスdayがさぁ!」
――アホっぽく説明されても困る。
「うちの学校でもそういうのをやって、高校生活にもっとスパイスをっていうか?ま、そんな感じで!」
――どんな感じだ。
「そんなわけだから、全校集会終わったら、みんなソッコーで着替えちゃってね!浴衣はみんな持ってきてくれたっしょ?」
――確かに言われて持ってきたけど。
「因みにー、先生方はみんな着替えちゃってるから、もう。」
――倒置法で言われても。
「イケメン揃いな我が校の教師陣が全員浴衣姿ってぇのは、朝からたまらないよねぇ?1年D組きってのミーハー、藤森風菜くん?」
――全校生徒の面前で名指しはお止めください。
そういったわけで、全校生徒が浴衣に着替えた本日の青嵐高校は、「和」としか言いようがなかった。生徒・教師陣が履く上靴は、例外無く全て下駄に履き替えられた。タイル張りの廊下は、人が歩く度にカランコロンと懐かしい風情を醸し出す。
いつもの五人で横並びに歩きながら風菜たちは、驚くべき変貌を遂げた校内を面白そうに見回した。
…というか自他共に認めるミーハーの風菜さんは、鼻息も荒く。
「んもぅ!校長先生ったらなんていい企画を思い付いてくれるのかしら!一生ついてくわ!」
3年生の先輩方(体育会系色黒イケメン)とすれ違いながら、風菜は言った。目だけならず顔ごとその先輩達を追いかけていると、風菜の隣を歩いていた光が「やめんかい、恥ずかしいなぁ、もう!」と風菜の顔を押さえて無理やり前を向かせた。
そこに学級委員長の森谷結城が近づいてきた。
「おい、お前ら。広がって歩くな、通行障害だぞ。あと藤森、息するな」
「死ねと!?」
ツラッとクラス長の口から出てきた衝撃の言葉につっこんだ風菜だったが、その表情も結城の姿を見てすぐさまニヘラっと崩れた。
「もう…森谷ったら、いい性格してるわよねー。その顔つきと浴衣が、最近の若者にありがちな草食系浴衣男子とのギャップを醸し出し本当にいい感じ!あんたはこの日のために生まれてきた男よ!」
「…すまない、言い方を間違った。頼むからその口と鼻と皮膚をガムテープで塞がせてくれ」
「皮膚呼吸まで許されないレベル!?」
そこへ黄色い声がかかった。どうやら学年1のモテ男・結城のファンの一人である。
「森谷くぅん!浴衣、似合うよぉ、カッコいい!」
女子に面と向かって言われるが、森谷自身はそういう反応はうんざりである。げんなりしてその女子から顔を背け、無言で足早にその場を立ち去った。
そんな酷い無視にも女子は動じず、友達と「あの冷たさ、たまんなーい!カッコいいー!」とか盛り上がっている。光は一人、五人から外れて結城を追いかけた。
「なっ…待たんかい、森谷!似合うって言ってくれたのにシカトはないやろ、シカトは!ありがとうとかくらい返したれや!」
「あー、もう…光ったら…」
結城を足早に追いかけた光を見送りながら、風菜は言った。以前結城が、自分の下駄箱に入ってたラブレターの類いを全て捨てようとした時も、光に頭を一発どつかれて説教とたんこぶ2つをお土産にもらっていたのを目撃している。(殴られた拍子に、柱に額をぶつけていた)
光は、恋する乙女の思いを踏みにじる行為が大の嫌いである。
里良・十川・翔の3人と風菜が、結城と光を目で追いかけていると、光が結城の手前で転びそうになったところを、結城に右肘を掬われて転倒を免れるという乙女的シチュエーションが繰り広げられていた。助けたのにしっかりそのあと説教をもらっている結城が、少し哀れだ。
「…夫婦漫才か」
ケッ、と吐き捨てる様な声がして四人が後ろを振り返るとそこに担任の香取親鸞が立っていた。
「嫉妬醜い」「うるせー、モテ男は滅びろ」
里良の一言にボソリと返したのは呪いの言葉だった。さすがモテない歴=年齢の担任教師。
しかしその、今にも枯れかかっている男の浴衣姿にも風菜のミーハーセンサーが反応した。
「先生そうは言ってるけど、今日の先生いつもよりいいですよ?これまた森谷とは違う気弱な草食系の感じがバンバン出てて…」
「え?そう?」
「はい!詐欺ですね!」「酷い!」
彼女が欲しいという肉食系の願望をその身に宿すものは、真の草食系にあらず。by藤森風菜
そんな親鸞と風菜のやり取りを聞き付けたかの様なタイミングで、クラスの女子が群がってきて、口々に担任を褒めあげる。
「カトリンその浴衣似合うじゃーん、いつものスーツより全然いいよー」
「先生あとから一緒に写メ撮ろー!」
「やだぁ!浴衣の先生可愛いー!」
24年間の人生で経験したことの無い女子からの誉め言葉の応酬に、親鸞の顔はみるみる耳まで赤く染まって行く。
「え?そ、そうか!?そんなに似合うか!?あは…あははは!」頭をかいて笑ったりしている。完全に有頂天だ。風菜は、「ほら、言った通りでしょう?」と鼻を高くしている。親鸞に群がっている彼女たちはきっと、一時限目の数学の授業で少なからずの優待を受けるだろう…。
―――――――
――――
一時限目が終わると、風菜は颯爽と教室を出た。出かけに親鸞の、「おい、藤森!廊下は走るな、っつーか速ッ!お前下駄と浴衣でどんだけ速く走ってんの!?」と注意だかつっこみだかどっちつかずな言葉を尻目に、職員室まで颯爽とひた走る。
目的は1つ。今日一日という限られた時間の中で、全職員と生徒(イケメンに限る)の浴衣姿をこの目に焼き付け、タイミングに恵まれれば盗撮ならぬ盗写メをするつもりである。
そのため一時限目は、どういったルートをとれば時間を無駄にせずイケメンに出会えるかをばっちりとシミュレーションに使った次第である。
保健室に差し掛かり、芸術的コーナーリングで角を曲がろうとした時、「ぁっ、…やめ、凪…痛っ…」と艶やかなダンディな声が聞こえたので、忍者のような身のこなしで、音もなく保健室の引き戸に忍び寄った。
隙間が開いていたのでそこから室内を覗き見ると、中は驚きの変貌を遂げていた。
保健室が和室になっている。土間の様な空間をタイル2,3枚ほど残し、全面畳が敷かれていた。
奥のベッドがあった空間には、布団が何組か敷いてある。その一番窓際に敷かれた布団には、さっき聞こえたダンディな声の主が寝ていた。傍では涼しげな浴衣の上から白衣を纏った物憂げな麗しの女性が、病人の顔に脱脂綿を当てていた。切り傷の手当て中と見える。と、物憂げの麗人が口を開いた。
「チッ、気持ち悪ぃ声出すな。授業最後に熱中症で倒れた拍子にかすり傷つけて運び込まれて来やがって…」
――喋らなかったら、日本人形みたいなんだけどなぁ…。
まぁ、青嵐高校の名物・暴力保険医の嵐後凪先生が、喋らない・患者に暴力を振るわないなんてありえない事だが…。
「…酷い事言ってるわりには…ちゃんと絆創膏まで貼ってくれるんだな…」
処置をしてもらっている体育教師の橘芭蕉先生が、弱々しく言ったのが聞こえた。確かに、暴力は振るわないにしても、凪がちゃんとした処置を患者に施しているところなんて、初めて見たかもしれない。
「アホ。骨折や打ち身程度ならともかく、放っとくと死ぬ様な症例の患者は放っとかねぇよ。学校から死人出してたまるかっての。切り傷はついでだ、ついで」
「…はは、ありがとう」「…っ!ついでっつってるだろ!!気持ち悪いな!!」
弱々しく礼を言った芭蕉に明らかに顔を赤くした凪が、氷嚢を芭蕉の額に勢いよく乗せた。
「ぅわっひゃ!!」冷たさに情けなく悲鳴を上げた芭蕉に乱暴に掛け布団を掛けて、凪が机に向かおうと立ち上がろうとする。その浴衣の袖を芭蕉が握っていた 。
「っ…んだ、てめぇ!まだ何かくだらねぇ事言うつもりじゃねぇだろうな!!」振り返って患者を怒鳴り付けた凪に、
「凪、その浴衣、似合ってるな。可愛いぞ」そう言って夢見る様に微笑む体育教師。
数瞬、凪が絶句したのが風菜にもわかった。一時限目の前に見た親鸞よりも、顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「なっ…なっ…なっ……何を言っとんじゃワレェェェエエ!!!!!」
真っ赤な顔のまま凪が布団に寝たままの芭蕉を殴り付ける。学校中が揺れた気がした。
《風菜メモ》
【お酒で記憶が飛ぶ人がいるが、橘芭蕉先生は熱中症でそれを起こす。放課後、話を聞きに言った所、この日保健室はおろか熱中症で倒れた事も覚えていなかった】
保健室の前から離れた風菜は、次に近い家庭科室に向かった。家庭科担当の日比谷蓮先生は、職員室よりもここにいる事が多い。
風菜が家庭科室の前に着くと、また中から話し声が聞こえた。
「意外ですねぇ。氷室先生がお菓子作りが得意だなんて」
蓮先生が嬉しそうに言っているのが風菜の耳に入り、彼女はドアからの盗み見を決め込んだ。ドアを薄く開けて、その隙間を気力でキープ。蓮先生と一緒にいたのは、美術教師の氷室嵐先生だった。これまた珍しい取り合わせだ。
「得意だなんて、そんなのじゃないですよ。ただ、できるってだけで」
珍しく嵐が謙遜している。この春に転任してきたこの先生のふてぶてしさは、全校生徒も知るところだ。
「凪のためにね、作ってたら自然とレパートリーが増えてきて。なにせ、高校生の時から続けていますから」
「ほんとに、嵐後先生と仲がいいんですね」
「ええ…ハハハッ、高校の時に凪がお菓子作りをしなきゃいけない機会に恵まれてですね、ハハッ、当然不器用だから何度やっても上手くできないんですけど、その目の前でね、僕が芸術的にお菓子を作って自慢するとね、凄い形相で怒るんですよ。もうアレは般若ですね、般若。あんまり面白いからね、決めたんですよ。死ぬまでこの嫌がらせ続けてやろうって」
「ほんっと、氷室先生はいい性格してますねぇ…」
《風菜メモ》
【……命が惜しいから聞かなかった事にしよう】
予鈴が鳴り、来たときと同じく全速力で帰ってきた風菜を出迎えたのは、友人達だった。ドアの所で先頭にいた十川とぶつかりそうになる。「おっと!危なっ」
「あっ!…ぶない……危うく十川とロマンス起こしかけたわ…」
「別に十川とロマンス起こすのは、危なくない事だと思うけどね!?」
少女漫画の住人は、登校途中の通学路や廊下で、主に曲がり角でぶつかった相手とロマンスなハプニング、すなわちキッスをしてしまう事がままあるのだ。
十川の肩越しに、光がひょっこりと顔を出した。
「よく帰ってきたなぁ、風菜。っていうか、あんなに走ってたのによく浴衣着崩れしなかったな…次、家庭科室やで」
次の授業は、風菜の記憶では体育だった。
「えっ、何で?…あっ…そうか」
先程保健室で盗み見た光景を思いだし、授業変更の理由を納得する。
そうとは知らない光は、
「可哀想に、橘先生、熱中症で倒れたんやって」
その後の事実を知る風菜は、
「いやぁ、たぶん今ごろ救急車呼ばれてると思うわ……」
「えっ、そんなに酷かったん?っていうか何で知ってんの?」光は純粋に驚いたが、救急車が来るとしたら多分原因は八割方凪だ。
出入り口でそんな話をしていたら、光の背後からイラついた声が。
「何をモタモタしてんだ、お前ら。遅れるだろ、さっさと行け」
光が振り向くとクラス長・森谷結城様がそこにいて、路線バスが時間通りに来ない時の働き盛りのサラリーマンの様な顔をしていた。「さっさと行け」との命令口調に、里良が「なにおー!」とぷんすかしている。
そしてみんなで家庭科室へ向かった。
家庭科室に入ってまず目についたのは、一見ただの優男な家庭科教師・日比谷蓮先生でも、何故か優雅なポーズをつけてそこに立っている美術教師・氷室嵐先生でもなく、二人の後ろにある輝くオブジェだった。
オブジェっていうか…。
「……飴細工…?」
何故、一般高校の家庭科室にそんなものが。その飴細工オブジェといったら、一流の製菓専門学校であってもお目にかかれるか、というレベルだ。風菜は思った。まさかとは思うが、さっきの会話はこれを作っていたのだろうか…?
日比谷先生ファンの女子の一人が、オブジェを見上げて声を上げた。「何これ超スゴいー!これ、まさか蓮先生が作ったんですかぁ!?」
そして蓮が「いや、これは」と否定するのを遮って、
「いやはや、お恥ずかしい!見つけられてしまったね!」と嵐がいつもの芝居がかった口調で言った。
「橘先生が熱中症で倒れられて保健室で寝込んでいる、と聞いたものだからね。お見舞いに持っていこうと思って作ってみたのだよ。いやぁ、ナイショにしたかったんだけどなぁ!」
そのわりには、ベラベラ喋るものである。
嵐の口から聞いて、生徒達は口々に「ええー!これ氷室先生が作ったの!?」「美術教師じゃなかったのかよ!」「芸術すげぇー!」と、驚いていた。
みんなの称賛を受けて、嵐はご満悦だ。
もちろん、その波にはミーハー風菜も乗っかった。どさくさに紛れて「好きです!」と言ったのが聞こえたのは、隣にいた翔だけのようだ。
すっかり気の済んだ嵐は、オブジェを保健室に運ぶために慎重に持ち上げた。
「では、保健室に行かねばならないので、ここで失礼するよ。あぁ、そうだ。きっと保健室には嵐後先生もいるから、一緒に美味しく食べてくれるに違いない。きっとそうだ」ひたすらわざとらしいが、むしろ凪に見せるための飴細工であるというのを知ってるのは、本人と蓮と風菜だけである。
「では、諸君。授業頑張ってくれたまえ」
そう言って嵐はウインク一つ残して保健室へ向かったのだった。嵐を見送って、授業がやっと始まる。
「…えぇと、まぁ、あんな感じとまではいかなくていいから、今日はお菓子を作ろうか」
そして家庭科の授業が終わり、次の時間は理科。
学年きってのミーハーを自負している風菜は、先生方のみならず生徒達の間にも変化が起こっている事を発見した。
まず第一に、分かりやすい十川と結城。言葉には出していないが、それぞれ同様に、杜甫と光を目で追っている。(そしてその様子を風菜が目で追っている)
それ以外にも、特に今まで目立っていた訳ではないクラスの男子に見惚れる女生徒もいれば、いつも猫背でだらしない姿勢の男子が女子の気を引きたいのか頑張って背筋を張っている。
学校中がなんだか生き生きとしている様に感じた。まるで文化祭や修学旅行の様に楽しい。
「いいイベント考えるよなぁ、校長も」
「あれ、日向。アンタも思った?」
実験授業のため理科室に向かう道すがら、思わぬ人間からそんな言葉が出てきたので、風菜が聞いた。
「ああ、この、浴衣を着るだけで俺も学校行事に参加できてる感じがするのがいいよな!体育祭や文化祭みたいなリア充パーティーとは訳が違う…オタクも生きていける…」
しみじみと最後の言葉を呟いた翔の目が少しだけ潤んでいた。
…体育祭か文化祭で何かあったのだろうか…。
そんな一日が過ぎていき、昼休みに偶然校長先生に会った風菜は、興味深い話を聞いたのだった。
「浴衣ランキング?」
いつもの様に仲間達と屋上で昼食をとっていた風菜だったが、今は校長とフェンスを背もたれにして話し込んでいた。何やら校長がバドミントンのラケットを持ってやって来たので一緒に遊んでいたのだが、生憎二人とも文化系(?)なので最初の10分打ち合った後は、休憩を称した雑談に花が咲いたのである。
校長は今回のアイディアを「私、天才!」という顔をして話してくれた。
「そう!帰りのHRの前にアンケートを配ろうと思ってるからまだ内緒なんだけどね!明日新聞部が今日の特集組むから、それに載せて貰おうと思ってるんだよ!」
先生・生徒全員にアンケートを一枚渡し、今日一日浴衣姿が素敵だったと思った男子と女子にそれぞれ一票ずつ投票する仕組みらしい。浴衣dayだけで十分お祭りの様であったが、どうやら明日まで祭りは続きそうだ。風菜は舌を巻いたが、呆れたというよりむしろ楽しんでいる。今にもヨダレが垂れんばかりだ。
「ふふふ…藤森くん。そちもイケるクチよのう」
「いえいえ、校長先生こそ」
屋上の片隅が、さながら越後屋の様だった。
帰りのHRで全クラスに発表された「浴衣ランキング」。アンケートに書き込んでいる間、教室内は自ずと私語が多くなった。「誰に入れるー?」
キャッキャと黄色い声ではしゃぐ女生徒達を見ては、アンケートの回収を待つ親鸞は少し顔をしかめた。そんな若さが恨めしいお年頃であるが故に、決して口には出さないが顔には「早く書けよ」と思ってる事がありありと表現されていた。とはいえ、アンケート用紙は親鸞の手元にも一枚来ている。教師も参加する様になっているところが、さすが校長先生発案の企画だな、と思わせた。
さて、親鸞は…
①今後の生活を考えて、やっぱり校長に票入れるべきだろ!ゴマすっとけすっとけ!
②男たるもの、本能には逆らえん。見かけの美しさだけで言えばやっぱり嵐後先生で。
③学校の主役は生徒にあり!本日一番輝いたのは藤森風菜で間違いない!
「…おい。誰だ、このギャルゲーの選択肢みたいなやつを黒板に張り付けたのは…」
「キャッ、バレちゃった!」
「何が、キャッ、バレちゃっただ、藤森!しかもこの③番、一番輝いたのは藤森風菜ってどんだけ自画自賛だ!」
よく見ると、その手のゲームでのカーソルを表す三角矢印が③に付いている。ふざける事に関しては本当に芸が細かい。紙を八つ裂きにしていると、翔の手が上がった。「先生、質問です!」
「おう、なんだ!」「ギャルゲーやるんですか!?」
「どうでもいいだろ!黙って書け!!」
幸せを待つ新任教師が、伝説の木の下で乙女を待って何が悪い。
親鸞自身も誰に票を入れるか決まらないまま、アンケートが集められた。
手元に集まった紙を親鸞がパラパラとめくってみると、女子票はやはり森谷結城に固まっていた。予想通りである。森谷には明日の数学で難しい問題に当ててやる、と親鸞は心に誓った。男子票は見事にバラバラ。暴力保健医の名を書く強者もいれば、自分の好きな子や彼女の名前を書いているリア充もいる。彼女持ちを見せつけられて急に腹が立ってきたので、そいつらには一枚一枚丁寧に唾を吐きかけてやった。(良い教師は真似をしてはいけません)
「お前らこういう行事にはノリがいいのな…。無回答が誰一人いない…藤森にまでの1票入ってやがる…」
「せんせぇ~、それ、藤森に勝手に書かれたんですぅ~」
涙声で翔が言ったが、例えそれがクラスの問題児二人であろうと、親鸞にはただのノロケにしか聞こえない。親鸞は無視した上に、小指で耳をほじった。
酷いぃ~、と翔がしくしく泣いているのを他所に、親鸞はアンケートをトントンと揃えて息を吐いた。里良がそれを見逃さない。
「先生、どうしたんですか?まるで『生徒が全員きちんと回答して提出してるのに、担任が無回答にする訳にはいかないよな…クソ、何でこいつらこういう時だけノリいいんだよ、一人くらい無回答で出せよクソガキ共が!』って顔ですよ」
「そこまで思ってない!!失礼な!」
「まだ書いてないなら書いてあげるぅー!貸して!」
「お前に書いてもらうくらいならいっそ無回答で出した方がマシだ!」
里良に任せたら何を書かれるか分かったものではない。その時、親鸞の頭に天啓が下った。アンケートなんだから、自分の名前を書いて提出すればいいじゃない!回答者の名前は書かないんなら、自分で自分に票を入れたとはバレないはず!
生徒達と帰りの挨拶を済ませ、クラスが空っぽになったのを見計らって、親鸞は自分が出来うる限りの力を使って、女子らしい丸字でアンケートに自分の名前を書いた。自己満足だが、どうせなら女子からの票をもらいたいという、ささやかな願いだ。そして、しれっとした顔でそれを校長室に持っていったのである。
次の日、青嵐高校学校新聞が配られた。
ミスター浴衣は、氷室嵐先生。どこのグラビアアイドルか、と言いたくなるポーズで写真に写っていた。
ミス浴衣は3年生女子だ。小さく載っているインタビュー記事によると読者モデルをやっているそうで、道理で写真も堂に入っている。
因みに気になる1-Dのモテ男・森谷結城は堂々の5位。全校アンケートでこの順位に入るのだから、この半年で何故そんなに人気が出たのか、本人も首を傾げている。
やはり親鸞も教師とはいえ男。自分の順位が気になる所である。教室で、生徒達と一緒になって自分の名前を探した。
しかしそこは学校新聞。限られた紙面で、全生徒と全教師の名前が載せられるスペースも無いわけで。
《スペースの都合上、発表を50位までとさせて頂きます。》
むしろ限られた放課後数時間だけで50位まで順位を割り出した事に、新聞部に拍手すら贈りたい気持ちだが、親鸞は複雑な心境だった。
「あれ、他の先生みんな50位に入ってるのに、カトリンいなくね?」
里良は言ってから、十川に「バカ!シー!」と人差し指を立てられた。その気遣いがまた、大人として胸に刺さる。そうなのだ。教師は全校生徒と何かしら関わりは多いのだから、票は自然と集まりそうなものなのであるが……。
それから数十年、親鸞が夏に浴衣を着ることは無かった。