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佐々木莉加と秋晴れの空

あー、あー。うんうん、いいカンジ。

喉の調子は良好。

ぬくぬくしたお布団から両手を伸ばしてみる。

んーん。ちょっと本調子じゃないけど、これは昨日の夜更かしが原因だろう。承知の上だ。

せーのっ!

心の中で自分を鼓舞して、お布団ごとベットから脱出する。ドサッと掛布団が落ちたけど、気にしない。

壁に掛けてある、三年生目の付き合いになる制服。君も今日で最後の文化祭だね、って。

悲しい?

そう、かな。悲しいかもしれない。

でもでも、それだけじゃない。楽しい。今年はきっと素敵な文化祭になる。

文化祭が終わってしまえば、受験勉強はが本格化する。つまり、この文化祭は、私にとって、高校生活のフィナーレなのだ。

フィナーレは、きらびやかに。そして楽しく、最高に!

絶対になる。そんな予感がする。

私の予感は当たるのだ。

スキップ混じりに窓に近づく。まだカーテンをで閉ざされた空を、一気に解放してやる。

少しばかりの光に目を細める。少し慣れれば、空が灰色の雲に閉ざされているのが見えた。確かに、昨日の予報では良い天気とは言っていなかった。文化祭実行委員会、最後の集まりで、みんなの顔まで曇っていた気がする。

曇り、時々雨、かぁ…。

「どこが?」

首をかしげる。

快晴、快晴じゃない!

秋晴れ!




「おっはよー!」

集合時間ちょっと前に、たたたっと登場する。

「先輩、おはようございます。もう準備しますか?」

ああ、後輩ってかわいいなぁ。

各クラスが模擬店やらクラス展示の準備に追われている中、集合場所のここ、倉庫の前だけは、どこかさっぱりとしていた。そこに、目の前の後輩と、他にも見知った顔がたくさん見えた。同期は、まぁゆっくり来るよね。私は割と早い方だ。

「んー、まだ鍵もらえないだろうから、もうちょっと待ってて」

「それには及ばないよ」

里見先輩!

後輩ちゃんの雰囲気が、ぴっと張りつめた。

「もう鍵、借りてきちゃった」

ふわふわとした、ゆっくりとした足取り。時間外に鍵を借りてきたにも関わらず、まったく悪びれた様子もない。

後輩ちゃんに鍵を渡して、数人を付けて、準備に行かせた。

 私はそれを見届けて、彼に向き合う。

「博秋くんだ、おっはよー。さすが実行委員長。朝早いね。もしかして一番?」

「どうかな? 俺は職員室から放送室を経由してきたら、ここには今初めて来たんだ」

「そかそか」

分かりづらく茶色に染まった髪。ぴょこぴょこと跳ねているそれは、毎日セットしているのだろう。今日もきちんとそれらは跳ねている。

 決して着崩しているわけではないのに、ゆるゆるとした雰囲気を感じさせる。おおらかで、すべて受け入れてしまいそう。でも、どこか深入りさせない不透明さがある。

「今日で最後だね」

「文化祭のことかい? なにを言っているんだ、明日もあるじゃないか」

 私は、そんな彼を心底気に入っていた。

「まあ、そうなんだけどさ」

 へらり、と笑ってみせる。わかってないなぁ。

 博秋くんと私は、同じクラス。生徒会長と文化祭実行委員の関係。文化祭がなければ、はっきり言ってただのクラスメート止まりだったと思う。今だって、彼からしてみれば、私なんてたいした存在ではないだろう。あんまり思いたくないけど。

「あ、ねえねえ。今日はどんな感じ? 暇な時間ある?」

「んー、どうだったかな。お昼前ならちょっと時間あったかな」

 お昼はその時間に食べなくちゃね。

 じゃあ。

「私もどうせ暇だから! 一緒に回ろうよ! 昨日、行きたいお店リスト作ったからさあ」

「莉加、お前その時間見回り入ってなかったか?」

「ええー? なんで知ってんの! いいじゃん、見回りくらい!」

「ダーメ」

「ケチ! じゃあ見回りしながら! 食べ歩きしよ!」

 ええー、と困ったように笑う博秋くん。

 知ってる。こんなこと言いながら、結局は付き合ってくれるんだ。

「ほら、みんな帰ってきたよ。俺らも手伝おう」

「うん。じゃあ、生徒会室の前に集合ね」

「え」

 文句なんて言わせない。

 私は笑顔で後輩の手伝いに向かった。




 校門のアーチ、受付からはじまり、廊下、看板、掲示板の装飾…。後輩たちが、打ち合わせ通りに飾り付けていくのを見て、胸がいっぱいになった。

 たまにアドバイスを求められたり、指摘をしていくと、揉めに揉めた会議の日々を思い出す。

 あんなことも、こんなこともあったなぁ…。

 泣いている後輩を慰めるためにジュースを買ったり、帰りに博秋くんを連れてコンビニに寄ったり、噛み合わない意見をなんとかまとめたり、愚痴を漏らしに博秋くんを連れてファミレスに寄ったり、博秋くんと購買に寄ったり…。

「うわああああ…!!」

 違う! 違うの!

 なにが?

 知らないわよ!

 パチンッ!

 思い切り頬を両手で打つ。

 ちょっとひりひりする。

 痛いのは、物理的なものだけじゃない気がするが…。

「佐々木、先輩…?」

 そんな目で見ないで。




「莉加」

 生徒会室前。博秋がのんびりと人混みをすり抜けて来る。

「遅い」

「しょうがないじゃないか。わかってるだろう?」

 わかってる。けど、どうにも八つ当たりがしたかった。

「ほっぺ赤い?」

「気のせい気のせい」

「そ? ああ、これ、どっちがいい?」

 差し出されたのはタピオカ入りのジュースがふたつ。オレンジジュースとミルクティ。

「……ありがと」

 いつだったか、タピオカ屋さんに引っ張って行ったことがある。その時、博秋くんはタピオカを食べたことがなかったらしくて、どれがいいかな?、なんて私に聞いてきたのだ。

 明るい、太陽みたいなオレンジに、カラフルなタピオカが散っている。それが博秋くんみたいで、無難にオレンジジュースは?、と答えたのだ。

 私はミルクティをもらった。

「やっぱり」

 博秋くんが笑う。

 確か私は、あの時ちょっと辛いことがあって、砂糖の甘さがほしかったんだ。だから、ミルクティを選んだ。混沌とした濁りに、黒がいくつも沈んでいるのが、私みたい、だなんて思っていた。

 覚えて、くれてた、のかな?

「あと、おまけ」

 手を差し出されて、とっさに私も手を出す。

 拍子に、手の中のミルクティが波打った。

「チョコレート。文化祭初日、頑張ろう!」

 おー! と張り切る姿は、生徒会長のそれじゃないけど、ぽつ、と明かりが灯った気がした。

 片手にミルクティ。もう片方にチョコレート。

 いっぺんに食べらんないよ。

「頑張ろうー!」

 私も、おー!、って言う。

 博秋くんの背に回って、力いっぱい押す。

「よし! 最初はクレープね!」

「いくつ回るつもり?」

「全部!」

「回るリスト作ったんじゃないの?」

「予定変更! 行くよ!」

「ええー…、ねえ、見回り忘れないでね」

 空は曇ったまま。でも私は最高に浮足立っていた。

「あったりまえじゃん!」

 本日は、快晴なり!




 焼きそば、お好み焼き、スープ、パンケーキ、焼きそば、焼き鳥、また、別の焼き鳥…。

「食べ過ぎじゃない?」

「まだまだ!」

 片手にタピオカドリンクを残したまま、私は大いに文化祭を満喫していた。移動中にタピオカ。買ったら、タピオカを博秋くんに一旦渡して、買ったものを食べる。返してもらう。移動。飲む。の、繰り返し。

「持ってー」

「はいはい」

 こうして嫌な顔せずに受け取ってくれるんだし、博秋くんの扱いはこれでいいのだ。彼だって、私の扱いは分かっているはずだ。

「おお…おしるこなんてどんなもんかと思ってたけど…いけるね!」

「へえ」

「白玉がでろでろになってるけど、そこは仕方ないよね」

 でろでろ~。と身体で伝えてみると、博秋くんは声を出して笑った。

「でろでろ~」

「ちょッ…、それやばい…」

 クックッと笑ってくれるのが嬉しくて、しばらくやってみた。

 博秋くんの腹筋を痛めたところで、お互いに携帯をチェックした。

 生徒会長と装飾班長として、なにかが緊急事態が起こっていないか、常に気を張らなくてはならない。装飾なんて、滅多に事件は起こらないだろうけど、会長の博秋くんと一緒に、それっぽいことがしたかった。

「うーん」

 なにやら、博秋くんが携帯を見ながら首をひねっている。眉もくてんとしていて、困った雰囲気ではあるのだが…。明らかに嬉しそうなのだ。口角が上がっている。

 なんだなんだ? 私というオンナがいながら…。いや、別にそういう関係じゃないんだけど。

 じゃあ、彼のお相手は?

 気になる。だから聞いてみることにした。なるべく自然に。

「なーに? 彼女? 彼女?」

「なんで二回言うのさ。イヤミかい? 俺に彼女いないの知ってるだろう?」

「いや、からかっただけ」

「ひどいなあ」

 ずっと笑いながら答えてくれた。彼女がいないのは知ってる。博秋くんは、明るくて、男女共に友達も多いし、顔も広い。だから『みんなの博秋くん』っていう印象が強い。ただ、本人は、広く浅い人間関係、っていうのを意識しているのか、親友みたいな人はいないように思う。例外は、あの弟くんくらいだろうか。

 そうこうしている間に、博秋くんのお悩みは解決したらしく、携帯をブレザーのポケットに入れてしまった。中のペンやらメモ帳やらとぶつかる音がした。

「さて、そろそろ図書館に行きたいんだけど…どうかな」

 珍しく、博秋くんが主張した。

 周りに合わせたり、意見を調和させたりするのが得意な彼は、自分の意見を言わない。いつも一歩引いている。

 だから、私は嬉しくて、嬉しくて、必要以上の声で「うん! 行こう!」と言った。




 校舎の、奥の奥。邪魔されないようにひっそりと存在する扉は、図書室につながっている。

 ちょっと古くなった電気の下をふたりでくぐって、静かなそこにたどり着く。

 博秋くんがドアを開けて、目的はすぐわかった。

「しゅーん!」

「帰って」

 この辛辣な弟さんだ。

 弟さん、もとい、里見俊くんは、正真正銘、里見博秋の弟。今は高校二年生で、私たちのひとつ下に当たる。

「なんだよ、つれないなぁ。お兄ちゃんが仕事の合間を縫って会いに来たというのに!」

「別に頼んでないから、仕事戻ったら」

「ひどい! 冷たい!」

 持っている冊子に視線を落したまま、抑揚のまったくない言葉をぶつけていく俊くん。そんな言葉に博秋くんは、自分の身体を自分で抱いて、クネクネと動いている。あれで悲しみを表現しているつもりなのか。

 こんなにも対照的なのに、お兄ちゃんは立派にブラコン患者だ。兄弟ってよくわからない。

 でも、

 いいなぁ。

 ………。

 かたんッ。ぼうっと兄弟を見つめていると、視界の外で音がした。音の正体を視界に入れる前に、博秋くんが声をかけた。

「やあ、図書委員の仕事かい?」

「……はい」

 黒い女の子だった。いや、藍色かな。どっちにしろ、明度の低い印象だった。艶が強くて、真っ黒な綺麗な髪は、しかし大きなウェーヴを描いていた。それを適当に、無造作にサイドテールにしている。

 誰だろう? 制服のバッチを見る限り、一年生…?

 その一年生は、力のない目で博秋くんを見返していた。片手には、指を挟んだ文庫本。

「なんの本だい?」

「……この間のやつです」

「ああ、俊のお気に入りだね」

「えと……はい…」

 ちょっと一年生の声が小さくなった。

「図書委員の仕事はいいのかい」

「人が来たら、します…。今はいませんから…」

「俊と話してたのかい」

「……まあ…」

 博秋くんの、よくよく回る舌。

 一年生の返事は、淡々としてるけど、腰が引けてる。

 俊くんは、無言でなんかの冊子を読んでいる。

 私は、ただぼーっとタピオカドリンクをすすった。

 図書館でこの行為をしていいかは、さておき。

 ずずッ…。あ、音鳴っちゃった。

 空になった容器をぶら下げて、きょろきょろとあたりを見回すが、元々活字の苦手な私には、どうにも居心地が悪かった。

 隣で永遠と続けられる、博秋くんと、名前のわからない一年生の会話だけが、むなしく耳に入る。

「俊くん、外、出ない?」

 なんだか、悲しくなって、むくりともたげた、名前を付けたくない、この気持ちを、どうにか別の形で、誰かになすりつけたくて。

 俊くんは、特になにも言わず立ち上がってくれた。

 相手が先輩だからかな。

「いいですよ。ちょうど、なにか食べたいと思ってたので」

「おお、いいね。なに食べようか。博秋くん、私に付き合って全制覇してくれるって約束したのに、どーしても俊くんに会いたいからって」

 ちょっと、声を大きくして言ってやった。

 俊くんが、カウンターからこっち側に回ってくるまでに、ちらりと博秋くんを見る。

 彼はたいした表情をしていなかった。「あ、出かけるんだ」みたいな。

 一年生は、じっとこっちを見ていた。目に力が入っている。

 私は、なんとなく察したけど、察してあげなかった。

 ふたりで、図書館を出た。


 ところで、少し時間を戻す。

「あ。ねえねえ、お菓子掴み取りだって!」

 私は、ホットドック片手に、博秋くんと各展示教室を転々としていた。

 私が指さした先には、児童文学研究会とやらが、展示のおまけにやっている小さなコーナーがあった。一回十円で、箱の中の駄菓子を掴み取りできるらしい。

 明らかに子供向けのコーナーである。私も、別にやりたいから声をあげたわけじゃない。話題のひとつに、程度だった。

 それなのに、博秋くんは喜々として挑み、見事大量の駄菓子を手に入れた。

 おとなげない。

 小さなビニール袋いっぱいに入ったお菓子を抱え、満面の笑みを浮かべた部員に見送られている。

「……わあ、たいりょうだね…」

 私が言うと、彼は得意げに鼻を鳴らした。

 違う、違うよ、生徒会長。思い出して、あなたの立場を。生徒会長。

「……ふふ」

 でも、こういう子供っぽい一面が、また、いい。憎いくらい。

「……ふへへへ」

「あれ? どうかしたの」

「いや、別にぃ? ……えへへへへ」

 博秋くんは、首をこてっと傾ける。

 ううん、良い。

 背は高いから、どうにもお菓子が似合わないけど。

「お菓子…」

 じい、っとお菓子を見つめる。念を送る。むむむ。

「莉加」

 お?

「ちょっとごめんね」

 携帯かい!

 誰か、私の気持ちがわかる人はいるだろうか。そして、この気持ちをどう処理すればいいか教えてほしい。

 だって、ほら、きっと、携帯の向こう側には…。


「先輩、どこ行くんですか」

 俊くんが、図書室を出てすぐに、足を止めた。

 先を歩いていた私は、動きを止めたものの、すぐに答えられなかった。

 空が、うんと暗くなっていた。雲が近くに降りてきている。ああ、装飾どうしようか、なんて、他人事のように考えた。

「…そうだなぁ、俊くん、どこ行きたい?」

「……特には」

「おなか空いたって」

「まあ…でも、急ぎじゃないですし。僕ら、暇なんで」

 僕、ら。

「先輩は、どうしたいんですか」

「ええ?」

 どう、って。

 ほら、今からお昼ごはんを買いに行くじゃない?

 博秋くんと行きそびれたお店を回るじゃない?

 なんなら、俊くんとお店を制覇してもいいんじゃない?

 俊くん、と。


 一年生の、あの子の顔がチラついた。


「……あの子」

 口が、固まってしまった。これ以上は言えない。

 俊くんが、後ろで考えている気配がする。恰好悪いなぁ、後輩の前で。

「一年の、内藤さんです。兄とは、ちょっと前に知り合いました」

 とても簡潔に、ひとこと、内藤さんのすべてを語ってくれた。

「そっか」

 なるべく明るく答えたつもりだけど、どうかな、自信ないな。

 ああ、おかしいなぁ。朝はあんなに気分がよかったのに。なんなら、つい数分前まで、夢のようだった。

 窓越しに、空を見上げる。空気が湿ってきているように見える。

 窓の外は、あんまり人が通らない場所だからか、葉を随分落した木々が、肩身狭そうにそこにいる。

 ぽつん、ぽつん。博秋くんとの思い出が浮かんでは、沈んで見えなくなっていく。

 なにこれ。

「あっ」

 俊くんが、声をあげた。

 ちょっと珍しくて、瞬きして外を見た。

「あめ」

 土砂降り、ってわけじゃないけど、割と大粒の雨が、強く窓を叩いている。雨粒は、ガラスにぶつかると、ずるずるとそれを伝って痕を残した。

 その光景を、なんとも言えない気持ちで見つめた。

 次に身体が動いたのは、私の携帯が着信音を鳴らしたのと、博秋くんが図書室を飛び出してきたのと、同時だった。

「莉加! 行くぞ!」

 携帯を片手に、真剣な顔で。

 私は、きゅっと唇を結んで答えた。

 俊くんに謝って、博秋くんと廊下を駆け抜ける。

 隣に並んだ時に、なにかを確認するように、頭を叩かれて、泣きたくなった。

 泣くなんて、悔しくて、背中を思い切り叩き返してやった。

「よーし! 博秋くんもこっち来てよね!」

「え!?」

「高いとこ、ビニールかけらんないから! ほら、来てよ、身長!」

「いや、俺、全体の」

「いいから! 行くよー!」

 泣くなんて、悔しかった。

 いつも通りのつもりだけど、バレちゃわないかな。いや、きっと気付かない。彼はそういう人なのだから。だから今、私はこんなんになっているんじゃないか。

 泣くな、泣くな。

 雨の勢いは増していく。

 元々、なんとも空しい夢だったじゃないか。

 いつも話してるのは、私で。

 いつも振り回すのは、私で。

 初めて見た。あんなに積極的に人と関わろうとする姿。

 あんなの、無理じゃないか…。

 校舎から飛び出し、雨粒をかぶる。

 後輩にはすでに指示を出したから、あとは私たちが手伝えばいいはずだ。

「それ」

 顔に張り付いた前髪を払いながら、博秋くんがいう。

「え?」

「捨てなくていいの」

 私が持っていたタピオカドリンクのゴミを指していることに気付くには、少しかかってしまった。俊くんと外に出たときに、ついでに捨ててこようとして、そのままだったのだ。

 捨てなきゃ。

 ゴミ箱を探して辺りを見回す。見当たらない。

「あとで捨てるよ、早く行こう」

 とりあえず、今は私が行ってあげなくちゃ。

 でも、博秋くんは動かなかった。

「どうしたの」

 なんだか、そこからの彼の動きは意味がわからなかった。私からゴミを奪い取って、目的地と反対方向に走りだそうとしたのだ。

 いやいやいや、待って、待って!

「待って!」

 なんであんたが行くんだ! 行かれたら、本当に身長的問題で困る。私含め、装飾の子たちは身長が高い方ではない。困るから、追いかけた。

 腕を掴んで、引っ張った。

「え? どうしたんだい、早く装飾…」

「博秋くんも来て」

「いや、でも」

「身長、男手、ほしいから」

「別に、すぐ追いつくよ。これくらい」

「いいから! 一緒に来てよ…」

 最後の言葉は、とても頼りなくなってしまった。なんで私が、こんなに必死になっているか、わからなかった。

 ただ、ぐいっと腕を引っ張った。

「向こうに…あるかもしれないじゃん? 行く途中で捨てるから、一緒に、来て」

 たかがゴミひとつで、なんでこうなったんだろう。

「お願い」

 雨、降るなぁ…。

「莉加…?」

 博秋くんは、困っているようだった。私はうつむいていたから、表情がうかがえないのだ。

「わかったよ、わかったから」

 なんだか、子供に言い聞かせるような声音だ。

「ん…」

 それを聞いて、力が抜けた。

 雨音が、耳に入る。

「行こう」

 彼の腕を掴んでいる私の手を、そっと取って、今度は博秋くんが私を引っ張る。

「大丈夫だよ」

 顔を上げた。

 彼は、すっかり困り果てたような表情をしていた。

 私は、そんな彼にすがるように見返した。

 どうしようもなかった。

 だめだった。


 なんともまあ、大げさに思ったものだ。

 中夜祭(文化祭初日の夜にやるイベントで、ミシュランとかの表彰をやったりする)の観客を誘導しながら、私はため息をついた。

 と、いうか、なに、あれ。すっごい恥ずかしいことしたんじゃないの、私!

 血の気が引いて、咄嗟に頭を抱えた。一緒に誘導していた後輩に、変な視線を送られた。ごめんなさい。

 ちなみに、あれから雨はあっさりと止んだ。

 装飾は保護して、また降った時のためにそのままにしておいたけど、結局、降らないまま今を迎えている。

 博秋くんは、すぐ後のお昼の放送に出演するから、別れた。私も私で当番があったから、予定通りだった。

 お昼の放送を聞きながら、2杯目のタピオカドリンクをすすった。

 相変わらず、おちゃらけたキャラクターで、共演者や、道行く人たちを笑わせていた。彼はこうやって、いろんな人から好かれているのだ。「あんな顔」、知るわけもない。

 雨の中の、あの表情を思い出して、なんだろう、背徳感というのか、そういうのを感じた。

「でも恥ずかしい…」

 ううん、ううん、と唸った。

 そんなこんなで、あらかた誘導も終わり、あとは始まるのを待つのみ、となった。ここまでくれば、私たちもイベントをゆったりと見ることができる。

 が、素直にことは進まない。

「え、博秋くんがいない!?」

 いろいろあったからか、ちょっと怒鳴ってるみたいになったかな。後輩ちゃんが申し訳なさそうにうつむいた。

悪いのはあなたじゃないのよ。

 私はすぐに彼の居場所を考えた。考えるまでもないだろうが。

 少し人混みを見渡せば、反対側の端っこに、俊くんが見えた。もちろん、おちゃらけ野郎も一緒に。

 呑気な…。

 私は、思うより先に、彼の元に向かった。ざわめきをかき分ければ、一年生…内藤さんも見えた。

 喉の奥が、ぐっと締まったように感じた。

 負けちゃいそうだった。

 冷静になれば、仕事だからなにも悪くないと、そう思えるのだけど、でもやっぱり、罪悪感が生まれる。

 楽しそうだから、彼が。

 頭の中に、何人も私が出てきて、「でも」とか、「やっぱり」とか、言い訳やら建前やらを吐き出して、パンクしそうになる。

 人混みに吐き気すら覚えてきたところで、やっと彼の腕を掴むことができた。

「莉加!?」

「早く戻って! 生徒会長! まったく!」

 思いっきり引っ張ってやると、案の定駄々をこねた。

「ええ~、まだ俊と一緒にいたいよ~」

「気色悪いこと言ってないで早く行って」

「ほら、俊くんもそう言ってるでしょ!」

「ええ~」

 博秋くんが、内藤さんを見る。彼女は戸惑ったように視線を泳がせた。

 どきり、として、また喉の奥が締まった。

『大丈夫だよ』

 彼の言葉だ。大丈夫。

 大丈夫。

「ほーらー! 早く!」

「いたたた! なんかいつもより強くないかい!?」

「いつも通りですぅ」

 人混みをもう一回かき分けながら、私の心はなんとも晴れやかだった。

 空を仰ぐと、さっきの雨がうそのように、すっきりとした空が広がっていた。

 大丈夫。

 快晴! 本日は秋晴れなり!



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