上
青年と少女との出会い。雨の中での仔犬救出。
これは、その翌日のお話の記録である。
それでは、第二話のはじまりはじまりぃ~。
降水確率2%「雨男と徒然なる来訪者」
わんわんわんという仔犬の鳴き声だけが響き渡るとある客間。
テーブルを挟み、互いに対面する両人はひたすらに無言を貫く。
わんわんわん。
空気も読まず仔犬が元気良く動き回る度に、両者の間に置かれた湯飲みの中の水面が揺れる。
静寂が耳に痛々しい。
と言うか…… 青年! 空気が重いぞ! 空白が辛いぞ青年!
だがやはり、そんな静寂を破ったのは他でもない、件の少女の方だった。
「さて。どうして私がやって来たのかは、わざわざ言わなくても分かる運命よね? 左雨君」
「あの… ハイ」
「一応言っておくけど、昨日の出来事を私なりに私の目で改めて判断するためよん」
「ハイ… だと思いました」
「今日はやけに塩らしいのねぇ。昨日の勢いはどこへ行ってしまったのかしらん? それとも、昨日あの後速攻で姿を消した事… 逃げた事を反省している運命なのかしらん?」
「逃げるというか、なんと言うか。むしろそれ以前にですね。その… 一晩置いて冷静になってみると… 同級生の前で、ド偉い事をしてしまったな、と。思いまして」
「そうね。私以外だったらどうなっているか分からない運命だったわよ。良かったわね、相手が運命に対して紳士的な私で。因みに、あなたの家の場所は職権乱用して突き止めたわ。繰り返すけど、あなた、昨日はあの後いつの間にか居なくなっちゃうんだものも。詳しい話も聞けないまま…。文句ある?」
青年は思った。
勿論、文句何て幾らでもある、と。だが、口が裂けても言える筈もない青年はひたすらにだんまりを決め込むのであった。
「一、風紀委員として。私はこの頭と耳と目で… この風紀委員長《晴模様命》は、公正公明な判断を下したいの。だからこその制服姿よ」
本日は土曜日。
青年の学園も当然お休みである。にも拘らず少女は制服姿。つまり、風紀委員長としての立場で、昨日の青年の行動、姿を断罪もしくは糾弾するつもり… なのかもしれない。
あぁ、これはもう、青年のピンチなのである。
「ねぇ、左雨五月雨君。詳しく話して戴けるわよね?」
そんな彼女に対し、目の前の自分で淹れた緑茶をぐいっと飲み干した青年は、大きな溜息をひとつついた後、諦めたように語り始めるのである。
「どこまで喋りゃお前さんが納得してくれるかは分からんが。まぁ、簡潔に話すよ。逃げ場も無いし、今は一人暮らしで助けも来ないし」
「グッド。良い心掛けね。それで?」
「そうだなぁ。何から話すべきか… まず、俺は極度の雨男体質だってのは、どーせ更科から聞いたよな?」
「ええ。加えて、不良体質でどーしょもない問題児だから更生してやってくれって、更科さんからは情報を受けたわ」
「あの野郎… いつもの悪戯にしちゃ今回は度が過ぎるぜ。後でおしおきだな」
「更科さんを閻魔も震える地獄の業火の奈落の底へ突き落とす話は後でいいわ。それより続きを」
「そこまでは言ってない。むしろお前さんのその思考が怖いんだが?」
ゴホン。
青年の紛い物による睨みなどではなく、少女による本物のメンチを受け、青年は小刻みに震えながら事細かに説明したのだった。
ダサい。ひたすらにダサいぞ青年。
そして、青年の震える口で語られること30分。
「成る程。首に何かを巻くと必ず雨が降る、か。それでネクタイも巻けないって事。俄かには信じられない話ね」
「普通はそうだろうな。しかも今は梅雨の時期だし。確かめるのも難しいだろうさ。こう毎日雨に降られてちゃ。そして、この事実を知るのは世界に四人。恩師である法楽教師姉妹と、腐れ縁の更科。そしてお前さんだ、風紀委員長殿。後の連中は知っていても、せいぜい俺が極度の雨男体質だって噂を聞いた程度だろう」
「良く分かったわ。でも、それだけじゃないわよね、左雨君。それだけじゃ、昨日の《キツネ》の件の説明には全然まったくこれっぽっちもならないものね?」
蛇に睨まれた蛙。その言葉をこれほど的確に表した状態がかつてあっただろうか? 哀れ青年に逃げ場は無いのである。
「でスよねぇ。あーあ、ついつい場の流れに呑まれちまった俺が悪いっちゃ悪いんだよなぁ。でも、こいつを…《小雨》を見殺しにはやっぱ出来なかったんだよなぁ」
そう言って件の仔犬、雑種犬の仔を抱き上げる青年。それに応じるようにして、件の仔犬もペロペロと青年の顔をなめ回す。
「あら。もう名前を付けたのね? 自分の名前から一文字を取ってつけるなんて、よっぽど愛着が沸いてしまったのかしらん?」
「まぁ、犬派か猫派かと言われれば俺は断然犬派だよ。それにほら、こいつ、どこか俺に似てるだろ?」
「そうね。常にぶるぶる震えているところとか特にそっくりね。それより左雨君、私は話の続きを期待しているのだけれど?」
「むー。やっぱごまかしきれんか。まーね、風紀委員長殿の言いたいことも最もだ。究極的な雨男体質だけなら、60億人の住むこの地球の中にはそういう星の下のめぐり合わせの人間だっているだろうさ… で済まされるかもしれない。けど、制限があるとはいえキツネに変身出来る人間なんて、それはもはや、人間と言えるかどうかすら怪しいもんなぁ。どう考えても異常だよ、異常」
「ちょっと待って左雨君。一番重要なことが抜けているわ。あなたの正体は… そもそもどちらなの? キツネが化けた人間じゃないの?」
「言ったろ? 俺はれっきとした人間だって。雨男体質も、このキツネへの変身能力も、俺にとっては《呪い》なんだよ、多分な。両親は至って普通の人間だし、雨男体質もなければましてやキツネの力なんて無い。ってか、両親は俺の雨男体質すら知らない筈だぜ」
「ふむ、両親は普通の人間か。それじゃあなたは、自分自身で何故そんな体質&力があるかも分からないって言うの?」
「そうだな。情けないことに。あぁ、因みに俺のこのキツネ変身能力は雨の日限定なんだ。何でキツネなのかは自分でも知らん。俺自身に雨男体質があるって分かってから、いつの間にか出来る様になったんだ。ま、滅多に使わないがね。わざわざ変身する意味も無いし。だからこそ、これを知ってるのは更に少なくなって世界でたった二人だけ。中学時代の恩師と、お前さんだけ」
そう言って大きく溜息をつく青年。
ここまでは少なくとも青年も少女も冷静である。けど、問題はこれから。少女がどういった結論を下すのか。それによって青年のこれからの人生は大きく変わってしまうのである。
「それで… 左雨君。あなたは、これからどうしたいの?」
「言ったろ? 俺にとっては呪いだって。当然呪いから開放されたいと思ってる。最も… 少し前まではこのままでいいかもしれないと思ってたよ。けど、こんな俺を今でも心配してくれる、応援してくれる人物がいる以上、やっぱり俺は変わりたいと思うようになったんだ」
あぁ、青年…。
よく言った!
よく言った青年!!
頑張れ青年。そうだ、その心意気だ! 素晴らしいぞ青年! その気持ちされあれば、きっと、青年の未来は輝きに満ちている筈だ!
…… と、言いたい所だが、現状その運命の手綱を握るのはたった一人の運命論者の少女だったりするわけで。全てを言い終えた青年は、少女の審判を静かに待つのであった。
「運命とは残酷なものね、左雨君」
「まーね。一言で言えば世知辛いよ。二言で言えば、ネクタイ巻けなきゃ就職も出来ない世知辛い世の中って事。キツネとして大自然の中で生きていくってのも、ちょっとな。犬や猫ならまだしもキツネだぜ? キツネ。想像できんよ」
「うん… 決めたわ。一、風紀委員長として… あなたの更生に最後まで付き合ってあげる。歓喜なさい、初志貫徹よ、左雨君」
「ほ、本当か? 俺のこの体質《呪い》のこと、皆には黙っていてくれるのか?」
「安心なさい。風紀委員長に二言は無いわ、左雨君。黙るどころかあなたのその呪いからの開放、その手伝いもしてあげるんだから」
「おぉ! 大判振舞いだな! 流石は風紀委員長殿だぜ」
「ふふっ、そうでしょうそうでしょう。あてのない呪いからの開放、難易度の高い約束。なんという試練。なんという過酷な運命なのっ! あぁっ… センキュー神様!」
イエッス!!!!
人格はともかくとして、こうして風紀委員長からの協力を取り付けた青年。一人の女性に秘密を打ち明けるまで成長した青年。ここまで来たら青春の夜明けはきっと近いぞ、青年!
「それで、風紀委員長殿」
「待った。私とあなたはもう一蓮托生。他人ではないわ。いつまでも風紀委員長殿なんて水臭いと思わないかしらん? そうね… 私の事は命と呼んでいいわよ」
「え、呼び捨て? しかも下の名前? いや、それはちょっと気恥ずかしいというか、なんというか」
「へぇ? 私のお願いが聞けないのね」
「おまっ、風紀委員長ともあろうものが生徒を脅す気かよ」
「風紀委員長は関係ないわ。一、同級生として。同じ学園の同級生としてお願いしているだけ。でしょ?」
「………… ハイ了解しました。ミコトさん」
青年は実にいい顔でそう言った。
ああ、何だろうこの嘆かわしい関係は。けれど、同級生の女性を名前で呼ぶなどこれまでの青年からは考えられない進歩であるのも事実。順調に階段を上っているぞ、青年! 滑り落ちないようにゆっくり確実に昇って行くんだぞ!
「ま、今はそれで良いわ。それより、あなたの体質についてなにかヒントになりそうな事で思い浮かぶ節は無いのかしらん?」
「無い。何も無いぞ。そもそもあれ、何キツネかも分からないし。図鑑に載ってるのかも怪しいな」
「だと思ったわ。あなた、自分のことなのだからもう少し真剣に考えなさい。本気でキツネとして生きたいの?」
「それだけは嫌であります」
「私が思うに。やっぱりキーワードは《雨》と《狐》よね。この二つが別物と思えないわ。雨と狐の関係性。相関関係。共通項… 面白くなってきたわ… センキュー、神様! ってとこね。それにしても、今更だけど左雨君」
「何だ、委員ちょ… ミコトさん」
「狐に変身できるとはいえ、泳げもしないでよく川になんて飛び込めたものね」
「あぁー、そうだなぁ。なんと言うか、応援されているような気がしたというか、そうしなきゃいけないような気がしたというか」
「ふぅ~ん。因みに私は全然応援していなかったわね、むしろ呆れ果てていたわ。それはそうと五月雨君… 明日は日曜日ね」
「きょ、今日が土曜日なら必然的に明日は日曜日でしょうね」
「宜しい。ならばちょっと私に付き合ってもらいたいのだけれど… まさか文句は無いわよね?」
「あ、ハイ」
休日に男女二人が揃ってお出かけ。人はそれをデートと言う… 人はそれを、デートと言う。
大切な事なので二回言いました。つまりはそういう事。青年、これは冗談じゃなく、紛れも無い青春。
今、目の前の階段を昇れぬ者に、その更に先にある段階は決して昇れない…… ファイトだ! 青年!
◆
「ハァイ。私より先に到着しているなんて、とても良い心掛けよ。五月雨君」
「いやいやまぁ。あはははは。ぶっちゃけですね… 伊達にデート初心者じゃないのですよ、俺は。何気にですね、人生の一大イベントといいますかですね」
「大げさね。その使い慣れない敬語と、そのいつにも増して充血しきった眼つきは一体なんなのかしらん? 大方、緊張し過ぎて眠れなかったってところ?」
イグザクトリー、その通りでございます。青年は、見た目に反してどこまでもピュアなのである。そして集合時間の3時間前にはここにぽつねんと突っ立っていたのである。どうか、どうかそこだけは、評価してあげてほしいのである。
「あの~、男の俺がこういう事を言うのもアレなんだか。今日はどこに行く予定なんだ? 俺、緊張しすぎてマジで何も考える余裕無く来ちまったんだが」
「安心なさいな五月雨君。あなたに気の効いた運命など一ミリも期待していないのだから」
「あ、そうなの? そりゃ良かったぜ、一安心だ。俺、今日はすがすがしいくらいに何も考えてねーから」
青年。それは単に馬鹿にされているんだという事に何故気が付かない!? 断じて一安心などしている場合じゃないぞ!
「そうね、実際私もそこまで考えていたわけではないけれど。普段のあなたを見れば謎を解くきっかけになると思ったのよ」
「ふーん。普段の俺ねぇ? … あっ、一つ行きたい場所があった」
「グッド。遠慮はいらないわ。どうせ行き当たりばったりの1日、ここはあなたの運命に従いましょう」
◇
「ペットショップ… 正直言って意外ね。これはどう言う了見なのかしらん?」
「勿論理由はあるぜ。いや、ほら、曲がりなりにも小雨をウチで飼うことになっちまっただろ? 仕方なくさ」
「曲りなりにもなんてセリフ、良く言えたものね。実際ノリノリなくせして。それに確か、メス犬だったわよね、あの仔… 不潔ね」
青年よ… 流石にそれは、もう引くしかないのである。
青春をこじらせてしまったものの末路とは、かくも悲しいものなのである。
「なにが!? なにが不潔!? 確かに俺はぼっちだが、そこまで落ちぶれちゃいねーよ!?」
「ええ。確かに五月雨君は一匹狼というより単にコミュ障ってだけだものね」
「… 一先ず、首輪とリード、あとドッグフードも要るかな。つーことでミコトさん、お前さんも探してくれ」
「分かったわ。あなたの首にぴったりな首輪とリードを探し当ててあげる」
「お前さん、本当に風紀委員長なの? ねぇ?」
そう言いながらも、どこか嬉しげな青年なのであったとさ。
◇
「さて。デートと言えば映画館よ、五月雨君」
「やっぱりこれデートなんだ」
「全然違うわ、おこがましいわよ五月雨君。言ったでしょう? 普段のあなたを見ていれば何かヒントが見つかるかもって。あなた、普段から映画館も一人で来る運命なのでしょう?」
「いや、まぁそうだけど。誰かと一緒に来た事なんて… 記憶にございません」
「期待通りね。そんな映画通のあなたなら、どっちがお勧めかしらん?」
そう言って彼女が指差す映画館入り口のタイムボードに書かれたタイトル。
①「恋空… ライジング」
②「天使の… ハラワタをぶちまけろ!」
「お、おう。え? いやこれ、どっちも」
青年。
これは試練だ。
青年は今、試されているんだ。女性と二人で映画館。恋愛映画とスプラッタ映画。どちらを選ぶかなんて… 幾ら青年でも分かる筈。
「いや、待て。誰かが空気読めと言っている気がする… ①か?」
「へぇ、そう。生憎私は両方とも願い下げね。どっちも糞つまらなそうだし、時間の無駄ね」
「でしょうね!!」
「まぁいいわ。何だか雨も降ってきたようだし。流石は雨男、こんな時でも要らぬ所で本領発揮といったところかしらん?」
「俺、お前に何かした!?」
むしろ何もしないのが問題なのだよ、青年。男たるとも、いつだって女性をリードするくらいの気概が必要なのだ。たぶん。
「一先ず何でも良いわ。そうね、この… エイリアンVSセガール、でも観ましょうか」
「何それスゲェ面白そうなんですけど。抜群の安心感なんですけど」
◇
「そして安定のお眠りタイム。どこまで予想通りなの? あなたという人間は」
映画が始まって30分。
暗転する館内。未だ見せ場の訪れないストーリー。顔のでかいセーガル。開始5分で瞬殺されたエイリアン。顔のでかいセーガル。そして、初デートの緊張感から一睡も出来ないでいた青年のピュアとも一歩間違えば毒にもなりえるもてあまし気味の純真さは… 青年に安定のお眠りタイムを与えてしまった。無理もない。これはもう無理も無い。風紀委員長女史よ、これはもう本当に無理もないと思うんだ。何卒寛大な処置を期待するところではあるが…。
「……… そして。何故あなたは眠りながら、狐に変身しているのかしらん。寝ぼけているの? それとも夢でも見ている? いずれにしても、迷惑この上ない話ね」
さて、どうしたものか? そう愚痴りつつも、なんと言う運命、なんと言う試練、センキュー神様! などと小声でのたまう風紀委員長女史と、突付かれようが揺さぶられようが、全く持って眼を覚ます気配の無い青年。もとい、狐。
わりとお似合いの良いコンビじゃないか… なんてのほほんと言っている場合でもなく。どうする? というかどうするんだコレ!? 青年、そして風紀委員長女史!
………。
「流石私ね。五月雨君(狐)をリアルフォックスファーに見立てて首に巻き、その場を切り抜け映画館から何事も無く脱出するなんて… なんら違和感のない見事な作戦だったわ! ………… 今の季節が初夏である事を除けば。グッド。この雨男には、罰として… とってもイイコト、してあ・げ・る♪」
そう言って不適に微笑む彼女と、後ほど、彼女の自宅にてようやく眼を醒まし元に戻った青年。
だが。この時の青年はまだ知らない。
ペットの仔犬用に買った首輪とリードを、よもや自分自身で装着することになるなどとは。
そんな青年の人生初デートは。それはもう一生忘れられぬものになったとさ。
ちゃんちゃん。
青年よ… いつの日か、いつの日か、青春をその手に取り戻せ! そして、その前にまずは人間としての尊厳を取り戻すんだ!
◆
「それで、ミコトさんよぉ。どうしてここに居らっしゃるでしょうか? ミコトさんは確か隣のクラスの筈では?」
時刻はお昼過ぎ。
少女による恐怖のお宅訪問から二日後。恐怖のデート事件の翌日。
つまりこれは、連休明けの月曜日の出来事である。
「あら、何が不満なのかしらん。こうしてわざわざお弁当まで作ってきてあげたのに。油揚げにお稲荷さん。ああっ、何て幸せな運命。ふふっ、五月雨君の好物でしょ?」
「いや、それは危険な思い込みって奴ですぜ、ミコトさん… ってそうじゃなくて!」
「クラスメイトに好奇な目で見られながらお昼を食べる。思わず叫びたいくらいに興奮するでしょ? 運命を感じちゃうでしょ?」
「成る程分かってやっていたのかこん畜生。尚更達が悪いぜ。それに風紀委員長が率先して風紀を乱すってのもどうかと思いやスぜ」
「他のクラスで昼食をとってはいけない、なんて校則は無いもの。はい、あ~~~ん」
好奇の的。
青年は思う、どうしてこうなってしまったんだと。これなら、素直に退学になった方が幾分かマシだったのではないかと。
「それに、分かっているでしょう? この学園における風紀委員長なんて立場に、殆ど権力など無いということを」
「? あぁ。確か、生徒会に権力吸収されちまったんだっけか」
「そうね。いずれなくなる組織。今はもう既に風前の灯よ。言わば絞りかすね」
そんな風に告げながらも、次々と弁当箱の中身を青年の口にほうりこんでいく少女。やったな青年! 何とも青春くさい1ページじゃないか! 勿論。これが、針のむしろじゃなければの話だが。
「私、昨日考えたのだけれど…」
ふと額に手を当て目を瞑りながら逡巡した後、少女は口元を邪悪に歪めながらこう言うのだった。
「五月雨君。あなた、風紀委員に入りなさい。今、とっても人手が足りないの」
「… 本音は?」
「その方が何かと便利だから。好都合だから。運命的に考えて」
「便利だな、運命って言葉」
青年は、そう吐き捨てながら稲荷寿司をかみ締める… 何故か、涙の味がしたという。
◆
地獄の昼休みを終え、教室移動時間の折。
青年はちょこまかと暗躍するとある少女を捕縛する。
「さーらーしーーなぁ。お前さぁ、本当、やってくれたよなぁ。今更だけど」
「んん~? どったの? さささ君」
「だから、どったのじゃねーですよっての。お前さんのおかげでド偉い展開になっちまったじゃねーか」
青年と少女。
青年の中学時代を知りながらも、今尚縁の続く貴重な存在であり、青年のおそらく、たぶん、理解者… である筈の人物。
青年の身長が伸びた分、その身長差は中学時代から更に開いてしまったものの、その心の距離は~果たしてどうなのだろ~か?
「教室じゃ針のむしろだし。ただでさえ周りから距離置かれてるってのに…」
「にししししっw まぁまぁそう言いなさんな。さささ君がクラスで浮いてるのは昔っからでしょー?」
「まーね。けどな? その上何故か、風紀委員にも入らされた」
「イヒヒヒッw さささ君が楽しそうで何よりだよぅ。それにさぁ~、前にも言ったけどあたしなりに協力してるつもりなんだけどなぁ。例の晴女さがし」
「晴女ねぇ。現状、もうそれだけじゃ済まないような展開だけどな」
「… ま、頑張んなよ! あっ、そうそうさささ君。ちょいと小耳に挟んだんだけどさぁ~… ウチのクラスに転校生が来るらしいよぉ? し・か・も… おにゃにゃの子だってさ! ヤッタね!」
「一言で言えばどうでもいい。二言で言えば、転校生とかこの際どうでもいいくらいに、俺の人生はド偉い方向に確実に傾いている。つまりはそういう事だ」
転校生。
それは究極的異文化コミュニケーション。青年、チャンスだ! チャンス到来だ! 身も蓋も無い言い草だが、チャンスは多い方がイイに越したことは無いのである。今こそ、その手で青春を取り戻せ!
◆
放課後。
風紀委員専用会議室にて。
「急な召集にも関わらず良くぞ集まってくれたわね、誇りある風紀委員諸君。私が委員長の晴模様命よ」
「俺しか居ないんだが? どう見てもだだっ広い会議室に俺とミコトさんしか居ないんだが?」
「今日皆に集まってもらったのは他でもない… 風紀委員のこれからの運命についてを話し合うためよ」
「いや、だから俺しか居ないんだが? 話し合いってレベルじゃねーぞこれ、なんだが?」
そんな青年の心の叫びも虚しく、少女はどこからかホワイトボードを引っ張り出し、キュッキュとペンを走らせる。
「けれど。話し合いの前に、今日は皆に新しい仲間を紹介したいと思う。二年の左雨五月雨君よ、皆、拍手で迎えてあげて」
「ど、ど、どうも。初めまして皆様。左雨五月雨と言います。好きな食べ物はチョコミントアイスです。宜しくお願いします…… って、もう虚しいし、痛々しいから辞めようぜ。とどのつまり本当にこれが風紀委員の実情ってやつなんだな。ぶっちゃけ、誰もいやしない」
そんな青年の言葉通り、広い会議室に集まったのは青年と少女のたった二人だけという事実。教室に若い男女が二人っきりと言えば聞こえは良いが、これはとてもじゃないがそんなピンク色の展開が望めるような状況じゃないぞ、青年!
「そうね。そうやって言葉にしてもらうと改めて身に染みるわ。くっ、なんて運命なのかしらん… ゾクゾクしちゃうわよね?」
「分からない分からない。一ミリも共感できない」
青年は、高速で首を回転させ勢い良く否定を示すのであった。
「ってかさ。この状況の意味することは、つまり、風紀委員のメンバーはもう、ミコトさんしか居ないって事だろ?」
「何を馬鹿な事を言ってるの五月雨君、あなたが居るじゃないの。それにね、委員長であるこの私も居る。私が、私達が風紀委員だ!」
「あぁ、ハイ」
青年は思った。早く帰りたいな、と。切実に。心の底から。
「けどさぁ、実際問題、たった二人で何が出来るってんだ? それに、風紀委員は廃止が決まってんだろ? その機能はそのまま生徒会が引き継ぐとかなんとか言ってたもんな」
「そう。重要な点は、私とあなたのたった二人だけ。ってところ」
ニヤリと妖艶に微笑んだ風紀委員長女史は、おもむろに立ち上がると、そのまま何故か会議室の入り口のドアの鍵を閉め… 再び青年の座る椅子へと近づく。
「あの… ミコト、さん?」
「なにかしら?」
「いや、なにっていうか、近いっていうか」
互いの息と息と掛かるぐらいの距離。少女のサイドポニーから香るシャンプーの華やかな香りが、少女の荒い息遣いが、青年の鼻腔とチキンハートをやたらと刺激する。そんなゼロ距離まで近づく。椅子に座ったまま小刻みに震えだす青年と、立ったままじぃーっと青年の顔を見つめ続ける少女。いつもとは逆転した身長差。蛇に睨まれたカエル再び。
あぁ、青年よ。このまま青春の階段を三段跳びで昇るつもりか? だが、それもまた青春。
青年よ、大志を抱け!!!
「あ、の、俺は、その…」
互いの息どころか、互いの唇が触れ合う距離。誰かが後ろからちょいと後押ししてやれば、もしくはどちらかがちょいと勢い付けばそれこそ触れてしまいそうな距離。
「その、俺、は、はじめ」
ああ、もう、なんというか、もどかしいいいいい。
…… けれど。
やっぱり現実は残酷で。花に嵐はつきもので。
「ふぅー。やっぱり、じっくり見てもキツネ耳もひげも無しかぁ。尻尾もないみたいだし。ねぇ、五月雨君、やっぱりキツネへの変身能力は雨の日だけなのね? 一部分だけの変身とかも出来るのかしらん? あぁ~もうっ、興味が尽きないわ! 好奇心が嫌と言うほど刺激される」
「……」
「何かしら、その目つきは。何か言いたいことがある運命ならハッキリ言って良いのよ?」
「お前さん、このために俺を呼び出したのか? 俺をわざわざ風紀委員に入れたのか?」
「理由の一つではあるわね。それに、これは私たち二人で出来る立派な仕事よ?」
「あぁ。お前さん、よーするに暇を持て余してるってわけか。そりゃ更科からのタレコミに飛びついちまうわけだぜ。好奇心やお節介って腹をグゥグゥ空かせていたところに、俺っていう格好の餌が舞い込んできた。ハハッ、ありがたすぎて涙が出るぜ」
青年は、大きく溜息を付きながらそう吐き捨てた。
そう。青春は、かくもほろ苦いものなのである。
「失敬ね。それにあなたの生殺与奪権を誰が握っているか… よーく思い出すことね」
「あのなぁ。俺はお前さんのおもちゃじゃない。それに、お前さんの好奇心を満たすためだけの存在でもない… 悪いが、帰らせてもらう。誰にでも好きに報告すればいいさ」
そう言って心底嫌そうな顔で立ち上がる青年。
あぁ、青年。良いのか? 本当にそれで良いのか? 短気は損気だぞ! 青年。
「あのっ… ちょ、ちょっと待ちなさいよ。ちょっと!」
だが、少女も負けてはいなかった。そんな青年の心情を、たった一言。たった一ワードで、百八十度反転させてみせる。そう。そのワードとは…
「《狐の嫁入り》」
「? 何だよ、藪から棒に」
「だから、狐の嫁入りよ、五月雨君。誓ってもいい! 私の運命に誓ってもいい! 私は、あなたに対して決して興味本位だけで接しているんじゃない。好奇心だけで近づいたんじゃない!」
聊か興奮気味に。これまで見せたことが無い位に言葉を荒らげ、声を荒らげ、涙目になりながら… 少女は必死に訴える。
「俺は空気を読むのが下手だし、愛想笑いの一つも出来ない。けど、相手が本気かどうか、真剣かどうか位は… 俺にも分かる。ミコトさん、詳しい話を聞かせてくれるか? 宜しく頼む」
そう言って頭を下げた後、静かに再び椅子へと腰掛ける青年。
おぉ、成長したな! 青年!
「五月雨君… ごめんなさい、そして、ありがとう。そうよね、私、どこか浮かれていたのかもしれない。心のどこかでこの状況を楽しんでいたのかもしれない」
「まぁ、別に楽しんでもらってもかまわないさ。ただし節度って奴はわきまえて貰うぜ。度々脅されてんじゃこっちの身が持たないからな」
「そ、それに関しては、その、本当に悪かったと思ってるわ。ちょっと調子に乗りすぎた、かも」
「気持ちは分かる。それはそれとして、そろそろ本題に戻ろうぜ。日も沈みかけてきたし」
「そうね。そうだった。五月雨君、あなた、狐の嫁入りって言葉聞いたことある?」
「言葉くらいなら。確か、雲ひとつ無い晴の日に突如として雨が降るって奴だったか」
…
「そう、それよ。狐に雨。キーワードとしては悪くないでしょ? まだ詳しくは調査中なのだけれど、私の運命が囁いているのよ、すごく怪しいって」
「お前さん、本当にわざわざ調べてくれてたのか… うん、いい奴なんだな、ミコトさんは」
「そ、そうよ! 当然よ! 言ったでしょ? 私はきっとあなたを更生させてみせるって。呪いから元に戻してあげるって…」
「そっか。ありがとな、ミコトさん。さっきはあんな態度をとっちまって悪かったよ。俺はこんな捻くれた性格で体質だからさ。なかなか人を信頼出来なくて。でも、お前さんがそれを更生させてくれるってんなら、或いはそれも悪くないのかもしれないな」
「グッド。分かればいいのよ。うん、分かれば」
「ま、それじゃぁ。これからも一つ、宜しく頼むよ… ミコト」
「望むところだわ、五月雨君」
青年が差し出した手を、小さく白く繊細な手のひらで包み込む少女。
こうして、少しずつだけれど確実に前へと進む青年と少女。あぁ、これぞ正に青春なり!
◆ ◆ ◆
それから数日後。朝のHRにて。
「ぅ~い、おらーてめーらとっとと席につけやコラァ。先生のありがた~いHRが始まんぞぉ。しかも今日はビッグニュースもあるぞ~っと」
「! キタか!?」
ガタッと立ち上がった少女更科の体をぐいっと椅子へと引き戻しながら、その後ろの席の青年がつぶやく。
余談だが、青年の席は教室奥隅の一番後ろ。少女更科はその前。なんともおあつらえむきな場所なのである。
「いいから座ってろ更科。低血圧で朝が苦手な法楽先生の、ただでさえ面倒そうなオーラを更に刺激するつもりか? 見ろよあの宿酔い絶不調な顔を。あれじゃ男何ざ寄り付きゃしねーだろ」
「イヒヒヒッw それもそだね。でもでもさささ君。ビッグニュースってきっとあれだよ。転校生がついにキタんだよ! ね? ね? あたしの言った通りだったっしょ?」
「分かったからはしゃぐな更科、小学生かお前は! 俺も低血圧で昔から朝がしんどいの知ってるだろ?」
「コラァ! 左雨・更科のはみ出しコンビぃ。とっとと黙れっつーの。先生の前でイチャコラすんのは十年はえぇっつーの。ってかさぁ、あ~、ヤバイな。しんどい。昨日呑みすぎたわぁ。ってことで、もういいや。おーい、入ってきていいぞぉ~転校生」
何とも投げやりな法楽教師のそんな呼びかけに応えるように、ガラッと教室の扉が開く。
クラスメイトの視線と期待を一心に受け、今、青年らの前に現れる新たなる人物。多感な少年少女達の前に颯爽と登場する新風。
その人物は… なんと…
「ハロエリーナ♪ まいねーむいず《キーテ・アロエリーナ・アッパレリア》ともうしマスデス! ちょっといいにくいンダケド、これからヨロシクおねがいシマスデス、このわからんチンども♪」
そう言うなり、つま先立ちし、その場で何故かくるりと一回転する碧眼、金髪ロングの巨乳転校生少女。自然の摂理に従い揺れる双丘、遠心力とともにたなびくスカート。そして露骨に衆目に晒されるその中身。とんだ黒船来航である…。因みに、彼女の下着の色と掛けたわけではないのであしからず。
「ドーゾきがるに、エロリーナもしくはアッパレちゃんとよんでくださいネ」
そんな金髪碧眼の訪問者。
ともあれ、クラスメイトたちの間に一様に衝撃が走るのであった…… 勿論、悪い方の。
「え? なになに? (^q^)くおえうえーーーるえうおおお、ちゃん? 凄い名前だねぇ」
「いや全然違うだろ更科。彼女の名前は、聞いてくれてありがとうアロエリーナ♪ちゃんだろ。名前くらいきちんと一度で覚えるのが礼儀だぜ」
「どっちも違げーよはみ出しコンビ。まぁ許してやってくれ、天晴れちゃん。あいつら頭がちょっとアレなんだ。クラスのアレ的存在なんだ。先生も手に負えねーんだ。つーことで、転校早々天晴れちゃんには苦労かけちまうが… 席はあそこしか空いてないんだ。悪いな」
そう言って青年の隣の席を指差す法楽教師。
やったな青年! 予定調和の主人公補正… もとい、日ごろの行いの賜物だな!
「にしししw さささ君の隣の席だってさ。やったね! ってか先生、今、さささ君の方をニヤニヤ見ながらサムズアップしてなかった? あたしの気のせい?」
「いや、残念ながら俺にも見えた。ハハッ… どうやら、俺の周りはお節介だらけらしいぜ。ありがた過ぎて涙が出てくる」
「ってかさ、今の挨拶は男子的にはどうなの? 露骨なサービスシーンだったけど」
「押し付けがましいパンチラに価値なんて無いさ。露骨なサービスシーンに下ネタ。見ろよ、皆引いちまってる。ってかまた物凄い個性の塊がやってきたもんだぜ」
「いやいや、さささ君も大概だけどね」
周囲がざわめき立つ中、いつものようにぐだぐだとしょうもないやりとりを続ける青年と少女。と、そんな二人の下へ件の転校生が近づく。
どう考えても混ぜるな危険の三人。果たしてどんな化学反応が待ち受けているのやら…。
「ハロエリーナ♪ 童貞ボーイ&キュートガール。これからよろしくデス!」
「ど、ど、どど童貞w イヒャヒャヒャヒャっw んー、凄いねぇ、初っ端からフルスイングだよこの子」
「なん… だと? いや、ところどころ片言のくせに童貞って単語だけは何故かすげぇはっきりした発音に聞こえたのは俺の気のせいか? しかもどうせならチェリーボーイとか言ってくれりゃまだいいものを何故によりもよってそんな日本語を知ってるんだってことを小一時間問い詰めたい。ふざけんなこの野郎…」
だが事実は事実。
青年よ。あまり強い言葉を使うなよ… 童貞に見えるぞ。
「っと、悪い。挨拶が遅れてスマン。俺は左雨五月雨、このチビで煩いのが更科。まぁ、愛想はわりーし、頼りにもならねーかもしれんが、ま、ほどほどによろしく頼む」
「オー、それはあっぱれデスネ! キーテはうれしくおもいマス。アリガトー、サササラリラリ」
「ラリラリってw だよね~、天晴れちゃん。さささ君の名前ってやっぱり言いにくいよねぇ~。さ、ばっかりだもんねぇ~」
「ばっかりじゃない。たった三つだ。いいか? 良く聞くんだぞ? 俺の名前は さっささみだれ オーケー?」
「オッケー、あんだすたんデスよ。サッサラリラリ」
「だからラリラリはどっから沸いて出てくるんだよ! 俺よりよっぽど長い名前してくるくせしやがって!」
そう言って力の限りギロリと異国少女を睨みつける青年。
どうどうどう、落ち着け青年。
相手は外人、国際交流に忍耐はつき物だぞ!
「もう一度だけ言う。よーく聞けよ? さ・み・だ・れ。五月雨」
「お・も・て・な・し? おもてなし!」
「ニュアンス! 一文字もあってないからね? さ・み・だ・れ!」
「しゃ・ぶ・ら・れ?」
「さ・っ・さ・さ・み・だ・れ!!!!」
「ソ・チ・ン・しゃ・ぶ・ら・れ?」
「誰が祖チ○だ!! れしか合ってねぇじゃねか、このヨーグルト野郎!!」
青年は叫んだ。
クラスの中心で、祖チ○と叫んだ。やったな青年! これでまた一歩、クラスから浮き上がったぞ!
「は~い、はい。そこまでにしとけよぉ~テメーら。先生の見込んだ通り、天晴れちゃんはテメーらと馬が合うようでなによりだぜ。類は友を呼ぶ。スタンド使いはスタンド使いに惹かれあうもんなのさ。んじゃ、ま、なかよしこよしでやってくれよ。以上、HRしゅ~りょう」
青年、少女更科、そして金髪異国少女。
クラスメイト達が辟易する中、こうして誕生してしまった魔のバミューダトライアングル。
青年の同級生諸君には全くもって同情を禁じえない展開ではあるものの… さてはて、彼女は風紀委員長の少女と同じく、青年にとっての晴女になりえるのかどうか?
その答えは… 怒涛の後半へ続くのであーる!