日々川 美雪2
・・・日々川家。
「美雪!!お風呂入りなさい。」
階下から娘の名前を大声で叫ぶ女性。
「姉ちゃんなら居ないよ。母さんが風呂に入ってる間に出かけて行ったよ。」
寝転がり、テレビを見ながら適当に母親に声を掛ける弟。
「また?あの子、さっきまで部屋に居たのに。年頃の娘がこんな夜中に外出なんて、感心しないわね。」
「大丈夫だよ。木刀持った女なんて襲おうとする奴いないって。」
「・・・まったく、剣道に入れ込むのも良いけど、あの性格はどこかで直して欲しいわね。」
のめり込んだら納得するまで入り込み、そして負けず嫌い。悪いことではないが、娘の場合は度が過ぎている。昔から子供を見てきた母親にとって、娘の性格には何度も手を焼いていた。
「最近特にだよ。試合があるのか知らないけど。」
「雄一、あんたも何か打ち込めるもの見つけなさい。美雪程じゃなくても、少しは体を動かさないと大きくなってから動かなくなるわよ。」
「・・へーい。」
「ほんとに、足して割るくらいが丁度いいわね。どうしてうちの子達はここまで偏ってるのかしら。」
『ブン!! ブン!!』
誰もいない筈の夜中の公園。闇の中に素振りの音だけが響く。汗をダラダラと流し、何度も同じ動作を繰り返す美雪。
完全に自分の世界に入り、脳内は屈辱を受けたことで溢れる。
「はあ・・はあ・・・。」
(あの女・・許さない。)
打ち消すことのできない敗北。あの時、何も出来ずに剣を振るう度に築き上げた自信が崩れ去っていった。
(負けられない!絶対に!!)
敗北は何度も経験してきた。だが、あそこまで何もできなかったのは剣に自信がついてから初めてだった。全国大会にも顔を出すようになり、他人は自分を『才能だ。努力だ』と湛えてきた。その言葉は彼女の力になり、プライドにも繋がる。そのプライドを砕かれた今、再びそれを取り戻すために彼女は復讐を胸に剣を振り続ける。
剣を振り続け、次第に頭の中は負けた時の悔しさで満たされる。彼女にとって屈辱ではあるが、それと共に心身が充実していく。そして、それが最高潮に達したとき・・。
『プライドヲトリモドセ・・・』
頭の中で別の言葉がこだまする。自分の言葉とは違う別の言葉。だが、それは私の体を動かすパスワードとなる。
(またこの声・・。最近、いつもそう。)
『プライドヲトリモドセ・・・』
機械の様に無機質で強い隙間風の様に掠れた声。錯覚と感じるこの言葉が体に溶け込み、妙な心地よさを自分に与える。時間を忘れ、その声に操られるまま同じ動作を繰り返す。
「痛っ!!」
右手首に走る痛みで我に返る。
「炎症かしら?最近、無理してたものね。体に異常が来てもおかしくはないか・・・。」
流れる汗を拭い、痛みの走った手首を軽く振る美雪。多少、違和感は残るものの痛みはすぐに消えた。そして、声も。
(簡単に差が埋まるとは思っていない。でも、こうでもしないと気が収まらない・・。)
力の差は理解していたが、美雪のコンディションは良かった。公式戦前日でもここまで充実していたことは無い。
「充実はしている。今なら誰にも負ける気はしない。」
木刀を握りしめ、体の仕上がりを確かめる。温度を増した血液が体中を駆け巡り、暴れだしたかの様な感覚。そして、対照的に思考は氷の様に冷たく冷静。『誰よりも速く、誰よりも鋭く打てる』自信があった。
麻姫に負けてから、彼女は一心不乱に剣に打ち込んだ。たかが一か月。だが、これ以上ない仕上がりに負ける要素が見つからなかった。
「・・・不思議ね。最近はこの状態になるのが当たり前になっている。大会前でもここまで充実したことは無いわ。」
一息つき、持ってきたスポーツドリンクでのどを潤す。
「ふう・・。見てなさいよ。私の実力、見せてやるわ。」
落ち着きを取り戻した後、再び麻姫に対する憎悪が湧き出す。そして、木刀を手に取り、再び同じ動きを繰り返す。
決戦の日。
誰もいない剣道場。すでに部員たちは帰宅していた。ただ一人、日々川先輩を除いて。
「・・・来たわね。」
剣道場の入り口から3人が姿を見せる。マキへの伝言を頼んだ正樹。その隣にいる女生徒。そして、麻姫。
「あなた、ここの生徒じゃないんですって?一体、何者なの?」
「いきなりな挨拶じゃのう。そんなことを言いに呼び出したわけではなかろう。」
敵意を感じる先輩の口調に、頭を掻きながら対応する麻姫。実際の先輩を見て、『ああ、やっぱり』といった表情を浮かべている。
(この女、やはりあの時のことを恨んでおるな。まったく・・・。)
「何?名前も名乗れないの?」
「・・・めんどくさいのう。」
「え?」
思わず口から本音が漏れる。溜息を吐いたのち、一応は彼女の質問に答えようとする麻姫。
「何もせぬ。妾のことは『マキ』と呼ぶがよい。それでよかろう。」
「名字は?」
「う・・・。」
言葉に詰まる麻姫。少し悩んだのち、重い口をあける。
「池村。」
「池村?ってことは、正樹君の?妹さん?お姉さん?」
「え?」
困惑する正樹。まずいことを言ったと思い、麻姫は話題を変えようとする。
「たまたま名字が同じだけじゃ。それより試合じゃ。」
「ふん。確かにあなたの言うように、それを聞くのが目的じゃないわね。」
「話は終わりましたか?では、私が審判をやらせていただきます。」
「あなたは?」
「一年の『高瀬 雛子』です。」
聞き覚えのある声。その声で、あの時丁寧な口調でマキに帰ることを命じた人物だと気付く。
「あの時の・・。いいわ。審判をやると言う事は、あなたも剣道の経験はありそうね。どう?うちの学校の生徒なら入部する気は無い?」
「いえ。私は中学までと決めてましたから。」
さらりと嘘をつく鳴女。関わる気は無かったが、正樹に審判を頼まれて嫌々ながら審判を務めることになった。
「そう。マキと言ったわね。そこに防具がある。着けたら始めるわよ。」
「・・・やれやれ。敵意むき出しじゃのう。」
防具を着けながら愚痴をこぼす麻姫。試合が決まってから、『めんどくさい』と何度いう言葉を何度こぼしただろう。その姿を見守りながら鳴女が口を開く。
「競技時間は年齢によって変わります。ですが、今回、時間は設けません。3本勝負で2本取った方が勝ちとさせていただきます。」
「それならわかりやすいな。とにかく打ち込めばよいのじゃな。」
面を装着し、徐々にやる気を出す麻姫。竹刀を手に取り、軽く素振りをする。
「終わったかしら?」
「・・・うむ。待たせたのう。」
呼びかけに応じ、堂々とした様子で開始線に立つ麻姫。
「あいつ、そこそこルール知ってないですか?」
「・・・そうですね。私も驚いています。どこで知識を得たのでしょうか?」
『知識を得る』。鳴女のその言葉でハッとする正樹。
「あ、俺の漫画かも。」
家にある完結した単行本の中に、剣道を題材としたものがあった。
「それじゃないですか?ルールくらいは書いてあるでしょうし。」
「でも、あの漫画って現実じゃありえない動きをする作品なんですが。」
描写が異常で対戦相手が分身の術を使ったり、試合が決まる瞬間に至っては、相手の竹刀が真っ二つにされたりする。あの作品を見る限りはルールもどこまでが正しいか眉唾物である。
「鳴女!」
「あ、はい。」
麻姫に呼ばれ、試合場へと足を運ぶ鳴女。
(あまりその名前で呼んで欲しくは無いのですが・・・。)
「ごほん!では、勝負を改めて確認させていただきます。制限時間は無しの3本勝負。2本取った者が勝者となります。えっと・・赤がマキちゃんで白が先輩です。」
二本の旗を見せ、丁寧に説明する鳴女。
「分かってるわ。早く始めましょう。」
竹刀を手に、ピリピリとする日々川先輩。
(!・・・この人。)
防具越しに彼女の雰囲気が変わったことに気付く鳴女。元から近寄りがたい雰囲気は持っていたが、空気に見えない刃物が混ぜられているかの様に危険な感じがした。
(惜しいわね。もし、彼女が妖怪ならば名のある妖怪になっていたかも知れない。)
普通の人間とは違う雰囲気に、妖怪である鳴女ですらのまれそうになる。
「ほう・・。」
先輩の雰囲気が変わったことに麻姫も気付く。戦う者として、心身ともに充実していることが伝わる。
(どうやら前回とは別人と考えた方が良いか。)
礼をした後、竹刀を突き出しながら開始線の前で『蹲踞』する二人。そして、鳴女の『始め!』の声でその姿勢が崩れる。
固唾を飲んで麻姫を見守る正樹。日々川先輩の雰囲気が異質であることは正樹も理解していた。部活動に所属して無い正樹が運動部員の真剣勝負を見たのは数回程度。ましてや、全国区の実力の試合となると、見るのは初めてだった。
間合いを取りながら小刻みに竹刀を動かし、今にも襲いかかりそうな日々川先輩。だが、その足は後退している。対照的にわずかに竹刀を動かしながら前進する麻姫。
(この場合、どちらが強気なんだろう?)
疑問を感じながら状況を見守る。その時!!
『パン!パァン!!』
乾いた音が道場中に響く。後退していた日々川先輩が突然、前進に踏み込み、鋭い打ち込みを見せる。その斬撃を麻姫が弾いた刹那、返す刀で再び麻姫を狙う先輩。だが、その太刀を再び麻姫は弾く。
「は、はええ。」
正樹が呆気にとられている間に再び距離を取る日々川先輩。そして、竹刀を揺らし攻撃の機会を伺う。
「む・・・。」
(なかなか乗っておるのう。太刀筋、質と文句のない攻撃だ。踏み込みも良く、剣が生きておるわ。)
相手の攻撃に内心で賛辞を贈る。人間ながら骨のある相手と出会え、自然と顔がニヤつく。
「・・・・。」
(攻撃は通じなかった。だけど反撃もされていない。今のところ、前回の様にはなってないわね。)
攻撃を振り返ると同時に麻姫を睨み付ける。今の自分のコンディションが最高である事を確認する。
(今の攻撃、自分でも最高の動きだと確信している。でも、防がれた。やはりこの女、強い。)
奥歯を強く噛み、相手の強さを思い知る。
(見誤るなよ。間合いを把握しろ。)
自分に言い聞かせながら麻姫との距離を微妙に変える。その動きに合わせるように麻姫も自分の間合いを取ろうとする。そして・・・。
『パァン!!』
一瞬で距離を詰め、日々川先輩が面を狙う。だがそれも弾かれてしまう。二人の間合いは無くなり、鍔迫り合いが展開される。ギリギリと己の竹刀を押し合い、相手の態勢を崩そうとする。
数秒の硬直状態から麻姫の竹刀を押し返す。その瞬間。
『フッ・・』
「!?」
鍔迫り合いから素早く身を後退し、同時に面を打つ日々川先輩。
「!・・引き面。」
彼女の攻撃を察知する鳴女。
「キエエエエッッ!!」
「どおうぅっ!!」
『パァン!!』
「一本!!」
二人の声とともに『パァン!!』という音が響く。その瞬間、鳴女が一本を宣告する。その勝者は・・。
「胴あり!」
赤い旗を揚げ、麻姫の一本を宣言する鳴女。日々川先輩が面を打つ瞬間、同時に胴を打ち込んだ。身を屈めながら放ったその斬撃が、一瞬早く先輩の胴を捉えていた。
「ぐ・・。」
反論が出来ず、宣告を受け入れる日々川先輩。
「すげえ・・。」
どっちが勝ったのか分からなかった。正樹の目には同じに映り、仮に先輩が勝っていたとしても納得していただろう。
(あんなの審判できるかよ。どれだけ速いんだ・・・。)
戦いを繰り広げる二人と同時に審判を務める鳴女も尊敬する正樹。
「・・ん?」
その時、正樹は妙な違和感に気付く。防具に身を包んだ先輩から微妙に伝わる気配。これは・・・。
(妖気?いや、まさか。)
自分の勘違いだろうか?微弱な妖気の気配。思わず麻姫と鳴女の顔を伺う。だが、二人ともそれを感知した様子は無い。
(二人とも、気付いていない。俺の勘違いか?)
大きく息を吐き出し、試合を振り返る日々川先輩。
(動きは悪くない。試合での行動もベストな選択をしていると思っている。だけど・・負けた。特に最後の胴打ち。竹刀を押し返した時、態勢が崩れたにも関わらず、打ってきた。その上、私の引き面より速いなんて、人間業じゃないわ。)
偶然とは考えられない。おそらく読んでいたのだろう。今まで、何度も一本を取られてきた。だが、こんな取られ方は経験に無かった。
(読まれていたとしても、あの動き・・・。あの子、今までやってきたどんな選手よりも速い。フレーム数が全然違うわ。とてもじゃないけど、あの子の様に私は動けない。なら、どうする?)
思考が乱れ始める。心身共に充実した状態で突きつけられる現実。万全にも拘らず麻姫の方が何枚も上手。
(・・・落ち着け。彼女の方が優れているのは分かっていた。もともと私が挑戦者。それに、今まで私が彼女の術中にやられているところがある。私が好機だと思ったところは大抵、彼女の罠。・・・ならば。)
頭にモヤが立ち込め始める。思うようにいかず、苛立ちながらも心を落ち着かせようとする日々川先輩。その中で最善の答えを出そうとする。
「彼女。かなりやりますね。」
「ああ・・。人間とは思えぬ動きじゃ。今の一撃もずれていたらどうなっていたか。」
緊張感から少し解放され、鳴女と会話する麻姫。
「判断も太刀筋も以前とは別物。心身共に充実しておるわ。算段無しに勝負を挑んできたわけでは無さそうじゃな。」
「・・・どうやら簡単には勝たせてくれませんね。それだけに先勝できたのは大きいです。」
「分かっておる。妾も負ける気は無い。」
鳴女の合図で2戦目が始まる。再び距離を取り、お互い相手の様子を伺う。間合いを取り合い、それぞれの思惑が交差する。日々川先輩の竹刀の動きに合わせ、麻姫が竹刀を動かす。1戦目とは違い、慎重に動く日々川先輩。お互い、攻めるそぶりは見せるものの決して近付こうとはせず、膠着状態が続く。
「・・・・」
(常に『後』の『先』を取られている。気を付けるのは私が打ち込んだ瞬間。警戒はしていたけど、ここまで速いなんて・・・。)
麻姫を睨みながら最大限に警戒する日々川先輩。以前も今も麻姫には動くと同時に決められていた。
(私の弱点はここかしら・・・。だからと言って、動かないわけにはいかない!!)
「!!」
『パァン!!』
お互いの竹刀が激しくぶつかり合う。その後、再び鍔迫り合いとなるが、それは長くは続かない。間合いの無い状態でお互いが竹刀を操るが、打ち込むことなくゆっくりと日々川先輩が後退する。
「・・・・・。」
(攻め込めぬのう・・。攻め込んでは来たが、警戒しておる。騙し技でも仕掛けてみるか?)
日々川先輩の斬撃を防ぎ、次の手を考える麻姫。現代の剣道を学んできた日々川先輩とは違い、麻姫は郷の妖怪から剣を教えられていた。そのため、お互いが試合にやりにくさを感じていた。
(刃物の様に鋭い型じゃ。最短、最速、それを求め続けたかの様な動き。扱うものは少し正直すぎるがのう・・。)
一定の距離を取り、攻め時を伺う日々川先輩。まばたきをしている間に彼女の竹刀が脳天を捉えていそうな気がする。
(悔しいが隙が少ないのう・・。隙がないなら・・・崩して作る!!)
『ダッ!!』
「!!」
足の指に力を入れ、距離を詰める麻姫。その速さに日々川先輩の対処が一瞬遅れる。
「小手エエエエッッ!!」
『スパァン!!』
「小手!!技あり!」
鳴女の声が響く。呆気にとられる日々川先輩。そして、悔しさが沸き起こる。
「ぐ・・・。」
『動いてこない』心の中に隙があった。あまり自分から仕掛けてこない事からの油断。一瞬で踏み込まれ、技ありを取られた。
(なんて速さ。足腰?いや、足の指の力が凄い・・・。こんな力を持っていながら攻めてこないなんて・・・。)
脳裏に『敗北』の二文字がちらつく。能力の違いを感じ取り、悔しさと怒りが混じる。必死にそれを堪えようとするが、感情は収まりきらない。
(負けたく・・負けたくない!!)
彼女の思いとは反対に埋まりきらない実力差。心の充実は消え、頭の中は山火事の様に激高する。
(こやつ、泣いておる・・・。)
面越しで彼女が泣いていることに気付く麻姫。声を殺して泣いていることから、気付いているのは自分だけかもしれない。現に鳴女も気付いている様子は無い。
(心を乱しおったか。これでは冷静に剣も振れまい。若いな。試合中だというのに感情に支配されおって。これでは勝負を捨てたも同然・・・。)
再び勝負が動き出す。感情を抑えきれないまま、今までよりも広く間合いを取る日々川先輩。『負けたくない』という思いと共にあの言葉が頭に響く。
『プライドヲトリモドセ』
「!!」
ドクンと心臓が大きな音を立てる。充実していた時に聞こえていた言葉がなぜ?疑問が頭をよぎる中、その言葉が彼女の体に染み込み、燃えていた熱を鎮めさせる
『プライドヲトリモドセ・・・』
(そう・・負けたくない。私は・・勝つ!!)
『タンッ!!』
「っ!!」
「キエエエエッッ!!」
遠間から距離を詰める。そして、繰り出したのは揺さぶりも何もない面を狙った単純な斬撃。だが!
『バシィ!!』
「!・・有効!!」
少し間があり鳴女がコールする。呆気にとられる鳴女と麻姫。そして、初めてポイントをとれたというのに表情を変えない日々川先輩。
「こやつ・・・。」
(速い。そして雰囲気が変わった・・・。)
急変した日々川先輩に肝を冷やす麻姫。数秒前の乱れまくった思考が一つに統一され、別人と思わせる動きを見せた。
(そして、わずかに体外に放出されたこの慣れた気配。・・・紛れもなく妖気!!)
打ち込みの瞬間から微かに漏れ続ける妖気。思わず鳴女をちら見する。麻姫の視線に気づき、小さく頷く鳴女。
「キエエエエエエッッ!!」
『スパァン!!』
掛け声と同時に響く音。竹刀が面を捉え、それを見た鳴女が一本を告げる。
「面あり!!一本!!」
上げられた旗はまたしても赤。1戦目に続き麻姫に軍配が上がる。
「勝負は・・・つきましたね。」
「まだよ・・。いま、いいところなのよ。」
勝負が決した後も殺気は消えない。近寄るだけで肌が傷つけられそうな空気が日々川先輩の周りに漂う。そして、勝者である麻姫も納得した様子は無い。
「・・・・・。」
無言のまま鳴女を見つめる麻姫。彼女の視線の意味を鳴女は理解していた。
(今の勝負、彼女が妖気を発したことで姫様も思わず妖気を使用した。そのことに納得していないのでしょう。)
「分かりました。勝負は続けます。・・・姫様、ちょっと。」
言い残し、麻姫を呼び寄せる。それに応じ、鳴女と共に剣道場の隅へと向かう二人。
「・・・漏れてましたね。」
「ああ・・咄嗟に妖気を出して勝負を止めたが。あの女、人間ではないのか?」
「人間です。それは間違いありません。・・・とすると。」
「雨音と同じ現象か。妖気量から察するに低級妖怪。」
「おそらくは・・・ただ、操られているというよりは利用されていると考えた方がよろしいかと。どうします?妖気が発せられたとはいえ、彼女の内にある妖気は微弱なもの。勝つ事は容易いかと思われますが。」
「いや、あくまで同じ条件でやる。妾が妖気量を合わせれば同じ舞台で戦えよう。」
「こだわりますね。そんなに勝負を続けたいのですか?」
わざわざ妖気を合わせてまで試合を続けようとする麻姫に首を傾げる鳴女。だが、久々に目を輝かせる彼女を見てその疑問も吹き飛ぶ。
「ふっ・・。久々に骨のある奴と出会えたのでな。妖気でねじ伏せるなど、そんな形で勝負を終わらせたくない。」
「よく言いますね。雨音ちゃんにやられそうだったのに。」
「うるさい!!それはお主もじゃろう。」
「・・一応、勝負の確認です。3本勝負で2本先取となりましたが、それとは関係無くもう一勝負することとなりました。念のため言いますが、あくまで勝敗とは無関係。いいですね?」
「ええ・・。それに応じてくれたことは感謝するわ。気持ちを途切れさせたくないの。早くやりましょう。」
「せっかちな女じゃのう。」
最後の勝負が始まる。今まで以上に慎重になり、大袈裟に距離を取る麻姫。日々川先輩と同じくらいに妖気量を調節する。
(妖気に魅せられておるな。おそらく開花したのはついさっきか。慣れない体での扱いは体への負担も大きい。体力的にもこれが最後の勝負であろう。)
「・・・・・。」
(凄いわね。頭の中が凄いクリア・・・。錯覚なんかじゃない。血が、筋肉が・・すべてが私の体内でうごめいている・・・。)
かつてない高揚感に襲われる日々川先輩。妖気の効果であることは理解していないが、自分の状態が充実している事は理解していた。
『プライドヲトリモドセ』
(分かってるわよ。あなたは黙ってなさい。)
心の中で声を一括する日々川先輩。脳裏に2度負けていることがちらつく。
(特に最後の一本。心身が充実しているからと言って、楽に勝てる相手じゃない。この子は勝負所で常に私の上を行く。)
奥歯を噛み、竹刀を動かし攻撃する素振りを見せる。ゆっくりと近づき、遠い間合いを少しずつ詰めていく日々川先輩。
(攻防一体!!守りに徹していては勝てない!!)
『ダッ!』
遠間から打ち込みを見せる。普段なら絶対にやらない戦法。
「キエエエエエッッ!!!」
「!・・こいつ!!」
竹刀同士が激しくぶつかり合う。何度か音を立て、やがて二つの竹刀は鍔迫り合いという形で静止する。
(戦法が変わった?いや、精神が高ぶっているのか。)
ギリギリと強い力で竹刀を押される麻姫。妖気を差し引いた場合、力は向こうが上だろう。現状を維持できず、僅かに隙が生まれる。そして。
「コテコテコテエエ!!」
小手を狙った攻撃。間一髪で躱し、肝を冷やしながら再び距離を取る麻姫。
「うるさい女子じゃ。」
「これが剣道よ。」
竹刀を動かし、再び攻撃態勢に移る日々川先輩。力では有利と確信し、攻撃する姿勢を崩さない。
(確か、声を上げないと一本にならない筈。とは言え、これはうるさすぎじゃ。漫画以上の奇声じゃな。)
「・・なによ。今更、愚弄する気?」
「そんな気は無い。おぬしが今まで打ち込んできた剣術であろう?」
「・・ふん!」
鼻で笑い、話を流そうとする。試合中のため麻姫も話題を広げようとはしない。
「さて・・と。」
(奇声は気合の表れか。試合の中でそんなことは気にならぬ。それよりも先の一撃。慎重に来ると思ったが、遠間から打ち込んできおった。そしてその後の鍔迫り合い。判断が遅れておったら取られていたな。あまり相手を乗らせたくはない・・・ならば。)
『ズズ・・』
「!」
ゆっくりと前進する麻姫。攻撃の意思を確認し、麻姫に不気味さを感じる。
(仕掛けてくる気?)
『プライドヲトリモドセ』
(!!・・・うるさい!!黙ってろ!!)
自分でもプライドが高いことは自覚している。目の前にいる女は確かに自分のプライドをズタズタに切り裂いた。だが、戦いの中で彼女の中に別の思いが生まれ始めていた。
(楽しい・・。剣を交えるだけでこんなに気持ちが高揚するのはいつ以来だろう・・・。)
「こやつ・・笑っておる。」
相変わらず殺気の入った目。だが、氷柱の様な冷たさと鋭さを持った先ほどまでの目つきとは違い、その中に温かさを感じる。そして緩んだ口元。
(試合を楽しんでおるな。こういう人間は・・・手強い。)
攻撃することを躊躇わせる。熱湯の中に手を突っ込む様な危険な行為。だが、敢えてその中へ踏み込むことを決断する。
『ダッ!!』
「!!」
『パァン!! パァアアン!!』
乾いた音が響き渡る。瞬きする間すら許さないほどの素早いやりとり。その動きに目を奪われる正樹と凝視する鳴女。
「くっ!!」
決定打を放てず距離を取る麻姫。だが、彼女はそれを許さない。
「キエエエエエッ!!!」
奇声と共に振りかぶる。素早く距離を詰め、逃れられないことを確信する麻姫。
(狙われたのは右小手いや・・違う、本命は次の動き!!)
別の狙いが隠れていると推測する麻姫。竹刀を交えた瞬間、おそらくもう一つの攻撃が待っている麻姫はそう考えた。その推測通り、竹刀の切っ先は麻姫が差し出した竹刀を軽く叩き、その反動で次の動きに転じようとする。その瞬間・・・。
(この場合の対処法は・・。)
体が勝手に動く。相手の狙いを読んだ瞬間、考えるより先に今までの経験が体を動かせる。敢えて相手の小手を狙い、攻撃に転じようとする。
(きた!!)
『グッ!!』
「!!」
態勢を引き、攻撃から逃げへと切り替える日々川先輩。予想外の動きに一瞬、躊躇する麻姫。次に自分の態勢と相手の態勢を見比べて、罠に嵌められたことに気付く。
(しまった!!)
(小手の後を狙ってくると思ったわよ。寸前まで攻撃の意思を見せるのは危険な賭けだったけどね。その優れた瞬発力がアダとなったわね!!)
反撃を読まれた麻姫。だが、彼女の動きは止まらない。
「小手えええっ!!!」
まだ可能性はある。悪手ではないと判断し、攻撃にすべてをゆだねる。だが・・。
『バッ!!』
「!!」
再び予想外の行動。竹刀から右手を離し、麻姫の切っ先を避ける日々川先輩。ありえない避け方に思考が途絶える。そして、離れた右手が再び竹刀を手に取る。
「メエエエエンッッ!!!!」
『パシイイイィィィィィィン!!!』
今までで一番大きな音だった。その場にいた全員の時間が止まり、竹刀の音だけが時間の流れに忠実に従う。そして、音が消え、再び時間が流れ始める。
「いっ・・ぽん」
ゆっくりと試合の終了を告げる鳴女。初めて白色の旗が揚がる。そして、日々川先輩がそれを見届けた瞬間。
「やっ・・た。」
ドサリと音を立て、先輩の体が崩れ落ちる。
「せ、先輩?」
「気を失っているようですね・・。妖気の使い過ぎでしょう。」
防具を着けたまま、床に倒れ、ピクリとも動かない日々川先輩。やがて、先輩の体から黒い煙が上がり始める。
「な、なんだ・・これ。」
「出ましたね。『猪我煙』。下級妖怪ですよ。人の心に潜み、その奥に潜む感情を増幅させる妖怪です。猪の妖怪ですが、基本的に意思を持たず人に寄生して人格を狂わせます。」
『フシュウウウウウ・・・・』
沸き起こった煙は一か所に固まり、猪の顔を作り出す。警戒した様子で妖刀を取り出す鳴女。素早い太刀で煙を切り裂き、呆気なく悲鳴と共に煙が消え去る。
「もっとも、姿を見せればもろいものです。」
「こいつが日々川先輩の中に潜んでいたってことか。」
「そうです。あの方が妖気を使っていたのも猪我煙が原因でしょう。増幅させたのは、おそらく前回の姫様との勝負。敗北した悔しさが増幅して彼女を狂わせた。まあ、元から我が強い方に見えましたが。」
日々川先輩の小手を外しながら状況を説明する鳴女。そして、袴姿になった彼女に治癒を施す。
「おつかれ・・。」
麻姫にねぎらいの言葉を掛ける正樹。面を外し、先輩と同じ様に袴姿の麻姫。
「うむ・・。なかなか手強い相手じゃった。最後、負けてしまったがな。」
「いや、いい勝負だったと思うよ。素人目だけどね。」
思ったことを口にする正樹。実際、二人の試合を見て感銘を受けた部分がある。
「あの女のことは心配するな。妖気を扱って体が疲れただけじゃ。鳴女の治癒を受ければ体の疲れも取れるじゃろう。」
「姫様、お疲れならばお先に帰られてもよろしいですよ。後のことは私が何とかしますから。」
先輩に膝枕しながらおでこに手を当て、治癒をする鳴女。『後のこと』の中にはその後の説明も含まれているのだろう。そして、その意味を読み取り、頷く麻姫。
「そうか。では、任せる。正樹、帰るか。」
「あ、ああ・・。」
学校を後にし、帰路に就く。
「あの女、強かったぞ。文句なしに。」
「マキも強かったよ。二人とも、なんていうか・・楽しそうだったし。」
「現に楽しかったぞ。あやつの剣術は妾の剣術とは違う。別の形で洗練されたものじゃ。」
会話の中心は先ほどの戦いの事ばかり。あの時、間違っただの。ああやって返したのが上手かっただの。相手を褒めればダメ出しもする。剣道は分からないが、楽しそうに話をするマキを見て、思わず質問をする。
「そんなに楽しかったなら、剣道やってみれば?」
「む・・。」
その瞬間、少し嫌そうな顔をするマキ。
「妾にはおぬしを護る義務がある。」
「そ、そう?」
「それと、ほれ。」
「ん?」
自分の頭を目の前に差し出し、指さす麻姫。
「嗅いでみろ。」
「え?」
「いいから、早く。」
言われたとおり、麻姫の頭を嗅ぐ正樹。その瞬間。
「く、くっせえ!!」
鼻を襲う刺激臭。その香りに思わず心の声が漏れる。
「じゃろ?あの面の中、いや、防具一式すべてが汚臭の塊じゃ。しかも使用したのは他人の物。あんなものを着けて戦うなど、妾には出来ぬ。正直、今回やりたくなかった理由は、あの女以外にこれがある。」
「ああ・・納得した。」
(髪の毛の匂いでこれだ。きっと中はもっとひどかったんだろうな。)
怖いもの見たさで少し嗅いでみたい気もするが、敢えてその意見は口にしなかった。とりあえず麻姫が戦いたくない理由は理解した。
・・・その夜。
「?・・マキか。トイレかな?」
ふと室内の扉が閉まる音で目を覚ます。そして廊下を歩く小さな足音が聞こえる。やがて、玄関の扉を開閉する音が聞こえ、外へと出たことが分かる。少しの好奇心から身を起こし、部屋着姿で足音の主を追いかける正樹。
「屋上・・・。」
エレベーターの光が屋上で止まったことから、マキが屋上に向かったことを知る。待っているより階段を使った方が早いと判断し、屋上へと向かう。蛍光灯の明かりが闇を拒み、踊り場を照らしていた。それなりに年季の入った深夜のマンションは慣れ親しんでなければ多少の心細さを感じるだろう。階段を上り、屋上へとたどり着く。
「いた・・・。」
マンションの屋上から夜景を見下ろすマキ。彼女を見つけたところで、正樹の足が止まる。
(どうしよう・・。別に用事もないし・・・。)
なんとなく彼女を追いかけて来ただけで、特に用事もない。マキの行動を気になりはしたが、結果、彼女は夜景を見に来ただけ。別に不思議なところはない。
(まあ、それならそれで・・・。)
再び歩き始め、マキへと近づく。冷たい夜風に吹かれ、彼女の黒髪が風でなびく。風景と化した彼女に近づき、後ろから声を掛ける正樹。
「なにしてんだよ。」
「え?」
声を掛けられたことに驚きながら振り向くマキ。そして、振り向いたマキの顔を見て、正樹は絶句する。
(な、泣いてる?)
背後のライトに照らされ、きらりと反射する水滴の跡。思わぬ事態に次の言葉が見つからない・・。
「な、なんじゃ!いきなり。なぜこんなところに?」
屋上の手すりを掴み、後ろを振り向くマキ。右手でごしごしと顔をこすり、涙の後を消そうとする。
「お、お前。なに泣いてんだよ!!」
「ち、違う!ちょっと夜風が目に染みただけじゃ。気にするでない!!」
「夜風?」
「そ、そうじゃ。」
確かに地上とは違い、ここでは強い風が吹いている。そして日中とは違い、その風は冷たく肌を刺激する。だが・・・。
(明らかに違うだろ・・・。)
自分が納得できる説明ではなかった。やがて、落ち着きを取り戻し、深呼吸をして振り返る麻姫。
「それにしても『でりかしい』の無い男じゃな。人が感傷に浸っているところに声を掛けるとは。」
いつものマキが姿を見せる。
(感傷ってのは『心をいためる』ことを言うんだけどな・・・。)
原因は察しが付く。だが、それを口に出すことはしない。柔らかな光が数か所灯っているだけの田舎の夜景。その夜景から視線を逸らさないマキ。
「風邪ひく前に帰ってこいよ。玄関のカギは開けておくから。」
「うむ。」
そう言い残し、屋上を後にする。正樹が去ったのを確認し、再び夜景を見つめる麻姫。
「感付かれてしまったかのう。正樹の前では演じたつもりじゃったが・・。」
「馬鹿だな。結局最後の一本、悔しかったんじゃねえか。」
プライドが高いのは日々川先輩だけではなかった。身近にもう一人プライドの高い女性が居たことに気付く。
・・・次の日。学校。
「なんですって!??それ、本当なの!?」
大声を上げて正樹の胸ぐらを掴む日々川先輩。
「ちょ、そんなに大声上げなくても。」
周りの目が正樹と先輩に向けられる。正樹の隣でその様子を呆れながら見つめる鳴女。『彼女の事を詳しく知りたい』と言った先輩に、話の流れから思わず麻姫の専門が剣術ではなく薙刀だと言う事を言ってしまった。
「じゃあ、私は彼女の専門外で負けたっていうの?そういう事よねっ!?」
「お、落ち着いて!!」
「落ち着けると思ってんの!!?」
歯ぎしりをしながら正樹の首を締め上げる日々川先輩。正樹の言葉に耳を傾けることなく、怒りが収まらないままその場を後にする。
「なんであんな不用意な事を言ったのですか?せっかく収まりかけてたのに・・。」
「いや、情報が知りたいと言ってたから・・・。」
「・・・まったく。それにしても、似た者同士かもしれませんね。あの女性。姫様を相手にしているみたいです。勝つまで挑みますよ。あの性格だと。」
溜息を吐き、正樹の失言に呆れる鳴女。憑き物が落ちた現在も日々川先輩は麻姫を目の敵にしている。




