雨音と音神
見えてくる。古く、狭い掘立小屋。横たわり、うなされる一人の男。男の体から流れる汗を必死に拭き取る小さな女の子。
「あれが、雨音か。」
現代の金色とは違う綺麗な黒髪。余程男が心配なのか、今にも泣き出しそうな顔を浮かべている。
「父様・・。戻ってきてください・・・。」
「・・・・・。」
(父親という事は、この男が音神か。どうやら神と言うのは本当らしいな。この町の氏神だとか。伝承通りならば、この父親は亡くなる事となる。少し、記憶を早めてみるか。)
2日後、雨音の看病も虚しく音神は亡くなった。声を上げ、亡骸となった父親にしがみ付き泣きじゃくる彼女。その後姿を見つめる麻姫。
(悲しいものじゃ。記憶を辿るとこういう事があるからな・・・。)
数時間後、泣きつかれたか冷たくなった父親の前で眠る雨音。その時、小屋の扉が開く。
「雨音様・・。おられますか?」
「な、なに?」
扉が開く音で目を覚ます雨音。目を擦り、入口に立つ客人に目を向ける。現れたのは一人の老人。腰が折れた体を杖で支えながら、ゆっくりと雨音に近づく。
「村長様・・。」
「少し、話がしたいのですが。」
・・・・。
「私に、敵討ちをしろとおっしゃるのですか?」
「金猿が現れてからと言うもの、作物は荒らされ、食う物にも困る始末。当初の一匹から群れとなった今、被害は更に大きくなり、山の獣や木の実まで奪われ、どこにも食べる物はありませぬ。」
「ですが・・・。」
父親の亡骸を見る雨音。看病をしていた彼女が、金猿の強さを一番知っていた。
「あの父様にこれほどの傷を付ける妖怪・・・。きっと名の知れた妖怪でしょう。」
「見た物の話では、金猿は刃物が通じないとか・・。音神様も傷一つ付ける事が出来ず、次第に追い込まれていったと言う話です。」
「刃物・・・。」
「我々の力だけではどうしようもありません。お願いします、どうか我々に力をお貸しください。神であるあなたの協力が無ければ、金猿を退治する事が出来ませぬ。」
頭を下げ、必死に雨音の協力を乞う老人。その姿を見て、麻姫は苛立ちを覚える。
「解せぬな。この老人、腹に一物を抱えておる。」
表向きとは裏腹に心の奥に潜む禍々しい闇。麻姫に実体があれば蹴り飛ばしているところであろう。
小屋を出る村長。そして、それを見るや老人の元に集まる人々。
「・・・村長様、どうでした?雨音様は。」
「うむ・・。協力してくれるとの事だ。」
「それは良かった!!」
嬉しそうな表情を浮かべる男達。金猿との戦力と考えれば、神である雨音の協力は力強いだろう。だが・・。
「勝てる見込みは少ないがな。それでも戦力には変わりない。あの子も死ぬならば我々もこの土地を去らねばならぬ。その準備はしておけ。勝てる可能性は皆無に等しい。お主達も無理はするな。新しい生活に備える方が利口だ。」
「は、はい・・。それはもう。」
「うちにも女房子供がおりますので・・。」
村長の言葉に頬を緩ませ、答える男達。その光景を見て、麻姫の苛立ちは増大する。
「やはりな・・。勝機があれば加勢はするが、敗戦濃厚となれば平気で雨音を見捨てる。やり方としては間違ってはおらぬが気に食わぬ。」
村人たちのやり取りを見た後、再び小屋へと戻る麻姫。そこで見た物は・・。
『ドンッ!!』
「気に食わない・・・あの顔、喋り方、絶対私を利用している。」
床を叩き、村長の行いに腹の虫が治まらない様子の雨音。
「ほう・・。」
(見抜いていたか。)
「私達を・・父様を何だと思ってるの。あいつらは絶対に協力はしない。戦いとなったら必ず逃げる。でも・・・。」
そこで言葉は止まる。音神様の顔を見つめ、再び涙を流す雨音。
「協力が欲しかったのは雨音の方か・・・。神とはいえ、少女一人では不安だったのであろう。」
音神への想いから、彼女が敵を討とうとしているのは分かる。そのうえで、少しでも人手が欲しかったのだろう。例え、向こうが自分を利用していようとも。
「氏神でありながら村人はあまり信仰して居なかった様じゃな。神を平気で戦場に導くなど。」
雨音の決意が強いことを確信し、金猿との決戦の日まで時間を進める。大雨が降る日、雨音の小屋に集まる村人たち。
「言われた通り、作らせました。どうですか?」
差し出されたのは一枚のお面。猿を模ったその面を、じっくりと見定める雨音。
「ええ・・。良い出来です。後は私の言った通り動いて下さい。」
「はい。村長から話は聞いています。雨音様の計画に沿って儂等は動くだけです。それが絶対の条件だって話ですから。」
「お願いします。金猿を殺る為です。大体の事は私が殺ります。」
(この人たちはアテにならない。命を掛けてまで戦う事はしない。ならば生死を掛けない範囲で利用させてもらう。)
雨音の心の声が麻姫に伝わる。人間に利用されていると知っていながら、断られない範囲で人間を利用しようと雨音は考えた。
「こやつ・・強いな。」
ただ一人、命を懸けて戦おうとする女の子。村人たちの生活は関係なく、父親を殺された恨みの為に動く少女の強さに麻姫は心を打たれる。
時間は進み、村人と雨音は金猿の住む川沿いの谷へと向かう。夜のとばりが下りて雨の音と水かさを増した濁流の音だけが辺りを支配する。
「あいつは群れを作っています。気を付けて下さい。」
「ええ・・。最初はあなた達の働きに掛かっています。成功させて下さい。」
金猿の住む洞窟。人間より優れた嗅覚、聴覚を持っていたとしても、この大雨が少なくとも邪魔をするだろう。雨音はそう考え、大雨の日を選んだ。
(雨の日は私の神術が最大限に引き出される。父様でさえ敵わなかった相手。せめてその差は埋めなければ勝てない・・・。)
最低でも金猿の長所を封じる必要がある。そう考えた雨音は獣特有の長所を封じる必要があると考えた。
「頼みますよ。ここだけは成功させて下さい・・・。」
次の作戦。それは大量の糞尿を洞窟に流し込むことである。桶一杯に熟成した糞尿を洞窟に流し込む。村人には『出来るだけ洞窟の奥にまで』と指示を出している。入口の真正面に陣取る雨音と村人。そして数分後、洞窟に入った村人が戻ってくる。
「誘き出す事も大事です・・・ただ、それ以上に・・・。」
集中し、神術を使う雨音。濁流から水を抜き取り、大量の水を洞窟内へと流し込む。奥へと流し込まれた水が洞窟内を満たし、表に溢れてくる。大量の水に押し出され、次々と洞窟外へと姿を見せる化け猿たち。
「ひっ・・。来た!!」
「よし!!」
現れた猿に怯える村人達。だが、それは雨音の想定内だった。ボロボロのミノと面を身に着け混乱する猿の群れの中へと一人向かう。
「雨音様!!」
「静かにしろ!ここから先は雨音様に任せろ。あのミノには化け猿の糞が塗られておる。簡単には見つからぬ筈だ。」
固唾を呑み、雨音を見つめる老人。
(あの変装が通じるかどうかが戦況を左右する。果たして・・・。)
雨音の鼓動が早くなる。『怖い・・』『逃げたい・・』。これだけの頭数・・。一つヘマをすれば確実に殺される。
(でも・・やるしかない。)
猿面の裏側で涙を浮かべる雨音。幸い、変装は通用しているらしく自分を疑う化け猿はいない。そして、雨音は次の手に移行する。
『グワッ・・』
「ウギィ?」
周りの水が雨音の神術に操られ、生き物の様に動く。化け猿達もその様子に気付き、騒ぎ出す。そして・・。
『ザシュッ!!』
「ギイイイイイッッ!!!」
一匹、二匹と斬られていく化け猿。抵抗しようにも相手は水。どうする事も出来ずにあっという間に辺りは血で染まる。
(正直、私の神術は未熟。刃物の様な切れ味は見せても、精々カミソリ程度。斧や剣にはならない。何度も何度も攻撃しないと!!)
「ギャアアアッッ!!」
「ィアアアアア!!!」
叫び声を上げながら倒れて行く化け猿達。その中には金猿も含まれていた。刃物を滑らす金猿も神術で操られた水は防げず、他の化け猿と同じようにその金色の毛はみるみると血で染まっていく。
『ドシャッッ!!』
大きな音を立て、金猿の体が倒れる。
「殺した・・のか?」
ピクリとも動かない化け猿たち。その中で、猿に扮した雨音だけが立っていた。
「はあ・・はあ・・。」
(まだ・・・弱い。確実に殺さないと・・・。)
雨音が金猿にとどめを刺そうとしたその時。
「この野郎!!」
「!!」
草むらから一人の村人が飛び出す。そして、それに続き二人、三人と村人が飛び出してくる。得物を振りかざし、金猿の体に叩き付ける村人たち。
「子供たちの仇だ!!」
「クソ猿が!!」
それぞれが恨みの言葉と共に金猿に打撃を与える。だが。
「グウウウウウウウ・・・・・」
「!!」
金猿の顔が村人を睨む。殺意の満ちた眼差しを向けられ、怯む村人たち。金猿が生きていると知った瞬間。
「ガアアアアアッッ!!」
『ザシュッ!!』
鋭い爪で引き裂かれ、一撃で絶命する村人。その光景を目の当たりにし、蜘蛛の子を散らす様に逃げる村人達。
「ウガアアアアッッ!!!」
「ひいっ!!」
巨大な手で鷲掴みにされる一人の村人。身動きすることも出来ず、震える事しか出来ない。
「ひ、ひいいい!!」
「グウウウ・・・。」
顔を近づけ、威圧する金猿。食うのか、それとも握りつぶされるのか・・・。自分の最期を意識する。
「た、たすけ・・・。」
「馬鹿!こっちを見るな!!」
震えながら隣の雨音に視線を向ける。
「ガア?」
男の視線を追いかける金猿。その先に居たのは味方のはずの化け猿。そして、村人を投げ捨てて雨音に近寄る。
「く・・・。」
水を操り、再び神術を使う雨音。そして、金猿に攻撃を試みようとするが。
「ガアアッッ!!」
『ドゴォッ!!』
雨音の神術よりも早く金猿の一撃が体を捉える。体内の骨が折れる音が聞こえた。雨音の体は軽々と吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。
「ゲホッ!!ガハッ!!」
「いかん!逃げろ!!」
雨音の危機を知り、逃げようとする村長。だが、村人は村長の指示には従わない。
「どうした?早く逃げるぞ!!」
「・・・村長。逃げれません。」
「?何を言っておる。」
何かを決意した村人達。それぞれが無言のまま得物を持つ手に力を入れる。
「あいつを殺す機会です。これを逃す事は出来ません・・。」
一人の村人が意見する。他の村人も無言のままコクリと頷き、同じ考えだと村長に意志を伝える。
「貴様等、死ぬかも知れぬのじゃぞ。」
「覚悟はしてます。ですが、それ以上に奴への恨みが消えません。もとより私はこの土地以外を知らない。他の場所でやっていける自信はありません。ならば、せめてここで亡くなった者たちの仇を討たせていただきたい。」
金猿を睨みながら苦笑いを浮かべる村人。
「か、勝手にしろ!!儂は知らぬ!!」
山を下り、川の方へと姿を消す村長。
「行くぞ!お前等!!」
「ああ!!」
村長を無視し、金猿に立ち向かう村人達。一斉に飛び出し、金猿に襲いかかる。
「ウガッ?」
大声を上げ、飛び出してきた村人は一斉に金猿の体に飛び掛かる。蟻の大群の様に金猿の体を覆い尽くし、夢中でその身体に傷を付けようとする。
「雨音様!!大丈夫ですか?」
「う・・。ガハッ・・。あ・・あ・・。」
「・・・・・。」
(駄目だ。酷い傷だ。)
肺でもやられているのか吐血する雨音。傷の深さを知り、掛ける言葉が見つからない村人。
「・・・喋らないでください。あとは我々が・・・。」
「け・・剣を・・。」
「剣?」
細い声で必死に剣を指差す雨音。言われるがまま、雨音に剣を差し出す。
「ま、まさか・・。止めて下さい。戦うならば雨音様の術で・・・。」
首を振り、それを拒否する雨音。
「む・・り・・。」
(あれでは金猿を仕留める事が出来ない。二つを・・二つを使うしか仕留める方法は無い。)
村人たちの攻撃を受け、金猿の目は雨音から逸らされた。最後のチャンスと考え、力を振り絞り立ち上がる雨音。
(父様・・・見ていて下さい・・必ず仇を・・。)
「駄目だ!刃物が効かない!!」
「なんて丈夫な野郎だ!全く効果が無え!」
刃物も効かなければ打撃も効果を見せない。弱まる様子も無く暴れ続ける金猿。村人たちの心は徐々に折れ始めていた。
「ウガアアアアアアッ!!!」
更に咆哮を上げ、暴れる金猿。だが、その咆哮が少しおかしい事に一人の村人が気付く。
「なんだ?あいつ、これは・・悲鳴?」
狂いだし、何かに苦しんでいる様に見える。
「お、おい!あれ見ろ!!金猿の背中にしがみついてるの!!」
「雨音様!!」
村人が指差した先。暴れ狂う金猿の体に剣を差し、吹き飛ばされない様に小さな体で必死にしがみつく。
「くっ・・・。」
(やはり。流石に傷口から刺せば剣は刺さるか。)
神術で付けた傷。金色の毛を払いのけ、その傷口に剣を突き刺した。思わぬ痛みに金猿は暴れ出す。ただ、暴れれば暴れる程、剣は傷を刺激し、その痛みを増幅させる。
『ビチィィ!!』
「ギアアアアアッッッ!!!」
金猿の血液が噴き出す。
「み、見ろ!!水が・・。」
「雨音様の神術!!」
水が高く舞い上がる。揺らめきながら金猿の真上に集められる水。今までの物とは規模が違う。
(これが最後・・・。私の命を懸けて最大の術を放つ!!)
水は一点に集中し、槍となる。狙いは金猿に付けた傷。大量の水を操り、最後の術を放つ雨音。
「ギエアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
槍は背中から腹へと貫通し、大量の血液と共に金猿の叫び声が響く。鼓膜が破れるかと思うほどの咆哮。そして、その巨体はついに崩れ落ちる。
「やっ・・た?」
ピクピクと痙攣する金猿。だが、立ち上がる力は明らかに無い。
「今度は・・死んだふりとかじゃない・・・よな?」
半信半疑のまま金猿へと近づく村人達。そして、白目を見せ、金猿が絶命した事を確認する。
「やった!!勝った!!勝ったぞおおおおおっ!!!」
勝利を確信し、勝どきを上げる村人たち。歓喜の声が辺りに響き、今までの苦労から解放された事を喜ぶ。
「おい!!雨音様が・・・。」
「え?」
「雨音様が・・・亡くなられた・・。」
剣の柄を強く握りしめたまま絶命している雨音。神術が金猿の体を貫いた瞬間、彼女の意識は消え、絶命した。すべての力を使い果たし、その一撃が金猿の命を絶つと信じ・・。
「雨音様・・・。」
「・・・・。」
村人たちは雨音に謝る。ただ一人、最初から最後まで金猿に立ち向かった少女。安らかな顔を浮かべながら絶命した雨音を村人たちは無言で見つめる。
「・・・金猿は倒す事に成功したか。問題はこの後。雨音自身、妖気については何も知らぬ。」
間接的な話しではあるが、雨音は絶命してから三橋商店で目を覚ますまでの記憶が無い。現在の鳴女は妖気も無く、ただの神。そして、最大の特徴である金髪も無い。
「つまり、まだ神のまま・・・。」
次第に景色が薄れて行く・・。視界がぼやけはじめ、村人たちの声も少しずつ聞こえにくくなる。
「・・・ここまでか。雨音が死んだのは間違いない様じゃな。」
絶命しても暫くは映像を見ることが出来る。だが、それはほんの数分。そして、その時間も終わり。強制的に現世に戻される麻姫。
「・・・という訳です。結局、雨音が妖気を得た理由は分かりませんでした。」
居間で皆の前で報告する麻姫。全員が沈黙する中、婆様が口を開く。
「・・少々、気の毒な過去ですな。あの子が神である事は間違いないのですね?」
「はい。使っていたのは神術。不可解な点はありませんでしたのでそれは間違いありません。」
「なるほどな・・。鳴女!お前からの報告を。」
「はい・・。」
婆様に呼ばれ、目の前のプリントを読もうとする鳴女。
「何じゃ?その紙。」
「鳴女には伝承、神社について色々と調べてもらった。それで分かった事が幾つかあるから報告してもらおう。」
「良いですか?では・・。」
皆の顔を見渡し、まとめたプリントを読み上げる。
「いくつかの文献を見てみましたが、あの子はその後、金猿と共に埋葬された様です。『剣から手が離れなかった』『村人の意図』など、いくつかの理由はありましたが詳細は分かりません。そして、村人たちの意向で二つの神社が建てられました。一つは金猿との決戦の場。つまり、雨音神社。金猿と雨音ちゃんが埋葬されたのは、そこです。そして、もう一つが音神様と雨音ちゃんが暮らしていた場所。そこに建てられたのが音神神社。そして、そこには音神様が埋葬されていると伝えられています。」
「あの神社ってそんな意味があったのか・・・。身近な場所だけど、そんな成り立ちがあるなんて知らなかった。」
鳴女の話を聞き、意外な歴史があった事を知る正樹。
「あの神社に限らず、史跡には理由が存在します。私が調べたのはここまで。すいません、時間が限られていましたので。」
「構わぬ。よく調べてくれた。さて、鳴女の報告から導き出された一つの仮説がある。じつはあの子の体内には核が存在していてな。妖気がある以上、核はある。それは別に不思議な事では無い。だが、問題は金猿の妖気だという事。」
「どういう事ですか?」
「『妖怪が憑りついた猿面を砕いた』と姫様はおっしゃられたな?」
「はい。」
「雨音ちゃんにはお主等と戦った記憶が無い。あの時、姫様達を襲っていたのは猿面の妖怪によるもの。鳴女と姫様の二人を相手に追い込んでいたとなると、それこそ自分の手足の様に操れていたと思われる。」
「もしや・・・。」
婆様の言いたい事に気付く鳴女。そして、そのまま言葉を続ける婆様。
「絶命する瞬間、金猿は鳴女の猿面に憑りついた。高等技術ではあるが、位の高い妖怪であれば可能な術じゃ。そして、年月を掛け、雨音ちゃんの体を修復し、徐々に体を馴染ませていった。」
「しかし、それでは妖力は?憑りついた後なら妖気はカラ。年月を掛けても妖気が無ければそのような事は・・・。」
「核は無いが妖気ならある。」
鳴女の疑問に麻姫が答える。
「金猿と雨音は共に埋葬されたと言っていたな。それが本当ならば金猿の体に妖気が残って居る。そいつを使い、雨音の体を修復すると共に年月を掛け、新たに核を作る。意識こそ消えていたが、雨音の魂も残っていたのじゃろう。再び雨音も息を吹き返したがな。」
「そんな・・信じられません。」
「・・儂の仮説も姫様と同じ。確かに、信じられない話じゃが、情報を集めると、その答えが導き出される。」
「・・・・。」
考え込む鳴女。低く唸りながら色々と考えてみるが、他の説明は確かに出来ない。
(だいたい、神術と妖術を同時に使える人物が居る時点で信じられない話・・・。それを『説明しろ』ってのが、もうメチャクチャだもの・・。)
「婆様、一つ質問があるのですが・・。」
「どうした?」
「その、『雨音ちゃん』とはなんですか?」
・・・翌日。
「お婆ちゃん!」
「おうおう・・。良い子じゃのう、雨音ちゃん。チョコレート食べるかい?」
頬を緩ませ、雨音に売り物の小さいチョコを渡す婆様。慣れない手つきで包み紙をはがし、チョコの甘さを味わう雨音。
「あまーい。」
「ふふっ・・・。さすがにチョコは存在せぬからのう。昔は甘味物なんて、滅多に味わえなかったからのう。」
「・・・そういう事か。」
呆れながら二人のやり取りを見る麻姫。
「それにしても、婆様はともかく雨音も昔とはえらい違うのう。もっと凛々しかったはずじゃが。」
「そうなのですか?記憶は残っていますから一時的なものかも知れません。まあ、命に係わる物でも無さそうですが。」
「そういう事ってあるんですか?」
二人のやり取りに口をはさむ正樹。
「さあな。」
「さあなって・・。」
「有り得ない事ばかりじゃ。これくらいの小さな疑問なら、もう気にもならんわ。」
「まあ・・ね。」
(一般人の俺からすればそれ以上に有り得ない事だらけだけど・・。)
「それにしても・・・。溺愛しておるのう。」
デレデレと雨音と戯れる婆様。雨音も出会って間もないと思えない位、婆様に懐いていた。
「威厳も無いな。鳴女、これから大変じゃぞ。」
「ははは・・。家族が増えるのは良い事ですから。」
三橋商店を後にし、帰宅する正樹と麻姫。慣れた手つきでリモコンを操作し、テレビを点ける。適当なニュース番組にチャンネルを合わせ、あぐらを掻く麻姫。
「今日は学校とやらは無いのか?」
「無いよ。週末は休みなの。仮眠したとはいえ、寝足りないな。流石に寝させてもらうよ。」
冷蔵庫から麦茶を出し、コップに注ぐ。
「ほら、姫の分も。」
「おお、すまぬ。・・・のう。その姫と言うのは止めぬか?」
「ん?」
唐突な発言に麦茶を飲む手が止まる。
「どうしたの?」
「いや、姫ではあるのじゃが、多少距離感がな。居候の身なのじゃから、もっと別の名で呼んで欲しいのじゃが。」
「他に名はあるの?麻姫って言われてるけど。」
「無い。」
「じゃあ、呼びようが・・・。」
(『姫』という呼び名のコンプレックスかな。高瀬さんみたいに別の名が欲しいのか。)
彼女の心情を察する。会って間もない事から、今なら呼び名を変える事も苦では無い。
「麻姫・・麻姫・・・。うーん・・・。じゃあ、『マキ』と言うのは?」
「マキ?」
「うん。一般的な名前だよ。『麻』と『姫』で、マキって呼べるし。」
「マキ・・まき・・うむ、良い名じゃな。よし、決めた。ならば今から妾の事を『マキ』と呼ぶが良い。」
「本名じゃないけど。」
「人間としての名前じゃ。姿を隠すには必要じゃろう。」
目を輝かせ、嬉しさを露わにする麻姫。
(その割にはバレバレの名だけど・・・。)
口に出かかった言葉を呑み込む正樹。
「鳴女にも伝えておこう。どれ。」
ポケットから携帯電話を取り出す麻姫。
「え?ちょっと、それって。」
「ん?ああ、これか。人間界の通信手段じゃろ?」
黒いガラケーを取り出しカチカチと慣れた手つきで操作する麻姫。
「『便利だから持っておけ』と婆様に言われてな。操作方法なら心配するな。ここに来る前に学んでおいたからそれなりには使える筈じゃ。どれ、送信。」
「・・・・。」
(緊急用に使うのが普通なんだけど・・・。番号は後で交換する事にしよう。)
『ピピッ!ピピッ!』
電子音が鳴り、麻姫の携帯がメールを受信する。
「お、来おった。どれどれ・・・。」
「高瀬さんから?なんて?」
「えっと・・。『馬鹿なことやってないで寝なさい』」
「・・・・。」
(彼女も眠いんだな。)
その日の夕方。居間で麻姫に妖気の扱い方について教えてもらう。
「さて、まずは簡単な説明から。妖気と言うのは大きく分けて、2つの使い方がある。一つは術としての使い方、そしてもう一つは体を強くする使い方。術は一朝一夕で身に付く物ではない。日々の鍛練と、妖怪の種類が重要。」
「妖怪の種類?」
「左様。種別によって得意、不得意があるからな。これに関して正樹は学ぶ必要は無いじゃろう。学ぶべきは、後者の方。」
「体を強くするってやつ?」
「そうじゃ。例としては雨音が使っていたものじゃな。妖気を漲らせ、身体能力を向上させる。反射速度、筋力、全体的に上げることも出来れば部分的に上げる事も可能。これは、妖気の使い方を知っていないと出来ない。」
「あんなのが、俺にも出来るの?」
雨音と高瀬さんの戦いを思い出す正樹。二人とも、明らかに人間とは思えない動きを見せていた。
「あれと同じことが・・・。」
「さすがにあのような動きは求めておらぬ。どれ、まずは妖気を感知する事から覚えるか。」
そういうと正樹の手を握る麻姫。
「な、何を・・。」
「何を照れておる?高々手を握ったくらいで。雨音の中に行ったときも握ったではないか。」
「・・・・。」
「まあ良い。妾が妖気を放出するから、それを感知したら机を叩け。簡単じゃろ?」
「あ、ああ・・。」
「いくぞ・・・。」
固唾を呑み、集中する正樹。二人とも沈黙する中、十秒、二十秒と時間が過ぎて行く。そして・・・。
「はい、終わり。」
「え?」
「終わりだと言っておろう。残念ながら感知する事は出来なかったか。」
時間にして1分程。その間、特に何も感じなかった。
「合計4回。すべて感じられず。」
「4回も?何も感じなかったぞ!!」
「まあ、最初はそんな物じゃろう。妾も最初はそうじゃったからな。それに、人間には感じる事が出来ない代物じゃ。妖気があるからと言って、そう簡単に感知できる物でも無かろう。」
「そんな、こんなに難しいのか?」
集中はしていた。体のどこかに刺激があれば、すぐに机を叩いてやろうと。だが、何も感じる事無く時間だけが過ぎて行った。
「・・現に雨音と鳴女が戦っていた時。何か感じたか?」
「う・・。」
「あの時、二人だけでなく近くに居た妾も妖気を張り巡らせておった。視覚以外でなにか感じたか?」
「・・・いや。二人の戦いに圧倒され、身の危険は感じていた。でも、それ以外は特に何も。」
「じゃろ?」
うつむきながら正直に答える正樹。だが、それが普通だと麻姫は知っていた。
「心配するな。妖気に慣れれば自然と目覚める事になるじゃろう。いきなり出来る物でも無いからのう。ゆっくり学べば良い。」
そして、一度常識から外れた列車は再びレールへと戻される。突如現れた猫又の姫という乗客を乗せ、再び正樹の生活が始まる。




