アビシラ
「う・・う・・。」
暗い部屋で目を覚ます雨音。『ズキン』と頭に響く痛み。
(わたし・・どうしたんだっけ?)
眠っていたかの様な感覚。とりあえず身を起こそうと体に力を入れる・・・が、両手両足を布で縛られ起き上がることが出来ない。
「なに・・これ?」
「お目覚めかい?」
椅子からゆっくりと立ち上がり、雨音に近寄る女。その顔を見て、すべてを思い出す。
「アビ・・シラ。」
「覚えててくれたんだね。うれしいよ。」
右手に持っている小刀の刃を雨音に押し当てる。
「私も雨音ちゃんに会いたかったよ。二人っきりになるのをどんなに待ち焦がれたか。」
「これを解いて・・・。」
「それは出来ないね。解いたら逃げちゃうでしょ?いひひ・・。細い腕だね。でも綺麗な肌してるよ。子供特有の新鮮な肌だ。・・いいね。細胞が若いっていうのは。」
雨音の細い腕に自分の舌を滑らせる。汗の味が舌を刺激し、それをノドの奥へと飲み込み、うっとりするアビシラ。
「体液も新鮮だ。匂いが無い。」
「・・・変態。」
ぽつりと言葉を漏らす雨音。局部を触らないアビシラ独自の攻め。欲望のままにねっとりと様々な部位を触り、嗅ぎ、味わい、堪能する。
「れろ・・・・ちゅぱっ・・・・いひっ。」
髪の毛を口に含み満足そうに微笑む。性癖を理解できないが気持ちの悪さはよくわかる。怯えながら視線をアビシラから外す雨音。
(あ、あれは・・・。)
視線の先に液体がこぼれていた。薄暗くてよく見えないが、部屋を照らす僅かな光を反射している。
(あれを使えば・・・。)
「んっ・・はあ・・はあ・・。」
髪を堪能し終え、首筋を舐めはじめるアビシラ。興奮し続けるアビシラが雨音の思惑に気付いている様子は無い。屈辱に耐えながらばれないように神気を使う。そして・・・。
(今だ!!)
「!!」
液体を操りアビシラに攻撃を仕掛ける。だが、僅かに漏れた殺気をアビシラが感知する。刃物と化した液体はアビシラの腕を掠めるが、致命傷には程遠い。
「くっ!!」
思わぬ攻撃に距離を取るアビシラ。『今がチャンス』と液体を使い四肢を押さえつける布を切り裂く。拘束を解き、身を起こしたその時。
「逃がすか!!」
アビシラの拳が顔を捉える。机から落ち、床に叩きつけられる雨音。
「・・・神術か。砂魔奈の溶液を忘れていたよ。」
傷口から滴る血を舐め、雨音に近づく。雨音からわずかに殺気が消え、アビシラが発した言葉を繰り返す。
「砂魔奈の溶液・・?」
「ん?ああ、そうかい。知らなかったか。」
その言葉を聞き、笑みを浮かべるアビシラ。雨音が事実に気付いた事を知り、彼女の加虐性欲が刺激される。
「雨音ちゃんが今、使った液体は砂魔奈ちゃんの体を構成していた液体・・。人間でいう血液にあたる液体だよ。」
「うそ・・・。」
「ホントさ。気丈な子でね。手足を拘束されても生意気な口は動きっぱなしで手を焼いたよ。だけど、一つの言葉が砂魔奈ちゃんの心を動かしたんだ。なんだか分かるかい?」
「・・・・・。」
(ドクン・・)
鼓動が体内に響く。
明らかに動揺する雨音を見て笑いを堪えきれない。『この一言を発すれば雨音の心は崩れるだろう』。その確信があった。そしてアビシラは引き金を引く。
「私がね。『次は雨音ちゃんを狙う』と言ったんだよ。そうしたら思いのほか食いつきがよくってさ。『雨音には手を出すな』だって。あって間もない雨音ちゃんに異常な反応を見せてさ。余程、心を許していたんだろうね。」
「うそ・・・。」
「ほ・ん・と。そこからは早かったね。涙を流してワンワン泣いて。何度切りつけても涙を堪えていたのに刃部を肌に当てるだけで喚く喚く。」
『ドクン・・・』
雨音の脳内が掻き回され、心臓の鼓動が体内に大きく響く。危機感も殺意もすべてを忘れ去り、空っぽになった頭に再び心臓の音だけが伝わる。
『ドクン・・・』
そして・・。
「うわああああああっっ!!!」
間欠泉の様に沸き起こる感情。空になった心から突然激情が噴き出す。叫び声とともに突然、強大な妖気を放出する。
「な、なんだ?この妖気。」
建物内を探索する最中、突然膨れ上がった妖気に困惑する正樹。
「金猿の物じゃ。雨音が激昂しておる。」
我を忘れた妖気の放出。精神状態がまともではないと麻姫は判断する。
「急ぐぞ正樹!!」
「ま、待って!」
「な・・な・・・。」
体内から放出された雨音の妖気に押されるアビシラ。
「・・こいつ、こんな妖気を。何者だ!?」
「許さない・・・。絶対に。よくも砂魔奈ちゃんを。」
「な、舐めんじゃないよ!!」
短刀を手に襲いかかる。刃先を雨音に向け、突き刺そうとするが刃は雨音の肌を滑り、傷一つ付けることが出来ない。
「は?」
ぬるりと滑る短刀。呆気にとられると同時に自分の体に隙が出来たことに気付く。
「許さない。」
ぽつりと雨音がこぼす。握りしめた拳を力強く伸ばし、全力でアビシラの腹部に叩きつける。拳に衝撃が伝わり、手を伸ばしきった時にはアビシラの体は壁に叩きつけられていた。
「がはっ!!」
後頭部を壁に強く打ち、彼女の意識が消える。ぐったりと崩れ落ち、ピクリとも動かない。
「はあ・・はあ・・・はあ・・・。」
息を整えようとする雨音のもとへ、麻姫が駆けつける。
「雨音!!」
「お姉ちゃん・・・。」
麻姫の顔を見てぺたりと崩れ落ちる雨音。緊張の糸が切れ、全身から力が抜ける。
「これは・・雨音が?」
「うん・・。」
「何があった?・・いや、今は喋らなくてもいい。とにかく外へ出よう。」
「ま、待って。そこの水たまり・・。」
這いずりながら部屋の隅にある水たまりへと向かう雨音。そして、水たまりから二つのイヤリングを拾い上げる。
「・・・あった。」
「なんじゃ?それは。」
「ううん。なんでもない。」
会話が終わるころ、正樹も部屋へとたどり着く。
「雨音ちゃん!!」
「来たか。正樹!雨音と一緒に入り口まで行っておれ。妾には少しやることがある。」
ちらりとアビシラを一瞥する麻姫。麻姫の意図を理解し、頷く正樹。そして立ち上がれない雨音を背負い、部屋の外へと出ていく。
「・・・さてと。悪の根源は絶たねばいかん。」
数分後、正樹のもとへ駆けつける麻姫。
「終わった?」
「うむ・・。行くか。」
「ああ・・。」
それ以上の会話はいらなかった。アビシラを殺したのだろう。自然と正樹の口は重くなり、麻姫も必要な事以外は喋ろうとしない。空間を繋ぐ穴を出て再び常根山へと出る3人。
「・・・戻ってる。」
目の前の光景に驚く正樹。先ほどまでの巨大クレーターは無くなり、代わりに焦土が広がる。山火事でも起きたのだろうか。鎮火した後の様な光景が広がる。
その中に重厚な妖気を確認する。その場所へと向かい、居たのは一人の老人。そして、その横に倒れているのは妖狐と婆様。
「婆様!!」
「ほう。向こうから出てくるとは。探す手間が省けたわい。」
3人に気付く老人。そして、正樹たちに気付き、菊花と婆様も身を起こす。
「にげ・・ろ。正樹。」
「まだ動くか。貴様らは後で核を取り出してやる。しばらく寝ていろ。」
人差し指を二人に向け、雷を放つ老人。叫び声をあげ、苦しみながら再び倒れる菊花と婆様。
「貴様!!」
「ほう。そこの女は神か?強大な妖気の奥にわずかに神気を感じる。これはまた貴重な実験体が現れた。」
雨音の特性を一瞬で見抜く老人。神気と妖気の混じった雨音に興味を抱く。
「正樹・・雨音を連れて逃げろ。こやつの狙いはお前だ。」
「お兄ちゃん。降ろして。私も戦う。」
「雨音?お主も逃げろ。」
正樹の背中から降り、麻姫の命令に対し首を振る雨音。
「お姉ちゃん、勝てるわけ無いでしょ。あの人、強いなんてもんじゃないよ。それになんだか・・気持ち悪い。」
『気持ち悪い』。雨音の発した言葉に同意する正樹。一つの体に対し、幾つもの妖気を老人の体から感じる。
「時間が無い。来るぞ!!」
法師が人差し指を麻姫に向ける。放たれた雷を避け、法師に向かい走りだす麻姫。薙刀で切りかかるが、麻姫の攻撃を難なく避ける。雨音も同時に襲い掛かるが、その攻撃を涼しい顔で躱す。
「ほれ!」
法師の一撃が腹部にめり込む。それと同時に麻姫の体に雷が走る。
「がああっ!!」
「電気と言うのは非常に便利でな。全身にダメージを与えることが出来る。内部から破壊するにはもってこいだ。」
「やあああっ!!」
叫び声をあげながら襲い掛かる雨音。拳を避けた後、彼女の頭を鷲掴みにする。そして、そのまま体重をかけ、力強く地面に叩きつける。
『ベキィッ!!』
雨音の体内で何かが折れる。衝撃に耐えきれず、声すら上げることが出来ない。
「がっ・・があ・・・。」
「ふ。先の老婆と狐に比べればなんと他愛のない。物足りぬにも程があるわ。雨音と言ったか。貴様が音神の娘だな。なるほど、神気を持っている理由も頷ける。」
よろよろと立ち上がる麻姫。一方、雨音の方はもう立つことも出来ない。老人を前に実力差を思い知る。
「まだ抵抗するか。」
その時・・ぽつぽつと雨が降り出す。
「雨?ああ、あのババアの術か。無駄なことを。」
横たわる菊花と婆様。意識はまだあるらしく、妖術を発動させる。雨足は強くなるが、体力を回復させるほどの効果はすでに無い。
(雨音・・。この雨を・・使って・・。)
婆様の意図は他にあった。体力を回復させるほどの術はもう出来ない。仮にできても勝てる可能性は皆無。だが、自分の術と雨音の術には共通点がある。幸い、雨音の術を法師はまだ見ていない。




