崩れ出す常識
「冷てえ!!」
田舎道を必死で走る男の子。突然降り出した雨は彼の小さな体を容赦なく襲い続ける。
「ちっくしょう!!なんだよこれ。さっきまで晴れてたのに!!」
さっきまでの晴天が嘘のように襲いかかる大粒の雨。あっという間にずぶ濡れになり、雨を吸い込み重たくなった衣服が彼の体温を奪っていく。
(母ちゃんに怒られるだろうな・・・あっ!)
母親に怒られることを考えたその時、通り道に雨宿り出来る場所がある事に気付く。
「神社・・ここで雨宿りさせてもらおう。」
神社と言っても無人で、お祭りで使う祭具を収めている程度の建物。境内は雑草が生え、ちゃんとした整備もされていない。だが、スペースが広いことから遊び場として利用していた。
「ふーっ。やっばい。びしょびしょだ。」
軒下にたどり着き、一息つく。着ていた上着を脱ぎ、細い手で力いっぱい水を絞り出す。
「止むのかな。この雨・・・。」
賽銭箱の前に座り、目の前で振り続ける雨を呆然と見つめる。その時。
「にゃーお・・。」
「・・・猫の声?」
雨音に混じり、微かに聞こえた生き物の声。辺りを見回し、声の主を探す。だが、視界にはそれらしき物は何も映らない。
「にゃーお・・・。」
再び聞こえる鳴き声。聞き間違いでは無い。『もしや・・』と思い縁の下を覗く。すると・・・。
「にゃーお。」
「居た!!」
縁の下に隠れている小さな黒猫。思わず嬉しくなり、小さな手を伸ばす。
「おいでおいで・・・。」
彼の手招きに誘われ、黒猫が男の子に近づく。
「よしよし・・。」
男の子が黒猫を触ろうとしたその時。
『ビシッ!!』
「痛ってえ!!!」
素早く爪で引っかかれ、叫び声を上げる男の子。それと同時に黒猫は奥へと走り去ってしまう。
「なんだよ・・ちくしょう・・血が出てきた。」
右手の甲を擦り、傷を確認する。斜めに数本のひっかき傷がつけられ、じわりと血がにじみ出てくる。
「くそっ。・・・なんだ?」
血を吸い取ろうとした瞬間、傷口に異変が起こる。傷口が黒くなり、自分の手を浸食する。
「う、うわああああああ!!!!」
「・・・はっ!!」
顔を上げ、目に映ったのはいつもの教室。何人かのクラスメイトがこちらを見つめ、自分と目が合う。
「・・・なんだ夢か。」
「『なんだ』とはなんだ?」
「え?」
後ろを振り向いた瞬間、目に映る不機嫌そうな中年男性。
「授業中に寝るとはいい度胸だな!!」
『ゴツン!!』
「痛ってえええ!!!」
昼休み。
「大丈夫かこれ?コブになってない?」
「ああ、ちょっと腫れてるな。馬鹿だな。松野の授業で寝る方が悪い。」
「いや、そうなんだけどさ・・・。あいつの授業って15分が限界だから。」
「分かる分かる。低い声でグダグダ喋られると眠くなるんだよな。特に腹が満たされた午後からの授業。」
頭を擦りながら友達と談笑する少年、『池村 正樹』。授業中に受けたゲンコツはコブとなり、未だに痛みが抜けない。
「まあ、いいんじゃ?手の傷と違って時間が経てば引っ込むだろ。」
「他人事みたいに・・・。」
「だって、他人事だし。」
正樹と談笑する生徒、『柿野 修平』。正樹とは中学校からの仲で、高校生になった今も、気の合う友達として関係は続いている。
「畜生。これが宇川先生なら優しく起こしてくれるのに。」
『宇川 景子』俺たちクラスの担任で、現国の先生である。身長も小さく、『ウッピー』の愛称で男女ともに人気がある。
「手の傷ねえ・・。」
ふと右手の甲を見つめる正樹。その視線に映るのは、小指の付け根から親指の付け根に掛けて伸びる3本の黒い傷跡。
「猫に付けられたんだろ?本当かよ。」
「本当だよ。小さい頃に。大抵、入れ墨か火傷と間違われるけど。」
火傷跡の様に、肌に刻まれた線。松野先生には入れ墨と間違われ、一度職員室に呼ばれた事もあった。
「痛みは無いんだろ?」
「無いけどさ。目立つだろ。」
「いいじゃん。アニメの主人公みたいで恰好良いぜ。」
「本っ当に他人事だな。カッキーって。」
小さい頃に付けられた引っ掻き傷。その傷は異様な跡となり、高校生となった今も正樹の手の甲に残っていた。多少のコンプレックスとなりながらも身体に影響は無く、正樹自身も傷跡をそこまでは気にしていなかった。
・・・放課後。
「さて、帰るか。どうする?ゲーセンでも行くか?」
「んー。俺はパス。」
「なんだよ。付き合い悪いな。」
正樹の誘いを拒否するカッキー。だが、彼が誘いを断るときは大抵・・・。
「お前、もしかして・・・。」
「ん?」
「・・・エロゲか。」
「正解。」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるカッキー。
「仕事は終わったんだ。俺は帰って疲れを癒させてもらうぜ。今から俺の現実が始まるんだ。」
「馬鹿な事言ってるな。」
「いいだろ?学校にはちゃんと来てるんだから。休まないだけ偉いと思うぜ。学生としての本分を忘れてないんだからな。」
「18歳未満は禁止だろ。」
「心は成年。」
「性に関して以外は幼稚園児並みの癖に。」
「うるさいな。お前だってやってるだろ。文句言うなら貸してやらねえぞ。」
「・・悪かった。」
「・・うむ。素直でよろしい。」
『勝った』と言わんばかりに誇らしげな態度を取るカッキー。
「そういうわけだ。誘うなら他の奴にしな。じゃあな。」
鞄を持ち上げ、教室を後にするカッキー。どことなくプレイできる彼の喜びが後ろ姿から伝わってくる。
「さてと、俺はどうしようかな・・・。」
教室に残され、やる事が無く呆然とする。部活をやっている生徒は部室へと向かい、教室に居るのは帰宅部の生徒達。雑談をする者や帰宅する者。それぞれの時間が流れ始める。
特にやる事も無いので数分後、教室を後にする。急げばカッキーに追いつくかも知れないが、特に話す事も無いので一人、ゆっくりと学校を後にする。
『パコーン!!パコーン!!』
球を打ち返す音が聞こえ、何気なくテニスコートに目を向ける。運動部の取り組みに熱心なうちの学校。テニス部もそれなりに活躍をしていて、男女共に部員数は多い。
その中で今年の1年の実力ナンバー1とされている女の子が居る。
「彩・・・。」
無意識に足を止め、彼女の顔を確認する。
『沢渡 彩』。小さい頃からの幼馴染みで、容姿端麗。昔から勉強も出来、裏表の無い性格から先輩、後輩問わず信頼も大きい。
幼馴染みではあるものの、中学生になり、部活に打ち込みだした彼女と関わる機会は少なくなっていた。
「スポーツ推薦か。」
地元だからと言って入学した自分とテニスに打ち込むため、この学校に入学したと言う彩。望めばもっと強豪校へも行けたであろう。それでもテニスに夢中になる彼女と今の自分を比べて、少し虚しい気持ちになる。
「ただいま・・。」
玄関の扉を開け、マンションへと帰宅する。『ただいま』とは言うものの、『おかえり』の返事が無いのは分かっていた。
両親は自分が小学4年生の頃、離婚。父親は単身赴任で現在は大学生の姉と二人暮らし。ただ、その姉も大学を休学し、水商売に精を出す始末。揚句、父親に内緒で男の家で同居。必然的にこの家に住んでいるのは自分一人。
「早くに帰宅しちまったな。まだ外も明るいし・・・。」
ソファに横になり、テレビを点ける正樹。特に見る物は無いが、沈黙に耐えられない。テレビの声が心地よい眠さを引き出し、次第に睡魔が襲ってくる。そして・・・。
「すーすー。」
いつの間にか眠りこける正樹。
「にゃーご・・にゃーご・・・」
「なんだ?猫の鳴き声・・。」
薄暗い空間の中で辺りを見回す正樹。この鳴き方、聞き覚えがある。確か、神社の・・・。
「ど、どこだ?」
恐怖しながら辺りを見回す。あの猫から受けた傷は謎の跡となり、今でも自分の手に残っている。
「く、くそ・・。」
「にゃーご・・・なーご・・。」
その時、正樹は声を発している場所が自分のすぐそばである事に気付く。それは自分の手の辺り・・・。
「ま、まさか・・・。」
恐る恐る手の平を裏返し、右手の甲を目を向ける。すると・・・。
「んにゃーご・・・。」
「ひっ!!」
手の甲にあるのは黒猫の顔・・・。黒猫の光る眼と自分の目が合い、寒気が走る。
「う、うわああああああああ!!!!!!」
「!!」
リビングで目を覚ます正樹。息を乱し、心臓が異様に高鳴る。
「はあ・・はあ・・はあ・・・・なんだってんだ、一体。くそっ。呪われてんのか?まともに寝れやしない・・・。」
手の甲に目を向け、いつもと同じく3本の黒い跡が残っているのを確認し、安堵の溜息を吐く。
「まったく・・・嫌な夢が続くな。」
一人の食事を終え、いつも通りの時間が流れる。夢の事を少し引きずりながら、気分転換にコンビニへと出かける。立ち読みをし、飲み物を買い帰宅する途中に正樹はあの神社へと足を運ぶ。
「・・・変わらないな。」
高い台座に乗せられた狛犬が二匹。長年、置かれているからか、すっかり黒く変色している。そして、手入れが行き届いているとは言えない地面。土が剥き出しかと思えば、草がたくましく生えている場所もあり、ほぼ自然のまま。
設置された一本の街灯だけが辺りを照らし、賽銭箱の前の階段に腰掛け、炭酸ジュースを飲む。
「ふー・・ゲップ!!」
(何年振りだろう。ここでよく遊んだっけ。)
昔を思い出しながら再びペットボトルに口を付ける。
(遊び場としてよく利用したな。缶蹴りをしたりかくれんぼをしたり・・・。あのころは彩も居たな。あいつ、服が汚れるのを嫌がって、いつも見つけやすい場所に隠れてたっけ。)
その時の事を思い出し、思わず一人で小さく笑う。その時。
「ううー・・・・。」
「?・・・なんだ?」
風の音?いや、違う。何かの呻き声の様な。
「まさか、猫?」
「ううー・・・・・。」
違う。低く唸るような声。猫なんて可愛い鳴き声じゃない。もっと、獣がノドを鳴らして威嚇するような・・・。
突然風が強くなり、周りの草木が揺れ始める。そして、その異様な光景に正樹は固唾を呑む。
「ちょっと、何だよコレ・・・。黒い風?」
目の前の光景に目を疑う。黒い風が集まり始め、巨大な球体を形成していく。そして、その球体がしぼみだし別の形を作っていく・・・。
あっという間の出来事だった。金縛りにあったように動くことが出来ず、正樹はその状況を呆然と見つめる。
「ううううう・・・・・。」
「う、うわああああああ!!!!」
現れたのは巨大な蜘蛛。だが、その顔は牛。低いうめき声と共に自分の3倍はあろうその巨大さに腰を落としたまま動けない。
「ば、化け物・・・。なんだこいつ。蜘蛛か?牛か?」
長く伸びた手足。そして、鋭く伸びた先端。口元をガチャガチャと動かしながら周りをキョロキョロと見回す強大な生き物。
「と、とにかく逃げないと・・・。」
ゆっくりとその場を離れようとする。だが・・・。
「ぐううう・・・。」
「うっ・・。」
凝視され、正樹は動くことが出来ない。巨大な顔を近づけ、大きな目が正樹に迫る。
「く・・・くそ・・。」
(こいつ、俺をどう思ってるんだ?頼む、どっか向こうに行ってくれ・・・。せめて興味を他の物に引き付けられれば・・・。)
大声を出せば襲われる。かと言って逃げれば追いかけて来る。何をするにも距離が足りない・・・。ならば。
「ちくしょう!!」
持っていた炭酸ジュースを化け物の目にぶっかける。勢いよく飛び出した炭酸水は化け物の目に入り、大きくその体が仰け反る。
「グアアアアアッッッ!!!!」
大きな声を上げ、苦しみ出す化け物。それを見てチャンスとばかりにその場を離れようとする。だが・・。
「グオオオオオオッッ!!!」
効き目は薄く、正樹を睨みつける化け物。
「ひっ!!」
化け物に睨まれ、敵と認識される。怒りを買っただけの行動。一瞬、化け物の口が膨らむ。
「ブオオオオオオッ!!」
吐き出された黒い風。得体の知れない気体が勢いよく正樹に襲いかかる。その時!!
『バチン!!』
「え?」
風が正樹を避けるように分裂し、後ろの神社に襲いかかる。そして・・・。
『ジュウウウウウ・・・・』
息に触れた神社の壁が溶け始め、その恐ろしい効果が明らかになる。
「わ、わざと外したのか?いや、それより木材の壁が溶けやがった・・・。なんだこれ・・。」
再び空気を吸い込み始める化け物。
「やばい・・。また・・。」
「ブオオオオオオオオオオッッッ!!!」
「ち、畜生。吐くなら糸を吐けよ!!」
さっきよりも大きな息。思わず目を閉じ、両腕を顔に当てて身を守ろうとする正樹。強風に吹かれ、神社が溶けながら半壊する。
大きな音を立てて崩れ落ちる神社とは対照的に、正樹は傷一つなく無傷だった。
「あ、あれ・・・。」
その時、正樹は自分の体に異変が起きている事に気付く。それは、コンプレックスとなっていた右手の甲。三本の傷跡が虫の様に蠢き、青白い光を放つ。
「なんだ、これ・・・。」
そして、周りの地面を見渡す。風を受けた草が溶ける中、自分の足元の草だけが何事も無かったかの様に生き残っている。明らかに風は自分を避けていた。
「こいつが守ってくれたのか?」
「ウゴオオオオオオオ!!!」
息が効かないと分かった化物は、攻撃方法を変える。鎌の様な右手を上げ、正樹を突き刺そうとする。
「う、嘘だろ!!」
視界に入りきらない巨大な身体。接近を許し、逃げ場の無い正樹。腰が抜け、動けずに『今度こそ駄目だ』と再び目を閉じる。
『ズガンッッ!!』
刃物のように尖った爪が突き刺さる。だが、その爪が捕らえたのはただの地面。自分の身に痛みが走らない事から、不思議に思った正樹はゆっくりと目を開く。
「・・・愚か者め。逃げる勇気も無いとは。」
目の前に現れたのは和服姿の一人の女性。地面に腰を落としながら、彼女の顔を見上げる。月光に照らされ影となり、顔ははっきりとは見えなかったが、彼女が持つ長い得物が月光を反射し煌めく。
「薙刀?」
身長を超える大きな棒。その先には刃物が付けられている。反り返っている事から、それが薙刀である事に気付く。
「牛鬼か。妾が相手じゃ。来い!!」
長い髪をなびかせ、勇敢に化け物に立ち向かう女性。地面を思いっきり蹴り上げ、人間とは思えない跳躍力を見せる。
「くたばれ!!」
飛び掛かり、持っていた大薙刀を振り下ろし化け物に斬りかかる。だが!
『キィン!!』
「!!」
彼女の一撃を鋭い爪で払いのける化け物。その力を受け流せず、女性は軽々と吹き飛ばされる。
「ちっ。知性も無いくせにやるではないか。」
着地した瞬間、大きく息を吸い込む化け物。思惑に気付き、思わず正樹は声を上げる。
「危ない!!」
「!!」
「ブオオオオオオオッッッ!!!!」
黒い煙に女性の体が包まれる。木造建ての神社を一瞬で溶かした吐息。人間が食らえば無事ではいられない。
「大丈夫ですか?」
「え?」
不意に声を掛けられる。いつの間にか自分の隣に現れた一人の女性。短いくせ毛が印象的な整った顔。そして、戦っている女性と同じ様に時代錯誤の和服姿。
「あの子の仲間?」
「ええ。姫様なら心配いりません。あれしきの妖怪に負ける程、弱くはありませんから。」
「姫・・さま?妖怪?」
聞き慣れない単語に耳を疑う。そして彼女が見つめる視線の先。黒い煙が収まっていき、その中から無傷の女性が現れる。
「無傷?あの化け物の息って生き物には効かないのか?」
「そんな事はありません。並みの人間ならば肌が溶けています。」
「え?でも、俺も効かなかったし・・。」
「言ったでしょ?『並みの人間なら』効かないのです。」
牛鬼と向かい合い、彼女は次の手を考える。
「・・・・」
(こいつ、思った以上に反応が良い。参ったな。暴れ過ぎた以上、あまり時間は掛けたくない。ならば・・・。)
体勢を低くし、再び化け物に襲いかかる。
『キィイィイン!!』
薙刀の刃先と化け物の爪がぶつかり合い、高音が響き渡る。
「グオオオ!?」
その瞬間、化け物の動きが一瞬、弱くなる。
「なんだあいつ?動きが弱くなったぞ。」
「姫様の術ですよ。肉体を斬ってはいません。切っているのは妖気です。」
「妖気?」
「そう。妖気と言うのは妖怪に不可欠な物。あの吐息も牛鬼の使う妖術。それは体内に自然に備わっている物。それを姫様は切断しているのです。そして、妖気を斬られた妖怪はどうなるか分かりますか?」
「ど、どうなるんですか?」
彼女の言っている意味がぶっ飛び過ぎていて訳が分からない。だが、それと同じ位に目の前の状況が受け入れられない。困惑する頭で女性に質問する正樹。
「体の自由を失います。まあ、一時的な効果で再び妖気が体に行き渡れば元に戻りますが。ほら、見て下さい。」
『ズウウウン・・・・』
彼女が化け物を指差した瞬間、地面に倒れ込む化け物。身動きを止め、抵抗することも出来ずにピクピクと痙攣する。
「手間取らせおって。お主の核は・・・ここか!!」
薙刀を高く掲げ、化け物の胴体に突き刺す女性。同時に化け物の苦痛に満ちた叫び声が響き渡る。
「グオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
『バシュン!!』
化け物の体が消滅する。その光景を呆然と見つめる正樹。
「終わりましたね。」
「まあ、妾にかかればこんなもんじゃ。少し時間は掛かったがな。」
髪の長い女性が薙刀を振った瞬間、薙刀が小さくなり、手の平サイズになる。そして、それを前髪に付け、髪留めに使う。
「ん?可愛いじゃろ?猫柳みたいで。」
「は、はあ・・。あなたたち、一体何者なんですか?」
呆けながら思ったことを口にする。どうやら自分に危害を与える存在ではなさそうだ。
「うーむ・・。それを説明するには少し・・。」
「時間が足りませんね。少し騒ぎになります。ここは逃げましょうか。」
半壊した神社に車の音。あれだけ大きな音を連発すれば、通報の一つがあってもおかしくは無い。
「近くに知り合いの家がありますので、そこに避難しましょうか。正樹様、御同行お願いします。」
「は、はあ・・・。」
・・・次の日。
いつもと同じ学校の風景。一日の始まりを告げるチャイムが学校に響き、生徒が教室中に集まる。朝礼前、先生が来るまでの雑談を楽しむ生徒たち。そして、扉を開けいつも通りの朝礼が始まる。だが、この日は少し違っていた。
「はい、じゃあ転校生を紹介します。軽く自己紹介をして。」
「初めまして。『高瀬 雛子』と言います。少し遅れての入学となりますが、皆さん、よろしくお願いします。」
背の小さい担任の女教師の隣に立つ女の子。ぺこりと頭を下げ、はきはきと自己紹介をする彼女に何人かの男子生徒がそわそわする。
「おい、あの子、結構可愛くないか?」
小さい声で耳打ちしてくるカッキー。
「あ、ああ・・。」
「なんだよノリ悪いな。ちょっと巻き髪でさ。あれって天然かな?」
ショートカットの巻き髪に整った顔立ち。確かに見た目は可愛い。・・・人間ならば。
昨日の夜・・・
「さて、ここです。」
「ここって・・・。」
案内されたのは馴染みの駄菓子屋『三橋商店』。この町で育った子供なら誰もがお世話になっただろう。神社で遊んだ後はここの駄菓子屋でノドを潤したり小腹を満たしたりと、当時、正樹がお世話になった店だった。
「いらっしゃい。」
「三橋の・・婆ちゃん?」
入口のガラスで出来た引き戸を開け、立っていた一人の老婆。少し老けた感じはするが、久々に見た顔だった。
「久しぶりだね。正樹君。」
「お、お久しぶりです。」
正樹自身、ここへ来るのは何年振りだろう。外で遊ぶことも少なくなり、買い物もコンビニに変わってから、ここへ足を運ぶ事は自然と無くなっていた。
「立ち話も何だ。奥に入りな。鳴女!お茶を用意してくれないか?」
「はい。」
靴を揃えて部屋の奥へと消えて行くショートカットの女性。
「・・・・。」
(あの子は鳴女って言うのか)
「どうした?入りな。」
「あ、はい。」
部屋の奥へと通され、テーブルの前であぐらを掻く正樹。鳴女から熱いお茶を受け取り、一口飲み、テーブルの上に置く。
「さて、まずは自己紹介じゃな。流石にそんな時間は無かったからな。妾の名前は『麻姫』。そして、こっちに居るのが『鳴女』じゃ。短くて覚えやすい名であろう?」
「いや、それよりも聞きたいことが・・・。」
「聞きたい事?なんじゃ?」
正樹の言葉に首を傾げる麻姫。
「二人は・・・何者なんですか?それに神社に現れた化け物は?」
「ああ、あれか。あれは妖怪じゃ。」
「よ、妖怪?」
さらりと有り得ない言葉を述べる麻姫。
「そう、妖怪。牛鬼と言ってな。凶暴な性格じゃがそれ程強くは無い。まあ、人間には手に余る相手ではあるがな。」
「妖怪・・・。」
「そうです。受け入れられないかも知れませんが、あなたを襲った化け物の正体は妖怪です。そして、私達も・・・。」
「私達・・『も?』」
「妾達も妖怪じゃ。あまり姿は見せられないのじゃが、仕方がない。ほれ!」
そういうと麻姫が姿を猫へと変える。
「いっ!!?」
「どうじゃ?驚いたであろう。妾は猫又。人間でも猫でも無い。れっきとした妖怪じゃ。」
「・・・・。」
(黒猫が・・・喋ってる。)
どこからどう見ても黒猫・・・喋る事を覗けば。目の前の女の子が、ただの黒猫に姿を変えた事実・・。たとえ、手品だったとしてもここまで堂々としたものは見たことが無い。
「どうじゃ?驚いたであろう?」
一瞬で元の女性の姿へと戻る麻姫。いや、この場合はどっちが本当の姿なのだろう・・。
「正体を晒すと対策がされるからな。あまりこういうのを良しとはしない。」
茶を啜りながらその光景を見守る三橋の婆ちゃん。見た目、老婆の彼女にも正樹は聞きたい事があった。
「三橋の婆ちゃん・・・。婆ちゃんも妖怪なのか?」
「ああ・・。私は立場的に彼女達の上司。今の人間界は人間が繁栄し過ぎていてね。規則や手続きが多くて個人では中々生活が出来ない。だから私がこの子たちをサポートしてやってるんだよ。隣の鳴女は私の下宿人。二人共、昨日からここで生活している。」
「へえ・・・。」
「さて、そろそろ本題に入るか。一番重要な事だ。正樹、お前が何故襲われたか分からないか?」
飲んでいたお茶をテーブルに置き、本題に入る三橋の婆ちゃん。雰囲気が変わり、思わず緊張する正樹。
「襲われた?あの牛鬼とかいう奴の事か?そりゃあ・・間が悪かったっていうか・・・。」
「馬鹿!お前が呼び寄せたんだよ。その妖気で。」
「よ、妖気?どういう事だ?妖怪が持ってるんだろ?それ。」
いきなり『馬鹿』と言われ、少しムッとするが、それを突っ込める雰囲気では無かったので流す事にする。
「その右手に刻まれた跡。それがお主の核。つまり妖気の源じゃ。」
「こ、これが?」
手の平を裏返し、手の甲を見る正樹。先程まで青白く蠢いていた跡はピタリと止まり、元通りの黒い3本線に戻る。
「放って置いても体に影響はない。人間にとって妖気など、あっても無くても良い代物じゃ。だが、妖怪はそうもいかぬ。それほどまでに強力な妖気。ごちそう以外の何物でもない。」
「な、これは猫から受けた引っ掻き傷だぞ!!別にそんな怪しい物じゃ・・。」
「あ、それを付けたのは妾じゃ。」
「え?」
右手を上げ、爆弾発言をする麻姫。耳を疑う正樹を余所に、彼女は説明を続ける。
「懐かしいのう。十年程前にお主の体に傷をつけると同時に妾の核の一部を分け与えた。それが、時が経つにつれ立派な核に成長したという訳じゃ。」
「え?こ、こいつが?」
「そう。感謝するが良い。お主は妾の宿主に選ばれたのじゃ。お主の成長と同時に核も大きくなり、立派な妖気を生み出すまでに成長した。」
「妖怪の宿主となる人間が生まれるのは何百年に一度。そう簡単に生まれはしません。正樹様にとって迷惑な話しかも知れませんが、私達にとってはそれ程までに大切な人間なのです。」
冷静に説明する鳴女。そして、一応はその言葉の意味を理解する正樹。
「用は、この傷を付けた時に『核』ってやつを埋め込んで知らないうちに育てていたって事か。」
「そうじゃ。核と言うのは、時限式爆弾のように突然、妖力を溢れ出させる。その瞬間に漏れた妖気に牛鬼が気付き、襲ってきたという訳じゃ。これは妾達にとっても予想外ではあったがな。」
「そうですね。それより先に保護する予定でしたから。」
「なら、こいつを取ってくれよ。人間には不要な物なんだろ?」
右手の甲を指差し、傷跡をアピールする正樹。だが、それを見た3人はどこか気まずそうな表情を浮かべる。
「それが、出来ぬのじゃよ。その・・どうやら完璧にお主の体に融合された様で、妾の核と言うより、お主の核になって居る。」
「ど、どういうことだ?」
「つまり、宿主として育てて回収するつもりが、相性が良すぎて取り出せぬようになってしまった。自分の物にするつもりが移植してしまったという事じゃ。」
「移植?つまり、要らない物を植えつけられて妖怪にさせられたという事か??」
「いや、妖気があるだけで妖怪では無い。お主はただの人間じゃ。だが、それ故、このままでは妖怪に狙われる可能性がある。そこで、我々が妖怪からお主を守り、尚且つ妖気を操る術を教えようという訳じゃ。」
気まずそうに本題を説明する麻姫。それを聞き、頭が困惑する正樹。
「さ、幸いお主は一人暮らし。暫くの間は妾が一緒に暮らす。」
「一緒に?何言ってんだ?」
「牛鬼の強さを見たでしょう?最低でも妖気を隠せるようにならなければ、このままではいずれ殺られ、妖気を取り込まれてしまいます。」
「う・・・。」
牛の顔をした巨大な蜘蛛。化け物としか言い表せないその姿を思い出し、拒絶する言葉が出て来ない。
「それに、さっきの妾の姿を見たであろう?誰かが来れば黒猫として生活できる訳じゃし、不便は無い。」
「何だよそれ!じゃあ学校はどうするんだ?俺、学生として生活できなくなるのか?」
「なに、それも心配ない。」
「え?」
(そして、今に至るという訳で・・・。)
休憩時間、転校生に興味を持った女子や男子が『高瀬 雛子』と名乗る女性に群がる。その正体が妖怪であることも知らずに・・・。
「でも、どう見ても人間だよな・・・。」
彼女の横顔を見ながら頬杖をつく。くせ毛が特徴的で整った顔。何を喋っているのか分からないが時折こぼれる笑顔。どこからどう見ても人間だ。
(まず妖怪なんて眉唾物の存在を信じる人も居ないだろうけど。)
昨日の説明だって、牛鬼に襲われていなければ受け入れられない。正樹自身、未だに現実離れした説明に着いて行けない所があった。
「よう、結局見てんじゃねえか。スケベ。」
「な、なんだよ。」
「高瀬さんの事見てただろ?興味が無いふりしてマークするなんて、やり方がいやらしいねえ。」
にやにやしながら正樹を見るカッキー。『ほら、やっぱり』と言わんばかりの表情に少しばかり苛立ちを覚える。
「綺麗な子だよな。早めに近づいておかないと、放って置いたら持って行かれちまう。」
「なーに言ってんだよ。結局何もしない癖に。」
プレイボーイぶったカッキーのセリフに呆れる正樹。
「なんだよ。本心を言う位いいじゃんか。」
「本人に言えよ本人に。『この町を案内してあげるよ』とか。」
「こんな町に見るところなんてあるのかよ。山に山菜取りにでも連れてくのか?」
「そりゃいいや。喜ぶかもしれないぞ。」
馬鹿な答えに二人で笑い声を上げる。
「あ、そういえばさ。知ってるか?」
「何を?」
「ほら、あの『音神神社』。昨日、潰れたらしいぞ。」
「!!」
唐突な一言に、心臓が止まりそうになる。音神神社とは昨日、牛鬼に襲われた神社。半壊したまま逃げてきたが、もし目撃情報でもあれば自分も容疑者として捕まる可能性がある。
「詳しくは半壊だけどさ。なんか、壊れた理由も分かってないんだって。老朽化って話だけど、それにしちゃ材木が溶けた形跡があるらしくって。」
「へ、へえ・・。詳しいな。」
「まあ、家も近いしな。夜中にでかい音がしたかと思えばパトカーのサイレン音でうるさかったぜ。ヘッドホンしていても気付いたくらいだしな。」
(あ、エロゲやってたのか。)
下校時の話を思い出し、その辺りの事情を察する。
「俺としてはボロ神社が壊れた事よりも綺麗な転校生が来た方がよっぽど事件だけどな。」
「お前、絶対バチが当たるぞ。」
(関与している自分も当たるかも知れないけど・・・。)
心の中で音神神社の神様に謝る正樹。
久しぶりに投稿させていただきます。投稿の日時は決まっていませんが、最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。




