花子の昇天(後編)
花子はそう言ってまた空へと浮かび昇っていく。やはり曇りのない笑顔を作って、美奈子や弥生たちに手を振って… 弥生たちも同じように手を振って… 花子は里山には特に何も声を掛けようともしない。彼のことを気に掛ける様子も見せない。それでも最後、空高いところで里山と目を向けると、口元が動いて何か言葉を送ったのを誰もが目にする。
花子は天高く昇って、ついに姿が見えなくなる。薄明るいと思っていた半天も、いつの間にか雲がまだらに漂う夜空に戻る。里山は涙を流しながら、それでも背筋を伸ばしてその空をじっと見つめている。
「花子さん… 本当に成仏してしまったの?」
「多分、そうなんじゃないんですか。少なくとも幽霊としての花子さんが、もうこの世から消えてしまったことは確かだと思います」
「何だか、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑ね」
「でも、本人は、とても幸せそうでしたよ。やっぱり、喜んであげるのがいいんじゃないんですか」
里山の気持ちを考えると、本当は喜ぶなど不謹慎でもある。自分を見つめる滋たちの視線に里山も気付くと、彼らの意を語らずとも受け取ったようで、それでもゆっくりと、晴れやかに笑ってみせる。情が移るほど親しくなった人との別れは皆悲しい。里山は笑いながら涙を流している。愛する人や親しき人の望んだ幸福を受け入れることができるというのは、強い人間である証であろう。里山が泣くのは、それでも心に積もった悲しさを涙に乗せて吐き出すためで、決して悪いことでもない。滋は、彼らのような恋愛を、この先自分もすることができるだろうかと考えると、二人のことが素直に羨ましい。肉体を超えて、生死も超えて、繋がる気持ちというものの心地よさはいかほどか? 体が繋がる以上か、いや、本来ならその両方が同時に達成されれば文句の言いようもない。体が繋がっても気持ちがバラバラという例は世にいくらでもある。里山と花子の二人はある意味で幸せで、ある意味で残念であった。それでも彼らのさらに強いところは、そういう自分たちの不幸せな一面をも受け入れて、その上でできる最良の、二人だけの幸せを、蛍の一生のごとき一瞬であれ手に入れようとしたことであり、それを選択した二人の意思の純粋なところである。滋が真に羨ましいのは、その通い合った強い意思である。
「あの… 里山さんは、これからどうするんですか?」
「え? いや、ハハハ… とりあえず、家に帰って、泣くだけ泣いて、それから顔でも洗います」
「あの、やっぱり、辛いですか?」
弥生が頼りない眉をして聞く。
「辛くないと言えば嘘になりますね。何だか全てが唐突で、あなた方も神山さんも、神山さんの死も。でも、不思議と長い付き合いがあるような、そんな錯覚もあって、ずっと長い話し合いを交した仲のようで… だからなのか、何なのか、納得できている自分もいます。彼女の気持ちも死も全てを受け止められることができているというか… 彼女、最後に私に言ったんです。『次の恋を探してください』って。その通り、そのうち新しい恋人でも探そうかと思っています」
花子の本質は、花子の本当の姿は、優しい人である。生前に彼女はどれだけ里山に迷惑をかけ、死んだ後も、この世にどれだけ鬱とした怨念をばら撒いたか。しかし、これからもこの世に生きる里山のことを想い、自分の未練を打ち捨てて、彼の、生きる人間としての幸福を勧める様は、その罪滅ぼしには十分である。
滋は、美奈子を見て思う。そして花子は、自分たちにも一つ、世話になったお返しとばかりに残したものがある、と。
続きます




