花子の涙(後編)
両者の間の空気が怪しくなると、隠れて見ている滋たちまで落ち着かなくなる。出て行って助け舟を出してやりたいところだが、美奈子に止められる。花子自身がその場を乗り切らなくては、過去の殻を破ることはできない。だから美奈子はひたすら祈る。それを真似て滋と弥生も祈る。怒るな、自棄になるな、受け止めろ、ついでに男の方も彼女の心の闘いに気づいてやれ!
「じれったいな。男の気持ちをわかった後なんだから、もっと強気に積極的に出てもいいだろうに」
桐生の呟きはもっともらしいが、三人はとりあえず彼を殴る。
「あの、私って、そんなに変でした?」
「変か… 普通の女の子は、多分、多かれ少なかれ、神山さんと同じような一面を持っていると思うから、はい、変でしたと、簡単には言えないけれど、でも、俺を前にしたときの神山さんは、多分、誰の目から見ても、少し変だったと思うよ。でも、その『変』が普通なんだけど… 普通に、女の子らしいことをやっていたんだと、俺は勝手にそう思っているけどね」
それまで花子が俯こうが視線を外そうが真っ直ぐに彼女のことを見つめていた里山が、初めて視線を斜めに落とす。花子を前にして、平静でいられないのは彼も同じで。ただ、たったのそれだけの仕草で花子は狼狽える。真っ直ぐ見つめられればプレッシャーを受けて、視線を外されると、自分が何か拙い態度をとってしまったかとそわつく。里山が自分のことを好いていたこと、そして今もその気持ちを忘れられないでいること、それらを知ったこのときでも、彼を前にすると上手く立ち回れない。自分こそ、彼のことを本気で好いていないのかと疑ってしまう。二人の相性が悪いのではと怪しんでしまう。発想がひたすら負へと向かってしまう。それでも、これらをひっくるめて、己に負けてはいけない。腹を括ったからこそ、自分は誰に背中を押されるでもなく自ら一歩を踏み出し、彼の前に立っているのだ。
「それは、本当にすみませんでした。自分でも上手く説明できないけど、里山さんを前にすると、その、あがってしまっていて… 不愉快でしたら、あの、本当に、すみませんでした… あの、絶対に、その、嫌っていたとか、そういうことでは一切ないんです。これは、本当です」
謝れた。上手い謝罪の弁ではないが、長年かかえていた罪悪感を体の外に吐き出せた。警戒心で幾重にもコーティングした腹の底を、いよいよ解き放って真意をこめた言葉で里山と会話ができた。花子は嬉しくなった。謝りながら、言葉の一つ一つが口から零れる度に顔が綻んだ。言い終えて、明るい顔をしながら、両目から涙を流した。
「神山さん、どうしたの? 俺、また、君を傷つけるようなことを言った?」
花子は頓狂な顔をする。自分でも何故に泣いているのかわかっていない。理由を考えて、原因が思いつく前に、またどっと涙が溢れ、今度は堪らず俯いて、雫が足元に零れ落ちる。
「『また』なんて、言わないで… 神山さんは、何も悪くない… 神山さんが傷つけたんじゃない、私が勝手に、勝手に傷ついていただけ… むかしも、今も…」
里山は彼女にそっと近づくと、その手を伸ばして指で涙を拭おうとする。花子の涙は一瞬彼の人差し指にまとわりついて、すぐに透過し消えてしまう。里山は目を丸くする。
滋は思う。人の気持ちが、生身と魂をつなぐと。
続きます