不器用な片思い(後編)
それらを考えれば考えるほど、恋を前にした自分というものが見えなくなる。故に花子の不器用さがむしろ羨ましい。花子の反動形成は決して褒められた態度でもない。それでも彼女はわかりやすい。おそらく、意中の相手以外の彼女の周りの人たちは、皆、彼女の恋心に気付いていたのではなかろうか。あと一歩、意中の人に近づくことさえできていれば、恋は成就できただろう。その一歩を踏み出せない不甲斐なさは、それもまた恋の仕業なのであろう。
「その人は、結局、どうなったんですか? 花子さんのことは諦めて、別の女性と付き合い出したんですか?」
俯く花子の視線は地に落ちたまま、彼女は首を横に振る。
「会社を辞めてしまったの。脱サラして実家の農家を継ぐことにしたそうよ。こんなご時世でしょ、いつ会社が傾くかわからないから、そういう生き方もむかし以上に広まっているそうよ」
「それで、離れ離れになってしまったと…」
「そうね。私、その会社には学生のときからアルバイトとして働いていて、そこで彼と知り合って、一目惚れして、卒業後の就職先もそこに決めたんだけど、彼がいなくなったら、もうその会社にいる意味もなくなってきてね。それからしばらく仕事で失敗も多くなって… そのうち、そこで働くこともつまらなくなってきて、次に当てがあったわけじゃなかったのに、結局、去年に私も辞めてしまったのよ。彼のことを忘れる意味でも、ね」
「そうだったんですか… でも、彼を訪ねたりはしなかったんですか?」
「それができていたら、会社に勤めていた頃にすでに私の方からもっとまともなアプローチをしていたわよ。辞めてからも、忘れよう忘れようとすればするほど駄目でね。毎朝、毎晩、彼のことを思い出すの。数少ない会話のシーンを思い出しては、どうしてあの時、どうしてあんな態度を… ってね、最後には悔やむの。いい加減忘れさせてよって叫んでみたり、神頼みしてみたり… でも忘れることはできない… そのうち貯金もなくなってきて、働かなくっちゃいけないと思って就職活動を始めたりもしたんだけど、この不景気じゃ、どこも雇ってくれなくてね。何で私一人がこんな惨めな目にあわなければならないのって、そりゃ毎晩泣いて、そして風の噂であの人が近く結婚すんじゃないかって話を耳にして… もう何も手につかなくなっちゃって、最後は練炭を使って、ね…」
幽霊とはいえ、もとは生身の人間。死にいたるいきさつは、ただ話を聞いているだけにもかかわらず、当時の彼女の感情がねっとりと肌に絡みつくようで、弥生の心もまた傷心の断片を受け取って、指先が、肩が、目尻が、ふるふると震え出す。弥生もまた、片思いの孤独はよく知っている。割り切ろうとしても、忘れようとしても、振り払えない相手の影と自分の恋心。では自分というものをどこに追いやればよいのか。誰か教えてくれと願っても誰もおらず、一人で考えてもひたすら孤独。いつの間にか心の大海に浮かぶ孤島に追いやられた自分を知るとき、人は静かに闇を抱える。もう未来はないと。それが、相手との恋の成就に対する闇で済めばよいが、花子は人生そのものの未来に闇を見てしまった。弥生は、自分がここまで感受性の豊かな人間だったのかと不思議に思うほど、その話に泣きたくなってくる。なんとか涙が流れ出すのを堪えて、
「幽霊になって、少しは気持ちも整理がついたんですか?」
「少しは、ね。こうやって誰かに話せることを考えると、あの人への想いも薄らいでいるのかもしれないわね。当時は、自分の片思いを誰かに話すことすらできなかったんだから」
「いい傾向じゃないですか。ここで次の恋でも始めてみたらどうです?」
努めて明るく話を盛り上げてみる。
「ハハハ、次の恋…」
一瞬、笑ったようにも見えたが、また急に欝に飲み込まれて花子は項垂れてしまう。そしてその肩が小刻みに震えだす。弥生は嫌な予感がして、身を小さくして半歩下がる。途端、
「あなたはいいいわよね! まだ生きているんだし! 私なんかはもう死んじゃったのよ! 死んでも死に切れずに幽霊になって、それでも恋なんてできると思う? できるわけないじゃない! ええ、ええ、そうですよ! 私はもう恋なんてできませんよ! 嫉妬に狂った怨霊ですよ! それとも何? こんな私でも好きになってくれる男がいるって言うの? だったらその男を呼んできなさいよ! 男、そうよ男よ! 男じゃないと話にならないわ! 生きた若い女なんかに、私の気持ちがわかるもんですか!」
突然豹変すると、心のもやもやを噴火させて一気に吐き出す。そして出すだけ出したら、また背を向け、陰気に泣きだす始末である。弥生は苦笑に顔を引きつらせ、ポケットの中の携帯電話に手を伸ばすのであった。
続きます




