日暮れ
赤く燃えた太陽が、騒めく木々の海に沈んでいく。
奈緒はその様子を無感動に見届けていた。
ジリジリと緑を焼き尽くすように下降する光は、身を潜めるように消えていき、その対面では、燃え盛る火を消そうと暗い青が空を覆い始める。
少しずつ、着実に、世界が暗い色に染まっていく。
移りゆく天に対して、奈緒は1ミリも動かない。
そして沈みゆく赤が空から消え、その空間全てが暗く包まれたとき、初めて奈緒が動いた。
息を身体の奥深くから押し出し、それから後ろを振り返る。
その先に誰かいる訳もなく――むしろ生き物の気配など全くせず、ただ沈黙の闇が佇んでいるのみであった。
しかし奈緒は唐突に話し始めた。
「夕日は、つまんないね」
目の前に広がる空間に声を掛ける。
もちろん、返事など帰ってくるはずもない。
「ただ明るい球体が地面に埋まっていくだけだもの」
奈緒は続けた。
「じゃあなぜ、人間は夕日を見て感動などするの?綺麗などと思うの?」
それは誰かに話し掛けているようでいて、しかし独り言のようにも聞こえた。
「なぜ?」
否、始めから何にも話し掛けてはおらず、ただ独り言を言っているだけだったのかもしれない。
「この世界はこんなにも汚いのに」
けれども、たとえそうだとしてもやはり奈緒は誰かに話し掛けるように語っている。
「だからこの世界に在るもの――落ちていく夕日も、人間も汚いのに」
世界はもうすでに完全な暗闇に閉じ込められている。
全てが暗く一つになっているような感覚に陥る。
「どうして綺麗だと感じることができるの?」
奈緒は暗闇の中、独りで話し続ける。
「綺麗なものなど一つも無いのに、だから感動も、綺麗だと思う気持ちも無いはずでしょう?汚いものを見ても、感動なんてしないし、綺麗などとは感じないもの。けれど人間は汚い夕日を見て、感動して、綺麗だと感じる。」
奈緒の声だけが闇にこだまする。「どうして?なぜ、そんなことを感じるの?」
奈緒の言葉が止まり、静寂が広まった。
時間が止まる。否、そう感じるだけ。
そして、小さな風が起こった。
木々を鳴かせながら、奈緒を通り抜けていく。
冷たいような、暖かいような、そんな風が走り、そして消えていった。
再び滲みだす、静寂。
「もう、分かんないよ」
それからそれを破る一つの音。
奈緒が発した声。
辺りは黒一色に塗り潰されており、何も見えない。
舞い戻る沈黙。
静寂が闇に染み込み、冷たさを増す。
けれどもその冷たい闇に浸る者の姿はすでに無く、そこにはただ哀しい夜の闇が満ちているだけだった。




