A-2
どの駅で降りればよいか、かなり迷った。いっそ眠ってしまえれば、何を考えることもなく運に任せて決めることができた。だから途中から何もかも考えることを止めて、眠りが暗闇の中からそっと手を伸ばしてくるのをじっと待った。しかしこういうときに限って、いや、家に帰らないと決めてからはなおさら、わたしの意識はいつもよりはっきりしていた。駅を二つ過ぎたところで私は眠ることをあきらめて、ウォークマンを操作してRadioheadの『kid A』を選んだ。このアルバムが終わったところで降りようと決めて、わたしはまた目を閉じた。
家を出ようと思うことはもちろん今日が初めてではなかった。これは衝動的なものではないという自覚があった。ずっと少しずつ積もり続けた慢性的なものが、ちょうど器に注いだ水が表面張力を用いなければ零れてしまうようなところまで進んでしまった。きっかけはなんでもよかった。それがたまたま今日だっただけで、どうせそう遠くない未来、わたしは同じ行動をとっていただろう。わたしの財布にはバイトで貯めたお金がいつも気が触れたようにたくさん入っている。その財布が盗まれていたのなら、それはそれですんなりと、この考えを捨てることができたかもしれない。
わたしの後ろ髪を引くものはたくさんあった。学校にバイトに、あるいは家に、いつ帰らないことになってもいいようにそれらに対して近付きすぎない適度な距離を保つようにしていた。しかし、それでもわたしが、あるいは相手がその距離の内側まで踏み込むことがあった。
そこでわたしは、つい一ヶ月前にクラスメイトの男の子からメールアドレスを訊かれたことを思い出した。それは授業と授業の間の十分間の休憩のことで、わたしは仲の良い友だちといつものように他愛のない話をしていた。ヤマダというその男の子とは同じクラスだったが、席も十分に離れていたし、クラブも委員会も違い、特にこれと言った接点もないため一度も話をしたことがなかった。しかしその日、ヤマダは友だちと話をしている私の背後から、肩を叩くことはせず、視界に入るために回り込んで「アドレス教えて」と言ってきた。わたしは反射的に「なんで?」と訊いたが、聞こえていないのか聞こえていないふりをしたのか、早くも携帯電話を取り出して操作を始めた。わたしが目配せをすると、友だちは肩をすくめたりヤマダを睨んだりしていた。わたしも仕方なく携帯電話を取り出し、赤外線を使ってアドレスの交換をした。ヤマダは携帯電話に目を落したまま「ありがと」と呟いて去っていった。
それから二週間が過ぎても、なんの音沙汰もなかった。わたしは最初の一週間こそ夜になると携帯電話を見る回数が増えたが、なかなかメールが来ないので次第に期待しすぎだったのかと思いはじめていた。しかし、前期のテストが始まる前の週、突然、堰を切ったようにメールがきた。ヤマダの下の名前までは知らなかったから、はじめは宛名を見てもそれが誰なのかわからなかった。
それからは毎日、一日中、濁流のようにきた。最初はテストや学校のありきたりな話ばかりでヤマダも「メール邪魔じゃない?」などと気遣いを見せるような言葉を書いていたのだが、テストが終わって長い休みに入ると、徐々に話題は学校内の人物評を同意を求めるように言ってきたり、会おうとせがんでくるようになった。わたしは合うことだけは頑なに拒み、それでもだらだらとメールを続けていた。わたしは適当な相槌を打つだけで、話を続けようとする努力はまったくしなかった。そのころには電話で話をすることも何度かあった。
「電話嫌いなんだよね」
わたしは言った。
「なんで?」
「ずっと何か喋ってなくちゃいけないから」
「いいよ、おれが喋ってあげるから」
アドレスを聞いてきたときとは比べ物にならないくらいヤマダの声は活き活きしている。
「そう。ありがとう」
わたしはそれ以上、何を言えばいいのかわからなかった。わからなくてもいいと思った。
話は続いた。電話は沈黙が許されないし、それだけでなく途中で逃げることも許されない。
やがて、ヤマダは愚痴に交えて自分の境遇の恵まれなさについて話すようになった。ヤマダは母子家庭であって、小学校時代、多くの夫婦喧嘩を目の前で見てきたという。両親の離婚のせいで修学旅行にも行けなかった。しかし、どうしても全く同情できなかった。長々と他人の不幸自慢を聞くというのはかなりの忍耐を要した。事実、何度も電話口で欠伸を噛み殺した。ヤマダはわたしが湧き上がる退屈に苦慮しているとは知らずに、自論というのかヤマダ自身の思想や考えのようなものを用い、ヤマダ自身の友人や同級生を、あるいは社会を、あるときには世界すらも否定し軽蔑した。それは受話器を通してわたしの中に直接流れ込んでくる。わたしはそれが耐えられなかった。鼻から水を入れられているような感じがした。
「その話聞くの、わたしじゃなきゃいけない?」
話の腰を折られ、ヤマダは沈黙した。
「そんなに自分のこと話してたいなら、わたしじゃなくても、鏡にでも話しかけてればいいんじゃないかな。あんまり違わないでしょ?」
電話は途中で逃げることができないが、相手を逃がすこともできない。だから電話は嫌いなんだよな、とわたしは思った。長く、電話の向こうは無音だった。電話線がどこかで分岐して海底の暗闇の中に潜って行ってしまったようだった。そこには明かりも声も無く、それでも何かが蠢いていた。
「どうしてそんなこと言うの?」
ヤマダはやっとそれだけ言った。
わたしは取り合わなかった。あちらもそれを望んでいるだろうと思った。電話を繋ぐことで始まる、わたしたちを縛り付けていた暗黙のルールが辛うじて、「もう切るからね。ばいばい」とわたしに言わせた。
それから数日、もうこないだろうと思っていたのだが、ヤマダからメールがきた。「アカネちゃんのアドレス教えて」と、わたしの双子の妹の名前を出した。怒りが湧いた。この言葉が、先日「その話聞くの、わたしじゃなきゃいけない?」と言ったことに対する返答のような気がした。しかし、それをどう表現するか考えているうちに怒りは冷めてしまった。電話だったらもっと簡単に感情を表現できただろう。それが良いことなのか悪いことなのかはさておいて。わたしはメールを返さなかった。激情が鎮まってしまうと、どう言えばわからなくなった。
それ以後、ヤマダから連絡がくることはなくなった。学校で見かけることもなかった。それはあるいは、すれ違っても気付くことがなくなったからかもしれない。
わたしにとって好意的なものや、そうでないものまで、多くのものがわたしを惹き付け、昨日や今日と同じ明日を要求した。だが、それは必ずしもわたしである必要はなかった。
しかし、それでもなかにひとつだけ、ささやかで温かな交流があった。それが今、思い出せない。メールアドレスのような明確なかたちを持ったものではなく、温かな感情だけがあとに残るようなとてもささやかな交流だった。あるいは、この今現在もものすごい速さで日常から遠ざかっていて、それが原因で思い出せないのかもしれない。ともかく、その温かな感情はどうやら今は意識の底に沈んでしまっているようだった。
そして代わりに思い浮かぶのはヤマダのことばかりだった。
ヤマダにアカネのアドレスを聞かれたことを知ったら、アカネはどう思うだろうかと考えた。