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タイムラインの幽霊

作者: はまゆう
掲載日:2026/02/16

「グエー死んだンゴ」という辞世の句をXに残して死んでいった学生さんのことを知った時、遺される人たちの幸せを願って無反応な演技をした男性を描いた乙一さんの小説を思い出しました。彼はおそらく読んでないでしょうが、イメージを膨らませて書きました。

AIに協力してもらって、Xより絶対青い鳥だというので青い鳥にしました。

1. 窓の向こうの喧騒

僕の部屋は、いつも薄暗い水槽の底のようだった。

唯一の光源は、机の上に置かれた液晶ディスプレイと、手元のスマートフォンだけだ。そこには、何百万人という見知らぬ人々の、加工された日常がキラキラと流れ続けている。

乙一の小説に出てくる、全身の自由を失った男の話を思い出す。彼は、愛する妻が自分という重荷から解放されるよう、意識があることを隠し、ただの「肉の塊」として生きることを選んだ。

僕の状態は、あれに似ているかもしれない。物理的な麻痺ではないけれど、僕の心はもう、この部屋のドアノブを回す方法を忘れてしまった。

「あ、もう死ぬわ」

そう思ったのは、カップ麺の待ち時間を告げるタイマーが鳴った、ごく平凡な午後のことだった。特別な絶望があったわけじゃない。ただ、これ以上この物語を読み進めても、あらすじ以上の展開は望めないと、誰かに耳打ちされたような気がしたんだ。

僕は、最後の一仕事をすることにした。

僕がここにいたという、誰にも気づかれないほど小さな足跡を残すために。


2. 8文字の遺言

僕はスマートフォンを手に取り、慣れ親しんだ青い鳥のアプリを開いた。

タイムラインでは、誰かが政治に怒り、誰かが流行りのスイーツを自慢し、誰かが猫の動画をシェアしている。

僕は、書き込み欄に指を置いた。

本名を名乗るつもりも、遺書のような湿っぽい言葉を綴るつもりもない。そんなものは、この乾いた場所には似合わない。

「グエー死んだンゴ」

たった8文字。

ふざけたネットスラング。

それが、僕という人間の、二十数年の生涯を締めくくる最後の一行だ。

僕は「ポスト」のボタンを押し、そのままゆっくりと、意識のスイッチを切る作業に入った。

意識が遠のいていく感覚は、思っていたよりもずっと静かだった。

自分の体が、徐々に自分のものではない風景の一部になっていく。足先から感覚が消え、指先が凍りつき、心臓の音が、まるで隣の部屋で鳴っている時計の秒針のように遠くなる。

その時、僕は確かに幽霊になったのだと思う。


3. 無反応という名の、僕の愛

幽霊になった僕は、自分の亡骸のそばに座って、消えゆくスマートフォンの画面を眺めていた。

通知がひとつ、またひとつと届く。

「草」「どうしたんや」「生存確認w」

見知らぬ誰かからの、無責任で、軽薄で、けれど温かい反応。

もし僕がここで「助けて」と書いていたら、警察が来て、ドアが壊され、僕はまた、あの水槽の底に引き戻されていただろう。

けれど、僕は「グエー死んだンゴ」と書いた。

それは、誰も傷つけず、誰にも責任を負わせず、ただ愉快な冗談として消費されるための合言葉だ。

かつて読んだあの小説のピアニストの妻は、夫が無反応になった後、新しい恋を見つけて幸せになったんだろうか。夫はそれを、動かない瞳の奥で望んでいたのだろう。

僕も同じだ。

僕をフォローしていた人たちは、僕の投稿に「いいね」を押し、数秒後には別の面白い動画を見つけて笑うだろう。彼らは僕の死を知るよしもないし、知る必要もない。

彼らが笑っていること。

僕という存在が、一瞬だけ彼らの指を止め、そしてすぐに忘れ去られていくこと。

それが、僕がこの世界に残せる、精一杯の「優しさ」だった。


4. 猫と静寂

部屋の隅に、一匹の猫が現れたような気がした。

それは僕が子供の頃に飼っていた猫かもしれないし、ただの幻覚かもしれない。

幽霊になった僕の足元に、その猫は音もなく寄り添った。

「なあ、僕はうまくやれたかな」

僕は声をかけたけれど、空気は震えなかった。

猫は退屈そうにあくびをして、僕の透き通った手をすり抜けて歩いていく。

スマートフォンの画面が、ついに消えた。

深い、深い、闇。

僕はもう、何も見えないし、何も聞こえない。

けれど、タイムラインという銀河のどこかで、僕の放った8文字の星が、誰かの目に触れては消えていく。

僕は静かに、目を閉じた。

それは、世界で一番静かな、「無反応」という名の幕引きだった。


エピローグ:静かな箱の中

彼が「無反応」という名の永遠を手に入れたあと、部屋の空気は急速に密度を増した。

誰もいないはずの空間に、一匹の黒い猫が座っている。それは生身の肉体を持たず、影のように薄い存在だったけれど、主人がいなくなったことを誰よりも正しく理解していた。

机の上では、彼のスマートフォンが時折、短く震える。

見知らぬ誰かからの「w」や、安っぽい絵文字の通知が届くたび、液晶が青白く部屋を照らす。それは深海に届く一筋の光のようで、けれどすぐに、冷たい闇に飲み込まれて消える。

猫は、動かなくなった彼の指先に、そっと鼻先を寄せた。

かつてその指は、自分を撫で、温かなミルクを運び、そして最後にはあの8文字を打ち込んだ。

世界は、彼が思っていたよりもずっと残酷で、そして彼が望んだ通りに優しかった。

彼が遺した「グエー死んだンゴ」という言葉は、インターネットという広大な墓標に刻まれた、一番小さくて、一番ふざけた碑文だ。

誰も泣かない。誰も絶望しない。

ただ、画面の向こう側で誰かが一瞬だけ口角を上げ、「変な奴」と呟いて、あるいは「成仏してクレメンス」という定句を書いて、また自分の人生に戻っていく。

それこそが、彼が命を賭して守りたかった「平穏」だった。

猫は、彼の胸の上に丸くなって座った。

かつてピアニストの妻が、夫の動かない胸に耳を当てていたように。

もう鼓動は聞こえないけれど、そこには確かに、一つの物語が完結したあとの、深い満足感に似た静寂が漂っていた。

夜が明けるまで、あと少し。

青い鳥が羽ばたきを止め、すべてのタイムラインが夜の色に染まるまで、猫はそこで番をしていた。


タイムラインの端っこで、一瞬だけ光って消えた命がありました。

その最期のジョークと、遺された静寂は多くの人の共感と涙を得て、がんの研究にたくさんの寄付が集まりました。

この素敵な出来事をいつまでも思い出せるように小説で残したいと思って、イメージを膨らませました。

病室ではなく、おそらく彼が生きて帰りたかった自分の部屋を舞台にしました。

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