男運ゴミ令嬢、結婚相手に「君を愛することはない」と言われたので無関心でいくつもりでしたが⋯
私――マルティナ・オーウェンは、昔から、ことごとく男運がなかった。
幼い頃の初恋の相手は、急に私をいじめるようになったし、中等部の頃に決められた婚約者は、教師と駆け落ちしてしまった。
高等部の頃の婚約者には突然「運命の相手と出会ったんだ」と言われて、婚約破棄されるという有様。
そして十九歳の今、新たな婚約者さまが私に言い放つ。
「君を愛することはない」
なるほどねぇ……いや、もう分かってました。覚悟してました。絶対に何かあるって。
「はい。分かりました、それでいいです」
思わず口にしてしまい、あっと口を押さえる。婚約者――リシャール様の様子を窺うと、驚いて目を丸くしていた。
「そ、そうか。それならば、構わない」
そっぽ向いて立ち去るリシャール様。その姿を見送りながら、息を吐く。
「前途多難ですねぇ……」
呟いた言葉は、空気に溶けていった。
◇
その後、私たちは形だけの結婚式を挙げ、関わることない生活を送っていた。
一緒なのは食事の時くらいで、後はほとんど顔を合わせることはない。
私も妻として必要最低限のことはしていたけれど、本当にそれだけでした。
最初は他に想い人でもいらっしゃるのかと思いましたが、どうやら違うようで……。
日々、黙々と仕事をしているか、自室で本を読まれているか……仕事以外で、外に出て行く様子をあまり見たことがありません。
となれば、単に私が嫌なのかもしれませんね。まあ、それならそれでいいですが。……虚しくないといえば嘘になりますが、仕方のないことです。
日々の合間に刺繍をしたり、お花を育てたり、お菓子を作ってみたり……私は、そうやって自分を慰めていた。
◇
――転機が訪れたのは、それから数週間後だった。
公爵家主催のパーティーに参加するための身支度を整えてから旦那様の前に姿を出すと、ひどく驚いた顔をされる。
「――君のドレスは、それなのか?」
「はい。いけませんでしたか?」
何か、おかしかっただろうか? 品の良いエメラルドグリーンのドレスを選んだのですが……。
「……い、いや。もっと胸を強調したり、背中がバッサリと開いていたり……」
「そういった、ドレスの方が良かったですか?」
「そんなわけない! ただ、母も元婚約者もそういったドレスばかり身に着けていたものだから……」
なるほど。お母様や元婚約者さんは、大胆なドレスを好んでいたのですね。
というか、旦那様にも婚約者さんがいらっしゃったのですね。初めて知りました。まあ、どうでもいいですが。
「――私はこれまでもこれからも、そのような
ドレスを着るつもりはありません」
「……そうか。あっ、で、では、行くぞ」
「はい」
◇
パーティー会場である公爵家に着き、挨拶を済ませると少しだけ息を吐く。こういった場所には、今も昔も慣れない。
「……あら。リシャールじゃない?」
隣にいた旦那様が、驚いた様子で振り向く。
「……シ、ル……ヴィア?」
「お久しぶりねぇ〜。元気にしてた?」
シルヴィアと呼ばれた女性が、旦那様ににこにこと手を振る。
濃厚なお化粧に、胸の大きく開いた真っ赤なドレス。しかもスカート部分には、太ももまで丸見えの深いスリットが入っていた。
すごい。こんなドレス着ている方、見たことがない!
恐らく、先ほど言っていた元婚約者の方なのだろうと勝手に推測する。
「……何の用だ?」
「なによ、それ。相変わらず暗いわねぇ〜。顔はいいのに、ほんと残念な人」
「……っ……」
上機嫌なシルヴィアさんとは反して、旦那様の顔色が悪い。この人とは、会いたくなかったことが窺い知れる。
「ちょーっと、他の人と仲良くしてただけで婚約破棄するような陰湿な人ですものねぇ。私たちから奪った慰謝料は有効に使っていただけたかしら?」
は? なに……この人。詳しいことは分かりませんが、慰謝料を取られるようなことをしておいて、よくこんなことが言えますね……。
「――そういえば、ご結婚なさったんですってね? こちらが、奥さまかしら?」
シルヴィアさんが私を見て、にこりと微笑む。
「初めまして。マルティナ・クレンゲルです」
私がカーテシーをすると、ふーんと声を漏らす。
「へぇ……そうなのぉ。……なんていうか、随分と地味……あらやだ、ごめんなさい。堅実そうな方ですこと。うふふっ」
どこまでも嫌味な方ですこと。挨拶すら返してくれないなんて……まあ、折角ですし私も嫌味で返しておこう。
「ええ、そうでしょうね。旦那様は、貴方のように過剰に着飾った下品……あら、失礼。派手な方がお嫌で、私と結婚しましたので」
「なっ!?」
「……っ!」
旦那様も驚いて、こちらに振り返る。
「な、なんなのよ、この無礼な人!」
「無礼? 挨拶すら返せない貴方がそれをおっしゃるのかしら? ああ、わざわざ元婚約者である旦那様に声を掛けるような方ですから、そんな良識など持ち合わせていませんわよね。失礼いたしました」
「はっ、はああ!?」
「ご安心ください。私は旦那様と仲良くさせていただいておりますので……貴方と違って、ね? ――もう行きましょう、旦那様」
「あ、ああ……」
「ちょっと待ちなさいよ! 人のことバカにしてっ! 許さないんだから! 聞いてんの、ねぇ!?」
私は近くにいた警護の方に、騒いでいるシルヴィアさんのことを伝えると、旦那様の手を引いて足早に場所を移動する。
「……ふぅ。面倒な方でしたわね」
「……あ、あの……」
「……あ、すみません。勝手なことをペラペラと喋ってしまって……」
「いや。そんなことは……」
「――マルティナじゃないか?」
――会話の途中で突如入ってきた、聞き覚えのある声。
「やっぱり! 久しぶりだな!」
「……ふぃ、フィレント様……」
なんで、よりによってフィレント様が!?
「この人は……?」
旦那様の問いかけに、私は眉根を寄せながら答える。
「……も、元……婚約者です……」
「こんばんは。そちらの方は、新しい婚約者か?」
「……旦那様です」
「へぇ……結婚したのか」
何でしょう、この『結婚したのか、俺以外のヤツと……』みたいな空気。
「――あの時は、悪かったな」
バツが悪そうに、目を逸らすフィレント様。
「俺も若かったし……つい、ああいうノリが良くて元気な可愛い子に惹かれてちゃってさ。マルティナは良くも悪くも真面目で、一緒に居てもつまんないっていうか……母親といるような気持ちになるというか……異性としては、見れなかったんだよね」
今ここで、わざわざそんな話しします!? 昔から無神経な人とは思っていたけど、つらつらと余計なことを……!
「でも、いい相手と出会えたようで良かったよ。俺では君を幸せにできなかったけど、ずっと気になってたんだ。俺のこと引き摺っていたら申し訳ないなって……いやぁ良かったよ、ほんと!」
「……っ……」
何を喋れば良いのか分からず、俯いていると肩を引き寄せられる。
「……は?」
「……ええ。彼女は私が幸せにしますので、どうかお気になさらず。元婚約者か何か知りませんが、失礼な発言は慎んでいただきたい。彼女の真面目さは美徳だ。頭からっぽなバカ女に惹かれたとか言う、貴方に貶められる謂れはない」
「リシャール様……」
旦那様の言葉に驚いて、唖然としてしまう。
「え? あ、ご、ごめん……」
「行こう」
謝るフィレント様を無視して、私の手を引っ張る旦那様。
足早に人けのない場所まで連れて行かれると、互いに息を吐く。
「「……はぁ……」」
ばちん、と目が合うと互いに気不味さを感じて目を逸らす。
「……あの、さっきは……ありがとう」
先に口を開いた旦那様に、お礼を言われて慌ててしまう。
「……え!? い、いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
本当に……凄く、嬉しかった。
「……うん……」
「……ぁ……」
会話が続かない。何だろう、この空気。目線を上げると、また目が合う。
今度は互いに逸らすことなく見つめ合う。
緩やかに波打つ黒髪に、金色の眼。いつも顔色が少し悪くて……けれど、非常に整った容姿をしている。
――こんなに、ちゃんと旦那様を見たのは初めてかもしれない。結婚までした相手なのにと、自嘲する。
「挨拶は終わったし、もう帰るか」
「……そうですね」
「――それとも……」
旦那様が手を差し出してくれるが、意味が分からず首を傾ける。
「一曲、踊ってからにするか?」
まさかの申し出に、私は瞬きを繰り返す。
「――は、はい! ぜひ!」
私が勢いよく手を取ると、旦那様が口元を隠すようにして笑う。
「……ふっははっ。……すまない、君が元気よく手を取るから」
「す、すみません……はしたない真似をしてしまい……」
恥ずかしくて手を離そうとすると、しっかりと掴まれる。
「……ホールではなく、ここで構わないだろうか?」
「……ええ。もちろんです」
踊る私たちを、月明かりだけが照らしていた。
◇
これが切っ掛けで、私たちの距離は以前よりも格段に近付いた。
――私が外で庭仕事をしていると。
「何を、しているんだ?」
「……旦那様。ご覧の通り、花を育てています」
「へぇ……楽しいのか?」
「ええ。楽しいですよ」
「……手伝ってもいいか?」
「え? は、はい。もちろんです!」
――旦那様が、お出掛けになる日も。
「今から街にいくのだが、君も一緒に来るか?」
「よろしいのですか?」
「……ああ」
「すぐに支度しますね」
――私も、育てた花をお持ちしたり。
「私の育てたお花です。お邪魔で無ければ執務室に飾ってください」
「あ、ありがとう……」
――一緒に、お茶をしたり。
「お茶の時間にしようと思っているのですが、ご一緒にいかがですか?」
「……付き合おう」
◇
こんな風に、少しずつ仲良くなって行ったある日の夜――話をしないかと誘われました。
私がお茶を持って談話室に入ると、既に旦那様は来ていて、彼と自分の前にお茶を置く。
ティーカップを手に取って、お茶を飲もうとしたとき、旦那様が頭を下げたので驚いて手が止まってしまう。
「まずは君に、最初に言った言葉を謝罪したい。――すまなかった」
「最初……というと〝君を愛することはない〟と言われたことでしょうか?」
「……ああ。きつい物言をしてしまった」
「……いいえ。もちろん、最初はショックでしたが、今では理由があったのだと理解していますから」
「……ショックだったのか?」
「……え?」
「いや。あのとき、君は平気そうにしていたから……」
「……あれは……」
――私たちは、互いのことを話した。長い長い時間をかけて。
私は初恋の男の子のことから、元婚約者たちのことまで。
彼は、今は亡きお母様がずっと不倫をしていたこと。元婚約者――シルヴィアさんが浮気をしたこと。それも複数人と……そのせいで、女性不信になったのだと話してくれた。
「それは、女性不信になってしまいますわね」
「君の方こそ。全て諦めたくなってしまうな」
私たちは、互いに笑い合う。今の二人は過去を笑えるのだ。
「――でも、君は違った」
「ええ。貴方も」
目を合わせて、じっと見つめ合う。
「私たち、上手くやって行けるでしょうか?」
「……多分。少なくとも私は、君と上手くやって行きたいと思っている」
「ええ、私もです」
私は、旦那様に手を差し出す。
「手を繋いでみませんか?」
旦那様が、私の手を取ってくださる。
「――温かいな」
「はい。温かいです」
繋いだ手に少しだけ力を込めると、旦那様に微笑みかける。
「私たち、少しずつ夫婦になっていきましょう」
「ああ。よろしく頼む、マルティナ」
「はい!」
旦那様に初めて名前を呼ばれた私は、満面の笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇
(おまけ)
「旦那様、根を詰め過ぎですよ。少しはお休みしないと……最近、やっとお顔の色が良くなってきましたのに」
「……もう少しで、終わるから」
「……ダメです。いくらお仕事だからって無理をしては、お身体を壊してしまいます。――こちらに、どうぞ。少し休んでください」
私はソファに座ると、膝をポンポンと叩く。
「膝枕、お好きでしょう?」
「それは、まあ……」
「今なら、お昼寝後のおやつも付けちゃいますよ。旦那様のお好きなプディングです!」
私の言葉に、旦那様は小さく息を吐いて微笑む。
「……わかった。では、少しだけ休ませてもらおう」
ソファまで来ると横になり、私の膝の上に頭を乗せる旦那様。
「……ふふっ」
膝の上の、ふわふわの柔らかい髪の毛を優しく撫でる。
「(膝枕が好きと言うより、楽しそうな君を見ているのが好きなのだがな……)」
「……? 何か言いましたか?」
「いや。では、堪能させてもらうとしよう」
「はい。お休みなさいませ、旦那様」
心地良い風の入る執務室で、私たちは今日も穏やかに微睡むのであった。
◇おわり◇