梅園の誓い
前回のあらすじ
劉備は夷陵への大軍を率いて成都を発し、劉徳らも従軍することになった。
進軍の途上で張飛が部下に殺された報が届き、劉備は桃園の誓いを思い出し、嘆いた。
そののち張苞と関興が父の志を継ぐと名乗り出て、劉備は涙の中に希望を見いだしたのであった。
やがて軍は長江を下り、ついに秭帰へ到着した。
沿岸の呉の諸城は、蜀軍の大軍に圧され、兵が逃げ散り、次々と陥落していた。
戦場の気配が迫る中、関興は声を張り上げる。
「奪われた青龍偃月刀を取り返す!」
張苞もまた拳を握りしめた。
「張達と范彊の首を挙げ、亡き父に報いる!」
「父上のために……必ずこの戦に勝ち、呉を討ち果たす」
劉徳は強く心に誓った。
しかし、彼の胸には複雑な思いがあった。母が呉の皇族の出であることが頭をよぎり、敵討ちの誓いを声高に叫ぶことに、どこか気まずさを覚えていたのである。
関興も張苞も、それを気にする素振りはなかった。ただ純粋に、父の仇を討つことを胸に燃やしていた。
* * *
章武二年三月。
夷陵攻略の軍を編成するにあたり、劉備は諸将に問うた。
「さて、先鋒は誰に任せるべきか」
すると、張苞と関興が同時に一歩進み出る。
「どうか、私に先陣をお命じください」
「ぜひとも先鋒の役は、それがしに命じ賜りますように」
劉備は微笑しながらも、首を振った。
「そなたらはまだ若い。大将の任は重すぎる。だが、亡き父に活躍を見てもらえるよう、大将の補佐には加えよう。――ただし、どちらか一人だ」
張苞が大声で叫ぶ。
「ならば、武芸比べで決めようではないか!」
「望むところだ!」と関興も応じる。
まず、三百歩の彼方に、旗を並べ、その旗の上に紅の小さい的をつけた。
関興は矢をつがえ、正確無比に次々と命中させた。見守る将兵からどよめきが起こる。
「さすがは、関羽の子よ」
続いて張苞が弓を取り、ただ的を射るだけでは飽き足らぬと、矢を二本同時につがえて放った。二本の矢は空中で交差し、二つの的を同時に射抜いた。
「おお!」と兵たちの感嘆が響く。
その勝負を見ていた劉徳は、急に胸が高鳴った。思わず弓を取り上げると、じっと空を見つめ、何の前触れもなく空へ矢を放った。
ひゅるる、と矢は高く舞い上がり、一羽の雁を射落とした。
その場は大いに沸き立ち、張苞も関興も目を丸くする。
「劉徳殿まで…!」
「なんと見事な!」
関興は顔を赤らめ、なおも意地を張って叫ぶ。
「次は矛で勝負だ! 今度こそ決着を!」
「さあ、かかってこい」
二人が馬を引き寄せ、刃を交えんとしたとき、劉備が声を張り上げた。
「ひかえろ!子どもら」
「そちたちの父と父は、義を血にすすり、魂をともにした仲ではないか。もし一方に傷でも負わせたら、泉下の父はどのように嘆くことか」
その一喝に、関興と張苞は矛を捨て、馬からとび降りた。額には汗が光り、さすがに息も荒い。
「これからは亡き関羽と張飛同様に、汝らも仲良くせよ」
「はっ!」
2人は元気よく返事をした。
傍らで見ていた趙統が尋ねる。
「それで、陛下。結局、先鋒の補佐はどちらに?」
劉備はしばし考え、ふと口を閉ざした。決めかねているようだ。
「ならば、義兄弟の契りを結んではいかがでしょう」
劉徳が、ふとひらめいたように言い出した。
「なるほど。劉徳殿、関興殿、張苞殿は心を通わせ、まるで実の兄弟のようである」
趙統が微笑を浮かべて同意する。
「わ、私もですか⁈」
てっきり二人だけかと思っていた劉徳は驚いた。
「俺がこの前そう提案したじゃないか」
関興が嬉しそうに言う。
「ならば、ここ秭帰の近くに見事な梅園がある。桃園の故事にならい、そこで義を結ぶのも天意であろう」
翌日、三人と劉備は梅園へ向かった。
季節は早春。園に入れば、白梅が一面に咲き誇り、冷気に混じって甘い香りが漂っていた。
花びらは風に舞い、雪のごとく地に散り敷く。青空を背景に白梅が揺れるさまは、まるで天が三人の契りを祝しているかのようであった。
三人は梅の大木の下に並んで座った。劉備もまた、静かにその様子を見守っている。
「さて、兄弟の順はどうすべきか」
劉徳が言うと、関興がすぐに答えた。
「無論、阿義殿が長兄となられるべきです。この心は揺らぎませぬ」
張苞もまた大きくうなずく。
「私も同じ気持ちです。父・張飛も生前、『劉徳殿は器量広く、必ずや我らを導く』と申しておりました。どうか兄としてお立ちください」
劉徳はしばし考えたが、二人の真心に押され、ついに承知した。
「ならば、私を長男、張苞を次男、関興を三男としよう」
その言葉とともに、三人は盃を手に取り、梅の大木の下で立ち上がる。
「我ら三人、生まれし日と時は異なれど、ここに義兄弟の契りを結び、心を同じくして助け合い、困窮する者を救わん」
「上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う」
「同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せんことを願わん」
三人の声は澄み渡り、白梅の花吹雪に吸い込まれるように園に響き渡った。
その誓いを確かなものとするため、互いに盃を掲げ、酒を飲み干す。
それは大規模な宴ではなかった。だが、梅園で交わしたこの誓いは、桃園の義に劣らぬほど重く、三人の心に深く刻まれた。
(関羽、張飛……そして朕の思いを、この子らに託そう)
劉備は、三人を静かに見守り、息子の誓いが果たされることを強く願った。
のちに人々はこれを「梅園の誓い」と呼び、後世まで語り伝えることとなる。
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