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転機

前回のあらすじ

八年の歳月が流れ、劉徳・関興・張苞の三人は赤嶺で穏やかな暮らしを続けていた。

劉徳は黄鈴との再会により、かつての志を胸にしまい、守るべき日々の幸せを見つめ直していた。

黄承彦の一周忌を迎え、成都から黄月英が訪れていた。

その出会いが、静かな山里に眠っていた歯車を再び動かそうとしていた。

 黄月英はしばらく沈黙したのち、遠慮がちに、しかし真剣なまなざしで言った。

「劉皇弟、関興殿、張苞殿。私は昨年、父の葬儀でここを訪れた時から、あなた方の身の程に気づいておりました。しかし、まさか父の村に身を寄せているとは思いもしませんでした」


 劉徳は驚きと焦りで言葉を詰まらせた。

「月英様、なぜ……どうして分かったのですか?」


 黄月英はまっすぐに視線を返す。

「あなた方がどこかで生きているということは夫から聞きました。立場上、いろいろな話が耳に入るのです。今、丞相は再び北へ――第六次の北伐を準備しています。ですが、私は思うのです。あの方の体は、もはや長く前線に立てる状態にないと。もしかすると、これが最後の北伐になるかもしれません。だからこそ、あなた方に頼みたいのです。蜀の行く末のため、もう一度……力を貸してほしい」


 その言葉に、場の空気がわずかに張り詰めた。

 八年の穏やかな暮らしを積んだ三人に、再び戦の気配が立ち上る。


 最初に口を切ったのは関興だった。粗く、棘のある声だ。

「――笑わせるな。いくら世話になった村長の娘だからといって、あんたらのことを俺らは許してねえ。今さら何を信じろというんだ。都合が悪くなったら、また切り捨てるつもりだろう」


 張苞が続ける。言葉は冷たく、だがどこか悲しみを含んでいる。

「どこへ行っても我らに居場所はない。名を明かせば謀反人、隠せば卑怯者。そんな我らを、兵として利用する気なら、断る。陛下に見捨てられ、蜀に切り捨てられた身だ。ここでの暮らしを手放してまで、駒にされるつもりはない」


 二人の瞳に松明の炎が点々と映る。憤りと疑念が、夜の空気を重くした。だが黄月英は表情を変えない。


「あなた方の怒りは当然でしょう。夫も後にあの決断を非常に悔やんでおりました。私もあのとき、声を上げられなかった。多くの臣は保身に走り、陛下の前で真実を口にしませんでした。私はそのことを恥じております。あなた方には本当に申し訳ないことをしました」

 そう言うと、月英は深々と頭を下げた。

 劉徳はあの頃の出来事を思い出し、少し涙ぐんでいる。

「そんなこと言われたって、協力して何の得があるっていうんだ。俺はあんたに謝ってほしいわけじゃない。ただ関わらないでくれと言っているだけだ」

 関興は不満そうに問う。

「今私がこうしてあなた方と話しているのは、誰かの指示ではなく、私の独断です。まだ夫にはこのことを話していません。彼が私の行動を許すかどうか分かりませんから。でも、今この局面で、あなた方の力がどうしても必要なの」

 すると、月英は岩陰に置かれていた大きな箱を二つ持ってきて三人の前に置いた。

 錠を外し、ゆっくりと蓋を開ける。松明の光に金属がきらりと反射する。



 中には、青龍偃月刀と丈八蛇矛── かつて宮中で回収され、もう二度と返ってこないと思っていた武具が、そこにはあった。二つの刃は長年の使用で鈍い光を帯びているが、握れば父や先人たちの気配が伝わる威厳を備えている。


「これは……!」

 張苞の声はかすれ、関興の表情は一変した。

 二人は思わず膝をつき、刃の輝きを見つめる。

 その目には、怒りではなく、長い年月を越えて甦った武人としての“誇り”が宿っていた。


 黄月英は静かに言った。

「あなた方にしか、託せないと思ったのです。これはただの武器ではありません。志を継ぐ証です。私は賭けました。再びこの刃を握りし者たちが、蜀の運命を変えると信じて」


 関興は刀の柄に手を置き、やがて唇を噛んだ。

「これを見せられて、心が動かぬはずがない。……ただし条件がある。勝手に使われるのは御免だ。情報は可能な限り共有し、行動は我らの判断を尊重すること。八年前のようなことは二度と繰り返させぬ」

 張苞も低く言う。

「我らはただ戦功を求める者ではない。だが父の形見を前にして、忘れていた志を思い出した。あなたの申し出、受けよう」

 その言葉とともに、三人の胸に眠っていた何かが静かに目を醒ました。

 失われかけていた夢の光が、二振りの刃に照らされたのである。


 黄月英は深く頷き、穏やかに言った。

「約束します。あなた方を駒だとは思っていません。私が求めるのは戦功ではなく『策』の実行です。そして――最も大切なのは、劉皇弟。あなたにしか任せられないことがあるのです」

 劉徳は二人の顔を見回し、深く息を吐いた。胸の奥にあった「もう蜀のために戦う資格はない」という諦観がまだ消えない。しかし、八年の暮らしの中で培った知と技、黙々と鍛えた義兄弟の力、そして目の前にある刃の重さを前にすると、答えは自然と固まっていった。


「……承知しました。私も参ります。たとえ勝ちを得たとしても、地位や栄誉が返るとは限らぬでしょう。しかし、これは天が与えて下さったまたとない機会だと思うのです。守るべき人を守り、信じ託してくれた者たちの期待に応えるために戦う。これが、私の答えです」


 松明の火が揺れ、三人の影が岩肌に長く伸びた。月英は安堵の色を浮かべたが、再び口を開く声に迷いはなかった。

「……では、詳しい話をしましょう。あなた方にお願いするのは、ただの前線での戦いではありません。国の命運を左右する――『策』の(かなめ)です」月英は周囲を確かめ、小声で続けた。


 夜風が谷を渡り、遠くの山並みに白い月が昇る。

 その静けさの中で、劉徳は胸の奥に懐かしい鼓動を感じた。

 かつて失ったはずの大志が、再び息を吹き返す。

 それは、父の遺志を継ぐ者としての誇り、そして蜀を想う心であった。


 五丈原の風が頬を撫でるのを感じた。

読んでくださりありがとうございます。評価とブックマーク、感想をぜひよろしくお願いします!

一週間お待たせしました。執筆活動再開いたします。次回もどうぞお楽しみに!

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