檻車の叛逆
前回のあらすじ
劉徳ら三人は冤罪で流刑となり、晒し者にされながら護送される。
諸葛亮の命令を受けた馬岱が密かにその様子をうかがっていた。
突然、檻車が軋むような音を立てて止まった。揺れに背中を打ちつけ、劉徳は咄嗟に顔を上げる。何事かと視線を前方に送ると、護衛の一人が血走った目で剣を抜き、こちらへ向かってきている。
(なに……!? 味方のはずが……!)
次の瞬間、列の中で金属音が響き渡り、周囲の兵たちが次々と抜刀する。冷たい刃が日光を反射し、行列はたちまち騒然となった。
木製の格子越しに迫る剣先が、じりじりと自分を狙っているのを感じ、劉徳は座りながら後ずさりする。
(まずい……このままだと殺される!)
剣の先が肩を抉った瞬間、痛みが鋭く走り、血の熱さが襟元へと染み込んだ。檻車の木肌は冷たく、揺れる車輪の響きが耳の奥でじりじりと震える。張苞は向かってきた護衛に頭突きをし、関興は敵の手に噛みつく。
「やはり護送中に始末するつもりだったのだな」
二人は声をあげたが、手足は頑丈な縄で縛られ、身動きがとれない。
周囲の護衛は一斉に劉徳、張苞、関興の首を狙った。
(これで終わりなのか――)
絶望が胸を締めつける。劉徳は目を閉じ、父の顔や幼い日の風景が走馬灯のように脳裏をよぎる。
だが、その瞬間──
林の方から聞き慣れた声が木々のざわめきを切り裂いた。
「何としても殿下をお守りせよ!」
茂みを押し分け、趙統と数人の兵が飛び込んできた。趙統の顔は土に汚れ、息は荒い。しかしその瞳は明確にここを見据えている。劉徳は思わず声を上げた。
「趙統、なぜお前が……!」
趙統は返答する間もなく腰を落とし、横合いから飛びかかろうとした護衛の腕を一閃で叩き落とす。刃が金属の甲を砕き、歓声にも似た金属音が森に響いた。檻のすき間を突いていた剣が、空を裂くように落ちる。すぐさま趙統の近衛たちが乱入し、護衛の一団と激しく斬り結んだ。剣と槍が交錯し、火花が散る。檻車の周囲は一瞬にして激戦の渦へと変わっていった。
「説明は後だ。今はとにかく自分の命を守れ!」
鋭い趙統の声が山に響く。
趙統の登場に関興は怒りに震えながらも、檻の隣で張苞と共に劉徳を守る壁となっていた。
(今はこの二人の力が必要だ)
趙統がそれに気づくと、急いで二人の近くへと向かった。自分の剣で手足の縄を断ち切り、二人の猛将はようやく自由になった。すぐに落ちている剣を拾い、護衛と戦った。
「この裏切り者!よくも我らを陥れたな!」
関興は一人護衛を倒すと、次に趙統へ剣を向けた。
「やめろ!関興。今はそんなことをしている場合ではない。全員ここで死んでしまうぞ」
劉徳が檻の中から命令する。
「こいつらを倒したら次はお前の首を刎ねてやる!」
関興は激怒しながらその恨みを敵へとぶつけていく。
劉徳は肩から滴る血を押さえつつ、まだ震える指で檻車の扉に手を伸ばす。剣は浅く、致命傷には及ばなかった。血の熱さと、痛みの奥にある安堵が混ざる。振り返ると、張苞が心配そうな目で檻内の劉徳を見据えていた。
「劉徳殿……どうか耐えて下さい」
張苞の声は低く、震えていた。彼もまた、剣を奪い、敵へ向かって斬り込む。
(これで敵は全員か)
劉徳がふと山を見上げると、何個ものやじりの先端がこちらへ向いているのが見えた。
(敵はまだ上にいる!)
矢が放たれそうになったその時、木々の隙間からやじりは見えなくなり、代わりに叫び声と、そこにいた伏兵と思われる死体が山の上から転がってきた。
敵か味方か。黒い影が斜面で動いているのを、彼はぼんやりと認めた。だがその正体を確かめる余裕はない。
このとき、馬岱は趙統を警戒して、劉徳たちの前では姿を現さず、一人で伏兵と対峙していた。
最も近くにいた護衛のリーダーが、檻の前に倒れた。趙統は息を切らしながら、かろうじてその者の帯から鍵を奪い取ると、震える手で錠前に差し込み、がしゃりと開けた。木製の扉が外れ、劉徳は檻から外へ這い出る。肩の傷からは血が滴るが、動けないほどではない。
張苞と関興は最後の敵を蹴散らし、劉禅の息がかかった護衛たちは殲滅された。
檻から出た瞬間、劉徳は目の前の光景を呆然と見た。趙統は膝をつき、地面に額をこすりつけるようにして泣いていた。息は荒く、体は傷だらけだ。関興は一瞬、趙統の胸ぐらを掴み上げると、胸の内の憤りをぶつけるように顎を引いた。
「お前……いったい自分が何をしたか分かっているのか」
関興の声には、助けられた恩よりも先に、嘘の証言で自分たちを裏切ったことに対する怒りが溢れていた。
「私は大逆を犯しました。劉徳殿、どうかその刀で私の首をお斬りください」
趙統は顔を上げ、血で汚れた手を地面につける。声は震え、言葉は断続的だったが、それはきっと趙統の本心だったのであろう。
劉徳はその場で深く息を吐いた。血の熱さが喉へと流れ、肩に手を当てると、痛みが鈍くうずいた。だが、何よりも先に浮かんだのは――助けられたという事実と、趙統の正直な姿だった。彼の胸には怒りよりもまず、救われたことへの感謝が満ちた。
「趙統よ……私はそなたのことを信じている」
劉徳の声は静かだが確かに届いた。張苞はその言葉に顔をしかめ、関興は拳を握り締めたまま視線をそらす。二人の胸中には複雑なものが渦巻いている。裏切り者に命を助けられたという事実が、怒りと困惑を倍増させていた。
「阿義様、ここは俺にお任せください。こいつの首を今すぐ斬ってやる」
「関興やめるんだ。趙統よ状況を詳しく話してくれるか」
劉徳はひざまずく趙統をまっすぐ見ながら問いかけた。
「殿下……陛下が、流刑地へ移送中に暗殺するよう私に命じました。私は言われた通りに動けず、その任務を断りましたが、陛下が別の手段を選ぶかもしれないと思い、密かに尾行しておりました。あの護衛は陛下の命を受けた者です。私は……助けねばならぬと、そう思ったのです」
趙統は震える声で続ける。
「私の近衛の一人を護衛の格好に着替えさせ、殿下を討ち取ったという偽の報告をさせます。陛下はそれを聞けば満足し、殿下はここで死んだと思うでしょう……どうか、成都から遠く離れた土地で平穏に生きてください──それが私の、せめてもの償いです」
劉徳は肩の傷を押さえながら、ゆっくり頷いた。張苞は唇を噛み、関興は刀の柄に手を当てながら、険しい顔で遠くを睨んだ。彼らの胸にあるのは赦しとは程遠い感情である。
「まずは出血を止めなくては」
張苞は自分の衣服をちぎり、包帯のように劉徳の肩に巻いた。出血は収まり、傷口はそこまで深くないことが判明した。
劉徳は趙統の顔を見た。そこには泥と血にまみれた跡があるが、表情は安堵と深い後悔で歪んでいる。劉徳は静かに言葉を返す。
「趙統。私たちを助けてくれたことに感謝する。お前が犯した罪は、いつか自ら償うとよい。それを、私は恨みとはしない」
趙統は膝をつき、背を丸めて頭を垂れた。泣き伏すような動作は、己の行為がもたらした波紋の重さを示していた。
(劉徳殿はどうしてこんなにも御心が広いのか)
張苞は劉徳の姿を見て感服していた。
「では、私は成都へと急ぎ帰ります。どうかご無事で」
趙統は礼をすると立ち上がり、数人の近衛と一緒に南へと向かっていった。
(結局、趙統は我らを見捨て、得をしただけではないか)
趙統の去りゆく背中を見て、関興はまた憤りを感じた。
三人は、血の匂いを残した谷をあとにした。後方では、馬岱が影のように動き、斜面の伏兵を打ち払い続けている。劉徳はそれを知る由もなく、ただ肩を押さえながら北へと進む。行く先は不明だ。そもそもここがどこかも分からない。すでに覚悟していたことではあるが、やはり未知の世界というのは恐ろしいものだ。
だが──私はまだ生きている。趙統のおかげで義弟たちも生きている。たとえ庶民に落とされ、罪人と言われようとも命ある限り希望はある。
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