阿斗の胸中
前回のあらすじ
弟を虐める劉禅の姿を見た劉備は落胆し、蜀漢の運命を憂いた。
学問を怠り、娯楽にふけっている劉禅。
自分とは真逆の阿義の姿を見て、阿斗は何を思うのか。
建安二十四年、冬のことだった。荊州から届いた訃報は、成都を凍らせた。関羽が討たれた――その知らせに、城中の臣下たちは皆、言葉を失った。
劉備は深く喪に服し、三日間政務に出なかった。その間、敗走してきた兵や荊州に住んでいた人々が城門の外に溢れ、誰もが不安と怒りで声を荒げていた。
そんな折、まだ十歳の劉徳が、近習を連れて門外へと現れた。
「父上は今、国のこれからを考えておられる。だからこそ、民の声は私が聞きます」
兵士たちは驚いた。小柄な身体、まだ声変わりもしていない皇子が、落ち着いた口調で人々をなだめている。
泣き崩れる女性には、「寒くないように、すぐ中へ」と自分の外套を掛け、負傷兵には「すぐ薬を」と従者に命じる。
その場には、荊州から帰還した関羽の息子、関興もいた。まだ若いが、鎧の上からでも悔しさと無念が滲み出ている。
「……殿下、我は父の仇を討ちとうございます」
怒りを露わにする関興に、劉徳は一歩近づき、静かに口を開いた。
「関興殿の胸にある痛みは、私の想像の及ばぬほど深いでしょう。それでも……今は皆の心を一つにしなければなりません。父上は必ず呉に報いてくださいます。それまで、どうか私と共に民を守ってください」
その声音は驚くほど落ち着いていて、年上の関興でさえ一瞬言葉を失った。
その後、劉徳は昼間に避難民の整理や物資の配分を手伝い、夜になると書物を開き、この状況を打開する策を懸命に練った。
年齢を知る者は皆、口を揃えてこう言った。
「十歳にして、子供らしさよりも先に、国を思う心を持っている」
成都の冬は厳しかったが、その小さな背は、確かに人々の心を温めていた。
お前がここに来てから、俺の人生は変わった。
それまでは、誰からも可愛がられ、認められていた。父上も、臣下も、皆が俺を褒め、俺のすることは何でも肯定してくれた。
今と違って、勉学も武術も、それなりに励んでいた。俺は、特別に何か秀でているわけではなかった。剣も弓も、稽古場で一番ではない。書も詩も、先生が手本にするほどではない。それでも、誰も俺を咎めなかったし、むしろ「よくやっている」と褒められた。嫡男であるというだけで、努力は半ば形だけでも通用した。だから、当然のように思っていた――皇太子になるのは、この俺だと。
あの頃は、自分の立場が誰かに脅かされるなど考えもしなかった。
だがーー阿義、お前が宮中に来てから、すべてが変わった。
異母兄弟がいると聞かされても、最初は気にも留めなかった。母親が逆賊である庶子に、どうせ居場所などないと思っていた。だが現実はそうではなかった。もちろん、孫尚香の子だからと毛嫌いするものもいた。しかし、彼は、優しくて、純朴で、努力家と言われる類の人間であった。
父上はお前を褒め、一部の臣下はお前を「将来有望」だと持ち上げた。俺が一度も言われたことのない言葉を、まだ年端もいかぬお前が易々と手にしていた。
極めつけは、あの冬の日だ。
飢えと寒さに苦しむ民のもとへ自ら赴き、手を汚し、必死に救おうとするお前の姿を、俺は遠くから見ていた。あの場にいた者たちは皆、口を揃えてお前を讃えた。俺の耳にも届いた。「真に民を思う皇子だ」と。
……俺は、そんな言葉を一度でもかけられたことがあっただろうか。
あいつが憎かった。許せなかった。
だが、あいつの真似をして評判を得ようなどとは思わなかった。そんなもの、俺には到底できないし、あいつがもし本心であのように振る舞っているのならば、なおさら理解不能だからだ。八方美人のようなその態度の裏には、必ず黒い腹がある。そう信じてきたし、いつか必ず化けの皮が剥がれると願ってきた。
なのに――どうして、父上は俺ではなく、あいつを見続けるのだ。
お前さえいなければ、俺は何の障壁もなく、皇太子になれているはずだというのに。
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