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追放

前回のあらすじ

劉禅は朝堂で劉徳を罪人と断じ、庶人へと落とす勅命を下す。

証人として現れた趙統が、幼馴染である劉徳を裏切り、偽りに証言を行った。

劉禅は勝者の愉悦に浸り、弟を叩き潰す裁きを始めようとする。

 趙統の証言だけでも場は大きく揺れ動いた。だが劉禅は満足そうに微笑むだけでは済まさない。側近が走り去り、いくつかの「証拠」を携えて戻ってきた。

「屋敷の外で回収された物だ。見るがよい」

 劉禅の合図で側近が進み出る。布に包まれた二つの品が卓上に置かれた。

 一本の折れた矢羽と墨で「今宵」と書かれた布の端切れであった。

 折れた矢羽は、張苞の兵が好んで用いる独特の羽根の型に一致した。布には「今宵」と二文字が残され、その筆致は劉徳の字に似通っている――と側近は声を大きくして告げた。

 諸将の間にざわめきが走る。魏延は低く息をつき、困惑の色を隠せぬまま眉をひそめた。証拠がもし真実ならば――その思いが、劉徳に対する信頼を揺さぶりかけている。

「劉徳殿がこんなことをするわけない……きっと何かの間違いだ」

 言葉は力強さを欠き、むしろ自分に言い聞かせるように響いた。

「何だ魏延。これを見てもなお阿義を庇うのか。まさか、そなたまで加担しているのではあるまいな」

 劉禅の冷ややかな声に、魏延は咄嗟に否定しようとしたが、喉の奥で言葉が止まった。

(これ以上口を開けば、俺まで疑われる……)

 沈黙の重みが魏延の肩にのしかかる。そのとき、諸葛亮が一歩前へ進み出て、深く眉を寄せた。

「待て。物証は確かに並べられた。だが、鑑定はいかに行われたのか? いつ、誰が回収したのか。夜の混乱の中、後から置かれた可能性は否めぬ。そもそもこれらが屋敷の外に落ちていたという証明もできない」

 諸葛亮の声は低く、揺るぎない確信を帯びていた。彼の視線は劉禅を避けつつも、朝堂の隅々を冷静に見渡している。だがその指摘に答える者はいなかった。

「丞相よ。朕が出まかせを言っていると申したいのか」

「いえ、とんでもありません。ただ、これだけで判断するのは難しいと申しておるのです」

 文官たちは沈黙を守った。彼らの大半は劉禅派であり、もとより劉徳に味方する義理などない。わざわざ己の立場を危うくしてまで声を上げる者は、一人としていなかった。

 武官たちは助けに駆け寄りたい衝動に駆られたが、目の前には近衛が控えている。劉禅に逆らえば、次に槍の矛先が自分に向けられる。誰も動けなかった。


 孤立。

 その二文字が、朝堂の空気を冷ややかに覆った。


――これは茶番だ。

 諸葛亮は心の中で呟いた。布片も矢羽も、奪われて置かれたか、偽造した品に過ぎぬ。文書の筆跡に至っては、劉徳のものと断ずる証人は誰もいない。

 諸葛亮自身も劉徳の筆跡を詳しく知る立場ではない。だが、これは明らかに作為だ――そう悟っていた。


 劉徳は目を細め、布の端切れをじっと見つめた。

(あれは……趙統の字だ)

 幼き日、ともに伊籍先生のもとで学び、互いに筆を競い合ったこともある。筆跡など簡単に真似できる。だが趙統には、どうしても消えぬ癖があった。その癖が、この「宵」の字に表れていた。

(趙統……これが、そなたの選んだ道なのだな)

 劉徳の目には、怒りと悲しみが入り混じった色が浮かんでいた。

 趙統の視線が一瞬乱れ、やがて静かに(まぶた)を伏せた。


「趙統よ、本当に見たのか?」

 劉禅の問いに、趙統は声を振り絞って答えた。

「はい、陛下。私は確かに見ました。証拠も、そこで回収されました。私は偽りを申しておりません」

 諸葛亮が間髪入れず詰問する。

「屋敷のどこで、何を見たのだ。最初に動いたのは誰か。どこで何を落とした?」

 問いは刃のように鋭い。趙統の口元は震え、言葉が喉に絡まった。目は何度も劉禅を仰ぎ、やがて床に伏す。涙とも見える光が滲んだ。諸葛亮の冷たい視線に絡め取られ、声は凍りつく。

 趙統が口を開きかけた、その刹那――


「皆さま、私が偽りを申しておりました」


 劉徳が一歩進み出て、静かに言葉を落とした。

「全ては私が企てたこと。弟たちは従っただけで罪はありません。どうか彼らを助けてください」

 朝堂に衝撃が走った。その場の全員が、劉徳の言葉を耳にした瞬間、何か人智を超えたものを見せつけられたかのように、言葉を失っていた。


「随分、兄弟思いなのだな、劉徳。そんなに義兄弟が大切ならもうお前は皇弟である必要もないだろう。本来なら三人とも死罪に処すべきところだが……最後の情けとして、お前は流刑にしてやろう」

 劉禅は冷笑を浮かべた。

「陛下、それならば私と関興も共に流刑にしてください。我らは最後まで共にいると誓ったのです」

「そうか、そうか。ならば望み通り3人とも流刑にしてやろう」

(弟を堂々と処刑すれば、民の心は離れ、後世に暴君と語られるだろう。そんなこと、俺とて承知している。だが流刑なら――後でどうとでもできる)

 劉禅は胸の内で(わら)った。


 その横で、諸葛亮は拳を袖の中で固く握り締めた。

――先帝よ。

 劉備の姿が胸裏に蘇る。

(国を守るのが私の務め。だが陛下の胸に宿るこの怨念は、止めても必ず甦る。今日を抑えても、明日にはまた別の形で報復を繰り返すだろう。ならば……血を流さぬ道を選ぶしかない)

 孔明の眼差しは鋭く劉禅を射抜いたが、口は閉ざされた。理を尽くしても、ここでは逆賊とされるのみ。苦渋の決断であった。

(命を奪うことは許されぬ。先帝の御子である以上、それは絶対に――)

 彼の脳裏に、劉備の最期の言葉が甦る。

『我が子を託したぞ』

 諸葛亮の胸は裂けるほどの苦悩に満ちていた。

 だが孔明は表情を変えぬまま、ただ足元を見つめていた。

(ならば遠くで静かに生きてもらうしかない……。関興も張苞も惜しいが、冤罪をかけられた今、陛下に忠誠を尽くせるはずもない)

 武官たちは悔しさに拳を震わせ、文官たちは冷ややかに視線を逸らした。誰も劉徳を助けない。

(かつて前漢の文帝は弟である劉長を謀反の疑いで流刑に処した。しかし、文帝は暴君と呼ばれたか?いや違う。むしろ名君であった。陛下もきっと恨みを果たせば、もうこんな過ちは犯さないはず)

 諸葛亮は自分に言い聞かせた。

「陛下のご厚意に感謝いたします」

 劉徳は劉禅に向かって座礼した。

(劉徳よ……そなたはまた、自らを犠牲にして仲間を庇うのか。優しすぎるゆえに)


「――連行せよ」

 劉禅の声が響き、護衛たちが三人を引きずるように連れ去る。張苞は歯を食いしばり、関興は荒々しく暴れた。劉徳はただ一度だけ振り返った。

 その眼差しがとらえたのは、涙を流した趙統の顔であった。

 言葉は交わさずとも、互いの胸に去来するものは確かに伝わった。ただ、二人の絆が、朝堂という広大にして冷ややかな空間で引き裂かれていく。


 朝堂の扉が重く閉まる音が、木の間を震わせた。


 劉禅は玉座に戻りながら、胸中で忌々しく呟いた。

 ――またも、劉徳にしてやられたか。

 だが次の瞬間、口元に冷たい笑みが浮かぶ。

「これで全て終わりだ」

 流刑の命が、乾いた声で下された。

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