老将黄忠
前回のあらすじ
劉徳は成都で父と再会するも、孤独と罪悪感に苛まれていたが、関興の言葉に救われ、自らの使命を自覚する。
父・趙雲の命に従う趙統の葛藤を知るも、責めずにそれぞれの道を選ぶ決意を固める。
二人は別々の未来へ向かうことを理解しつつも、幼き日の友情を胸に、夷陵へと戻った。
劉徳と趙統が故郷から戻った頃、張苞と黄忠の部隊もまた、夷陵から帰還していた。
「張苞は、朕の弟の仇を討ってくれた。感謝する。その功績を称え、関興と同じ位の裨将軍に任命する。蜀には若き光が数多くあり、朕は大いに期待している」
劉備の声が広間に響いた。これにて関興と張苞、義兄弟二人は堂々と蜀漢の武将となり、父たちの跡を継ぐことが許された。
しかし、その場に居並ぶ者の中で、ただ一人納得できない者がいた。
老将・黄忠である。
彼は劉備をじっと見つめた。深い皺に刻まれた眼差しには、不満と失意が入り混じっている。
「黄忠は、張苞を助けてくれたのだろう。よくやった」
劉備はねぎらいの言葉をかけた。しかし、それだけだった。褒美も昇格も与えられなかった。
張苞を守るために自ら血を流した老将に対して、それはあまりにも冷たい扱いであった。
「……なぜじゃ」
黄忠は小さくつぶやき、拳を握った。やがて堪えきれず、援軍を指揮した馬良へと訴えた。
「わしは命を賭して張苞を救ったのだ。なのになぜ、張苞だけが褒められ、昇格され、わしには何もないのじゃ! 納得いかん!」
その声は憤怒に震えていた。
「黄将軍、どうかお心を静めてください。私から陛下に進言いたしますから」
馬良は必死になだめた。だが、劉備はそれを退けただけでなく、黄忠を戦線から外すよう命じてしまった。
老将は唇を噛み、拳を震わせた。
「若者を称え、老兵を軽んじるとは……。ならば、我が身で功を立ててみせるまでよ」
黄忠は固く心に誓った。
一か月後。
「朕自ら夷道を制圧する!」
劉備が高らかに宣言した。
「断じてなりませぬ、陛下! お命が第一にございます!」
将軍たちは口々に諫めたが、劉備は聞き入れなかった。大将軍・馮習、黄権、呉班をはじめ、劉徳・関興・張苞の三兄弟、そして趙統らも軍に加わり、総勢五万の兵が進軍を開始した。
眩しい日差しの照りつける戦場。
(見ておれ……老いたとはいえ、この黄忠、未だ矢を射る腕は鈍っておらん)
黄忠は数十の精鋭を率い、呉の将軍徐盛の陣を目指して突進した。
「進め! 突撃だ!」
咆哮とともに馬を駆り、自ら先頭に立つ。白髪をなびかせ、若武者さながらの勢いで敵陣へ切り込んだ。矢を射れば正確に敵兵を射抜き、剣を振れば次々と屍が積み重なる。
老将の勇猛さは敵にとっても恐るべきものであった。しかし、徐盛の狙い澄ました一本の矢が黄忠の肩を深く貫いた。
「ぐっ……」
馬上でぐらりと揺れながらも、黄忠は必死に剣を振るい、部下を守りながら後退した。しかし傷は深く、血が止まらない。
劉備の本陣に戻ると、すでに顔色は蒼白で、呼吸は荒く途切れていた。
「黄忠殿!」
張苞が駆け寄り、老将を抱きとめた。
「……すまぬ、若武者よ。おぬしを救ったはずのこの手も、もはや剣を握れぬ」
「そんなことを言わないでください! あなたは私の命の恩人です。私がまだここに立っているのは、黄忠殿のおかげなんです!」
張苞は涙を浮かべ、老将の手を握った。
「この国を…頼んだぞ」
黄忠は弱々しく微笑んだ。
「私は一介の軍人にすぎませんのに、幸運にも陛下と出会うことができました」
黄忠は劉備に別れを告げ絶命した。
「……また一人、蜀漢の忠臣を失った」
劉備は嘆いた。
「黄忠殿――!」
張苞は声を上げ、膝を地についた。その顔は涙に濡れ、拳は震えていた。
「我が……我が黄忠殿を死なせてしまったのか……?」
張苞がかすれた声で呟く。
「義兄に責任はありません。どうかご自分を責めないでください」
関興が静かに寄り添い、声をかけた。だが張苞の胸には、どうしても拭えぬ何かが残っていた。
(黄忠殿……あなたの分まで、必ず陛下に仕え、この国を守ってみせます)
張苞は涙をぬぐい、拳を固く握りしめた。
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裨将軍とは、関興が任命された偏将軍と同じく、独自に軍を指揮するというものではなく、
他の指揮官のもとで指揮をする将軍の一人というような役割です。