夜明け
前回のあらすじ
佷山を襲った黒衣の刺客から逃れるため、劉徳は伊籍と黄鈴に守られ、ただ一人馬車に乗せられた。
仲間を失い、自分だけが生き残った罪悪感に押し潰されながら彼は成都へたどり着く。
そこで迎えた朝日は希望ではなく、絶望を照らす醜い光として劉徳の胸に刻まれたのであった。
成都に着いた私は、宮中に迎え入れられ、初めて本当の父と対面した。
だが、その時の私はきっと、生気の抜けた顔をしていたに違いない。
周囲の目は冷たかった。突然現れた「部外者」の私を、誰も歓迎してはくれなかった。
たとえ君主の子であっても、そこに私の居場所はない。
生活は確かに豊かになったが、宮中での日々は息苦しく、先の見えない孤独に押しつぶされそうだった。
そんなある時、耳にした知らせがあった。
――佷山は、県令が呉に寝返ったことで落ちたが、それ以上の虐殺はなかった、と。
黄鈴や街の人々がどうなったのか、本当のところは分からない。
だが「皆死んだに違いない」という思い込みは、私自身が背負っていた罪悪感によって生まれたものに過ぎなかったのかもしれない。
それでも自分だけが生き残ったという事実は変わることはない。
唯一ここで会える幼馴染、趙統も父のもとにいて成都にはいなかった。私はすべてを諦めかけていた。
そんな時、関興が成都を訪れた。
佷山で何度か共に遊んだ、あの無邪気な笑顔を見た途端、私はこらえきれなくなった。
「……僕のせいなんだ」
言葉が勝手にあふれ出た。
「僕が生きているせいで、みんな……。僕がいなければ……。僕なんか死ねばよかったんだ!」
関興は驚いたように目を見開いた。
それでも黙って聞いていた。私は嗚咽しながら、感情をぶちまけた。
「どうして僕だけ……! 伊籍先生も、黄鈴も、趙賢さんも、皆……。僕だけ生き残るなんて、間違ってるだろ……!」
やっとのことで吐き出した私を、関興は強い声で遮った。
「……やめろ! そんなこと、二度と言うな!」
彼の拳は震えていた。
「お前は……託されたんだろ。伊籍先生や、黄鈴たちに。命を。未来を。
それを投げ出したら、あの人たちの想いまで踏みにじることになるんだぞ!」
不器用で、言葉も荒かった。だが胸に突き刺さった。
彼は、涙を隠すようにそっぽを向いた。
「……俺は義兄の関平をこの戦いで失った。もしお前まで死んでたら……きっと耐えられなかった。
だから、生きててくれて……本当によかった」
視界が滲んだ。
ふと花瓶に挿していた水仙が目に入った。
枯れかけたその花が、佷山での記憶を呼び覚ます。
黄鈴の笑顔、伊籍先生の言葉。
――そうだ。私は生きている。託されたのだ。
ならば、その命を繋がなければならない。
「……分かった。僕にはやるべきことがある。
この国を守るために、僕と同じ思いをする民を一人でも減らすために」
私は外へ出た。
戦争によって苦しむ民を助けることから始めた。
やがて人々の目も変わり始めた。だが、それはどうでもよかった。
評判を得ようなどと思っていない。誰かの真似をしたわけでもない。
ただ、これが私の本心だった。
――兄上が疑ったように、私は八方美人の仮面を被っているわけではない。
私には使命がある。ただ、その思いに駆られて動いているだけだ。
それでも……朝日は嫌いだ。
結局、私は誰一人守れなかった。
兄上の言葉どおり、私には人を守る資格などないのかもしれない。
――――それでも信じたい。いつか、この胸を焼くような陽の光が、誰かの希望を照らす時が来るのだと。
* * *
「……そんなことがあったんだな」
趙統はうつむいていた。
「すまない。帰って来るって約束したのに」
「大丈夫だ。謝らなくていい」
沈黙ののち、趙統は決心したように口を開いた。
「阿義……実は私も君に隠していたことがある。」
彼は父・趙雲から言われたことを打ち明けた。
「……君との約束を守れないかもしれない」
その声音には迷いと苦しみが滲んでいた。
私は、ただ小さく頷いた。
「……分かってる。そなたの選ぶ道を、とがめるつもりはない。
私は私の歩むべき道を行く。それだけだ」
そう言うと、趙統は一瞬言葉を失ったようにうつむいた。やがて、気まずさを隠すように笑みを作り、軽く肩をすくめた。
「……まったく、阿義は昔から頑固だな」
「そういうそなたこそ、変わっていない」
二人の間に、しばし沈黙が落ちた。重くも、どこか懐かしい沈黙だった。
外に出ると、都の空には夕焼けが広がっていた。赤く染まる瓦屋根の間を、燕が低く飛び交う。
趙統は横に並んで歩きながら、ぽつりとつぶやく。
「なあ阿義……もし父上がいなかったら、私は違う道を選べたのだろうか」
その横顔には、迷いと諦めが入り混じっていた。
私は答えなかった。ただ、黙って歩を進める。趙統が父に逆らえぬことも、言葉だけは立派で、約束を破ってしまう性格であることも、とうに知っていた。
けれど、責める気にはなれなかった。人にはそれぞれ、背負わねばならぬものがあるのだ。
並んで帰る道は、どこかぎこちなく、けれど不思議と温かかった。
別々の未来へ進むと分かっていながらも、今この瞬間だけは、かつてと同じ幼馴染として歩いていた。
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これにて、劉徳の過去編終了です。第三章もお楽しみに!