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黄鈴

前回のあらすじ

伊籍先生のもと、劉徳は佷山で学び育った。

民と共に遊び、幼馴染の趙統や関平殿らと日々を過ごし、学問と弓の才を磨いた。

しかし心の奥では、自らの出自と父の名を、どうしても知りたいと願い続けていた。

 当時で言う劉皇叔が入蜀を果たし、益州を平定したのは、私が九つの時であった。

 その後、成都へ移り住む者や、親元へ帰る子らが増え、佷山の街は少しずつ人影を減らしていった。


 ちょうどその頃、長らく共に育った趙統も、病に伏した母の看病のため成都へ発つことになった。

 出立の日、彼はいつになく真剣な顔で私の肩を掴み、低く言った。

「阿義。私は必ず戻る。いや、戻ってみせる。君を尊敬している。いずれ仕官の時が来れば、必ず君の力になりたい」

 その言葉は、幼馴染というより、既に志を共にする同志のもののように響いた。

 私もまた「必ずまた会おう」と誓い合ったが、彼が去ったあと、佷山は一層寂しさを増した。



 そんな折、趙統と入れ替わるようにして、黄鈴こうりんという少女が我が家にやってきた。

 彼女は両親を戦で失い、伊籍先生に引き取られたのだと聞かされた。私より二つ年上であったが、その瞳には深い影が宿り、笑顔を見せることもほとんどなかった。

「お母さん、お父さん。助けて……」

 夜に寝台の向こうから、うなされる声が聞こえることもあり、幼い私は胸の奥が締め付けられる思いがした。


 私はなんとか彼女の孤独を和らげたいと、何度も声をかけた。だが最初の頃は返事さえしてもらえず、ただ視線を逸らされるばかりだった。それでも諦めずに隣に座り、くだらない話を繰り返した。

「今日は変な形の雲を見たんだ。大きな魚みたいだったぞ」

「…………」

「庭の梅が咲きそうだよ」

「……そうですか」

「黄鈴はどうして黄鈴という名前なの?」

「それは………言えないです」

 やがてほんの一瞬、黄鈴の目が和らぐのを見て、私は心の奥がじんわりと熱くなった。たとえ返事がなくても、私は構わず声をかけ続けた。無視されても、嫌われても、不思議と諦める気にはならなかった。


 ある日、伊籍先生に言いつけられて、二人で裏山へ山菜を採りに行った。

 私が斜面で足を滑らせ、泥だらけになりながらも必死に籠を守ったとき、黄鈴はふっと笑った。その笑顔はぎこちなくも、これまで見たことのないほど柔らかいものだった。

「どうして、そんなに必死になるの?」

「だって、これを落としたら、君が悲しむだろう」

 思わず口にした言葉に、黄鈴は一瞬きょとんとしたが、すぐに小さく「阿義は少し変わってるね」とつぶやいて、また微笑んだ。その笑顔が胸の奥に焼きつき、初めて名前を呼ばれたせいか、私は息苦しくなるほどどきどきしていた。


 籠を背負い直したとき、近くを流れる川の音が耳に届く。

「少し寄ってみようか」

 劉徳の誘いに、黄鈴は小さくうなずいた。


 川辺では、透き通る水の中を小魚が走るように泳いでいた。劉徳は籠を置いて、履物を脱ぎ、ためらいなく水に飛び込んだ。

「危ないわよ!」

 黄鈴が慌てて声をあげるが、劉徳は笑って答える。

「大丈夫、捕ってみせるよ」

 魚を追って川を駆け回るうちに、劉徳は転び、全身びしょ濡れになった。それでも諦めず両手で水をすくいあげ、フナをつかんだ。

「見て、捕まえた!」

 振り返った劉徳の笑顔は、とにかく無邪気だった。

 その瞬間、黄鈴は顔をほころばせた。気づけば、心の底から笑っていた。両親を失って以来、忘れていたような澄んだ笑い。

「そんなに泥だらけになって……捕れなかったらどうするつもりだったの?」

「…そしたらまたやればいいんだ。黄鈴が笑ってくれるまで、何度でも捕るつもりだったから」

 真っ直ぐな言葉に、彼女の胸がどくんと鳴った。劉徳の姿が、眩しく映る。


 家に戻ると、庭には水仙が揺れていた。黄鈴が密かに摘んできて植えたものだ。彼女はそれを見つめながら、川辺で笑った自分を思い返す。

 それからというもの、彼女は少しずつ表情を見せるようになった。

「そんなこともできないの?」と笑いながら糸巻きの使い方を教えてくれたり、包丁を持たせて「ほら、こうやって刻むの」と菜を刻む手際を見せてくれたり。

 ぎこちない手つきの私に「危なっかしいわね」と眉をひそめつつも、そっと手を添えてくれる。


 その後、いつも通っている射場へ行き、今度は私が弓を手渡した。

「次は僕が教える番。こうやって引くんだよ」

 黄鈴は最初、腕が震えて矢を放つこともできなかった。けれど何度も繰り返すうちに、ようやく的へとまっすぐ飛んだ。

「当たった!」

 思わず声を上げた彼女と、私の声が重なる。

 顔を見合わせ、二人で声を立てて笑った。

 その笑顔に触れるたび、胸の奥がふわふわと浮き立った


 ある日、庭の隅に、黄鈴が植え替えた水仙が並んでいるのに気がついた。私が黄鈴に近づくと

「この花、母が好きだったの」

 黄鈴がぽつりと口にした。

 心を閉ざしてきた彼女にとって、その言葉は珍しいほどの素直な響きを帯びていた。

「どうして摘まないのだ?」と尋ねると、黄鈴は少し迷いながらも答えた。

「花は摘んだら、すぐに枯れてしまう。でも、土に根を張らせてあげれば、また春に咲いてくれる。……生きていてほしいの」

 その言葉に、私は返すことができなかった。ただ彼女の横顔を見つめ、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。彼女の心にある痛みと優しさに触れた瞬間、黄鈴は私にとってただの年上の少女ではなく、特別な存在へと変わっていくような気がした。


 その後も、学問や弓の鍛錬に励む私の傍らには、いつも黄鈴がいた。その存在は、子供らしい拙い日々の中で、確かな光となって私の心を照らしていた。


 しかし、そうした温かな時間は、永遠には続かなかった。

 戦乱の世に生まれた私たちの運命は、幸せだけを許すほど甘くはなかったのである。

読んでくださりありがとうございます。

私自身あまり恋愛ものを書いたことがなく、拙い文章だったかと思いますが、いかがだったでしょうか。

よければ評価とブックマーク、感想をぜひよろしくお願いします!

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