幼馴染
前回のあらすじ
張苞は父・張飛の武器「丈八蛇矛」を呉の陣で発見し、父を裏切った張達・范彊を討ち取る。
しかし、復讐に囚われて孤立し、呉兵に包囲されてしまう。
そこへ黄忠がかけつけ救出、叱責を受けた張苞は父に恥じぬ将となることを誓った。
遠く長坂の戦場で名を轟かせた蜀の名将・趙雲は、その一生を義と忠に捧げ、幾度も主君を救った英雄であった。彼には二人の息子――兄の趙統と弟の趙広がいた。兄の趙統は、劉徳と同い年で、幼き頃より、同じ場所で過ごし、親しく遊んだ友である。
「統、広よ。これからは劉禅殿に仕え、立派な将軍となるのだ」
ある日、趙雲は静かに語りかけた。
「なぜ阿斗様に仕えるのですか?」
まだ幼い趙広が首を傾げる。
趙雲は微笑み、しかし声は厳しかった。
「私はこれまで幾度も命を懸けて阿斗様を守ってきた。長坂の戦では、劉禅殿を背負い一万の曹操軍を突破した。孫尚香に連れ去られた折にも、必ず取り戻した。これこそ天命であろう。皇太子に仕えれば、お前たちも重用され、蜀漢を支えることができるのだ」
「では……劉徳殿に仕えてはならないのですか?」
趙統が、友の名を口にした。
趙雲はしばし黙し、やがて苦々しい面持ちで言った。
「阿義には危うさがある。母の孫尚香は陛下が頭を抱えられたほど、気丈を通り越し、官兵を従えて軍法すら無視した。わしが目付役として収めるのに、どれほど骨を折ったことか。その血を引く阿義は、まだ幼き身ながらどこか母の気質を映すようなところがある。情に厚いが、己の信じる道を強く押し通そうとする……。阿斗様はそれを嫌っておられる。いずれ排除されよう。だから決して深入りしてはならない」
「……分かりました、父上」
趙統は答えたものの、胸の奥には重い石が沈んだ。尊敬する友に仕えられぬ運命を、惜しまずにはいられなかった。
趙雲はその様子を見取り、諭すように続けた。
「蜀漢は皇太子をめぐり争いの火種を抱えている。だが、兄弟が争うことだけは決してあってはならぬ。統よ、広を大切にせよ」
「もちろんです、父上。弟は私の至宝。必ず護ります」
「善き答えだ」
趙雲はわずかに目を細め、安堵の息をもらした。
時が過ぎ――。
戦が収まり、蜀軍は夷陵を占拠した。だが劉徳は、ただ勝利に酔うことなく、民の安寧を第一とした。父・劉備の命を受け、庶民に衣や食料を分け与え、病者には薬を施し、兵には一片の略奪も固く禁じていた。劉徳自身も城下に出て、民の声を聞き、兵たちを励まし歩いた。
その折、
「趙統か」
ふと、往来の人波の中に懐かしい顔を見つけ、劉徳は声をかけた。
「劉徳殿。……これは奇遇ですな」
趙統は驚いたように立ち止まり、すぐに礼を正した。彼もまた父の命を受け、夷陵の秩序回復にあたっていたのだ。
「最近、顔を見せぬが、どうしたのだ?」
「ご心配なく。少し風邪を患っていたのです」
「それはいかん。今流行りのものだな。薬を調合させて、屋敷に送らせよう」
劉徳は相変わらず温かな笑みを浮かべる。
「感謝します」
「礼は無用だ。それより……関興、張苞と義兄弟の契りを結んだのだ。君も幼馴染として、義兄弟にならぬか」
思いがけぬ誘いに、趙統は言葉を失った。
(劉徳殿……。友としてこれ以上ない誘いだ。しかし、ここで義兄弟となれば、皇太子からの信頼を失い、父との約束も果たせなくなる)
胸の内に葛藤が渦巻いた末、趙統は唇を噛み、静かに答えた。
「義兄弟の契りは重すぎます。それに、張苞殿らとの親交も深くないので………お断りします」
「そうか……残念だが、そなたがそう言うなら仕方がない。また会おう」
劉徳は笑みを崩さぬまま去っていった。
その背を見送る趙統の胸には、後悔と安堵が入り混じる複雑な思いが渦巻いていた。
ある日の早朝。
「趙統、戦もひとまず落ち着いた。久しぶりに故郷を見に行かぬか」
劉徳が声をかけた。
「殿、今は戦争の最中です。そんな悠長な……」
統は苦笑しながらも、胸の奥に郷愁がうずいていた。
「我らの佷山県は夷陵から南に五十里ほどだ。一日で戻れる。あの時から私は一度も帰っていない……そなたも内心気になっているだろう?」
その言葉に、趙統は小さくうなずいた。
「……仕方ありませんね」
二人は馬を走らせ、故郷へと向かった。
数時間後。
二人は幼き日を過ごした佷山の丘に辿り着いた。
見下ろせば、懐かしき城の上には呉の旗がはためき、かつての街並みもどこか異国のように変わり果てていた。
兵が門を出入りし、商人の声が遠くから響いてくる。だが趙統の胸には、少年の日に劉徳と駆け回った故郷の景色が鮮やかによみがえっていた。
「……呉に占領されてから、随分と様変わりしましたね」
趙統が小さく呟くと、劉徳は丘の風に髪をなびかせながら、静かに城を見つめていた。
「劉徳殿ーーいや、阿義。私が去ったあと、この街で何が起きたのか――ずっと聞けずにいたんだ」
趙統はためらいながらも問いかけた。主従関係ではなく、同じ幼馴染として。
劉徳はしばし沈黙した。幼い頃から何でも分かち合ってきた趙統に、あえて隠してきた真実。その重さに言葉が詰まった。
しかし、友のまっすぐな瞳を見たとき、心の奥に押し込めていた決意が静かに揺らぎ始める。
「……趙統。いつか、そなたに話さねばならぬと思っていた」
劉徳の声はかすかに震えていた。
「そなたがこの地を離れてから、佷山では――忘れてはならぬ出来事があった。あの日、街も、人も、そして私自身も……すべてが変わってしまったのだ」
趙統は黙って耳を傾ける。友が初めて見せる沈痛な表情に、胸が締めつけられる思いがした。
風が頬を撫で、遠くから城の喧騒が響いてくる。だが、この丘の上だけは、まるで時が止まったかのようだった。
「趙統。これから語るのは、決して楽な話ではない。だが、そなたには聞いてほしい。私とそなたの故郷に、何が起こったのかを――」
劉徳は目を閉じ、深く息を吸った。そして静かに口を開いた。
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次回からは劉徳の過去編です。お楽しみに!