張苞の任務
前回のあらすじ
劉備の東征に際し、関興は潘璋と激闘の末、父・関羽の霊に助けられ仇討ちを果たす。
潘璋を討ち取り夷陵を制圧した関興は、劉備より偏将軍に任じられる。
若き関興の勇名は、父の遺志を継ぐ者として蜀軍に大きな希望を与えたのであった。
「義弟が我より先に手柄を立てるとは、なかなかやるものだ」
張苞はそう口にしながら、胸の奥に熱いものを覚えていた。夷陵にて関興が潘璋を討ち取り、父の仇を果たしたという報せは、すでに軍中を駆け巡っている。十五歳にして偏将軍に抜擢――義弟の働きは誇らしい。だが同時に、兄として負けてはいられぬという思いが湧き上がった。
「我も必ず父に胸を張れる功を立てねばならぬ」
弟の栄誉を素直に喜びつつ、張苞の瞳には強い決意が宿っていた。
「朕、自ら軍を率いて夷道を制圧する!」
劉備が朗々と声を上げた。
その言葉に諸将は色めき立つ。だが黄権が慌てて諫めた。
「陛下、それはいけませぬ。これ以上深入りすれば、退路が断たれてしまいます。ここは私に兵を預け、陛下は夷陵にお残りくださいませ」
しかし劉備は首を振り、厳然と言い放った。
「その必要はない。張苞に五千の兵を与え、夷道手前に布陣する孫桓の軍を討たせよう」
張苞の胸が熱く高鳴った。
(やっと、活躍の機会をいただけた)
喜びを隠せぬ張苞を見て、馬良が小声で劉備に囁く。
「まだ経験の浅い張苞に大軍を預けるのは危ういかと……」
馬氏五常の一人にして【白眉】と称された名士の言葉に、一同はうなずいた。しかし劉備は揺るがなかった。
「案ずるな。張苞は実力を備えている。関興と同じく、この初陣で必ず功を立てよう」
その確信に満ちた声に、誰もが黙って従った。
劉備は張苞に近づき、忠告を与える。
「夷道には陸遜が待ち構えている。孫桓を討つにしても、決して深追いしてはならぬぞ」
「はっ。ご心配には及びません」
張苞は深く頭を下げ、勢いよく軍を率いて出陣した。
険しい山道を迂回し、鬱蒼とした樹々を抜けながら兵を進める。眼下には長江がゆるやかに流れ、その対岸に呉の軍勢が陣を敷いていた。
(あれが孫桓の軍か。急ごしらえの布陣……守りは脆い。だが奥に陸遜が控えている以上、油断はできん。ここで孫権の甥である孫桓を討ち取れば、弟に劣らぬ武名を轟かせられるはずだ!)
張苞は兵を振り返り、声を張り上げた。
「皆聞け!我は戦場での経験こそ少ない。だが今はこの張苞が指揮官だ。我の命に従い、みなで勝利を掴むぞ!」
「おおっ!」
兵たちは雄叫びを上げ、士気は大いに高まった。
張苞はふと空を仰ぎ、胸の奥に去来する影を振り払う。
(……父上は時に酒に溺れ、感情のままに部下を叱りつけ、ついには裏切られて命を落とされた。だが、我は知っている。父上の心には常に義があった。陛下と義兄を思い、蜀を支える熱い志があった。その志を我は忘れない。しかしながら、我は父のような最期を迎えたくはない。父上の尊き心を胸に、冷静に、理をもって戦い抜き、必ずや勝利を掴んでみせる)
拳を固く握りしめると、山風にたなびく旗が音を立てた。張苞の胸には、父への尊敬と弟に劣らぬという思いが燃え盛っていた。
読んでくださりありがとうございます。評価とブックマーク、感想をぜひよろしくお願いします!