96. その日、運命に出会った <ヴィクトール視点>
お待たせいたしました!
第六章の開幕です。
「きゃあっ」
学園の中庭を歩いていると、頭上からそんな声が聞こえ、腕の中に少女が降ってきた。
ピンクブロンドの髪にピーコックグリーンの瞳を持つその美しい少女は、恐らく頭上の木の枝から落ちてきたのだろうが、状況が呑み込めないのか私の腕の中できょとんと目を丸くしている。
その様子がまるで猫のようで、苦笑する。
「大丈夫かい?」
「え? あっ、ご、ごめんなさいっ!」
少女に声を掛けると我に返ったようで、慌てて私の腕の中から下りた。
そのことを残念に思っている自分に気が付き、不思議に思う。
目の前の少女は制服を着ているのでこの学園の生徒であることは間違いないだろうが、これほどまでに美しい令嬢が学園にいただろうか。
「あの、助けてくれてありがとう。その、重かったよね……?」
少女は申し訳なさそうにそう告げてくるが、王子である私に対してあまりにもフランクな口調で話しかけることに驚いた。
まさか、私が誰だか知らないのか……?
名乗ればすぐに畏まった口調になるだろうが、なぜかそのことがとても惜しく思えて敢えて言葉遣いに関しては何も言わずに返事をした。
「いいや、まるで羽のように軽かったよ。天使が舞い降りたのかと思ったくらいだ。それで、君は一体どうして木に登っていたのかな?」
少女は私の言葉に顔を赤くして恥じらっている。
「あ、あのね、この木の枝の上に子猫がいるのを見つけて、下りられなくなってしまったんだと思って助けてあげようと木に登ったの。そうしたら、子猫はスルッと自分で下りてどこかへ逃げてしまって。私も下りようと思ったら、その、あの……」
「自分が下りられなくなってしまったんだね」
もじもじと恥ずかしそうに事情を説明する彼女があまりに可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「わ、笑うなんてひどいわ!」
「ふふ、ごめんごめん。でも、それなら私がたまたま通りがかって良かった。君に怪我なくて何よりだ」
「そうね、貴方は私の命の恩人だわ!」
少女は今度はぱあっと顔を明るくして、大げさにお礼を言ってきた。
仮面のような笑顔を貼り付けた私の婚約者と違って、感情のままにコロコロと表情を変えるところが好ましく感じた。
「私はフローラっていうの。家の事情があって最近この学園に編入してきたばかりで、友達がいなくて。良かったら恩人さんが友達第一号になってくれたら嬉しいわ! 恩人さんのお名前はなんていうの?」
「……私の名はヴィクトール・フォン・エルデハーフェンだ」
「へぇ、素敵なお名前ね! ってあれ? エルデハーフェンって、この国の名前じゃ……。ま、まさか……」
「一応この国の王子をやらせてもらっているよ」
「ご、ごめんなさい! まさか、王子様だなんて思わなくて……大変失礼いたしました!」
私の正体を知ったフローラが顔を青くして勢いよく頭を下げた。
「顔を上げてくれ。ここは学園だ。身分に関係なく生徒は平等なのだから、学内でへりくだる必要はない。……それに、実は私も友達がいないんだ。先程のように気安い態度で仲良くしてくれると嬉しい」
「……王子様も、友達がいないの?」
フローラが恐る恐る顔を上げてそんな風に聞いてきた。
「ああ。周囲の者に傅かれるばかりで、友人と呼べる存在はいない。王子というのは、案外孤独なんだ」
「そうなんだ。王子様っていうのも大変なのね……。じゃあ、私たちは友達がいない仲間ね!」
そう言って花が咲くような笑顔で笑う彼女を見て、胸の中に何かがコトリと落ちた音が聞こえた。
フローラと友人となってから、休み時間は中庭で一緒に過ごすようになった。
フローラはとある男爵の庶子で、そのことを知らずに市井で平民として暮らしていたところ、彼女の存在を知った父親である男爵から迎えが来て、最近男爵家に迎え入れられたのだという。
元々平民として暮らしていたため、貴族学園に編入しても周囲に馴染めず、孤独に過ごしていたのだという。
私は彼女の言葉を飾らない天真爛漫なところを好ましく思っているが、確かに頭の固い他の貴族は面食らうかもしれないなと思った。
彼女はお菓子作りが得意らしく、手作りのクッキーを貰ったり(いつも城の料理人の手による最高級品しか口にしたことのない自分にとって、庶民的な素朴な焼き菓子はとても新鮮だった)、彼女の勉強のわからないところを教えてやったり、花壇の花が綺麗だとか可愛らしい小鳥を見かけただとか、そんな些細な事を楽しそうに話す彼女に相槌を打ったりして過ごした。
そのどれもこれもが私にとっては新鮮で、くるくると表情を変えるフローラから目が離せない。
ここまでくれば私も自分の気持ちを理解した。
私は、どうしようもなくこの少女に惹かれているのだ。
その日は、社交の練習の一環として学内で開かれる夜会があった。
今年度も既に何度か開催されているその夜会は、最近では婚約者の用意した衣装を身に纏い、婚約者をエスコートして参加することが常となっていた。
私の愛は得られないと最初に伝えてあるはずなのに、それでも揃いの衣装を女性側から用意してくるなど健気な事だと思うが、そんな事では私の心は動かない。
私の心はもう既に、あの日この腕の中に落ちてきた天使に奪われてしまったのだから。
今日だって、本当はできることならフローラをエスコートしたかった。
しかし、王命の婚約である以上、私に選択権などなかった。
今日も薄っぺらな笑顔を貼り付けた婚約者の隣に立ち心の中でため息をついていると、こちらを見ていたフローラと目が合った。
フローラの着ている衣装はあまり高価ではなさそうだが、プリンセスラインのドレスは彼女の可憐さを引き立てており、とても似合っていた。
フローラは私と目が合うと傷ついたようにくしゃりと顔をゆがめ、踵を返し会場から出ていってしまった。
私は慌てて彼女を追いかける。
「フローラ!」
会場の外の庭で彼女に追いつき手を引くと、振り向いた彼女は涙を流していた。
「どうして……追いかけてきちゃったのよ。婚約者の方がいるんでしょう? 置いてきていいの?」
「君の方が大事だ。それよりも、どうして泣いているんだい?」
「ヴィクトール様は、どうしてそんなに優しいの……? 貴方が優しすぎるから、私、私は……」
苦しそうに涙を流す彼女を、私はたまらず抱きしめた。
「私、あなたが好き……。あなたには婚約者がいるってわかっていても、諦められないの。どうしようもなく、好きなの……!」
泣きながら私への愛を不器用に訴えてくる彼女を抱きしめる腕の力を強くした。
「私もだ。君を愛している。婚約者の隣にいても、心の中は君のことばかりだ。王に決められた相手がいるというのに、君を愛してしまった罪深い私を許してくれ……」
「ヴィクトール様……」
驚いて顔を上げたフローラと見つめあう。
満点の星空の下、自分達の他は誰もいない庭園で、まるで世界に私たち二人だけしかいないような錯覚に陥る。
どちらからともなく二人の顔が近づき、私たちは口づけを交わした。
このまま時が止まってしまえばいいのにと、神に願わずにはいられなかった。
フローラが見かけた子猫は、お散歩中のミルでした。
リリーが授業で寮にいない昼間は、周辺をお散歩したりひなたぼっこしたりしているようです。
今後は週一ペースで更新予定です。
よろしくお願いいたします。




