79. 入学前オリエンテーション
貴族学園は、エルデハーフェンの貴族であれば全員通わなければならない義務教育学校だ。
前世の学校のように何年生という概念はなく、十五~二十二才の間のどこかの三年間で通えばいいらしい。
それは、身分の高い生徒が、生徒以外の護衛や側仕えをぞろぞろ引きつれて歩くわけにはいかない為、年の近い側近が主と同じタイミングで在学し一緒に授業を受けられるように配慮された結果なのだそうだ。
授業も選択制で必要単位を取得すれば卒業することが出来るので、イメージとしては大学の方が近いのかもしれない。
何才から通ってもいいとは言っても、主人の入学に合わせる側近や何らかの家の事情でもない限りは、十五才から通うのが一般的であるらしい。
私は今十六才なので、通おうと思えば去年から貴族学園に通う事ができたのだが、ユーリが「絶対に僕が十五才になるまで待って!」と言い張ったので、入学を一年遅らせることになったのだ。
自分の目の届かないところで危ない目に合わないように、三年間一緒に在学して側で守ってくれるつもりなのだそうだ。
姉想いのできた弟である。
ユーリは「騎士の訓練と商売の勉強を両立する」と言ったその言葉を有言実行していた。
魔剣ミスティルテインの主となってからもその力のみに頼ることなく自分を磨き続け、今では魔剣なしでもアードルフや騎士団の精鋭たちと互角に切り結ぶことが出来る位には腕を上げていた。
商売の方もタイガーリリー商会やカールハインツ商会に頻繁に顔を出してノウハウを学び、密に連絡が取れない私とヨナタンの間に入って調整役をこなしてくれている。
今や商売における私の専属秘書のような状態だ。
ここ数年のタイガーリリー商会の躍進は、ユーリの堅実な仕事ぶりの力も大きかったと思っている。
そして本格的な成長期に突入したユーリはにょきにょきと身長を伸ばし、美少女の面影は跡形もなくなり、クールな美貌の美青年へと変貌を遂げていた。
身長だけで言えばいつの間にかレオンやカインを追い抜かしていてびっくりである。
女性人気は甘いマスクでサービス精神旺盛なレオンがダントツなのだが、実はユーリも密かに「あの氷のような眼差しが素敵」と人気があるのを知っている。(騎士たちからはどちらも大人気。騎士は魔剣と強者が大好きなので)
本人は女の子たちからの熱い視線などどこ吹く風といった様子だけれど。
ちなみに現在十八才であるレオンは昨年から貴族学園に通っており、多くの女生徒と数々の浮名を流していると風の噂で聞いた。
ローザリンデとの婚約が破談になってから新しい婚約者は決まっていないので、一応大きな問題にはならない。
しかし、その噂を聞いたお養母様のこめかみに青筋が浮いていたのを見てしまったので、あまり遊びすぎるときっと正座でお説教コースだな、と思っている。
一見儚げな美少女であるブリュンヒルデだが、儚げなのは見た目だけで実際にはお養父様を尻に敷く陰の権力者だという事はこの九年でよく理解した。
ヴァルツレーベンで怒らせてはいけない人物第一位はお養母様である。
今日は、貴族学園入学前の注意点をお養父様、お養母様、レオンから教えてもらうオリエンテーションの日。
参加者は上記の三名に加えて私とユーリ、あとその側近たちだ。
カインとクリストフは今年十八才、クラウディアとメラニーは十七才だけど、私に合わせて一緒に入学するのでみんなまとめて新入生である。
基本的に貴族学園には貴族しか通えないので、カインは私と一緒に入学する為に貴族の家に養子に入っている。
養子といっても貴族学園に入る為の名義貸しのようなものなので、特に養子先と家族として接することはないのだそうだ。
ちなみに、貴族の家の養子に入った兄の名前はカイン・ボーデ。
なんと書類上はアードルフの弟である。
「他領の者との交流には十分気を付けよ。辺境以外の認識では、九年前のスタンピードの際、救援を送ろうとした王家の申し出を断り自分達だけで解決した辺境の勇猛果敢さを讃え、その褒賞として王家から税金を免除された、ということになっているらしい。ヴァルツレーベンは自分から王家の申し出を断ったくせに、王家の厚意に胡坐をかいて時がたった今でも税を納めない厚かましい領地なのだそうだ」
「なんですかそれは……。王家の方が辺境からの救援要請を断って、怒れるヴァルツレーベンに独立されかけて渋々自治を認めたのでしょうに。それがなぜそんなことになっているのですか」
私の護衛として同席していたアードルフが静かに憤慨している。
「自分たちの威信を守りたい王家が噂を流したのだろう。……厚かましいのはどちらだ」
お養父様の声の低さから相当お怒りである事が察せられる。
部屋にいるほぼ全員の目が吊り上がっていて、皆同じ気持ちのようだ。
真実をゆがめて自分に都合の良い噂を流すなんて、会ったことはないが王様への印象は今のところ最悪である。
「事前に聞いていた通り、学園での他領の生徒のヴァルツレーベンに対する態度は酷いものだったよ。田舎者だ野蛮人だと下に見て、馬鹿にするのが一般的という感じだったなぁ。まぁ、女の子たちは仲良くなれば全然そんなことはなくなったけど」
レオンの言葉に、お養母様のアイスブルーの瞳が若干剣呑な色を帯びたような気がする。
き、きっとお養母様は他領の態度に憤っているのだ、と思うことにして、気になったことを尋ねた。
「私は領地を出たことはありませんが、今はヴァルツレーベンが国中で最も発展し裕福な領地だと聞いているのですが違うのですか?」
「君の認識であっていると思うよ。見た感じ、親の言う事を鵜呑みにして現実が見えていない生徒が半分と、辺境と自分達の差に気付いていながらやっかみの気持ちで蔑んでくるのが半分ってところかなぁ。どちらにしろ、愚かだよ」
レオンはいつもの軽い調子で笑いながらそう言うが、目が笑っていない。
彼はこの九年で更に色気がマシマシになっており、その色気のある美貌で凄むと威圧感が凄い。
「こちらをあからさまに見下してくる者に関しては放っておけ。物をよく考えない愚か者は好きなだけ悦に浸らせておけば良いのだ。其方らが警戒しなければならないのは、友好的な顔をして近付き、取り込もうとしてくる者たちだ。王家の最大の目的はヴァルツレーベンの自治の撤廃。未だ結界崩壊の問題で困窮している奴らは、ここ数年で大きな発展を遂げた辺境伯領からの潤沢な資金と魔力的な支援が喉から手が出るほど欲しいはず。奴らはどんな手を使って取り込もうとしてくるかわからぬ故、特に側近たちはよくよく周囲に用心せよ」
「「「はっ」」」
側近たちが声を揃えて元気に返事をした。
ちらほらと私に向けられる心配そうな視線を感じる。
王家が辺境を取り込むのに一番手っ取り早い方法は、私と王子様の結婚だ。
私の二つ上の年の王子がいるらしく、貴族学園の入学願書から私の存在を知ったらしい王家から婚約の打診が来たが、それには既にお断りの返事を出している。
ただ、私にまだ婚約者がいないので、学園在学中にその心を得てしまえば良いとハニートラップを仕掛けられる可能性は大いにあるそうだ。
甘い言葉を吐いてくる奴には気をつけろと、お養父様からも側近たちからも口を酸っぱくして言われている。
お養父様は私に適当な婚約者を宛がう事もできたのに、それをせずに律儀に私の意向を汲んでくれているので、領地に不利に働くような悪い男にコロッと引っかからないように気をつけねばと思っている。
……思ってはいるのだが、前世含めて恋愛経験ゼロの喪女である私なんて、百戦錬磨のプレイボーイからしたら赤子の手を捻るようなものではないだろうか。
気が付いたら底なし沼に嵌められて抜け出せなくなってる、なんてこともあるかもしれない。
怖すぎる。
もしも私がハニートラップに引っかかって我を失うようなことがあったら、殴ってでも正気に戻してほしいとカインには伝えてある。
カインは微妙な顔をして「うーん、リリーなら大丈夫だと思うけど……」と言っていたけれど、そんなのわからないではないか。
「そして」
お養父様の声が一段低くなった。
自然と皆の背筋が伸びる。
「在学中王都に滞在するにあたって最も警戒すべき相手が、グレゴール・フォン・シュヴィールス。四大貴族の一角であるシュヴィールス公爵だ」
それは、つまり……
「奴が、ここ数年我が領に対し、様々な暗躍を行い、貶めようとしてきた黒幕だと思われる」
「領主様! 犯人がわかっているのに何故野放しにしているのですか!? このまま王都へ行けば、ユリウス様たちが危険です!」
ユーリの護衛騎士見習いがいきり立つ。
「証拠がないのだ。これまでの数々の工作を行えるだけの財力、身分、頭脳。状況的に奴しかいないというだけで、決定的なものは何一つない。また、奴がこの辺境に固執する動機も全くわかっていないのだ」
「そんな……」
「貴族学園に入学すれば、公式行事等で奴と出くわすことはあるだろう。それにシュヴィールス公爵家の嫡男とその妹も在学中だ。シュヴィールスの縁者には厳重に警戒せよ」
「「「はっ!」」」
軍隊風の返事にも慣れたもので、私も皆と一緒に返事をする。
最初にブリュンヒルデの側近達がそのように返事をしていたときは体育会系の職場なのかと思っていたが、割とヴァルツレーベン全体がそんな感じだった。
質実剛健を重んじるヴァルツレーベン貴族は、騎士ではない者もある程度の武芸は修めていて、側仕えのイングリットやクラウディアも実は強くて、私の護衛も兼ねているのだとか。
多くの辺境貴族の思考は単純明快、「自分より強い相手と戦いたい……!」という剣術馬鹿が多いので、この人達は戦闘民族なんじゃないかとこっそり思っている。
グレゴール・フォン・シュヴィールス。
それが、私の自由な未来に立ちはだかるラスボスの名前か。
その人にはこれまで様々な嫌がらせを受けてきたのだ。
貴族学園在学中に必ず、これまでの因縁に決着をつけてみせる。
グレゴールさんは別にリリーの自由な未来に立ちはだかっているつもりはないと思いますが、彼女の中ではそういうことになっているようです。




