73. ミスティルテイン
誤字報告、本当にありがとうございます。
季節は冬。
エルデハーフェン王国の中でも北に位置するヴァルツレーベンの冬は厳しく、今日も窓の外には雪が散らついているのが見える。
「あいて」
授業を終えて私室に戻ってきた私の代わりにドアを開けようとしたカインが不意に声を上げて手を引っ込めた。
静電気かな?
「あ、切れてる」
カインの手元を覗き込むと、指のひび割れがパックリと割れて血が滲んでいた。
同じくカインの手元を見たアードルフが眉をしかめた。
「乾燥によるひび割れだな。しっかりとケアしておけよ。酷くなれば剣の握りにも影響する。寝る前などにオイルを塗りこんでおくといい」
「わかりました」
カインはもう気にしていない風でドアを開けなおしたが、私は衝撃で動けなかった。
「リリアンナ様?」
「い、いえ、なんでもありません」
カインに不思議そうに名を呼ばれ慌てて取り繕ったが、頭の中ではぐるぐると思考を巡らせていた。
なんということだ……お兄ちゃんの大事な指にひび割れだなんて。
よく見たらつるんとしていたほっぺもかさかさになってしまっている。
おのれ、乾燥め。
これは私が何とかしなくては……!
というわけで、私は乾燥から推しの指やほっぺを守るための保湿クリームを作ることにした。
この世界では、肌の乾燥対策としては植物油脂を肌に塗りこむことが一般的で、ハンドクリームのようなものは見たことがない。
ただのオイルよりも保湿クリームの方が保湿力は高いだろう。
作ると言っても、店の新メニューを考えた時のようにとりあえず作ってみるということが今の私には難しいので、商品にしてしまって商会で作ってもらえないかと考えた。
「イングリット、タイガーリリー商会を呼んでもらえますか?」
「まぁ! いいですね。リリアンナ様はあまりドレスを新調なさいませんから、そろそろ商会を呼んだ方が良いかとわたくしも思っていたのです。夏用のドレスは今から注文しないと間に合いませんからね。夏に向けてたくさん注文いたしましょう」
イングリットにとって商会を呼ぶというのは、=ドレスの注文ということになるらしい。
いつも真面目に働いてくれているイングリットだが、実は私を着飾る事に並々ならぬ情熱を持っているらしく、事あるごとに衣装を新調させようとしてくる。
「ごめんなさい、今回はドレスの注文ではなく新商品の相談がしたいのです。……商談の後にドレスの注文もしますからっ! タイガーリリー商会にはそのように伝えて下さい!」
今回の呼び出しの目的はドレスではないことを伝えると、しゅんと下がった黒い耳としっぽが見えた気がしたので、慌ててドレスを作ると言うと、ぱあぁっと表情が明るくなった。
……アードルフのわかりやすさはお母さん譲りだったらしい。
私の側近達はどうやらワンコ系が多いようだとだんだんわかってきた。
ちなみに、まだうちの商会の専属工房ではドレスを作ることはできないので、タイガーリリー商会が仲介してマダムデボラのところに注文することになる。
もちろん、ハーリアルレースはつけてもらう気満々である。
きっといつか、うちの工房でもドレス一式を作ることができるようになるはずだ。だってリラがそう言ってるんだから。
その日が来るのが待ち遠しいなぁ。
ヨナタンとの商談の約束を無事に取り付けて、商品にする保湿クリームについて考える。
例のごとく、前世で保湿クリームを自作したことがあるのだ。材料に思ったよりもお金がかかったので以下略。
ふわふわのクリームにするためには水と油を混ぜ合わせるための乳化ワックスが必要になるのだが、流石にその作り方までわからない。
私の知り合いの中でそういったものに唯一詳しそうなフュルヒテゴッドの研究室を訪ねてみた。
研究職というだけで専門違いの事を聞かれても迷惑かもしれないが、他に当てもなかったし、古代文字の研究の進捗も気になっていたので。
「乳化剤かぁ。普通水とオイルを混ぜたら分離してしまうものね。面白いところに目を付けるね、君。とても興味深そうな研究だけど、正直僕は古代技術の方に手一杯で、そっちに手をつける余裕がない。知り合いの薬師でそういう研究が好きそうなのに心当たりがあるから、良かったら紹介しようか? 薬師なら僕よりも専門に近いだろうし」
「よろしくお願いいたします」
よくわからないメモ書きや書類が所狭しと散乱している研究室で、シスターエミリーと一緒に作業をしていたフュルヒテゴッドに私の求める乳化剤について説明すると、彼にそういったものに心当たりはないようだった。
研究することに興味を持ってくれたようではあったが、流石にそんな暇はないらしい。
残念だけど、知り合いの薬師さんを紹介して貰えることになったので、そちらに期待したいと思う。
「古文書の解読の方はどうですか?」
「よくぞ聞いてくれたね! まだ中々全てを解読するには至らないけれど、あの本も壁画も、魔剣に関して書かれていることがわかったんだ!」
研究の方に水を向けると、フュルヒテゴッドは途端にテンション高く語り始めた。
彼によると、魔剣はやはり魔法剣とは違う技術で作られているらしく、古代文字の術式を刻むことで、魔石の力を引き出し属性攻撃が可能になるのだとか。
「難しいことはわかりませんが、もしもその技術を現代に応用することができれば、空調設備を作ったり、水の少ない地域で水の供給ができる装置を作ったりすることができるかもしれません。夢が膨らみますね」
「え?」
「魔石の持つ属性を引き出すことができるなら、剣に付与するだけではなく、暑い日に部屋の中を涼しくする魔導具だったり、逆に寒い日に部屋を暖かくできるものが作れそうではないですか?」
属性が付与できると聞いてまず私が思い浮かべたのはエアコンだ。
この世界にもちろんエアコンはなく、冬は暖炉があるのでまだ何とかなるけれど、夏は窓を開けるくらいしか涼む方法がなくて結構暑いのである。
「魔剣の技術が解明されれば、生活を便利にできる魔導具が色々できるかもしれませんね」
私の言葉に、フュルヒテゴッドは目を丸くして固まっていた。
この世界、魔導具はあるがあまり大衆的なものではなく、現代日本よりも様々な技術レベルが遅れている。
前世に比べて、生活をしていてやはり不便だと感じることが色々あったので、便利になったらいいなぁと思っての発言だったのだが見当違いだっただろうか。
「……そうか、私はこの技術が解明されれば当然新しい魔剣を作ると思っていたのだけど、生活を便利にするための魔導具か。わはは、いいね! そういうの、大好きだ! 流石聖女様、人々の平和と繁栄の象徴だ! そうだね、古代技術の謎を解き明かした暁にはそういった魔導具をたくさん開発しようじゃないか。あぁ、夢が膨らむとも!」
突然立ち上がったフュルヒテゴッドは私の両手を掴んでブンブンと上下に振った。
急にテンションが振り切れた彼に困惑して、助けを求めて周囲を見るけど、シスターエミリーも私の護衛でついてきたアードルフも、何故か誇らしそうににこにこしているだけだ。
ここには味方がいないと悟り、話題をそらすことにした。
「そ、そういえば遺跡で見つけた魔剣はどうだったんですか? 使えそうですか?」
「うーん、あれはねぇ、壁画によると氷属性の魔剣らしいというのはわかったよ。でも最初にほとんどの騎士達に触らせたけど、変化がなかったんだよね。魔剣は自分で主を選ぶと言われているけど、魔力の相性が相当良くないといけないらしいんだ。起動できないと、研究できる部分は少なくてねぇ」
ひとまず落ち着いてくれたフュルヒテゴッドは、布に包まれて無造作に部屋の隅に置かれていたミスティルテインを取り出し、ごとりと目の前のテーブルの上に置いた。
確か、レオンの持つ魔剣はヴァルツレーベン辺境伯家の家宝だと言っていなかったか?
こんな扱いでいいんだろうか……。
テーブルの上にぴょんと乗り上げたミルがミスティルテインの匂いを嗅ぎ、不思議そうに首を傾げている。
「こら、ミル。お行儀が悪いよ」とテーブルから下ろそうとしたその時、ミルの体が光り、何故か成獣の姿になったミルは、魔剣をがぶりと咥えて研究室を飛び出しどこかへ行ってしまった。
「え……?」
「きゃあぁぁぁー! ど、どろぼー!!!」
突然のことに何をすることもできず呆気にとられていると、フュルヒテゴッドがきゃあっと女子のような悲鳴を上げた。
「泥棒とは失礼な。ミルはいい子なのでそんなことしません。魔剣が気に入ってしまっただけです、多分」
「それで勝手に持っていったらそれを泥棒と言うんだよ! なんなの君、飼い主馬鹿!?」
「兄上! リリアンナ様に対して不敬が過ぎますよ! リリアンナ様、追いますか?」
フュルヒテゴッドと言い合いをしていると、アードルフがそれを遮り窘めた。
未だ「泥棒! 泥棒!」と失礼なことを言っているフュルヒテゴッドを無視して、アードルフの提案に頷くと、私の筆頭護衛騎士はすぐさま私を抱き上げ研究室を飛び出した。
騎士達は魔力を流しながら走ることで、通常より早く走ることができるのだそうだ。
今も抜群の安定感でビュンビュンとすごいスピードで走っている。
普通なら屋内でこんな風に走っていたら誰かとぶつかりそうなものだが、流石領主様のお城、廊下も広いのでその心配はなかった。
成獣化したミルはとても目立つので、廊下で出くわした使用人たちにミルが向かった方向を聞けば、どこに向かったのかはすぐにわかった。
私達がようやく追いついたのは、ミルが騎士達の鍛練場にちょうど足を踏み入れたところだった。
訓練中だった騎士達は魔剣を咥えて突然現れた神獣に困惑して騒めいている。
ミルは自分に突き刺さる視線をものともせず、トコトコと歩いて騎士たちに交じって鍛練をしていたらしいユーリの前で止まり、咥えた魔剣をグイっと突き出した。
「これを、僕に? 申し訳ないけど、ちょっと前にこの魔剣に触れたんだ。僕は主人に選ばれなかったようだよ」
人の言葉を理解しているような節のあるミルだけど、困ったように言うユーリの言葉も気に留めず、さらにグイグイと魔剣を押し付けている。
諦めたようにため息をついたユーリがミスティルテインを受け取ると、魔剣が白く光りドライアイスのような白い冷気の煙がぶわっと噴き出した。
「わっ」
幸い煙はすぐに収まったが、ただでさえ寒かった鍛練場の気温がさらに下がったようで、「くしゅん」とくしゃみが出た。
それに気づいたアードルフが上着を脱いで私の肩にかけてくれた。
ここまで走ってきたのもあってホカホカと暖かい。
「ありがとうございます。アードルフは寒くないですか?」
「いいえ、何のこれしき」
アードルフとのほほんと会話をする私達以外のその場にいた者たちは、新しく誕生した魔剣の主に大興奮していた。
「流石ユリウス様! 魔剣の主に選ばれるとは!」
「レオンハルト様に続いてユリウス様も魔剣の主とは、領地の未来は明るいな!」
「ユリウス様、万歳!」
口々にユーリを讃える騎士達をよそに、彼自身は信じられない様子で冷気を纏う手元の魔剣を凝視していた。
「はぁ、はぁ、そ、そうか、魔導具の発動に一定以上の魔力量が必要なように、魔剣の発動にも、魔力の相性とは別に、魔力量も必要だったのか、はぁ、はぁ」
今しがた追いついたらしいフュルヒテゴッドが息を切らせながらそう言った。
ユーリは今成長期で、最近は魔力循環を頑張っているらしいと聞いていたから、最初に魔剣に触れた時よりも急激に魔力量が伸びていたのだろう。
そういえば、ミスティルテインを遺跡で見つけた時も、ミルは魔剣の匂いを嗅いで不思議そうな顔をしていたっけ。
もしかしたら、ミスティルテインとユーリの魔力の相性が良いことにその時から気付いていたのかもしれない。
騒ぎを聞きつけてやってきた領主夫妻やレオンもユーリが魔剣の主となったことをとても喜んでいた。
すごいすごいと頭を撫でられたユーリは顔を赤くしてプイっとそっぽを向いていた。
やっぱりユーリは猫っぽいな、と改めて思った。
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