69. 嗚呼、素晴らしき我が主 <アードルフ視点①>
誤字報告ありがとうございます。
修正いたしました。
時は少し前、私は一人、領主の執務室にてディートハルト様と向かい合っていた。
「リリアンナの様子はどうだ?」
「慣れぬ貴族教育に一生懸命取り組んでいらっしゃいます。元は平民であるあの方にとっては中々難しいようですが、投げ出すことなく課題に真摯に向き合い、とても努力家でいらっしゃると存じます」
「そうか。下町での活動においてもデニスからかなり優秀だと話に聞いている。類稀な発想力と、年齢にそぐわぬ処理能力と立ち居振る舞いで、複数の事業を手掛け、幼い身で領地の経済を回しているという。さすが聖女と言うべきか。良い意味で、普通の幼子とは一線を画しているようだな」
「はい。ただ、真面目な気質でいらっしゃる為、少々根を詰めすぎのようにも思えます。もう少し、肩の力を抜いてくださると良いのですが、それも難しいようで……」
私の主であるリリアンナ様は、どうにも自己評価が低いように感じる。
城で彼女の為に用意される全ての物に、「私なんかの為に手間をかけてしまっている」と申し訳なさそうな姿勢を崩さないし、私が護衛騎士を勤めていることに関してもどうやら申し訳ないと思っていらっしゃるようだ。
厄災である竜を討ち滅ぼし、その膨大な魔力でもって領地の全ての結界を復活させた救いの聖女であられるのに、一体誰に何を遠慮することがあるというのか。
領地に齎した功績でいえば、正直言って領主のディートハルト様でさえ頭が上がらぬほどだろう。
手にした権力に溺れ、周囲に傲慢に振る舞うような気質で無かった事は僥倖であるが、あまりに謙虚すぎて、リリアンナ様の偉業を直接目にしていない者からは少々舐められ気味であることが私はなんとももどかしい。
あの場にいた誰もが死を覚悟したというのに、神々しい神獣様に騎乗し颯爽と空を駆け、強大な神の雷を操り竜に勝利した凛々しいお姿、領地の宝である古代の魔導具を復活させ眩い光が降り注ぐその中心に佇む神秘的なお姿を一目見れば、誰も彼もひれ伏さずにはいられぬだろう。
リリアンナ様を軽く見る者共に向かって、「我が主はこんなにも素晴らしいのだ!」と大声で叫びだしたい気持ちを押さえつけることに苦心する毎日である。
それに、リリアンナ様は私の最愛であるエミリーとの仲を取り持って下さった愛の聖女でもある。
主がいなければ彼女と出会うこともなかったと思うと、ゾッとする。
エミリーのいない日々をこれまでどう過ごしていたのか思い出せぬほど、彼女は私にとって大切な存在となっている。
エミリーもリリアンナ様の事を大切に思っているし、リリアンナ様を守りお仕えすることで私も誇らしいし彼女も喜ぶという、何とも稀有な主を持つことができたと私は大満足である。
私はこれまで領主一族の傍系という高い身分と、騎士団でも上位を争う実力を持ち合わせながら、ずっと決まった主を持たなかった。
領地への帰属意識はあるし、騎士として辺境の民を守るという矜持もある。だが、この方を命を懸けてお守りすると言えるほどの感情を持つことができなかったのだ。
ただひたすらに魔物と戦う一般の騎士としての仕事も勿論やりがいはあるが、ただ一人の主を決め、剣を捧げる護衛騎士達に憧れる気持ちもあった。
そんな私がリリアンナ様というこれ以上ない素晴らしい主を得られたのは、最上の幸運と言うほかない。
リリアンナ様の護衛騎士を選出する際、ディートハルト様が私の裏を疑う余地がないほどには領主と近しい立場であったことと、相応の実力があったことで私に最初にお声が掛かったのだ。
辺境伯騎士団においてリリアンナ様の人気は凄まじく、護衛騎士になりたいと願う者は掃いて捨てるほどいる。
その中で自分の力のみで護衛騎士の座を勝ち取ろうと思ったら、騎士団内で壮絶な争いが勃発した事だろう。
領主一族の傍系の家に生まれ、そして真面目に研鑽を重ねてきてよかったとこれほど思ったことはない。
私は己の幸運を噛み締め、辺境伯領と私自身に平和と幸福を齎してくれた雷鳴の聖女に身命を賭してお仕えすると心に誓っている。
「責任感があるが故に、領主の娘としての重圧が圧し掛かっているのだろう。ユリウスといい、子が真面目すぎるというのも考えものだな」
己の思考に耽っていたが、そうだった、今はディートハルト様にリリアンナ様のご様子を報告している最中であった。
幸い、私が意識を飛ばしていたことには気付かれていないようで、ディートハルト様は心配と誇らしさが綯い交ぜになったような表情で顎を触っていた。
「そうですね……」
自分たちの子と主が真面目すぎるという贅沢な悩みに、私も恐らくディートハルト様と同じような顔をして相槌を打った。
「ディートハルト様、お話し中失礼いたします。少々よろしいでしょうか」
「どうした」
執務室のドアを叩く音が聞こえ、ディートハルト様の側仕えから声が掛かった。
詳細は不明だが、ブリュンヒルデ様が呼んでいるのだと言う。
「ブリュンヒルデが私を呼ぶとは珍しい。何があったのだ?」
「言伝を頼まれたブリュンヒルデ様の側仕えは緊急事態だとしか……。とにかくリリアンナ様の私室に至急いらしてほしいとのことです」
「っ!?」
場所がリリアンナ様の私室で緊急事態とは、我が主人の身に何かあったということか!?
ディートハルト様と私は慌てて領主一族の居住区画へと向かった。
リリアンナ様の部屋に入ると、そこにはソファに腰掛けるリリアンナ様とその横に寄り添うブリュンヒルデ様、その後ろに控える私の母であるイングリットがいた。
リリアンナ様の身に大きな異常は見受けられず、ひとまずほっと息をついた。
「ブリュンヒルデ、何があった?」
「ディートハルト様……。リリアンナとお茶の約束をしていたのですが、時間になっても現れないので迎えに来たらこの様子で。いくら声を掛けても返事がないのです」
ディートハルト様がヒュッと息を呑んだ音が聞こえた。
リリアンナ様は私達が入室して話しているにも関わらず、先ほどからずっと何の反応も示さずボーッと焦点の合わない瞳で虚空を見ていた。
「これは……」
ディートハルト様とブリュンヒルデ様が青い顔をしてリリアンナ様を見ている。
リリアンナ様のご様子は、護衛騎士仲間として最近よく話すようになったアロイスが言っていた、以前のユリウス様の状態に酷似している。
おそらくお二人はリリアンナ様にかつてのユリウス様を襲った悲劇を重ねていらっしゃるのだろう。
「母上、一体何が……」
「いつものようにツェルナー夫人の授業を受けて、お部屋に戻られた時にはこの状態だったのです。詳しくは分かりませんが、近頃は随分根を詰めてお勉強していらっしゃったようですから、お疲れが溜まっているのかもしれません……」
母上も痛ましそうにリリアンナ様を見ている。
側仕えとして主人に対して馴れ馴れしい態度は取らないが、幼くして家族と引き離され可哀想なほどに泣いていたリリアンナ様を我が子のように心配していることを私は知っている。
実は小さくて可愛い物好きな母なのだが、うちは男兄弟で「家に図体のでかい男しかいなくて癒しがない!」と以前嘆いていたことがあるので、余計に可愛く思っているのかもしれない。
「貴族となる事が、それほどの重圧だったとは……。私達は生まれた時から当たり前に身につけてきたこと故、少し甘く考えすぎていたのかもしれぬな。リリアンナの心身を優先して貴族教育は一旦中止にしよう。教育は回復してから様子を見てゆっくりと進めれば良い」
「……そうですわね。この子の母親代わりとして、心の支えになれたらと思っていたけれど、まだわたくしではその役目はこなせないようです。ディートハルト様、リリアンナをご家族に会わせてあげることはできないかしら?」
「うむ、両親はすぐには難しいが、兄であれば今なら魔法剣技大会の件でと呼び出せば不自然ではないのではないか? 騎士見習いであれば多少は気配を消す術も心得ているであろうから、人目につかずここまで来ることもできるだろう。今はちょうど騎士学校の訓練の時間だ、アードルフ、ひとっ走り行って連れてこい」
「はっ!」
「今からですか!?」
私はディートハルト様の命にすぐさま返答した。
ブリュンヒルデ様と母上は急な話に目を丸くしているが、私はディートハルト様のこの決断の早さをいつも好ましく感じている。
内容を吟味して慎重に計画を立てて行う事も時には重要だろうが、素早く決断して即行動へ移すことも、人の上に立つ者の一つの資質であると思う。
リリアンナ様は随分と兄のカインに懐いていらっしゃったから、会わせて差し上げれば少しはそのお心も慰められるであろう。
アロイスに聞くユリウス様の当時の話はとても痛ましいものであった。
アロイスはユリウス様の声なき声にすぐに気付く事ができなかったと己を悔いていた。
私が同じ轍を踏むわけにはいかぬ。
間に合え、と念じながら騎士学校に向かって愛馬を全力で走らせた。
騎士学校に到着し、職員にカインの所在を問うと、今は倉庫の整理中とのことだったので、魔法剣技大会の関係でこれから連れ出すことの了承をもらい、以前は自分もこの場所で研鑽を積んでいたため慣れた道を倉庫に向かって足早に歩いていく。
倉庫の前に着いた時、ドサッと人が倒れるような音が倉庫の裏の方から聞こえた。
気配を消しそちらを伺う。
「魔法剣技大会の選抜選手に選ばれたからって調子に乗るなよ。平民が。立場をわきまえろ」
そこには数人の騎士見習いの少年と、彼らに囲まれ地面に尻もちをついたカインがいた。
誇り高き騎士になろうという者がいじめだと?
騎士見習いの質の低さに愕然とした。
止めに入るために声を掛けようとした時、カインの呑気な声が響く。
「わきまえる、ですか? それは、訓練で手を抜けということでしょうか? それで選抜に選ばれて嬉しいんですか?」
「なっ!? き、貴様ぁ!」
心底不思議だという風にきょとんと首を傾げるその仕草は、リリアンナ様を彷彿とさせる。
離れていてもやはり兄妹だなと感心するが、囲んでいる者達にとっては特大の煽りとなったようで、いきり立ったリーダー格であろう少年がカインに殴りかかろうとしている。
「失礼。カインはここにいるか?」
「えっ!? アードルフ様!?」
見かねて改めて声を掛けると、騎士見習い達は驚いてこちらを振り向き騒めいている。
魔法剣技大会で準優勝した自分の顔はそれなりに知られているらしい。
「其方ら、ここで何をしている?」
「……そ、その、これは、立場をわきまえない平民に対する指導でして……。す、すみません、私達はこれから授業がありますので失礼いたします」
気まずそうに言い訳をし、ぞろぞろとその場を離れようとする騎士見習いたちの背中を睨みつけ、言葉を掛ける。
「騎士となれば、身分に関係なく互いの背中を預け合う仲間となる。同胞を蔑み貶めるその心根は、騎士になるには未熟と言わざるを得ない。其方らは今一度、騎士としての己の心の在り方を見つめなおした方が良いだろう」
騎士見習いたちは顔を赤くして校舎の方へ走り去っていった。
ヴァルツレーベンの護衛騎士達はみんな主至上主義。
ぼくのあるじさまが、いちばんすごいんだ!
余談ですが、アードルフが賊からエミリーを助けた日、上には夜の巡回中にたまたま賊を発見したと報告しましたが、実際にはエミリーを想い眠れぬ夜を過ごしていた彼はいてもたってもいられなくなり、会えなくても近くにいたい……と夜中に教会に向かったらちょうど塀を乗り越えて不法侵入していた賊を目撃した、というのが真実です。
こんな変態チックな面もあるアードルフさんですが、リリーへの忠誠心は本物なんです。噓じゃないんです……!
この内容は本当は55話の後書きに書こうかなと思っていたのですが、家族と離れ離れになって泣いているリリーの後では温度感が違いすぎて入れられなかったので、供養としてここに書いておきます。
次回もアードルフ視点です。お楽しみに~!




