5. なんて異世界なファンタジー
「だからダメだと言っているだろう! 何度も言わせるんじゃない!!」
ランチの営業準備中、母と店の掃除をしていると、父とカインが仕込みをしていたはずの厨房から、大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
まさかの貯金ゼロ発覚から数日、FIREへの決意を新たにしたものの具体的な方針が決まらないまま、とりあえず街の人々の会話などから少しずつこの世界の情報収集をしていたところだった。
寡黙な父が声を荒げるなんて珍しいので驚いて厨房を覗くと、二人が言い争っていた。
眼光で人が殺せそうなほど、父の目が吊り上がっている。
ひぃぃ、こわいよう……。
お父さんのあの風貌と低い声で怒鳴られたら心臓が縮みあがりそうなのに、お兄ちゃんはよく面と向かって言い返せるな。
「騎士学校なんて、そんなものに通わせられる金なんてうちにはないんだ! いい加減にあきらめろ!!」
「金がない金がないって、そればっかり……! こんなに毎日休みなく働いて、金がないってなんだよ!!」
「ないものはないんだ! だいたい、騎士なんかになってどうする! 給金は多少いいかもしれないが、大きな怪我でもして剣を握れなくなればお払い箱だ! 命の危険だってある! 料理人の方がよっぽど堅実で安全だろう!」
「騎士を馬鹿にするな! 街のみんなを守る、名誉ある仕事じゃないか! それに料理人になれって!? 父さんみたいに!? じゃあ俺はずっとこのままじゃないか!」
「このままとはなんだ!! この生活に不満でもあるってのか!? 安全な街の中で命の危険もなく食べ物に飢える事もない! 十分だろう! 贅沢いうんじゃねぇ!!」
「このままはこのままだよ! 今のまま、毎日店の手伝いをして、小さい妹の面倒を見て、自由な時間もなくて、好きな事は何にもできない!! 俺の人生ずっとこんななの!? じゃあいったい俺は、なんのために生まれてきたんだよ!!!」
カインは泣きながらそう叫ぶと、家を飛び出していった。
「あんた、言いすぎだよ」
「……」
「まぁ、あたしは騎士になる事自体には特に反対してるわけじゃないけど、騎士学校に入れてやれるほどの金がないのは事実だからねぇ。かわいそうだけど、カインには諦めてもらうしかないね」
仕方がなさそうにため息をつく母を横目に、私もそっと家を出た。
カインの姿はもう見えなかったが、行先はなんとなくわかる。私が頭をぶつけて前世を思い出した、あの森だろう。
あの時、カインが家を飛び出したのも同じ理由でお父さんと言い争ったからだと思う。
森にとっておきの場所があると言っていたからそこにいるのかもしれない。
森に一人で行くのは禁止されているが、しかたがない。カインをこのまま一人にしておくのは良くない気がした。
リリーの記憶を頼りに森への道を急ぎながら、さっきの会話について考える。
カインは、多分、ヤングケアラーだ。
この世界ではそんな言葉はないかもしれないが、百合の生きた前世では社会問題になっていた。
親が仕事で忙しかったり病気だったりが理由で、まだ未成年の子供が家事や小さな弟妹の育児などを担わされ、それが大きな負担となって心身に不調をきたすことがあるという。
遊ぶ時間もなく働き続けるなんて、そんなの子供の教育に良いわけがない。
このままじゃお兄ちゃんの心が壊れちゃう。なんとかしないと……!
しばらくして森の入り口に到着した。森といってもさほど広いものではなく、ちょっとワイルドめの自然公園みたいなものだ。奥には貯水池になっている湖があるらしい。
すぐに出会えるといいけど、と思いながらとりあえず前回いた場所に向かうと、木の根元にうつむいて三角座りするカインの姿を見つけほっとした。
横に腰を下ろすと、カインはびくっとして顔を上げた。涙で顔がべしょべしょだ。
「リリー……またついてきちゃったのか。……一人で森に入っちゃいけないっていっただろぉ」
そう言って頭をなでてくれる兄の手つきは本当にやさしい。
この家族はみんなよく私の頭を撫でるけど、前世の記憶を思い出す前からリリーは兄に撫でられるのが一番好きだった。
こんなに優しいいい子が搾取され損をする世界なんて、あっちゃいけないと思う。
カインは袖口で涙を拭き、立ち上がった。
「ついてきちゃったものはしかたないな。おいで。とっておきの場所を見せてあげるよ。約束だったもんな」
兄に手を引かれ、さらに森の奥へと分け入っていくと、少しひらけた場所にでた。
「わぁ」
そこには一面オレンジ色の花畑が広がっていた。
背の高い茎に、オレンジ色に赤い斑点の入った直径十センチくらいの大きな花が下を向いて沢山咲いている。形はユリの花に似ているけど、初めて見る種類の花だ。ふわりと良い香りが漂ってくる。
「オニユリっていうんだよ。きれいだろ?」
「うん、すごくきれい」
兄は近くの小さな岩の上に腰を下ろすと、私を膝の上に乗せた。
「嫌な事があった時とか落ち込んだ時にこの場所に来るんだ。このオレンジ色を見てるとさ、なんとなく元気がわいてくるような気がしないか?」
たしかに、明るく艶やかなこのオニユリの花からはポジティブなエネルギーをもらえそうな感じがしたのでコクッと頷いて同意する。
二人ともしばらく無言で花畑を眺めていたが、カインがぽつりぽつりと思いを吐露し始めた。
「……今の暮らしが嫌なわけじゃないんだ。店の手伝いだって、リリーの面倒みるのだって、嫌いじゃない。……けど、たまにすごく息苦しくなる時があるんだ。街の同い年位の子供たちは友達と遊んだり家族で出かけたりしているのに、なんで俺だけ、って」
そんなのは当たり前の感情だ。むしろ聞き分けが良すぎるから、親も甘えて任せてしまうのだろう。
「はじめて自分に魔力があるってわかった時は本当にうれしかった。騎士は誰にでもなれるものじゃない。こんな俺でも、みんなが憧れるような立派な人になれるのかもしれないって思ったんだ」
ん? 魔力? なんか急にファンタジーな単語が出てきたぞ……。
「まりょくって、なあに?」
「あ、そうか、リリーは知らないのか。魔力っていう特別な力があって、魔力を持ってる人は貴族ばっかりなんだけど、平民でもたまに魔力持ちが生まれることがあるんだ。魔力があると、街を守る結界の魔導具に力を込めたり、魔法剣で強い魔物を倒すことができるんだ。騎士になるには魔法剣が使えないといけないから、魔力持ちじゃないと騎士になるための学校にさえ入れないんだ。……俺は魔力があっても騎士学校には入れないんだけどな。」
魔法剣! 魔物! うわぁ、ファンタジー!
リリーの記憶にはなかったから、そういうファンタジー要素、この世界にはないのかと思ってた。魔力持ちはほとんど貴族だから、平民の私の生活にはあまりかかわりがなかったんだね……。
そこら辺もっと詳しく聞きたいけど、今は自重。メンタルケアの方が先だ。
私のお腹にまわされているカインの両手をぎゅっと握る。
「おかねがあれば、はいれる」
「うちにはそんな金、ないんだってさ。……でも俺知ってるんだ。少し売り上げの良かった日は、父さんこっそり良い酒を買って一人で晩酌してるんだよ。酒を買う金はあるのに、俺の騎士学校はなんでダメなんだよ」
あああ、あると使っちゃう、駄目なパターン!
わかる、わかるよ。百合も節約に目覚める前は、ボーナスが入るとちょっと良い服とかバッグとか勢いで買ったりして、全然貯蓄ができていなかった。
でも、私は知っている。
私には、貯蓄もなく、奨学金の返済もある中で、家計を改善し、会社を辞めても生きていける程の金額を貯めた実績がある。
ゼロから必要なお金を貯めることは決して不可能ではないと、その方法はあると、私は身をもって知っているのだ。
膝の上でくるりと向きを変え、カインの目をしっかりと見つめる。
「おかね、ためよう。ためられるよ。」
「リリー……。はは、ありがとう。リリーが俺の夢を応援してくれるだけで、俺、嬉しいよ」
カインは苦笑して真面目に受け取っていない様子だが、私は本気だ。
「できるよ。いつまでに、どのくらいのおかねがひつようなのか、しらべよう。それで、むだづかいをやめたらいくらになるのか、りょうりのねだんをかえたらいくらになるのか、けいさんして、けいかくをたてよう。むりじゃないって、ぐたいてきにすうじでせつめいすれば、おとうさんもおかあさんも、きっときょうりょくしてくれるよ」
「え?」
思ってもみない事を言われたのか、兄は呆然としてパチパチと何度もまばたきをしている。
「……でき、るの?」
「できるよ。むりじゃない」
「お、おれ、騎士になれるの……?」
「きしがっこうにはいっても、がんばらないとだめじゃないかな」
兄の目が涙でだんだんと潤んでいく。
「おれ、おれ……がんばりたい」
「うん。いっしょにがんばろう。わたしもきょうりょくするよ」
「っ……うんっ!!」
兄の顔がくしゃりとゆがんだその時、私の視界もゆがんだ。
ドクンッ
急に心臓の鼓動が大きくなり、苦しくて倒れてしまう。
「リリー!?」
熱い、熱い、熱い……
体が燃えるように熱い。
体の中から熱い何かがあふれだして爆発しそうだ。
まるで全力疾走した後のように息が苦しい。
「リリー、どうしたんだ!? リリー! リリー!!」
兄が必死に呼びかけてくるが、返事をする余裕もない。
なんだこれ。今まで倒れたことは何度かあるが、こんな感覚ははじめてだ。
……あれ? もしかして、これが魔力か?
兄が魔力持ちなら、私もそうでもおかしくはない。
でもどうすればいいの、これ。
魔力の制御の仕方なんて、私知らないよ!
やばい、意識が朦朧としてきた……。
魔力って、だからあれでしょ、気とか念とかチャクラとか、昔好きだった異能力バトル系漫画にでてくる感じのそれでしょ?
思い出せ、思い出せ。
あの主人公たちは、どうやってその力を身につけてた。
なんか、修行回とか、そういうの、あったでしょ。
朦朧とする意識の中、必死で前世のバトル漫画の内容を思い出す。
それが果たして役に立つのかわからないが、何もしなければこのままだと死んでしまいそうだ。
ごろんと仰向けになり、目を瞑って荒い呼吸をなんとか整え深呼吸する。
とにかくまずは集中だろう。
どんなマンガでもなんかそういうの、してた!
「リリー、リリー、大丈夫か……?」
「……いま……はなし……かけ、ないで」
深呼吸をしながら、体の中で今にもあふれだしそうな熱い何かになんとか集中する。
なんかこう、エネルギーを体に循環させて纏わせる感じだったような。
動け、動け!
体の奥の熱い塊がずり、と少しだけ動いたような感覚があった。
動け、動け!
魔力をゆっくりと少しづつ右手に移動させ、次は右足、左足、左手と徐々に移動させて体を一周させていく。
すると最初は少ししか動かなかったのに、今度は急に勢いがついてドバっと流れてしまう。
だめだ、飲み込まれる。
こら! 言う事を聞け!
早すぎる勢いに押し流されそうになり、慌てて流れを抑えようとする。
ゆっくり、ゆっくり……
どのくらい時間が経っただろうか。
少しでも集中を切らせたら爆発してしまいそうな緊張感の中必死に戦い、だんだんと魔力が体の中を穏やかに循環するようになってきた気がする。
あんなに苦しかった呼吸も落ち着いて、熱さも感じなくなってきた。
ひとまず命の危機は何とか脱したらしい。
ほぅ、と息をつくと、急に疲れがどっと押し寄せてきて、強い眠気にあらがえず、そのまま目を閉じた。
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