55. 突然の再会と別れ
「シスター!!」
騎士に続いて部屋に入ってきたのは、シスターエミリーだった。その後ろにアードルフもいる。
無事な姿でまた会えたのが嬉しくて抱きつくと、シスターは「あらあら」といつもの慈愛に満ちた大好きな声で優しく抱きしめ返してくれた。
じんわりと涙がにじんでくる。
良かった、本当に良かった……!
「シスターエミリーは、ずっと城で保護していたのです。知らない方が危険がないとの判断だったのですが、聖女様にも知らせず心労をおかけしたこと、お詫びのしようもございません」
アードルフが跪いてとても丁寧な言葉で話し始めた。
シスターエミリーのお腹にしがみついたままぐしぐしと涙を拭いて、アードルフの方を向く。
「シスターにまた会えたからいいんです。それよりも、そんな丁寧な言葉で話さなくていいですよ」
「いいえ、聖女様に対して今までのような気安い態度を取るわけには参りません。むしろ知らぬこととはいえ、これまでのご無礼、誠に申し訳ございませんでした」
「アードルフ。聖女はあまり畏まった態度は好まれないようだ。そのくらいにして、本題に移ろう」
領主様に促され、シスターと私は先ほど座っていたソファに、アードルフは領主様の斜め後ろへと移動すると、これまでの経緯を説明された。
洗礼式の日、丸石からミルが生まれたのを見たシスターは、私がもしかしたら聖女なのかもしれないと思ったらしい。
けれど、聖女に関する記録は教会にはほとんどなく、王都にある教会の総本山か領主城であれば何か情報があるかもしれないと考えたシスターは、両方に問い合わせの手紙を送った。
城に宛てたその手紙は特に重要と見做されず領主まで届くことはなく、間に入った部署から「特筆すべき情報はない」とだけ返答が送られてきたそうだ。
王都の方は手紙が届くのに時間がかかるので、そちらからの返信を首を長くして待っていたある日の夜、教会のシスターの部屋に賊が入った。
偶々夜の巡回中に教会に忍び込む怪しげな影を目撃したアードルフはその跡をつけ、あわや賊の凶刃が眠るシスターの胸に突き刺さるかというところで間一髪、助ける事ができたのだという。
賊は捕らえて尋問しようとしたが、奥歯に仕込んだ毒により自害したそうだ。
目を覚まし、自分の部屋に倒れている賊に怯えるシスターを宥め、命を狙われる心当たりはないか尋ねた。
聖女の件に思い至ったシスターが正直に全て伝えると、事態を重く見たアードルフは騎士団でシスターを保護する事に決めた。
シスターと賊の遺体を騎士団に護送し、朝になってから領主様と騎士団長に緊急で謁見の申し入れをした。
そこでようやく領主様が聖女の可能性を疑われている少女の存在を知ることとなる。
領主様達は、犯人は恐らくこの件を知るシスターの口封じをした上で、聖女の力を我が物としようとしているのではないかと予想し、私に急ぎで護衛をつけようとしていたところ、私の誘拐事件が起こったとのことだ。
「リリー、ごめんなさい。私が軽率に手紙など出してしまったから、あなたが危険な目に……。魔力持ちの子供を誘拐して良からぬことを企む者がいるということだって、知っていたはずなのに。聖女の誕生は領地や国にとって良い事だと、リリーはきっと誰からも歓迎される存在になるはずだと思い込み、その危険性を失念していたのです」
シスターは涙を浮かべ、心から申し訳なさそうにしている。
「私はシスターが悪いだなんて思っていません。むしろ私よりも、シスターの方が命の危険があったじゃないですか。お互いに、無事にまた会えて本当によかったです」
「リリー……!」
素直に思ったことを伝えたら、既視感のあるキラキラした瞳で見つめられた。
感激屋さんなのは変わらないらしい。
「黒幕に繋がる可能性の高いエグモント商会のカスパルを泳がせ密かに監視していたのだが、奴は既に亡くなっている」
「え?」
「スタンピードのどさくさに紛れて逃げ出そうとしていたところを、街に侵入した魔物に襲われたそうだ。街の結界が壊れたタイミングで魔物が押し寄せてきたのは、奴が持っていた魔物寄せの魔導具が原因だった。おそらく“あのお方”とやらに魔物除けと偽って渡されていたのだろう」
「カスパル様が……」
髭おやじの訃報を聞いて、シスターが複雑そうな顔をしている。
私も髭おやじのことは嫌いだったが、死んでほしいとまで思っていたわけではない。
一体、誰がそんなことを……。
「国宝レベルの魔導具を所持していたこと、自分に繋がる糸を辿らせない周到さや、容赦なく味方を切り捨てる冷酷なやり口。状況を鑑みるに、黒幕はおそらく王都の高位貴族だと考えられる。そこで提案なのだが、聖女よ、私の義娘にならぬか」
「えっ?」
「養女として我が家に迎え入れたい。相手が高位貴族では、貴女が平民の身分のままだと満足に守ることができぬのだ。どこか別の貴族家に入ったとしても、相手がなりふり構わず権力で押してきた場合、抵抗するのは難しい。貴族社会では、それほど爵位の差というのは大きいものだ。これでも私の家は四大貴族の一角、北のヴァルツレーベン。王家でさえ、簡単には手出しできない権力がある。今のままでは、貴女の家族や周囲の人間に危害が及ぶかもしれない。そして聖女が他領の貴族に奪われるようなことがあれば、ヴァルツレーベンは混沌の渦に飲まれることとなろう。どうか、私に貴女を守らせてほしい」
私が、領主様の養女に……?
あまりに突然すぎて、どうしたらいいかわからない。
「聖女を守るためにはこれが最善なのだ。決して無体な扱いはしないと誓おう。目覚めたばかりで混乱している事とは思うが、今別室に貴女の家族を待機させている。街の混乱に乗じて秘密裏に呼び寄せたが、この機会を逃せば次に家族に会えるのはいつになるかわからない。別れの挨拶をしてくるといい」
……提案と言っておきながら、それはもう命令に近い。
優しそうだと思ったけど、目の前にいるのはやはり人の上に立つ領主。
平民の一家族より聖女、聖女より領地の行く末、優先順位がはっきりしていて、人に命令することを厭わない。
聖女として守ってはくれても、平民としてのリリーの心やそれまで培ってきたものまでは尊重する理由がないということか。
わかっている。誰にとっても領主の養子になる事が正解なのだろう。
でも、本当に急すぎて、頭が追い付かない。
「家族には、もう会えないんですか?」
「一生会えないというわけではないが、黒幕が判明し、方が付くまでは控えた方が互いのためだ。ああ、貴女の兄は騎士見習いだと聞いている。騎士に就任し、聖女付きになれるまで出世すれば、兄には会えるようになるかもしれないな」
それはいったい何年後の話なのだ。
お兄ちゃんならきっと立派な騎士様になって会いに来てくれると信じているけれど、これから何年も会えないなんて、さみしすぎる……。
「リリー……」
不安で俯いていると、横のシスターがそっと抱きしめてくれた。
「粗方の事情は説明してある。安全のため、家族水入らずにしてやることはできぬが、我々の事は気にせず、普段通り接してほしい」
そう言われて領主様と数名の護衛騎士と共に部屋に入ると、ソファに座っていた家族がバッと立ち上がった。
「リリー!!!」
カインが走り寄ってきて、きつく抱きしめられた。
「リリー、リリー」
「お兄ちゃん……」
涙が溢れ出す。
慣れた匂いと温もりに、これでお別れだなんて嘘のように感じる。
父と母もやってきて、カインごと抱きしめてくれた。
二人とも泣いている。
堪らなくなり、声をあげて泣いた。
いつもは泣き疲れて眠ってしまう私だけど、目が覚めたら家族がいなくなっていたなんて嫌すぎるので、今日は絶対に寝落ちしたくない。
領主様たちは、泣きながら抱きしめ合う私達を、口を挟むことなく見守ってくれていた。
皆でひとしきり泣いた後、落ち着いて話すために席に移動した。
テーブルを挟んで上座のソファに領主様と私、下座に家族。その席位置が、私と家族の立場を明確に隔てているようで悲しくなった。
「聖女であり領主一族となったリリーを害そうと思うものは中々いないだろう。領地をあげて守ると誓う。安心して私達に預けてほしい。すぐには難しいが、事態が収束すれば、必ずまた会えるように取り計らおう」
領主様の言葉に、家族は皆目を赤く腫らして俯いている。
「……自分の娘は自分で守ると言いたいところですが、聖女なんてもんになっちまったリリーを貴族から守り切れる力は、残念ながら自分にはありません」
「父さん……!」
「自分は、貴族は好きません。権力欲が強く、差別主義で、平民の事なんて同じ人間とは思ってない。自分が今までに見てきたのはそんな糞みてぇな貴族ばかりだ。しかし領主様は、リリーを無理やり連れ去る事もできたところを、平民である俺たち家族に事情を丁寧に説明し、リリーを守ると約束してくださった。その言葉を、信じたいと思います。……どうか、娘を、よろしくお願いします……!」
そう言って父は深く頭を下げた。
膝の上で握った拳がぶるぶると震えている。
父を見て、母と兄も再び涙を流しながら頭を下げた。
「ああ、必ず」
領主様が力強く頷いた。
「……まさか、私達の娘が聖女だなんてねぇ。でも、思い返してみれば、あんたは平民にしてはどこか品があるというか、周りとは違った空気を持ってるとは思っていたんだ。母親のことを母さんだの母ちゃんだのばばあだのと呼ぶ平民街で、どこで覚えてきたんだか「お母さん」なんて丁寧に呼ぶんだから。……あんたは大人しそうに見えて時々突拍子もないことをしでかすんだから、あまり周りの方に迷惑をかけないようにね」
「お母さん……」
出し尽くしたと思った涙がまた溢れてくる。
「リリー、俺、必ず騎士になってすぐに会いに行くから、待ってて。強くて立派な騎士になって、今度こそリリーを守るよ」
「お兄ちゃん……」
涙でもう前が見えない。
もう会えなくなっちゃうんだから、皆の姿を目に焼き付けなきゃいけないのに。
「領主様、リリーは頑張り屋で、辛くても自分からは言いません。不調が顔にあんまりでないので、よく気を配ってあげて下さい。リリーを泣かせるようなことがあったら、許しませんから」
「心得た。決して泣かせることはないと約束する」
泣きながらキッと領主様を睨みつけるカインは本当に肝が据わっている。
さすが、私の大好きなお兄ちゃんだ。
「リリーは今回の魔物の襲撃により、命を落としたこととする。襲撃で亡くなった者の合同葬が行われる予定なので、遺族として参加してほしい。竜を倒した聖女と平民のリリーを結びつける事ができる者は多くない。決して、リリーの事を外部に漏らさぬように」
私はなんと死んだことになるらしい。
私の情報を漏らさないことを約束して、最後に一人ずつ私をぎゅっと抱きしめて、三人は家に帰っていった。
涙を流してその場を動かない私を心配して、ミルがすりすりしてくれるけど、いつもなら癒されるその行為も、今の私の心を癒してはくれない。
ミルをぎゅうと抱きしめて、今度こそ寝落ちてしまうまで泣き続けた。




