53. 一方そのころ <カスパル視点/レオンハルト視点>
※残酷な描写あり
まずいまずいまずいまずい……
エグモント商会の辺境伯領支店長であるカスパルは、街の外に向けて急ぎ馬車を走らせていた。
「聖女だなんて、聞いてないぞ……!」
結界が割れ、魔獣が街に入ってくるところまではよかった。
私にはあの方より借り受けた魔物除けの魔導具があるのだ。
多少の被害は出るだろうが、自分は魔導具のそばで息をひそめていれば屈強な辺境伯騎士団が勝手に殲滅してくれるだろう、と高をくくっていた。
しかし、いくら騎士団でも竜は無理だ。
北の空に竜の姿を認めた瞬間、この街の終わりを悟り、すぐに逃げ出すことを決めた。
町の奴らは律儀に騎士の言う事を聞いて家の中で大人しくしているようだが、阿呆じゃないかと思う。
災害レベルの化け物相手に人間が何をできるというのだ。
こんなド田舎の辺境で、領地と心中するつもりは欠片もなかった。
最低限の金目のものを馬車に詰め込み、逃亡準備をしている最中、どこからかやってきた空飛ぶ獣に乗った少女が、緑の雷を操り竜を倒した。
街の奴らが家の外に飛び出し「聖女様だ!」と歓声をあげている。
聖女だと!?
空飛ぶ獣が竜に向かって飛んでいく際に一瞬見えた少女の姿は、確かに自分が誘拐に加担したあのクソガキだった。
あれが聖女だなんて聞いていない。
ということはまさか、共に誘拐してくるように言われ不思議に思っていたペットの白い猫が、今空を掛けているあの神獣だとでもいうのか。
まずい。
あの子供は眠らせて縛り上げた上で目隠しをしていたので自分の関与はバレてはいないはずだが、神獣に匂いで覚えられている可能性はある。
それに、ただの平民の子供の誘拐ではなく聖女の誘拐となれば、騎士団が本腰を入れての事件の再捜査となるかもしれない。
自分に捜査の手が伸びる前に、逃げるしかない。
安物の馬車はガタガタと揺れが酷く乗り心地は最悪だが、いつも使っている最高級の馬車では身元がすぐにバレてしまう。
この騒動のどさくさに紛れて、早く領地の外に出なければ。
尻の痛みを我慢し、「もっと急げ!」と御者に向かって叫んだ。
そもそも、この何もない辺境に飛ばされたこと自体ずっと不満だったのだ。
王都に戻った暁には商会の重要なポストに就けて下さるとあの方が言うから、我慢して指示に従っていたまでだ。
この街にやってきた最初の頃はよかった。
ここの連中は義理だの人情だのと甘っちょろい奴らばかりで、少し強引なやり口で事を進めれば、瞬く間に街一番の商会だと言えるほどの売上をあげる店となった。
あの方に依頼された商売以外での暗躍も、指示通りに動けば笑ってしまう程簡単に遂行することができた。
やはり辺境の野蛮人たちは馬鹿ばかりだと嘲笑していたのだが、うまくいかない事が増えてきたのはいつの頃からだったか。
娯楽も少ないこのド田舎で少しは楽しめるかと目を付けていた女は中々靡かず、辺境のシスター風情に馬鹿にされたような気分になり、立場の違いをわからせてやろうとそろそろ強硬手段を取ろうかと思っていたところで、なぜかその女が行方不明になってしまった。
ライバル店であるカールハインツ商会で新しい事業を始めたとかで、中々うまくいっているようなので潰しておくかといつもの如く破落戸を差し向ければ、悉く返り討ちにされてしまった。
今まではこれでうまくいっていたというのに。
一体何なのだ。何故ただの販売員や定食屋の親父が筋骨隆々で荒事慣れしているのだ。
わけがわからない。
あの方に指示されたガキの誘拐も、結局騎士に助け出されて失敗に終わった。
蓋を開けてみれば聖女だったのだから当然だが、あの時は「何故たかが平民のガキと猫一匹が攫われたくらいで騎士が動くのだ、ありえない!」と悪態をついたものだ。
ほとぼりが冷めるまで大人しくしているようにとのあの方の指示で、随分と窮屈な生活を強いられる羽目にもなった。
あの方からの指令は詳細を聞かされないことが多く、何の為なのかわからない事ばかりである。
その中でもあのガキの誘拐は特におかしな内容だった。
飼い猫付きの誘拐など、聞いたことがないと思っていたが、それが聖女と神獣だったのなら、流石に言っておいてほしかった。
約千年ぶりに誕生した聖女を害したと知られれば、自分の命はないだろう。
早く……早くここから逃げなければ……!
ガッシャーーーーーーン
突然強い衝撃があり、体が馬車の壁に打ちつけられた。
全身があちこち痛みわけがわからないが、どうやら横からの何かしらの衝撃で馬車が横倒しになってしまったようだった。
痛みをこらえ這う這うの体で馬車から這い出ると、目の前には殺気立った魔狼がいた。
「な、なぜ……!?」
ここには魔物除けの魔導具がある。
魔物が襲ってくるはずがないのにどうして……。
大事に内ポケットに入れている“それ”を、無意識に上着の上から押さえた。
鋭い牙を剥き出し、グルルルと威嚇してくる魔狼は今にも自分に襲い掛かってきそうである。
ここは魔獣の出る北の森から最も遠い南門。
町中の全てを素通りしてここに来るなど、一体どんな確率だというのだ。
まさか。
まさか、自分が後生大事に抱えていたこの魔導具は……
主だと思っていた相手に切り捨てられたのだと気付いた時には、既に眼前に鋭い牙が迫っていた。
――なぜ、なぜなのですか……■■■■様……
【レオンハルト視点】
「……間に合わなかったようだね」
街に入ってきた魔物達はどの個体も酷く興奮した様子で何かを探す素振りを見せたため、数匹泳がせて後を追うことにしたのだが、自分達が到着した時には男は魔狼に襲われ既に事切れていた。
男に執拗に噛みついていた魔狼を焼き払い、亡骸を確認する。
やはり、騎士団が秘密裏に背後関係を探っていた王都出身の男だった。
我々が黒幕にたどり着く前に、切り捨てられたらしい。
「結界が壊れた途端、魔物達が街に押し寄せてきたのはこれが原因か」
男が何かを守るように左胸にあてていた手をどかし、上着の内ポケットを確かめると、大きな魔石のついた懐中時計のようなものが出てきた。
美術的にも価値の高そうな優美な装飾に、現代では解読できる者のいない文字のような文様。
国宝レベルの魔導具に違いない。
おそらくこの魔導具が魔物を呼び寄せていたのだ。
森の中にいる魔物にも影響するほどとは、かなり強力である。
剣の切っ先で魔石を破壊し無力化すると、自分の護衛騎士に持ち帰るよう手渡した。
こいつから黒幕に繋がることはないだろうが、かなりの貴重品であることは間違いない。
帰って徹底的に調べよう。
魔導具を壊した途端、魔物達はみるみる落ち着きを取り戻し、その多くが森に逃げ帰っていった。
街中に残るのは、知能の低い雑魚ばかりだ。
「さぁ、残党狩りを始めよう。よくも、我が領民達を襲ってくれたね。一匹残らず殲滅するよ!」
「「「はっ!」」」
可愛い弟や気になる女の子には見せない獰猛な笑顔で愛剣を抜きながら、先ほど伝説級の魔物を一人で倒してしまった、最近常連になったお店の女の子のことを思い出す。
なんだかこれから楽しいことになりそうだなぁ、とわくわくしながら剣を振り下ろした。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
第三章起業編はここまでとなります。
このあとは新章準備の為、一週間ほどお休みをいただきます。
次回更新は8/8(金)の予定です。
聖女となったリリーの生活はどのように変化するのでしょうか?
次章、スキルアップ編をお楽しみに!
活動報告の方も更新しますので、宜しければそちらもお読み頂けますと幸いです。
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