52. ケラウノス <アロイス視点>
短めです。
どれ程鍛錬を積み騎士として力をつけようが、人の手では決して倒せない厄災のような存在、それが竜だ。
私自身言い伝えでしかその存在を知ることはなく、私が生まれてこの方目撃情報さえなかったという伝説の存在を、まさかこの目で見る日がくるとは思わなかった。
巨大な体が豆粒に見える程遠く離れた場所にいるというのに、竜の存在感は凄まじく、その威圧感で肌の表面がピリピリするほどだった。
あまりの覇気に膝をつく者も出始めた。
私は主人の前で情けない姿を見せまいと、根性で立っていたが、膝が震えるのを抑えることはできなかった。
この後起こる悲劇を想像して絶望し、誰もが死を覚悟した矢先、思いもよらぬ事が起こった。
リリーがいつも連れている白い子猫が、大きな虎の姿に変貌し彼女を乗せて空に飛び上がったのだ。
騎士でさえ恐怖で動けないというのに、制止するユリウス様に対して、まるでちょっとそこまで買い物に行ってくるとでもいうような軽さで「竜をやっつけてくる」と言い残し、飛び去ってしまった。
「リリー! リリー!!」
ユリウス様の必死の呼びかけも、既に彼方へ行ってしまったリリーには届かない。
「空を……飛んでいる……!?」
「なんだあの獣は!? 魔獣か!?」
「いや、あのような魔獣、見た事がないぞ」
「あの少女は一体何者なのだ」
予想外の出来事に同僚の騎士達が騒めいていたが、それもすぐに静かになった。
それ以上に訳のわからない事態が起こったから。
雲ひとつない快晴だった空は瞬く間に曇天となり、バチバチと稲光が走っている。
遠くてあまりよく見えないが、リリーはいつの間にかその手に雷光を纏った槍のような物を手にしていた。
突然、リリーがその槍をぺいっと宙に放り投げた。
槍は緑色の軌跡を空に描きながら竜の元へ真っ直ぐ飛んでいき、その眉間に突き刺さった。
眩しい程の強い光を放つ緑色の雷が竜に直撃し、少し遅れて大きな雷鳴が轟き地面が揺れた。
光が収まると、空には既に竜の影も形もなくなっていた。
あまりの事に皆言葉を失っている。
緑色の雷……まさか、まさかあれは……
「神の怒り……!」
私の思考を読んだかのように、領主様が低く絞り出すように発した言葉は、私の考えていたことと同じものだった。
神話にある神の権能のひとつ、ケラウノス。
全てを破壊するその緑の雷によって、千年以上前にこの国は一度滅びたのだという。
そんなもの、ただのお伽噺だと思っていた。
まさか、実在するとは……。
「では、領主様……あの、お方は……」
騎士の一人が震える声で、遠い空で白い獣に跨るリリーを見て言った。
他の者も畏敬の念のこもった眼差しで空を見上げている。
神の権能である緑の雷を人が操る、それが意味することを今や誰しもが理解していたが、口に出す事ができなかった。
皆の心を代弁するように、領主様がゆっくりと口を開いた。
「……空を駆ける白き獣、すなわち神獣に跨り、神の権能を振るうことができる人間がいるとすれば、それは聖女だけだろう」
やはり。
「聖女様……!」
「あれが神獣……なんと雄々しい……!」
「聖女様が、誕生なされた…!」
騎士達が再び騒めき始めた。
聖女。
神の怒りによって国が滅ぶより以前、神と人の距離が今よりもっと近かった時代に神に最も近いとされていた人間、それが聖女だ。
神の眷属である神獣を使役し、神から人外の力を与えられ、その力を人々の為に捧げる平和と繁栄の象徴、聖女。
竜以上に伝説の存在が、我々の生きる今この時代に誕生したのだ。
騎士達の興奮が次第に大きくなっていく。
皆が熱の入った瞳で空を仰いでいると、不意にリリーがバランスを崩したように神獣の背から滑り落ちた。
その小さな体が森に向かって落ちていく。
「リリー!」
「ああっ!」
神獣が間一髪リリーの下に滑り込み、地面に打ち付けられることは回避できたようで胸を撫で下ろす。
せっかく誕生した聖女の命が失われるようなことはあってはならない。
聖女には、もう一つ特筆すべき特長がある。
その身に莫大な魔力を有しているのだ。
それがあれば、長年我が領地を悩ませてきた大きな問題が解決する。
「領主様……」
思わず声をかけると、領主様の顔に歓喜の色はなく、険しい顔で空を睨んでいた。
「これから大変な事になるぞ。……いや、今はただ、千年ぶりにこの地に聖女が誕生したことを喜ぶとしよう」
領主様は気を切り替えるように首を振り、未だ熱気の冷めやらぬ騎士達に指示を出し、聖女を背に乗せこちらに戻ってくる神獣を迎えるため、整列させた。
神獣が近くの地面に降り立つと、私達は誰からともなく地に膝をつき、頭を垂れた。
神獣から気を失っている聖女を受け取り、介抱するために城内に運ばせた後、領主様は声をあげた。
「最大の脅威である竜は聖女によって討ち倒された! しかし、まだ多くの魔物が街で暴れている! 我々の手で、残る魔物を討伐し、領地の民を守るのだ!」
「「「応っ!!!」」」
城下へ向かう騎士達の背中をユリウス様と見送る。
欲を言えば自分もその中に加わりたかったが、この非常事態に主の側を離れるなど、護衛騎士として失格である。
先程までは、死地に向かう覚悟を決めた顔つきをしていた騎士達に、今や暗い影は全くない。
聖女の出現によって士気は最高潮となり、必ず魔物達を討伐してくれるだろうと思えた。
騎士達の背を見送りながら、隣で何やら難しい顔で考え込む己が主の様子に私が気付くことはなかった。
アロイス視点になった途端にサクサク筆が進むこの現象にそろそろ名前を付けたい……。
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