47. はじめてのお客様
ハーリアルの森産魔蚕の糸という新しい素材と、ボビンレース技法によって創作意欲を大いに刺激されたらしいリラは、短期間で様々なデザインのレースを編み上げた。
商品にもバリエーションができてきた為、そろそろ販売の事を考えようとのことで、今日はハーリアルレースをどのように売り出していくのかを話し合う営業会議だ。
貴族相手の商売はヨナタンもまだまだ経験不足なので、デニスに教えを乞う形となる。
「貴族の流行は、上位から下位の貴族に広まっていくのが一般的だ。貴族は序列を何よりも重視するからな。自分より下の者の後を追うような真似はできないと思うものなんだ。なので、ハーリアルレースで流行を作るためには、最初の顧客はできる限り高位の貴族である事が望ましい」
良い物は良いでいいと思うんだけど、貴族はそうもいかないらしい。
貴族ってなんだかめんどくさそうだなぁ。
「最初の顧客が高位貴族ですか……」
最近貴族対応を学び始めたばかりのヨナタンが遠い目をしている。
私からしたら貴族は皆同じく自分より権力があって怒らせてはいけない存在という認識なのだが、初めての貴族対応の相手が高位貴族か下位貴族かというのは心持ちが違うものらしい。
「それなら僕に心当たりがある。親戚の貴族で結構高位だけど、ちょっと失敗したところで怒るような人じゃないから、最初のお客さんには丁度いいよ」
「ユーリ!? 君、高位貴族の親戚なんですか!?」
突如投げ込まれた爆弾発言に、ヨナタンは化け物を見るような目でユーリを見ている。
いや、かなりいいお家のご子息なんだろうなとは思っていたけど、高位貴族と血の繋がりがある程だとは。もしかして、思っていた以上にすごい家の子だったのでは……。
「ユーリの親戚ということは、商会長とも親戚という事ですか?」
「いや、私はその方とは親戚関係にはないよ。自分は生粋の平民だ」
デニスは「滅相もない!」とパタパタと手を振っている。
いつも落ち着いているデニスがこんなに焦った様子を見せるのも珍しい。
「まぁ確かに、レースを流行らせるのにあの方ほどの適任はいらっしゃらないだろうな。ユーリから頼めば、めったなことにはならないだろうし……」
なぜか先ほどのヨナタンと同じような遠い目をしながらデニスさんはそう言った。
なんか、見た目は全然似てないんだけど、デニスさんとヨナタンってたまにすごく似ている時があるんだよな。
「じゃあ面会依頼の手紙を書いておくよ」
「ユーリ。手紙じゃなくて、直接会って話してきたらどうだい? しばらく会っていないのだろう? 元気な顔を見せて差し上げるといい」
「……わかった」
ユーリは気が進まなさそうな顔をしていたが、馬車に乗ってどこかへ出かけていった。
ユーリは話をしてすぐ帰ってくるつもりだったが、久しぶりに会ったのだからとその高位貴族の人に引き止められたそうで、そちらで一泊して次の日に戻ってきた。
その時にはもうその貴族との面会日が決定しており、普通なら貴族のお屋敷に商品をもって商人が出向くものなのだが、その貴族がユーリが普段働いている場所を見てみたいと言い張り、カールハインツ商会で会うことになったのだという。
今まで下位貴族の使いが商会に出向くことはあっても貴族自身が訪れることなどなかったというのに、商会の応接室で高位貴族をもてなさなければならないという前代未聞の事態に、カールハインツ商会は上を下への大騒ぎとなった。
ユーリはけろりとした顔で「そんなわざわざ準備しなくても、いつも通りで大丈夫なのに」と言っていたが、デニスさんは「そんなわけにいくかっ!」と必死の形相で、応接室の内装を高位貴族をもてなせる格のものに整えていった。
貴族対応はデニスさんとヨナタンに任せて自分は裏方のつもりだったのに、先方がなぜか私にも会いたいと指名してくれたおかげで、ヨナタンと一緒に必死になってイーヴォさんの突貫貴族対応講座を受ける羽目になった。
約束の日まで本当に時間がなかったので全てを並行して行わなければならず、久々に地獄を見た。
ここまで差し迫った状況は、前世で決算期に大きな案件が重なっていた中で新人さんの重大なミスが発覚し、会社に泊まり込んで対応に追われた時以来である。
そうしてなんとかギリギリの体裁を整え、ユーリの親戚の高位貴族のお客様との約束の日。
貴族用の豪奢な馬車に乗って護衛や侍女、いつも彼女のドレスを手掛けているというデザイナー等をぞろぞろと引き連れてやってきたその人は、絵本に出てくるお姫様そのものといえるような、可憐で美しい人だった。
艶やかな銀髪は複雑に結い上げられ、一点の曇りもない白い肌にシンプルな淡い水色のドレスがよく映えている。
下町への訪問ということで華美なものは控えているのか、想像していたほどゴージャスな装いではなかったが、その程度では隠しきれない気品があり、頭のてっぺんからつま先まで磨き抜かれた高貴な姫という感じで、デニスさん達が緊張していた理由がようやくわかったような気がした。
そして、さすが親戚、めちゃくちゃユーリに似ている。
髪と瞳は同じ色合いだし、ユーリが女の子だったら成長したらこんな美人になるんだろうなってくらいには似ている。
正直、姉弟と言われても違和感はない。
「ブリュンヒルデ様、ようこそお越しくださいました」
「久しぶりね、デニス。急にお邪魔してごめんなさいね。どうしても、ユーリが働いているところを見たかったの。ユーリったらひどいのよ、久しぶりに顔を見せてくれたと思ったら、レースの話だけしてすぐ帰ろうとするんだもの。ユーリ達が立ち上げたっていうレースの事業にはとっても興味があるけれど、会えない間にユーリがどんな風に過ごしていたのか、たくさんお喋りしたかったのに! いくら聞いても教えてくれないから、こうして自分の目で確かめに押しかけてきちゃったわ」
そのほっぺたをぷくっと膨らませている顔、拗ねた時のユーリとそっくり! と目を丸くしていると、ふさふさまつ毛に囲われたアイスブルーの瞳とパチッと目が合ってしまった。
「貴女がリリーね! わたくし、貴女にずっとお礼を言いたかったの! 本当は他の家族達も会ってお礼をと言っていたのだけれど、今日一緒に来ることはかなわなかったからわたくしが代理で家族皆からのお礼を伝えさせてちょうだい。ユーリは色々あってずっと元気がなかったのだけれど、貴女に会ってからとっても明るくなって、毎日商会のお仕事もがんばっていると聞きました。ユーリの元気な姿をまたこうして見ることができて、貴女にはいくら感謝しても足りないわ。本当に、本当にありがとう……!」
ブリュンヒルデ様は私の両手をぎゅっと握りしめ、涙目で感謝を伝えてきた。
どうしよう、こんな時に貴族にどう対処すればいいかなんて、習ってないよ。
なんて返せば不敬にあたらないかわからずあわあわしていると、ユーリがブリュンヒルデ様をバリッと引きはがし、ソファに無理やり座らせた。
「ブリュンヒルデ様。今日はレースの購入の話をしに来たんでしょ。無駄話はそれくらいにしてさっさと商談を始めるよ」
ぶっきらぼうに先を促すユーリの様子は、なんだか友達と遊んでる時にお母さんが色々世話を焼いてくるのを恥ずかしがって追い出そうとする息子みたいだ。
貴族講座で習った常識では考えられないくらいの気安い態度で接しているが、ブリュンヒルデ様は怒ることもなく、むしろにこにこと嬉しそうにしている。
「ブリュンヒルデ様だなんて、ちょっと他人行儀ではない? わたくし達、親族なのだからもっと気安くブリュンヒルデおば様とか、そうだわ、おばちゃまって呼ぶのはどうかしら!」
おばちゃま。高貴なお姫様には全く似合わないワードが出てきた。
「おばちゃまより、お姉様とかの方が……」
いいんじゃないかな、とコソッとユーリに言おうとしたら、私の声が聞こえていたらしく「まあぁぁぁぁぁ!」というブリュンヒルデ様の嬉しそうな声に遮られた。
ユーリは「何言ってんだこいつ」とでもいうように引いた目でこちらを見ている。
「うふふふふふ、お姉様だなんて! 嬉しいことを言ってくれるのね! でもわたくし、これでも二人の子供がいるお母さんなのよ」
「「え!?」」
恥じらう乙女のように頬をバラ色に染めて告げられた内容に、ヨナタンと私の驚きの声が重なった。
私達以外には周知の事実だったらしく、驚いているのは二人だけのようだった。
ユーリは我関せずとそっぽを向いているし、デニスさんとイーヴォさんは苦笑している。
花も恥じらう十代のお嬢様と言われても違和感がないのに、まさかの二児の母。
み、見えない……。
貴族のアンチエイジングって、すごいんだなぁ。
「ちょっと! また話が脱線してる。レースの話をするの? しないの?」
「うふふ、ごめんなさい、嬉しくて少し調子に乗ってしまったわね。それでは、噂のレースを見せて下さる?」
ユーリがイライラと声を上げて、ようやく本題である商品の紹介が始まった。
説明するのは主にデニスだ。私達は付け焼き刃のマナーのボロが出ないように、話しかけられた時以外はなるべく口を閉じている方針である。
「こちらをご覧下さい」
デニスがそう言うと、白い手袋をはめたイーヴォさんが木製の大きめなバインダーのような物を机の上に丁寧に置いた。
バインダーをゆっくりと開くと、表面に黒いベルベット地が貼られ、リラが編んだ様々なデザインのレースが固定されている。
レースの見せ方を皆で試行錯誤した結果この案が採用されたのだが、白地に虹色の光沢のあるハーリアルレースの美しさが引き立てられており、高級感があっていい感じだ。
「まぁ!」
「これは…!」
ブリュンヒルデ様と彼女のドレスのデザイナーだと言う女性がレースを見て驚きの声を上げた。
うん、初見の反応は良好そうである。
「こちらが、新しく立ち上げたタイガーリリー商会で売り出す予定のハーリアルレースです。最高級の魔蚕の糸を使用しており、従来のレースとは一線を画す、とても繊細なデザインとなります。どうぞ、近くでご確認下さい」
「ここまで繊細なレースは見た事がないわ。ねぇ、マダムデボラ?」
「はい、あたくしもこれまで様々なレースを扱ってきたと自負しておりますが、これほどまでに美しいものは目にした事がございません。それにこの見事な艶、これは魔蚕特有のものですの?」
「ええ、ハーリアルの森で採れた最高級の魔蚕の糸のみ、このような色合いを有しており、この艶はそのままに、お好きな色に染める事も可能です」
「素晴らしいですわ! デザインはここにあるものが全てなのでしょうか?」
「今のところは。しかし、このレースの技法自体が生まれたばかりで、職人が日々精力的に新しいデザインを増やしております。お好きな意匠があれば、職人と相談して作成する事も可能です」
「まぁ、素敵ね。マダムデボラ、次の夜会用のドレスはこちらのレース職人と相談して、レースを活かしたデザインのものにしたいわ。宜しいかしら?」
「ぜひ、ぜひやらせて下さいませ! 腕が鳴りますわ! その職人と本日話すことはできますの?」
「今は念の為別室に待機させておりますが、その職人と言うのが、実はここにいるリリーと同じ年の少女なのです。来客対応にはまだ不慣れでして、皆様に失礼があってはいけませんので、宜しければ我々の方でご希望を伺い、職人に伝える形とさせていただければと思います」
「そんな……間に人を介したのでは意図を十分に伝える事はできませんわ。職人と直接意見交換をする事で生まれるものもありましょう。ブリュンヒルデ様……」
「わかっていてよ、マダム。デニス、わたくしも若くして才能あふれるその職人に会ってみたいわ。何があっても決して不敬に問う事はしないと誓いましょう。貴方達も、いいわね?」
「「「はっ」」」
第三者を介してデザインの相談をすると聞いたマダムが縋るようにブリュンヒルデ様を見ると、彼女はリラに直接会うことを要求してきた。
物腰は柔らかいのに有無を言わせぬ圧があり、他者に命令することに慣れた高位貴族とはこういうものなのだなと思った。
不敬には問うなというブリュンヒルデ様の命令に、揃った返事をしたお付きの方々だったが、騎士様はまだしも侍女の人までまるで軍隊のような返事をしたのには驚いた。
意外と体育会系の職場なんだろうか。
デニスさんは渋っていたが、逆らうことなどできるわけもなく、結局リラがこの場に招かれることとなった。
イーヴォさんに連れられ応接室に入ってきたリラは、かわいそうなほどガチガチに緊張している様子だったが、高位貴族ご用達の一流デザイナーであるマダムデボラがリラのレースを活かしたデザインのドレスを一から描き起こすという話に飛び上がって喜び、どういったドレスにするかという具体的な話になると、いきいきといつものマシンガントークが炸裂していた。
デニスやイーヴォは止めたくても止められないといった様子ではらはらと見守っていたが、マダムデボラもリラに負けず劣らずのマシンガントークで、リラを見下すことなく対等な職人として扱い意見を交換していた。
ブリュンヒルデも気分を害した様子はなく、にこにこと白熱するドレストークに耳を傾け、時には自分の好みを伝え、二人の職人との会話を楽しんでいるようだった。
異世界でも、オタク仲間に社会的地位や年齢は関係ないのだと知った。
二人のドレスオタクによって、たっぷりとハーリアルレースを使った今までにない斬新なデザインのドレスの大枠が出来上がり、今後はマダムの工房と密に連絡を取りながらドレスを作成していくことになった。
マダムはリラとがっちり固い握手を交わし、「これから忙しくなるわ!」とやる気に満ち満ちた表情だ。
ブリュンヒルデ様も「ハーリアルレースを使ったドレスの出来上がりを楽しみにしているわ」と言って満足そうに帰っていった。
お客様をにこやかに見送り、応接室に戻ってきた一同は「はぁ~~~」と大きなため息をついてようやく肩の力を抜いた。
リラだけは夢見心地といった感じでうっとりとしている。
「マダムデボラ、素敵だったなぁ! センスがよくて、知識が豊富で、最新の流行にも詳しくて、お話するの、すっごく楽しかった……。あんなすごい人があたしの作ったレースを活かしたドレスをデザインしてくれるだなんて! あぁっ、嬉しくてどうにかなってしまいそう!」
「マダムデボラは自分の仕事に一切の妥協を許さず、気に入らない客には金を積まれても絶対に売らないという。かなり気難しいことで有名なはずなんだが、リラはずいぶん気に入られたようだね。あのデザインなら、きっと社交界で話題になる事だろう。ここからが正念場だ。皆、気を引き締めて各自の仕事にあたってくれ」
「「「はい」」」
皆で元気よく返事をして、我がタイガーリリー商会の初めての商談は、とりあえず大成功と言う事で幕を閉じたのだった。
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