46. タイガーリリー商会
そこからは新商会設立や領地を巻き込んだ一大プロジェクトの準備に大忙しとなった。
商会設立にあたっては、私、デニスさん、ユーリが個人資産から出資し、デニスさんが保証人になることで驚くほどスムーズに立ち上げることができた。
私やデニスさんはともかく、ユーリも結構な額を出資してくれたので、そこまでの個人資産があるなんて、やっぱりユーリはかなり裕福な家の子なんだなと驚いた。
手続きもほとんどデニスさんとヨナタンがやってくれたので私がしたことと言えば、何枚かの書類にサインをしたくらいだ。
あっという間に私の商会ができてしまい、まだ全然実感が湧いていない。
私が、社長かぁ……。
この世界でFIREするために、何か事業をしようと決めてはいたものの、まさか自分の会社を立ち上げることになるとは。
これはFIREに向けてかなり大きな一歩になったのではないだろうか。
新商会の名前は、タイガーリリー商会。
商会の名前は大体設立者の名前がつくそうで、リリー商会になりそうだったところを恥ずかしいので断固拒否し、この名前になった。
由来は、カインと私の好きな花オニユリの別名からと、もう一つはミルのトラ模様と私の名前の合体である。まぁ、本当はミルはトラ模様の猫じゃなくて、本物のホワイトタイガーなんですけどね。
「オニユリの花言葉は色々あるが、気高さ、富というのがある。気高く誇りを持って商売を行い、富を積み上げていく。新商会にぴったりの名前じゃないか。良い名前をつけたな」
というのは、デニスさんの談。
花言葉なんて知らなかったけど、私はまんま自分の名前の商会になるのを回避できたし、みんなも納得する名前になって大満足だ。
ちなみに、これは誰にも言えないけど、タイガーリリーという言葉には、個人的にちょっとだけ苦い思い出があったりする。
前世の、ちょうど今の私の年齢くらいの時のことだ。
小学校の工作の授業でお面を作るというのがあったのだが、私は大好きなアニメ映画に出てくるタイガーリリーという名前のインディアンの女の子をモチーフにした。
私は不器用だし工作は得意ではなかったけれど、お気に入りのキャラクターだったので細部にこだわって一生懸命作ったのだ。
いざ完成品が展示された時、私の他にもインディアンの女の子モチーフで作っている子がいた。
えまちゃんという子だった。
ど田舎の学校で一学年十人ちょっとしかいない中でまさかのインディアン被りをして、アイデアをパクられた! と思った私はえまちゃんに「あの、これ、真似っこだよね……?」と声を掛けた。
認めてくれたらそれだけでよかったのに、えまちゃんは真似なんてしてないと言い張って、逆に私がその子の真似をしたことになってしまったのだ。
彼女の家はその辺りの地域で一番のお金持ちで、えまちゃんはクラスの中でもカースト最上位、女王様のような存在だった。
地味で無口な私の言い分を信じてくれる人は誰もいなかった。
その事が悔しくて悲しくて、すごく楽しい気持ちで作ったお面が一気に色あせて見えて、展示が終わって持ち帰ったそのお面を私はゴミ箱に突っ込んだ。
大好きだったはずのタイガーリリーが出てくる映画も見れなくなってしまった。
私には、大事だったはずのものでも何かケチがつくと、放り出して気持ちに蓋をするという悪癖がある。
タイガーリリー商会という名前には、あの時の自分の気持ちを昇華させると共に、この商会は何があってもあのお面のように簡単には放り出さないようにという決意の意味も私の中でひっそりと込められている。
商会のロゴは、オニユリの花にレースのリボンがあしらわれたすごく可愛いデザインだ。
茶色のしっぽ亭のロゴを作ってくれた時と同様に、今回もユーリがサラサラと書き上げてくれて、本当に彼のセンスには脱帽である。
領主様とのやりとりは主にデニスさんが行い、糸の材料である魔蚕の繭を手に入れるために、なんと騎士とパウル君の出身の村の狩人さんの合同チームが結成されることになった。
街道や近隣の村に魔物が出てこないように、定期的にハーリアルの森に入って魔物の数を減らしている騎士たちに村の狩人が同行し、狩人の安全を守りながら魔物討伐のついでに魔蚕の繭を探すのだ。
すでに試験的に一度合同チームが森に行って、魔蚕の繭をいくつか見つけて採ってきてくれた。
ハーリアルの森産の魔蚕の繭の見本として一つ持ってきてもらい、カールハインツ商会内に間借りしているタイガーリリー商会の部屋に関係者が集まって確認しているのが今である。
……魔蚕の繭、でかっ!?
蚕というくらいだから親指サイズくらいかなと思っていたのに、実際の魔蚕の繭は大型犬くらいの大きさだった。大人でも一抱えはある。
この大きさの繭から出てくるということは、魔蚕のサイズも推して知るべしである。
思わずポケモ◯サイズのリアルな蛾を想像してしまいぞわっと鳥肌が立った。
虫系は昔から苦手なのだ。
小さいやつでも駄目なのに、こんな大きさのやつなんて無理に決まっている。
魔蚕の繭採集に興味があったのだが、決めた、私は絶対に行かない。
涙目でぷるぷるしている私に気づいたユーリがよしよしと頭を撫でてくれた。
うぅ、ありがと、ユーリ。
「うわぁ! すごく綺麗ね! これでレースを編んだらすっごく素敵!」
諸々の打合せのために商会に来ていたリラは虫は平気なのか、歓喜の声をあげている。
しっかりご飯を食べて眠るように言い含めたおかげで、元気いっぱいの様子だ。
リラは彼女の家の靴下工房から、新しく作ったタイガーリリー商会専属のレース工房の方に既に籍を移していて、準備が整い次第レース職人希望者達に魔蚕レースの作り方を教える事になっている。
ハーリアルの森産の魔蚕の繭は、光が当たる角度によって虹色にキラキラと光って、確かにとても綺麗である。
繭一つでかなりの量の糸になるので、材料の問題はひとまず大丈夫そうでよかった。
「村のおっちゃん達は騎士様と一緒に森に行けたのが嬉しかったみたいで、毎晩酒を飲んではずーっとおんなじ話してるっすよ。あの強い魔物を一撃で切り捨ててあーだこーだ、もう耳にタコっす! あと、繭のありそうな場所とか、平民が魔物を罠にはめるやり方とか、自分たちからも騎士様に教えることがあったことも嬉しかったみたいっすよ」
パウル君が話す狩人さん達の様子は、初めてうちの店にアードルフが来た時のおじさん達の反応を思い起こせば、容易に想像することができた。
きっとカブトムシを見つけた少年のように目をキラキラさせているのだろう。
「騎士団の方からも良い刺激になったと報告が上がっている。狩人達の魔物の特性から場所を想定して探したり、罠に嵌めたりといった話から、騎士達も初耳の情報が多くあったようで、もっと効率的な魔物討伐ができるのではないかと、議論が進んでいるそうだ。狩人達とのさらなる意見交換を求める声もあるらしい」
「わぁ、それを聞いたら多分おっちゃん達舞い上がっちゃうっすよ」
デニスさんによると、騎士側の反応も好感触だったようだ。
騎士と狩人の異文化交流は大成功で、お互いに協力し合って魔物素材を収集する合同チームが本格稼働することになったのだった。
良い関係を築いていけそうで何よりである。
「レースの名前はどうしましょうか? とりあえずの呼び名である魔蚕レースではあまりに無骨ですから、高級品にふさわしい優雅な商品名が必要だと思います」
「そういうのって、大体作られた地域の名前なんじゃないの? 領地の名前からとってヴァルツレーベンレースとか?」
「普通ならそれでいいのだが、今回の場合、領地の名前を付けるのはあまり良くはないだろうな」
「どうしてですか?」
「王都近郊の貴族にとって、辺境は田舎臭い野蛮人の集まりだと見下す対象なんだ。レースの主戦場は社交界、社交界の中心と言えば王都だ。つまり我々が売り出すレースを王都の社交界で流行させることが大きな目標となる。それなのに最初からダサいと見下す対象である名前を冠していたら流行るものも流行らない」
とりあえず、私たちの住むこの領地の名前がヴァルツレーベン辺境伯領だということを初めて知った。なんだかかっこよくて強そうな名前だ。
よく知りもしないで見下されるなんて悔しいけど、ここで意地を張って領地の名前で売り出すより、王都の貴族にも親しみやすい名前にして辺境伯領にたくさんお金を落としてもらった方がいいだろうな。
これぞ、商人の戦い方だと思う。
「リラが一番最初に作ったんだから、リラレースは?」
「ちょっと、あんただってリリー商会はやだって言ってたじゃない。自分の名前のレースなんてあたしだって嫌よ、恥ずかしい。それにリラレースなんて、言いにくいわよ」
「じゃあ、ハーリアルの森で採ってきた材料を使ってるんで、ハーリアルレースっていうのはどうっすかね?」
「いいじゃないですか。響きも繊細な魔蚕のレースにピッタリです」
「響きはいいけど、由来が魔物のうじゃうじゃいる魔の森なんだけど、そこはいいわけ?」
「王都の貴族連中は自分達が見下している辺境にある森の名前なんて知らないだろうから問題ないだろう。響き重視でハーリアルレースでいこうか」
魔蚕レースの正式名称がハーリアルレースに決定した。
全身真っ白の、絶世の美貌を持つ森の主様の顔が浮かんだが、あの人なら商品に自分の名前が付けられても別に気にしなさそうだなと思った。
念の為、今度遊びに行った時に名前を使っていいか聞いておこうっと。
そういえば、と気になってリラにどんな風にレースを編んでいるのか聞いてみたら、詳しいことはわからないが、前世でいうニードルポイントレースのような技法で編んでいるようだった。
なぜ私がそんなことを知っているのかというと、これも前世の子供時代、私に苦い思い出を植え付けてくれたえまちゃんが関係している。
地元の名士の家のお嫁さんであるえまちゃんのお母さんのご趣味はレース編みで、アンティークレースの収集家でもあったそうなのだ。
それをえまちゃんが自慢げに話してきたので「へーすごいねー」と聞き流していたのだが、アンティークレースというワードが私の琴線に触れ、どんなものなのか調べてみたことがあるのだ。
アンティークレースとは、昔のヨーロッパで人の手によって編まれた手作りのレースで、機械では再現不可能なほど精巧な芸術品なのだが、使われていた素材も技法も今では途絶えてしまって大変貴重なものなのだそうだ。
アンティークレースは大きく分けるとニードルポイントレースとボビンレースの二つの技法に分かれる。
リラにこんなレースの編み方もあるらしいんだけど使えるかな、ともう一つの技法であるボビンレースの概要をおぼろげな記憶から引っ張り出して伝えると、「なにそれ!? もっと詳しく教えなさいよ!」と物凄い食いつきだった。
「私もそういうのがあるらしい、ってことしか知らないんだけど、紙に描いたデザインに沿って、小さなピンを台に刺していって、たくさんの糸巻を交差させて作るみたい」
「なるほど、一本の糸じゃなく、たくさんの糸を交差させることで編んでいくのね……。それだとまた全然違ったレースができそう! やってみたいわ!」
「じゃあ、そっちの道具も発注しようか。私の記憶もあいまいだから、うまくいかなくても気にしなくていいからね」
「ええ! がんばるわ!」
うきうきとわかってるのかよくわからない返事をしたリラは、持ち前のおしゃれに対する執念と根気強さを発揮して、リラ式ボビンレース技法を生み出すのだが、すぐ寝食を忘れて作業に没頭してしまうリラに健康的な生活を送らせるために奔走することになる私なのだった。
前世、えまちゃんにはいい思い出がなかったけど、おかげでハーリアルレースのデザインの幅が広がったので、初めてえまちゃんに感謝をしたかもしれない。
きっともう、彼女の事を思い出しても、私の胸は痛まない。




