44. 魔蚕のレース
完成したレースを持ってリラが私を訪ねてきたのは、一緒に糸問屋へ行ってからひと月程経ってからだった。
店のちょうど休憩時間中に、この間会った時よりもさらに濃い隈を目の下に張り付けて、へろへろのよれよれで現れたリラは明らかに寝不足で、一体どれだけ根を詰めたのかと、慌てて店に招き入れ椅子に座らせた。
「これ……」
挨拶もすっ飛ばして、リラが震える手で差し出してきたレースは、あの日嬉しそうに見せてくれた手作り感あふれる味のあるレースとは全く別物だった。
向こうが透けるほど薄くて繊細ながらも、モチーフとなっている薔薇の花は立体的に編まれ存在感があり、その周囲に小さな花弁や葉が散らされていて、可憐且つ非常に華やかな仕上がりになっている。
これほどのものを、人の手で作ることが可能なの……?
リラなら完成させると信じてはいたが、想像以上にハイクオリティなものが出来上がり呆然としてしまい、口を開かない私に不安になったのか、リラは迷子の子犬のような顔をしている。
「これ……どうかな……?」
こんなに凄いものを生み出しておいて、一体何をそんなに不安がることがあるのか。
私はリラの両手をガシッと掴んだ。
「すごい、すごいよ。本当に本当にすごい。こんな素敵なレース、見たことないよ。こんなすごいの作れちゃうなんて、すごすぎるよ」
「……う、売れると思う?」
「売れるよ。絶対売れる」
「……貴族のドレスにも……付けてもらえるかな」
「こんなに素敵なレースのついたドレスを着てパーティーに出たら、きっと人気者になっちゃうね」
「っ……うっ、うぅぅ……ぐすっ」
リラは顔を覆って泣き出してしまった。
頑張り屋さんのリラはきっと物凄く努力したのだろう、よしよしと頭を撫でて労う。
「いっぱいいっぱいがんばったんだね。もう、ちゃんと寝てねって言ったのに。どれだけ徹夜したの」
「だって……だって、初めてだったんだものっ。あたしの夢を笑わずに応援するって、出資するって、言ってもらえたの。こんなチャンス、きっとあたしの人生でもう二度とないわ。絶対にすごいものを作りたかったの……」
「すごいよ。本当にすごい。レースのことはよくわからないけど、リラの作ったこのレースがとても素敵ってことだけはわかるよ。こんなの作れちゃうリラは天才で、頑張り屋さんで、私のお友達が最高にすごい」
「ふ、ふふっ、リリーったら」
私の乏しい語彙力で精一杯褒めたたえていると、リラは顔をあげて、ようやく笑顔を見せてくれた。
「あたしもがんばったけど、魔蚕の糸がすごいのよ。細くて、しなやかで、つやがあって……。この糸を使って作ってみたいデザインのアイデアが止まらないの。ねぇ、リリー、もう少し魔蚕の糸がほしいんだけど、もしこのレースが売れたら、そのお金で新しい糸を買ってもいい……?」
「売れたらじゃなくて、レースを作るために必要なものはどんどん買って。必要経費だよ。でも、まずはゆっくり休まなきゃ。新しいレースを作るのは、それからね。もしかして、ご飯もあんまり食べてないんじゃない? お腹空いてる?」
そう聞いた途端、くぅ、とリラのお腹が小さく鳴った。
寝食を忘れてレース作りに打ち込んでいたらしいリラの胃はかなり弱っていそうなので、レオンからもらった桃のドライフルーツを水でもどして作ったコンポートを食べさせた。
安心したのか、うとうとし始めたリラをうちのベッドに無理やり寝かせ、リラが昼寝をしている間にレースを高く買ってもらえるように商会に交渉してくると約束した。
リラが起きたらちゃんとご飯を食べて睡眠をとる事を約束させなくちゃ。
寝食を忘れて何かに打ち込んだ経験は私にもあるが、止める者もおらず自分の思うがままに突っ走った結果どうなったかといえば、過労死である。
絶対に、リラを私のようにするわけにはいかない。
リラの編んだレースを汚れないようにハンカチで丁寧に包みいつもの鞄にそっとしまって、店にいたパウルに声をかける。
「今から商会に行ってくるね」
「え!? 一人でっすか!? そんなことしたら、カイン君に怒られちゃうっすよ~! 待って待って、送っていきます!」
一言声だけかけて行こうと思ったら、カインの過保護ぶりを知っているパウルが慌てて追いかけてきた。
私にはリボンという名の防犯グッズとミルもいるので大丈夫なのだが、そう説明するわけにもいかないのでありがたく送ってもらうことにした。
パウル君、なんかうちの兄がいつもすみません……。
「はぁ~~~~~~~」
アポなしで突然来て大丈夫かなと思ったが、そこは勝手知ったるカールハインツ商会、すんなり中に通してもらえた。
仕事中だったヨナタンとユーリがいたので、新事業のことで相談があると伝えると、すぐに話を聞くと会議室に移動したのが数分前。
これまでの経緯を説明して、実物のレースを見せた途端ヨナタンが固まり、ようやく動いたと思ったら肺の中の空気が全部なくなるんじゃないかというくらい大きなため息をついたのが今である。
「すごいね、これ。これをあのリラが作ったの? 最初に見たレースとはまるで別物じゃん。糸問屋に行ってからまだ一か月くらいでしょ。どんな急成長を遂げたらこんな風になるの。それとも、魔蚕の糸がすごいってことなの?」
机に突っ伏しているヨナタンをまるっと無視してユーリはレースの完成品をまじまじと見て驚いている。
「すごいよね。糸もすごいと思うけど、一番はリラの努力だよ。あれからほとんど寝ずに作業してたみたいで、今はうちのベッドに寝かせてるところなの。高く買ってもらえるように交渉してくるねって約束して家を出てきたんだけど、どうかな、高く売れると思う?」
「売れますよ! 売れるに決まっているでしょう!? これが売れないとしたらそいつは商売の才能がなさすぎます。すぐに商人を辞めた方がいい」
ヨナタンが勢いよく顔を上げて噛みつくようにまくし立てた。
「というか、多分売れすぎます。ここまでの品質のレースは当然貴族が顧客になるでしょうから、大変なことになる前に商会長に先に相談しておいた方がいいと思います」
ヨナタンの助言でまずはデニスに相談しようということになり、イーヴォに予定を確認したところ、これからすぐに会ってくれるとの事で皆で商会長室に移動した。
なぜか、パウルも一緒に。
帰りも一緒に帰るために待っていてくれると言うので、外で待たせるのは申し訳ないので一緒に入ってきたのだが、パウルに少し聞きたい事があるので同席してほしいとヨナタンが言ったのだ。
パウルは「俺なんかが力になれることなんてなんもないと思うんすけど……」と困惑しながらも了承してくれた。
「はぁ~~~~~~~~~~」
商会長室に通され、先程二人にしたのと同じ説明をして、レースをデニスに見せたところ、返ってきたのはヨナタンと同じような反応だった。
デスクに両肘をついて組んだ指を額に押し付け俯いているので、どんな表情をしているのか窺い知れないが、ヨナタンはデニスの反応を見てそうでしょうそうでしょうとうんうん頷いている。
しばらく俯いていたデニスだったが、気を取り直したようにグッと顔を上げた。
「はぁ、早めに相談してもらえて良かったよ。これまた、すごいものが出てきたね」
「これは、商品になりますか」
「なるよ。間違いなく。うちの商会は服飾の取り扱いが多くはないから目利きにそこまでの自信はないが、取引などで貴族の顧客と会う機会は割とある。今までに会ったことのあるどんな高位の貴族でも、これほど繊細なレースを身につけているのを見たことがない。これが売りに出されれば、おそらく貴族の間で争奪戦になるだろう」
デニスがここまで言うのだ。これはいける。
やったよ、リラ! 貴族のドレスにつけてもらえるよ!
「このレースは魔蚕の糸でできているとのことだが、魔蚕はこの辺境にしか生息していない魔物だ。うまくすれば領地の特産品として他領に輸出することができるかもしれない。これといった名産のないこの辺境伯領の救世主となるかもしれないぞ」
む? 私はリラががんばって作ったレースが高く売れるといいなと思っていただけなのだが、何故か話が町おこしにまで発展している。
これはもしかすると、思ったよりも大きい事業になるかもしれない。
「問題は材料だな。そんなに多くは出回ってないんだろう? 数が少ないなら却って希少価値が高まるが、少なすぎるのではそもそも商売として成立しない」
「それに関してなのですが、パウルさん、魔蚕の糸の材料って農民や狩猟民などの平民でも採れるものなんですか?」
「あぁ、それで俺が呼ばれたんすね! 採れるっすよ。魔蚕自体を倒す必要はなくて、羽化して空になった繭を採ってくるだけなんで簡単っす。魔蚕は大体似たようなところに繭を作るんで、狩猟ついでに森であたりをつけてそれらしいところを探したりしてたっすよ。結構いい値で売れるんで、中々良い小遣い稼ぎだったっす!」
なるほど、魔蚕の話を聞くためにパウルを呼んだのか。
「なぜ自分がここに?」と困惑していたパウルだが、自分が呼ばれた理由にようやく合点がいき、元気よく答えてくれた。
「魔蚕の養蚕はできないのだろうか?」
「いやー、無理じゃないっすかねぇ。魔蚕はそんなに狂暴じゃないとはいえ腐っても魔物っすから、人間の手には負えないと思いますよ。あと、鱗粉が体に付くと、死ぬほどかゆいらしいっす!」
「ふむ、それは怖いな。他に何か魔蚕の特徴はあるかい?」
「うーん、そうっすねぇ……。あ! これは魔蚕に限った話じゃないんすけど、ハーリアルの森に棲む魔物の素材は別格らしいっすよ。同じ魔蚕の繭でも、ハーリアルの森で採れたものは品質が全然違うって聞いたことあるっす」
ああ、それは魔力濃度が関係しているのかも。
ハーリアルの森は他の場所よりも魔力濃度が高くて、魔物にとっては過ごしやすいのだとハーリアル様が言っていた。
強い魔物が多いというのもそれが理由なのだろう。
「そうか……。養殖するにしろ、森に採りに行くにしろ領地レベルでの事業になるだろうから、領主様に相談してみよう」
「え!? デニスさんて、領主様と話ができるんすか!? すごいっすね!?」
「はは、ありがとう。これでも領主城に出入りを許されてる老舗の商会長なんだ」
「うわー! すげえ! 領主様に会ったら、村の避難民を受け入れて、仮設住宅まで作ってくれたことのお礼を伝えてほしいっす!」
「ああ、必ず伝えるよ」
パウルははしゃいで「お願いするっすー!」とデニスの手を握ってぶんぶん振っている。
さすがパウル君、コミュ力おばけだ。
というか、領主様まで巻き込んだ事業とか、スケールがどんどん大きくなっている気が……。
「後は職人の問題もありますね。今のところ、魔蚕のレースを作れるのはそのリラという子だけなんでしょう? その子に指導してもらえば他の者でも作れるようになるでしょうか? 見たところ相当な技術が必要そうに見えますが……」
「説明書も何もないところからこれを作り上げたのがすごいのであって、リラにしか作れない、ということはないと思います。もちろん手先の器用さとか、そもそもの土台は必要だし、リラが教えたとしてどのくらいでものになるかは想像もつきませんけど」
「あ、そういうことなら、ぜひ避難民の女達を雇ってほしいっす!」
職人問題について話していたヨナタンと私の言葉を聞いて、パウル君が「はい!」と手を挙げた。
「避難民の女性、ですか?」
「はいっす。村の女たちは冬の手仕事として家族の服を縫ったり、敷物を織ったりしてるんす。かなり細かい模様も織ったりしてるんで、レース編みとかの細かい作業にも向いてると思うっすよ」
「ああ、辺境の村の伝統の織物か。確かに複雑な紋様が多かったと記憶している」
「ハンバーガー事業のおかげで、避難民にも働き口ができてかなり助かってはいるんすけど、まだまだ仕事を探してる人はいて、特に女の人の求人って少ないらしくて困ってる奥さん達がいるんすよ。領地からの援助がいつまであるかわからないし、奥さん達なら、自分たちの生活の為に必死でレースも編めるように練習すると思うんで、できれば雇ってくれたら嬉しいっす」
ハンバーガー事業の時にも思ったけれど、パウルは自分の家族だけじゃなく村の仲間、ひいては他の村からの避難民仲間のことまで思いやっていて、本当に良い子である。
できるなら、力になってあげたいな。
「うん、職人の方もなんとかなりそうだな。新事業として、具体的につめていこう。そこでひとつ提案なんだが、リリー、新しく商会を立ち上げてみないか?」
「え?」
「魔蚕レースの事業はかなり大きな利益を生むことが予想される。うちの商会は元々あった事業に加え、最近ではハンバーガー事業もあり、あと今進めている新事業の方でもかなり利益があがる計算だ。利益がうちの商会に集中し過ぎてしまうのはあまり良くないのでね。もちろん、うちの商会から従業員として人は出すし、場所もうちの部屋を貸し出すし、私自身も事業に尽力するつもりだ。うちの商会から魔蚕レース部門だけ切り離すという風に考えてくれればいい」
「ここの商会の人が従業員で、ここの商会の部屋使って、ってそれ新しく商会作る意味あるんすか?」
「色々ややこしくてね。形式上別の名前にするだけでも、風当たりはだいぶ違うのだよ。それに、税金対策にもなる」
税金対策。それは大事である。
「でも、私が商会長なんですか? 私、商会長のお仕事なんてわからないし、デニスさんの方がいいんじゃ……」
「わかっている。しかし、この事業は君が持ってきた話だ。君が長として進めていくべきだろう。君にその資質があるというのはこれまで事業を通して関わってきた中で確信している。ただ君が主にするのは商会としての最終決定と新しい事業や商品の提案で、実質的に業務を担うのはヨナタンだ」
「僕!?」
ヨナタン本人もめちゃくちゃ驚いているけど、大丈夫なのだろうか……?
「お前は優秀だが、うちの商会では上が詰まっていて中々出世の機会がないからね。リリーの商会なら間をすっ飛ばして速攻でナンバーツーだ。そちらの方がお前の裁量でできることは多いし、ハンバーガー事業の利益で資金は問題ない。魔蚕レースで莫大な利益が出ることは既定路線だし、リリーの発想力なら今後も新たな商売が生み出される可能性は大いにある。うちの商会からのサポートもあるし、正直かなりの大船だと思うぞ。金貨を山と動かす大商人になるのだろう?」
デニスはにやりと挑発するように笑い、鋭い瞳がヨナタンを射抜く。
ヨナタンはごくりと息をのみ、意を決したように口を開いた。
「やります。やらせてください」
こうして、あれよあれよという間に私が商会長、ヨナタンが副商会長で、ついでに「僕も!」と何度聞いたかわからないユーリの宣言に対してデニスさんが「そう言うと思った」とすんなり承諾して、三人で新しい商会を立ち上げる事が決定したのだった。
リリー、起業します。
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