42. ナンパ
ハンバーガー事業が軌道に乗り、正直私がやることはほとんどなくなってしまった。
毎日商会に通う必要がなくなり、最近では週1、2回ほど、帳簿の確認や新メニューの相談のために顔を出す位になっていた。
管理や帳簿付け等で忙しそうにしているヨナタンやユーリに私も手伝うと申し出たのだが、私は元々商会の従業員ではないので不要だと言われてしまった。
「あなたの一番の強みは珍しい事業や商品を生み出す発想力でしょう。このような誰でもできる事務仕事に限りある時間を割いてないで、そちらに時間を使うのをお勧めします。ハンバーガー事業で得た利益を新規事業に回すのでしょう? きっとまた面白いことになると期待していますので、その際はぜひ僕にも一枚噛ませてくださいね」
というのはヨナタンの談だ。ニヤリと笑う彼の目が金貨になっているように見えた。
そうは言っても、ハンバーガーの時のようにパッといいアイデアが思いつくこともなく、シスターエミリーのいない教会からも足が遠のいてしまい、時間を持て余した私は、茶色のしっぽ亭で給仕に勤しむ今日この頃なのだった。
今日も店で黙々と料理を運んでいると、不意に店内にざわりとした浮足立った空気が流れた。
不思議に思い入口の方を見ると、見覚えのある背の高い青年とカインと同じくらいの背丈の男の子が入ってきたところだった。
「アードルフ様、お久しぶりです」
青年は、以前店の評判に大変貢献してくれた騎士のアードルフだった。
今日は騎士の制服ではなく、無地のシャツとズボンというシンプルな恰好をしている。
それでも、オーラというか平民にはない気品が全く隠しきれていないけれど……。
「ああ、久しいな。今日は親戚の子供に、美味いと評判のこの店に連れて行ってほしいとせがまれてな。こちらが私の遠い親戚にあたるレオンだ。レオン、こちらが縁あって知り合ったこの店の娘のリリーだ」
「レオンです。よろしくね」
アードルフ様の親戚らしいレオンという子は、鮮やかな夕焼け色の髪を緩く三つ編みにして片側の肩にたらし、涙ぼくろが子供ながらになんだか色気のある不思議な雰囲気の男の子だった。
服はアードルフと同じくシンプルだけど、この華やかなオーラからして、たぶんこの子も貴族なのだろう。
挨拶と共に握手を求められたので手を差し出すと、レオンはつかんだその手を口元に持っていき、チュッと音を立ててキスをした。
「君、とっても可愛いね。ご飯を食べに来たらこんなに可愛い子に出会えるなんて、俺はなんて幸運なんだろう。この出会いを神様に感謝しなきゃ」
「え」
あまりに自然に流れるようにキスされたので、一瞬何が起きたのかわからなかった。
あと、私にはあまりにも縁遠い内容の台詞を言われたので、何と言われたのか意味も一瞬わからなかった。
なんて返せばいいのかわからず呆然とレオンを見ると、邪気のない笑顔でニコニコしている。
家族、特に兄はよく私の事を可愛いと褒めてくれるけど、それは身内の欲目だとちゃんと理解している。
世間一般の私の第一印象は「無表情で不気味」が多くを占める。
自分が一目惚れの対象になるような見た目をしていないのは、自分を卑下するでもなんでもなくただの事実なので、反応を見てからかう以外の何の理由があってこの人はこんなことを言うんだろう、と思わずまじまじと見てしまった。
「こら、レオン。リリーが困っているだろう。今日は食事をしに来たのだから、早く席につこう」
「あ、では、こちらの空いている席にどうぞ」
空いている席に案内しようとすると、レオンは手を放し「ざんねーん。また後でお話しようね」と言ってパチリとウインクしてテーブルに着いた。
な、なんかすごくチャラいな、この子。
レオンの後に続いて席につこうとするアードルフを小声で引き留めると、彼は心得たようにかがんで耳をこちらに向けてくれた。
「あの、シスターのことなんですけど……」
「その件は我ら騎士団が動いている。詳しいことは言えないが、彼女が無事であることだけは確実だ。必ず、元気な姿でまた彼女に会わせると約束する」
この人が自信を持ってここまで言うのだから、きっとシスターは大丈夫なんだろう。
シスター、無事だった。
本当に良かった……。
「君に危害が及ぶ可能性があるので彼女のことは決して口外しないように。君はただ安心して待っているといい」
「わかりました。シスターを、どうかよろしくおねがいします」
「心得た」
そう言ってにこりと笑うと、アードルフ様は席の方へと移動していった。
大事な時に役に立たないストーカー野郎とか思ってごめんなさい。
アードルフ様は、やっぱり頼れる騎士だった!
シスター、早く会いたいな……。
ハンバーグを注文して完食した後、テーブルに頬杖をついたレオンがニコニコと話しかけてきた。
「ご馳走様。すっごく美味しかったよ。ねぇ、今から俺と少しお話しない? 君のこと、もっとよく知りたいな」
え、これ、もしかしてナンパかな?
私、今生まれて初めてナンパされてる?
「え、いえ、私は店の……」
手伝いがあるので、と断ろうとしたら、常連のおじさんに腕を引かれ「いやいやいや、その人貴族のおぼっちゃんだろ!? 俺らのことはいいから、そっちの相手をしてやってくれよ!」と小声で懇願された。
他のお客さん達の方を見ると皆から頷きが返ってきたので、これは店の客たちの総意らしい。
どう見ても貴族のお忍びルックなこの子の不興を買えば、平民である自分たちの首なんて簡単に吹き飛んでしまうのだろう。
頼む……! という客達の無言の圧に押され、「わかりました、少しなら」と諦めてレオンの近くに寄った。
「そんなところに立ってないで、ほら、俺の横に座ってよ」
と言ってベンチタイプの椅子を横にずれ、その隣をポンポンと叩いている。
「いや、私はここでいいです」と固辞しようとしたら「お願いだから逆らわないで……!」という視線が全身に突き刺さったので、渋々と隣に腰を下ろした。
「ふふっ、実はアードルフから君の話を聞いていたからどんな子か気になっていたんだ。やっと会えて嬉しいよ」
「アードルフ様から?」
「うん。とっても可愛い女の子がいるってね」
それは、シスターエミリーのことではなかろうか。
アードルフとはこの店に来てくれた時以外に教会で何度か会っているが、その時はシスター以外の人間はまったく目に入っていない様子だった。
私のことを可愛いと人に話しているようには全く思えない。
その証拠に、アードルフは気まずそうな顔をしてごほんごほんと咳をしている。
「アードルフから聞いたんだけど、君、猫を飼っているんだって? 実は俺、動物が大好きなんだ。今はどこにいるんだい?」
レオンはわくわくとした顔で辺りを見回している。
なんだ、目的はミルか。
私にやたら可愛いというのも、仲良くなってミルにお近づきになりたかったからなのだとようやく合点がいった。
猫好き仲間だということがわかり、レオンに対する警戒心が霧散していく。
「ミルなら今は二階にいると思いますよ。呼んだら来ると思うけど、私以外にはあんまり懐かないから、レオン様に失礼があるかも」
「レオン様なんて水臭いよ! レオンと呼んで! 失礼なことなんてあるもんか。嫌がる事はしないと約束するから、どうか会わせてくれないかな。顔を見るだけでも」
おねがいっ! と手を合わせるレオンによっぽど猫が好きなんだなと思い、階段の下から二階に声をかける。
「おーい、ミルー?」
とととっと小さな足音が聞こえ、すぐにミルがやってきた。
なぁに? と足元で首をかしげるミルを抱き上げ、レオンのところに戻る。
「この子がミルです」
「うわぁ、白猫なんだね。小さくて、可愛いね。こんにちは、俺はレオンだよ」
猫好きと言っても、不躾に触ろうとしたりする人もいる中で、目線を合わせて優しく話しかける姿に好感を持った。
ゆっくりと指先を近づけると、ミルは興味深そうにふんふんと匂いを嗅いでいる。
うん、この人はいい猫好きだ。
「可愛いなぁ。ねぇ、君のそのふわふわの毛並みを撫でてもいいかい?」
ミルはプイッとそっぽを向いた。
ミルは私以外の人間には中々撫でさせないのだ。兄のカインでさえ、撫でさせてもらえるのは五回に一回くらいである。
「残念……。でも俺は諦めないよ。リリー、ミルの好きなものを教えてもらえないだろうか?」
「食べ物は、ミルはグルメなので気に入ったものじゃないと食べないです。甘いお菓子やフルーツは割と好きです。あと、ブラッシングも好きです」
ハーリアルによると、彼自身も眷属であるミルも主食は魔力なので基本的に食事を必要としないし排泄もしないが、食べ物は食べようと思えば何でも食べられるし、嗜好品として食事を楽しむこともあるとの事だ。
ミル用に買った柔らかい豚毛のブラシで毎日行っているブラッシングはミルの大のお気に入りで、喉をゴロゴロ鳴らしながらぐでーっと液体のように溶けている。
猛獣とは……? とは思わないでもないが、もしかしたらハーリアル様もブラッシングが好きなのかもしれない。今度会いに行くときに、成猫用の少し固めのブラシを持っていこうかと思っている。
「お菓子にフルーツ、ブラッシングだね。わかった。次にこの店に来る時に持ってくるよ。必ず君がお気に召すものを用意してみせるから、もう少し仲良くなれたら嬉しいな」
胸に手を当て懇願するようにミルに話しかける姿は、まるで姫に愛を乞う王子様のようだった。
心なしかミルの目が若干胡散臭いものを見るような目つきになっているような気がした。
帰り際、レオンは私の頬に手を添えて、
「途中からミルに夢中になってしまったけど、君と仲良くなりたいと言ったのも本当だよ。また来るから、その時は君のことも教えてほしいな」
と甘ったるい笑顔で言い残し、颯爽と退店していった。
何故だかアードルフは非常に疲れた顔をしていたけど、あれはなんだったんだろうか。
ミルに私に、割と節操無しだな……。
あの子は、誰にでもああいう感じなのかもしれない。
なんだか変わった子だったな。
ちなみに、また来ると宣言した言葉に違わず、次の日からほぼ毎日うちの店に来店するようになり、レオンとアードルフは立派な常連さんとなったのだった。
アードルフ様、騎士のお仕事は大丈夫なんだろうか?
レオンは来るたびに様々なお菓子やフルーツ、高級そうなブラシを持参してきたけど、中々ミルのお眼鏡にはかなわず、ブラッシングもさせてもらえなかった。
だが、ある日持ってきた桃のドライフルーツをミルはとても気に入り、「やった……!」と飛び上がって喜んだレオンは毎日のようにそれをお土産に持ってくるようになった。
今ではレオンが来店すると、呼ばなくてもやってきて桃をせがんでいる。
なんと、レオンの膝の上に乗り、ブラッシングまで許す始末だ。
完全に餌付けされてしまったミルに、現金な奴め……、と少し嫉妬の視線を送ってしまったのは仕方がないことだと思う。
ちなみに、ミルのおこぼれに預かり食べさせてもらった桃のドライフルーツは本当においしくて、砂糖でガリガリに固められたようなものではなく、桃自体の自然な甘みがぎゅっと濃縮されていて、桃好きの私も唸るほどの一品だった。これは、製法もさることながら材料の桃自体もかなり上質なものを使っているとみた。
水でもどしてコンポートにしても美味しいよ、というレオンの神の一声でそれを試してみたところ、そちらも絶品だった。
ミルの味の好みは飼い主に似たのかもしれない。
周囲に花を飛ばしながらもそもそとドライフルーツを齧る私とミルをニコニコ見つめるレオンと、それを呆れたように見るアードルフの視線には全く気付かない私なのだった。
餌付けされた者がここにも一人。
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