3. リリーの日常②
「さぁさぁ、パパっと干しちまうよ!」
家に到着すると、裏庭が物干し場になっているのでそこで洗った洗濯物を干していく。
ちなみに私は、おいていかれないよう走ってついてきたので息も切れ切れだ。
何度か深呼吸して息を整えてから、母に一枚一枚洗濯物を手渡していく。こなれた手つきで次々と干していくので、リズムを乱さないように渡していくのも結構大変である。
餅つきのこねる係とか、わんこそばのおそばを入れる係とか、そういうのをしている気分になってくる。
「はい、これで最後だ! もうすぐランチの客が来ちまうから、リリーはカインと一緒に店の掃除をしておくれ」
母はそう言って空の洗濯かごを抱えると、スタスタと行ってしまった。
……片時も休まないんだ。元気だなぁ。
次は店内の掃除だ。
私では背が届かないので、カインがテーブルを拭き、私は床の掃き掃除をする。これまた大人用の箒で扱うのが難しい。
なるべく早く終わらせようとがんばったものの、結局カインがテキパキと終わらせてしまった。
……これ、私、いる?
「カイン、すまないけど塩がなくなりそうなんで、市場までちょっと行って買ってきてくれないかい?」
「わかった!」
全く戦力にならない自分にがっかりしていると、カインがおつかいを頼まれていた。
「リリー、どうする? お前はここで待っててもいいけど。一緒に行くか?」
ここまでの色々で既に疲れ気味ではあったが、市場を見てみたかったのでコクリと頷く。
カインは店のお金が入っている箱から硬貨を数枚抜き取ると、それをポケットにしまい私の手を取った。
お金、勝手に持っていっていいの?
お金の管理のずさんさを嘆くべきか、そこまで信頼されている兄がすごいのだと思うべきか判断に迷うな……。
カインと手を繋ぎながら石畳の道を歩いていくと、段々と人通りが増え市場に到着した。
軒先に色とりどりの野菜や果物などが所狭しと並び、人々でにぎわっていた。
でもなんだろう、活気がないっていうか、雰囲気が少しどんよりしているような……。
気のせいかな?
そうこうしているうちに目当ての塩を売っている店に着いた。
大きな入れ物に、百合の記憶にある真っ白な塩よりすこし灰色がかった塩がこんもり入っている。
「おばさん、塩を一袋」
「あいよ。五百ギルだよ」
「また値上がりしたの? この前値上がりしたばっかりじゃないか」
「このご時世じゃ仕方がないよ。こっちも生活がかかっているんだ。文句があるならよそへ行っとくれ」
「買うよ、買うってば! このあたりじゃ塩を売っている店はおばさんのところだけじゃないか。よそって、どこへ行けばいいんだよ……」
そう言ってしぶしぶと硬貨を渡すと、塩を売っているおばちゃんはザッザッと袋に塩を入れ手渡してきた。
お兄ちゃん、主婦の会話が堂に入ってるなぁ。
無事に塩を買い、来た道を引き返していると、道行くおばさまたちの会話が耳に入ってくる。
「肉も野菜も、このところ値上がり続きね。ホント、やんなっちゃうわ」
「この間、また近くの農村からの難民が入ってきたらしいわよ。この街、どうなっちゃうのかしら……」
物価の上昇に、難民という不穏な単語が聞こえてきた。
この国は戦争でもしているのだろうか?
「おにいちゃん、なんみんってなあに?」
「近くの村からこの街に避難してきてる人たちのことだよ。結界が壊れて、安心して村に住めなくなっちゃったんだ」
「……けっかいって、なあに?」
「ふふ、どうした? 今日は質問ばっかりだな。結界は、うーんと、なんて言えばいいんだ? あっ、いけない、もうそろそろ店を開ける時間だ! リリー、急ぐぞ!」
カインは私の手をひき走り出した。はぐれないように、手にギュッと力を込める。
まって! 結界って何!? めちゃくちゃ気になる!
聞きたいけど、転ばないように気を付けながら走るのに精いっぱいで、口から出るのはゼェハァという荒い息だけだった。
息を切らせながら家に戻ってくると、もう店は営業中のようだった。すでにお客さんで混み合っている。
「遅かったね、二人とも。ほら! 料理が上がっているよ。どんどん運んどくれ!」
「わあぁ、ごめん! 今持っていく!」
帰ってくるなり料理の盛られた器を手渡され、カインは慣れた様子でテーブルの間をスルスルと縫い、注文された料理を運んでいく。
私も、私にも持てそうなものはとてとてと運んでいく。
「さらだ、です」
「おう! あんがとよ、嬢ちゃん!」
付け合わせのサラダを持っていくと、頭に手ぬぐいを巻いたガテン系の日に焼けたおじさんが白い歯を見せニカッと笑った。
このおじさんだけでなく、客はムキムキのおじさんばっかりでかなり暑苦しい。
店の立地が職人街に近いので、鍛冶職人や木工職人、土木職人などが主な客層のようだ。
「日替わり定食一丁!」
「おかみ! パンのおかわり頼む!」
「あいよ! リリー、三番テーブルに持ってっとくれ!」
「こっち会計たのむ!」
「はーい!」
「おーい、今から三人いけるか?」
大きな声が行き交い、次々とお客さんが入れ替わり、目が回りそうだ。
私はパンやサラダなど軽いものを運んでいくが、母や兄のように素早く動けないのであんまり戦力にはなっていなさそうだった。
「ふぅ、やっと終わった……。さ、モタモタしてるとすぐに夜になっちまう、さっさとまかないを食べちまうよ!」
「……できてるぞ」
ランチの客がはけ、こちらもようやく昼ごはんにありつけるようだ。もう昼時はとっくに過ぎていてお腹がペコペコである。
早く食べようと足を踏み出すと、くらりとめまいがして床に倒れこんでしまった。
スーッと血の気が引いていくような感覚がする。
この感覚には百合時代に何度も覚えがある。貧血だ。
昨日血を流した上に、お昼も食べずに動いていたのが良くなかったようだ。
「リリー、どうした? 早くしないと食べちゃうぞ? ……リリー!?」
先に厨房に行っていたカインが顔をのぞかせ、へちゃりと床に倒れている私を見つけて悲鳴をあげた。
「リリー!? 大丈夫か!? 顔が真っ白じゃないか!」
「あたまがくらくらする……」
抱き起こしてくれたが、体に力が入らない。
「貧血だな。昨日いっぱい血を流したから……」
私の小さな体を支えられるように態勢を変え、心配そうな声で顔色を確認してくる。
「どうしたんだい、二人とも? ご飯が冷めちまうよ」
「母さん! リリーが貧血だ! 顔色が真っ白で、動けないみたいだ!」
「おやまあ、怪我をしたばかりで、今日もたくさんお手伝いしてくれたからね。動きすぎたんだろう。ご飯は食べられそうかい?」
カインの言葉を聞きつけてやってきた母に聞かれるが、お腹は空いているのに気持ち悪くて何も食べられそうもなかったので、ふるふると力なく首を横に振る。
「しょうがない、今日はもう休んでいな。あんた! リリーをベッドに運んどくれ! 何か食べなきゃ良くならないからね、後で食べられそうな果物でも持っていくから、いい子にしているんだよ」
やってきた父に抱き上げられ、寝室に連れていかれた。
体に力が入っていない人間は重いと聞いたことがあるが、父はぬいぐるみを抱くみたいにひょいと軽く持ち上げてスタスタ運んでいた。
マッチョって、すごい。
寝室のベッドに寝かされじっとしていると、しばらくして小さめの器を持ったカインがやってきて、体を起こしてベッドボードにもたれかからせてくれた。
「具合はどうだ? 桃は食べられそうか? 好きだろ?」
器の中には綺麗に剥いてカットされた桃が入っていた。
桃は前世のころから大好物だ。コクリとうなずくと、カインがスプーンで一口サイズに小さくして、かいがいしく手ずから食べさせてくれた。
じんわりと体に糖分がしみわたる……。
口の中の桃がなくなると、カインが新たなかけらを口元に持ってきてくれるので、無言でもきゅもきゅと咀嚼していく。
なんだか鳥のひなにでもなったような気分だ。
「バカリリー、無理するなっていったろ」
「ごめんなさい」
……お兄ちゃん、優しいな。
人にこんなに優しくされたのはいつぶりだろう?
百合は友達がいなかったし、家族とも離れて暮らしていたし、会社の同僚とは業務連絡以外の会話をした記憶もない。
兄の無償の優しさが糖分以上に心に沁みる。
おっといけない、涙が。
「……俺も連れまわしてごめん。走らせちゃったし。安静にさせなきゃって思ってたのに……」
ごしごしと涙を拭くと、何か勘違いしたのかカインがしょんぼりと反省しているけど、それは本当に兄のするべきことだろうか?
小さな子供の体調管理なんて、七才の、同じく子供にはハードルが高すぎないか?
本来であれば親が気にして見ているべきだと思うけど、両親の感じを見ていると、兄が見ていてくれなければ、私は何かの拍子でうっかり死んでいてもおかしくはないなと思った。
面倒見の良いお兄ちゃんに大感謝である。
ちびちびと時間をかけて、持ってきてくれた桃を完食すると、少し血の気も戻ってきたようで動けるようになってきた。
手をぐーぱーして確かめていると、きゅるる、とお腹の音が鳴った。
「あはは、食欲が戻ってきたみたいだな。今、まかないのスープを持ってきてやるよ」
カインが部屋を後にして、一人になった寝室ではぁーっ、と大きなため息を一つついた。
つ、疲れた……。
薄々気付いていたけど、リリーの生活、かなりブラックじゃない?
倒れたのは体調を考えず動きすぎた自分が悪いけど、それを抜きにしたってこの家、子供を働かせすぎじゃないか? この世界ではこれが一般的なの?
記憶を探っても、一日中家の手伝いばっかりで、友達と遊んだこともない。というか友達がいない。
両親に旅行どころか、どこかに遊びに連れて行ってもらった記憶さえない。
よくよく考えてみると、うちの店が休みをとっていた記憶もない。
うそでしょ、年中無休!?
……ちょっと嫌な事実に気付いてしまったかもしれない。
もしかして、今世の私の人生、このままだとずっとブラックなままじゃないか?
大きくなるまで今のように朝から晩まで家事や店の手伝いで働き続けて、この店を継ぐかどうかはわからないけど、どこかに嫁いだとしても同じような生活レベルの身の丈の合うご近所の誰かと結婚して、婚家でも同じように働き続ける毎日……。
容易に想像がつくな。
……ふざけるな。
「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふ……………………じょうとうだ」
私を誰だと思っている。
自力でFIRE寸前までは達成した女だぞ。
今世でも経済的に自立して、このブラックな環境から退職してやろうじゃないか。
異世界だろうがなんだろうが、どこでだって、絶対にFIREしてみせるんだから!